学位論文要旨



No 128341
著者(漢字) 石井,健一
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,ケンイチ
標題(和) カイコにおける昆虫サイトカインによる自然免疫制御機構の解明
標題(洋)
報告番号 128341
報告番号 甲28341
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1436号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 准教授 有田,誠
 東京大学 准教授 富田,泰輔
 東京大学 特任准教授 松沢,厚
内容要旨 要旨を表示する

【序】

生物が病原体による感染に対抗する上で、免疫機構は必要不可欠である。その免疫機構において、サイトカインと呼ばれる細胞外因子が免疫担当細胞間での迅速な情報伝達を担うことにより、効率的に病原体が排除される。一方で、サイトカインの働きを抑制し、免疫機構をかく乱することにより病原性を発揮する病原体が存在する。従って、サイトカインを中心とする免疫制御機構を解明することは、宿主生物が病原体との攻防を通して健康な状態を維持する仕組みを理解し、感染症に対する治療法を確立する上で重要な課題であると考えられる。しかしながら、免疫応答におけるサイトカインの働き、並びに病原体による免疫応答の抑制機構には未だ不明な点が多い。

抗体産生器官を持たない無脊椎動物では、抗体を介さない自然免疫機構による病原体排除が行われる。無脊椎動物の自然免疫応答(抗菌ペプチドによる溶菌反応、血球細胞による病原体の貪食反応等)と哺乳類のそれとの間には、多くの共通点がある。従って、哺乳類と比べ単純なシステムを持つ無脊椎動物は、自然免疫機構の根幹を理解する上で有用な研究材料であると考えられる。そこで私は、生化学的解析に適し、かつ注射や臓器摘出等の薬理実験が容易なカイコBombyx mori [1]をモデル動物として用いた。

これまでに私は、カイコの血液中に存在する昆虫サイトカインparalytic peptide (PP)が病原体由来成分により活性化され、カイコの細菌感染抵抗性に寄与することを報告している[2]。さらに私は、活性型PPがカイコの脂肪体及び血球細胞における免疫関連遺伝子の発現を誘導し、液性免疫及び細胞性免疫を共に活性化することを明らかにした[3]。従ってPP は自然免疫応答を統合的に制御し、個体の感染抵抗性に寄与すると考えられる。しかしながら、PP がどのようなメカニズムにより免疫担当細胞における遺伝子発現を誘導するかは不明であった。私は、PP 注射後のカイコの免疫組織における遺伝子発現変動を網羅的に解析する中で、一酸化窒素合成酵素をコードする遺伝子(BmNOS)の発現量がPPにより上昇することを見出している[3]。NOは、即時型の情報伝達物質として免疫応答の活性化に寄与することが知られている。これらの知見から、PPが免疫組織におけるNOの産生を誘導し、それにより自然免疫系の活性化が引き起こされる、という仮説を立てるに至った。さらに私は、血球細胞による細胞性免疫応答の分子機構について解析を進める中で、日和見感染症の原因菌であるセラチア菌がカイコの血球細胞を殺傷することを見出した[4]。これまでの研究により、病原体認識に引き続くPP活性化反応には血球細胞が必要であることが示されている[2]。そこで私は、セラチア菌が血球細胞を殺傷することにより、昆虫サイトカインPPを中心とする免疫機構を抑制し、高い病原性を発揮すると考えた。

【結果・考察】

1.Paralytic peptideによる一酸化窒素NOを介した免疫関連遺伝子の発現誘導

定量的RT-PCR解析の結果、活性型PPを注射してから0.5-3 h後の脂肪体において、BmNOS遺伝子のmRNA量が増大することが判った(Fig. 1A)。また、脂肪体におけるBmNOSタンパク質の発現量を調べたところ、活性型PPによる発現上昇が見られた(Fig. 1B)。これらは、PPにより免疫関連遺伝子の発現が3時間以内の早い時期に誘導されるというこれまでの結果と一致する[3]。

次に、PPによる免疫関連遺伝子の発現誘導に対するBmNOSの寄与について検討した。脂肪体における抗菌ペプチド遺伝子(moricin)、及び血球細胞における貪食関連遺伝子(tetraspanin E)の発現量は、活性型PPの血液内注射により増加した(Fig. 2)。一方、NOS阻害剤であるL-NAMEをPPと同時に注射した場合、上記遺伝子の発現上昇率は低下した(Fig.2)。それに対し、L-NAMEの不活性型光学異性体であるD-NAMEは、これらの遺伝子のPPによる発現誘導を抑制しなかった(Fig. 2)。この結果は、PPによる複数の免疫関連遺伝子の発現誘導がNOを介することを示唆している。

2.PPによるNOを介したp38 mitogen-activated protein kinaseの活性化

これまでに私は、活性型PPがカイコの脂肪体においてp38 MAPKを活性化し、それを介して抗菌ペプチド遺伝子の発現誘導を引き起こすことを示している[3]。また前項で私は、活性型PPによる脂肪体での抗菌ペプチド遺伝子の発現誘導に、NOSの働きが必要であることを示唆した。そこで次に、活性型PPによるp38 MAPKの活性化反応にNOSが寄与するかについて検討した。その結果、活性型PPの血液内注射により誘導されるp38 MAPKのリン酸化は、L-NAMEとの共注射により阻害されていた(Fig. 3)。従って、PPのp38 MAPKを介した免疫応答に、NO産生が寄与すると考えられる。

3.セラチア菌による、カイコ血球細胞の殺傷を介した病原性発現機構

セラチア菌はカイコに対して高い病原性を示す。この理由として、セラチア菌が宿主の自然免疫系を攻撃し、破壊することが考えられる。セラチア菌をカイコに血液内注射した後、血球細胞を分離したところ、大部分の血球細胞がトリパンブルー染色に対して陽性となり、殺傷されていた(Fig. 4A)。さらに、セラチア菌を注射したカイコにおいては、PPの活性化反応が抑制されていた。従って、セラチア菌はカイコ血球細胞を殺傷することにより、PPによる免疫応答の活性化を抑制すると考えられる。

次に、上述のセラチア菌による宿主免疫細胞の殺傷に必要な遺伝子群を同定する目的で、トランスポゾン挿入変異株のスクリーニングを行った。その結果、セラチア菌トランスポゾン挿入変異株1049株のうち、in vitroにおけるカイコ血球細胞に対する殺傷能が低下した16株を得た。これらには、LPSへのO抗原付加に必要なwecAや鞭毛の合成に必要なflhD及びfliR遺伝子の変異株が含まれていた。セラチア菌のwecA, flhD,またはfliR遺伝子破壊株は、カイコ血球細胞(Fig. 4A)、及びマウス腹腔内マクロファージに対する殺傷能が野生株より低下していた。さらにwecA遺伝子破壊株において、カイコ個体に対する殺傷能が著しく低下していた(Fig. 4B)。これらの結果は、セラチア菌による血球細胞の殺傷が病原性に寄与することを示唆している。

【総括】

本研究において私は、昆虫サイトカインPPが一酸化窒素合成酵素の発現を誘導し、その働きを介して血球細胞及び脂肪体において免疫関連遺伝子の発現及びp38 MAPKの活性化を引き起こすことを示した(Fig. 5)。これまで無脊椎動物の自然免疫系においてNO産生を誘導する仕組みは明らかにされていない。また、サイトカインがNO産生を亢進させることによりp38MAPKの活性化を誘導し、免疫系を活性化することを示した例はない。本結果により、無脊椎動物においてNOが液性免疫及び細胞性免疫を同時に制御することが初めて示唆された。拡散性の情報伝達物質であるNOがPPの下流で働くことは、複数の組織での免疫応答を即時的に活性化する上で合理的であると考えられる。

本研究ではさらに、セラチア菌がLPSや鞭毛を介して血球細胞を殺傷することによりPPを介した免疫応答を抑制し、病原性を発揮することが示唆された(Fig. 5)。セラチア菌に関して免疫応答から回避することは報告されておらず、本研究により見出されたwecAを初めとする病原性遺伝子産物がセラチア菌感染症治療の新規標的になると考えられる。このような免疫応答を抑制する病原体に関する研究を通して、細菌の病原性発現機構、並びに病原体との攻防を担う免疫系の重要性とその分子機構が解明され、新しい感染症治療法の確立につながると期待される。

[1] Ishii K, Hamamoto H, Imamura K, Adachi T, Shoji M, Nakayama K, Sekimizu K. (2010) J Biol Chem 285(43): 33338-47.[2] Ishii K, Hamamoto H, Kamimura M, Sekimizu K. (2008) J Biol Chem 283(4):2185-91.[3] Ishii K, Hamamoto H, Kamimura M, Nakamura Y, Noda H, Imamura K, Mita K, Sekimizu K.(2010) J Biol Chem 285(37):28635-42.

Fig.1 活性型PPによるカイコBmNOSの発現誘導

Fig.2 活性型PPによる免疫関連遺伝子の発現誘導に対するNOS阻害剤の効果

Fig.3 活性型PPによるp38 MAPKの活性化に対するNOS阻害剤の効果

Fig.4 セラチア菌による血球細胞及びカイコ個体の殺傷におけるwecA遺伝子の必要性

Fig.5 昆虫サイトカインPPによる自然免疫応答の制御機構、並びにセラチア菌によるPPを介した自然免疫応答の抑制

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、昆虫であるカイコをモデル生物として、サイトカインを中心とした新しい自然免疫機構の解析がなされている。また、これより派生したテーマとして、宿主免疫を抑制する日和見感染菌、あるいは免疫を過剰亢進させる炎症起因菌のそれぞれにおける病原性発現機構についての研究成果が記されている。

まず、カイコにおける昆虫サイトカインparalytic peptide (PP)を介する新規免疫経路の発見を機軸として、自然免疫応答に関する研究成果が第1章及び第2章に記載されている。このうち第1章では、カイコの免疫組織において昆虫サイトカインPPにより発現が変動する遺伝子群についての網羅的解析が行われている。その結果、PPは複数の免疫関連遺伝子(脂肪体における抗菌ペプチド遺伝子、及び血球細胞における貪食関連遺伝子)の発現を誘導することが明らかとなった。またPPは、細菌との直接的な結合によるオプソニン化を介さずに、カイコの血球細胞による細菌の貪食反応を促進させた。さらに、PPはカイコの脂肪体において、ストレスシグナル経路の一つであるp38 mitogen-activated protein kinase (p38 MAPK)を活性化することが判明した。これらのPP依存的な免疫関連遺伝子の発現誘導並びにカイコ個体の細菌感染抵抗性の上昇は、p38 MAPK阻害剤により抑制されたことから、上記のPP依存的な自然免疫応答の活性化にp38 MAPK経路が寄与する可能性が示唆されている。

第2章では、PPにより誘導される遺伝子のうち、一酸化窒素合成酵素(nitric oxide synthase; NOS)に着目し、昆虫サイトカインの働きにおける一酸化窒素の寄与について検討されている。活性型PPを血液内注射したカイコにおいて、血液中での一酸化窒素濃度、並びに脂肪体及び腸管におけるNOSの発現誘導がみられた。また、カイコをNOS阻害剤により処理することにより、 PP依存的な免疫関連遺伝子の発現誘導、p38 MAPKの活性化、並びにカイコ個体の細菌感染抵抗性の上昇が抑制された。これらの結果から、第1章で解析されたPP活性化反応の下流で引き起こされる自然免疫応答において、NOSの働きが重要となることが示唆された。

次に第3章では、PPを中心とする宿主免疫応答を抑制する病原体としてセラチア菌Serratia marcescensに注目し、その病原性発現機構が解析されている。このうち第1節では、セラチア菌がカイコ血球細胞(哺乳動物のマクロファージ等に相当する免疫細胞)に対して細胞死を誘導することが示されている。この血球細胞の細胞死誘導に必要なセラチア菌の遺伝子を、トランスポゾン挿入変異株のスクリーニングにより探索した結果、未知遺伝子を含む複数の病原性遺伝子が同定された。そのうち、LPSのO抗原合成に必要なwecA遺伝子、並びに鞭毛合成に寄与するflhD及びfliR遺伝子について、セラチア菌の遺伝子破壊株を作出したところ、それらのカイコ血球細胞並びに個体に対する殺傷活性が著しく低下することが判明した。上記遺伝子破壊株では、マウス腹腔内マクロファージに対する殺傷能も低下していたことから、これらの遺伝子群がセラチア菌の哺乳動物に対する病原性発現においても寄与すると考えられる。

第3章の第2節では、セラチア菌が(細胞死誘導とは異なる機構により)カイコ血球細胞の接着性を低下させ、細胞性免疫を抑制することが示唆された。セラチア菌の培養上清から、カイコ血中での血球細胞数を増加させる活性を指標に精製したところ、Serralysin metalloproteaseが同定された。また、Serralysin遺伝子を破壊したセラチア菌変異株では、カイコ個体殺傷能が低下していたことから、本因子がセラチア菌の病原性発現に寄与することが示唆された。このように、宿主生物の血球細胞の接着性を低下させ、細胞性免疫を抑制する細菌の病原性因子の報告例は無く、本研究が初めてである。

最後に、第4章では、免疫機構の「負」の側面である過剰免疫疾患に焦点が当てられ、「血液内への病原体の侵入により免疫応答が過剰に活性化され個体が死に至る」という過剰免疫疾患モデルが、カイコを用いて無脊椎動物で初めて構築されている。ヒトの口腔内に炎症を引き起こす歯周病菌Porphyromonas gingivalisをカイコに感染させた場合、他の病原性細菌では見られない現象(in vitroで増殖抑制効果のある抗生物質によりカイコの感染死が治療されない等)が観察された。歯周病菌によるカイコの殺傷が、細胞壁構成成分の一つであるペプチドグリカンの分解酵素により処理することにより抑制されたことから、上記の反応にペプチドグリカンが寄与することが示唆された。一方、この歯周病菌によるカイコの殺傷が、免疫系を抑制する薬剤(メラニン化反応阻害剤及びセリンプロテアーゼ阻害剤)、ラジカル消去剤、及びカスパーゼ阻害剤の投与により遅延したことから、本病態における過剰免疫活性化の寄与が示唆された。さらに、歯周病菌のペプチドグリカンによる免疫過剰活性化は、カイコだけでなく、他の昆虫(鱗翅目昆虫、鞘翅目昆虫)及び哺乳動物細胞(マウス腹腔内マクロファージ)においても誘導された。これまで無脊椎動物において、宿主免疫の暴走により病態を呈する現象は捉えられておらず、本研究が初めての報告例である。さらに、ペプチドグリカンは歯周病菌の病原性因子としてこれまで注目されておらず、本研究によりその病態への寄与が初めて示唆された。

本論文では免疫系の正の働き(病原体の効率的な排除応答の活性化)と負の働き(過剰に活性化した場合の宿主自身に対する傷害)の両方について、カイコをモデル生物としてアプローチする独創的な創薬基盤研究が展開された。本研究は、自然免疫系の制御機構の理解、並びにヒトにおける感染症治療法の確立につながるものと考えられる。よって申請者は、博士(薬学)の学位を受けるに十分な資格を有すると判定した。

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