学位論文要旨



No 128344
著者(漢字) 大前,陽輔
著者(英字)
著者(カナ) オオマエ,ヨウスケ
標題(和) 黄色ブドウ球菌の分泌毒素が自己の移動能力を抑制する
標題(洋)
報告番号 128344
報告番号 甲28344
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1439号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 准教授 紺谷,圏二
 東京大学 特任准教授 松沢,厚
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

細菌の移動能力は自己の増殖可能領域の拡大につながり、細菌が病原性を発揮する上で重要と考えられている。黄色ブドウ球菌は、軟寒天(0.24%寒天)培地の表面を広がる能力(コロニースプレッディング能力)をもつ。黄色ブドウ球菌の臨床分離株のコロニースプレッディング能力の強さはその菌株の病原性の強さと対応している(1,2)。コロニースプレッディングの調節においては、黄色ブドウ球菌の細胞表面同士や細胞表面と寒天表面との相互作用を変化させることが重要だと考えられる。本論文で私は、黄色ブドウ球菌が自己のコロニースプレッディング能力を調節する上で働く因子が黄色ブドウ球菌の細胞外分泌因子の中に存在するのではないかと予想し、検討を行った。

[結果]

1, 黄色ブドウ球菌の培養上清により黄色ブドウ球菌のコロニースプレッディングが阻害される

まず最初に私は、黄色ブドウ球菌を液体培養した培地の遠心上清について、黄色ブドウ球菌のコロニースプレッディングに対する効果の有無を検討した。その結果、培養上清によりコロニースプレッディングが阻害される事がわかった(図1)。そこで私は、この黄色ブドウ球菌の培養上清中に存在する阻害活性を担う因子の精製を試みた。

2, コロニースプレッディング阻害因子δ溶血毒素の同定

コロニースプレッディング阻害活性を指標とした精製を行い、硫安沈殿、熱処理後可溶性画分回収、透析、陽イオン交換カラム分画により、標品を得た。最終精製標品は、分子量約4kDa のタンパク質が単一のバンドを形成し、最終精製段階のホスホセルロースカラム画分においてこのタンパク質の挙動と阻害活性の挙動が一致していた(図2)。N 末端アミノ酸配列決定により、このタンパク質はδ溶血毒素(Hld)と同定された。δ溶血毒素をコードするhld 遺伝子の破壊株における培養上清中のコロニースプレッディング阻害活性は、野生株に比べ約10 分の1に低下していた。これらの結果は、δ溶血毒素がコロニースプレッディング阻害因子である事を示している。また、hld 遺伝子破壊株は野生株に比べ高いコロニースプレッディング能力を示した。従って、黄色ブドウ球菌はδ溶血毒素を分泌して自らのコロニースプレッディング能を負に制御していることが明らかとなった。

3, コロニースプレッディング阻害因子Map の同定

hld 遺伝子破壊株の培養上清中にわずかではあるが、コロニースプレッディング阻害活性が残存することから、δ溶血毒素以外の阻害因子がこの株の培養上清中に存在すると考えられた。そこで、このhld 遺伝子破壊株の培養上清を出発材料として、再びコロニースプレッディングに対する阻害活性を指標に精製を行った。硫安沈殿、透析、陽イオン交換カラム分画を行い、活性と挙動を共にする分子量約50 kDa のタンパク質を得た(図3 Peak2)。N 末端アミノ酸配列決定によりこのタンパク質はMHC class II タンパク質と相同性を有する細胞外タンパク質Map であることが判った。map 遺伝子とhld 遺伝子の2重破壊株の培養上清中のコロニースプレッディング阻害活性は、hld遺伝子単独の破壊株よりもさらに2分の1に低下していた(図4)。以上の結果は、黄色ブドウ球菌が分泌するMap は黄色ブドウ球菌のコロニースプレッディングを抑制する活性を有することを示している。

4, コロニースプレッディング阻害因子PSMαの同定

map 遺伝子とhld 遺伝子の2重破壊株の培養上清中にも、コロニースプレッディング阻害活性が検出されることから、δ溶血毒素とMap タンパク質以外のコロニースプレッディング阻害因子の存在が示唆された。私は、δ溶血毒素と似た2次構造をもち、両親媒性を示すPSMαタンパク質がコロニースプレッディング阻害活性を有するのではないかと考え、検討した。その結果、PSMαタンパク質の添加により、黄色ブドウ球菌のコロニースプレッディングが阻害されることが明らかとなった。psmα遺伝子、map 遺伝子、hld 遺伝子の3 重破壊株では培養上清中にコロニースプレッディング阻害活性は野生株の0.3%まで低下した(図4)。よって、私は、δ溶血毒素、Map、及びPSMαが、黄色ブドウ球菌が細胞外に分泌するコロニースプレッディング阻害活性の大部分を担っていると結論した。

5, δ溶血毒素によるコロニースプレッディング阻害機構の解析

培養上清中の活性の大部分を担ったδ溶血毒素について、そのコロニースプレッディング阻害機構の解析を行った。δ溶血毒素は疎水性に富んだαへリックス構造を有する両親媒性ペプチドであり、界面活性作用を有することが知られている(図5A)。コロニースプレッディングは菌が集団を形成し広がっていく現象である。私は、δ溶血毒素の界面活性作用が菌体表面同士の相互作用を変化させ、コロニースプレッディングを阻害するのではないかと考え、検討した。黄色ブドウ球菌は炭化水素であるヘキサデカンに吸着する性質を有することが知られている。δ 溶血毒素の添加は黄色ブドウ球菌のヘキサデカンへの吸着量を減少させた(図5B)。従って、δ溶血毒素は菌体表面と疎水性分子との疎水性相互作用を低下させることが示唆された。δ溶血毒素の界面活性作用による菌体表面同士の疎水性相互作用の低下がコロニースプレッディング阻害活性に必要かを知る目的で、変異型δ溶血毒素を作出した(図6)。この時、αへリックス構造を破壊した変異型δ溶血毒素1は、コロニースプレッディング阻害活性を失い(図5C)、それとともに界面活性作用と疎水性相互作用を低下させる活性も消失していた(図5A,B)。また、N 末とC 末のアミノ酸を除いた変異型δ溶血毒素2のコロニースプレッディング阻害活性は減弱しており(図5C)、それとともに、界面活性作用と疎水性相互作用を低下させる活性も減弱していた(図5A,B)。以上の結果は、δ溶血毒素の界面活性作用による菌体表面の疎水性相互作用の低下が、コロニースプレッディング阻害に必要であることを示唆している。

[考察]

私は、黄色ブドウ球菌の培養上清中からコロニースプレッディング阻害因子の精製を行い、δ溶血毒素、Map、PSMαを同定した。δ溶血毒素とPSMαは哺乳類細胞に対する溶解活性を持ち、Map はT 細胞に結合して免疫機能を阻害する活性を有することが報告されている。本研究はこれらの黄色ブドウ球菌が分泌する毒素が黄色ブドウ球菌のコロニースプレッディングの負の調節に働いていることを明らかにした。細菌が分泌する毒素が自己の移動能力の調節に関与する例は知られておらず、本研究が初めて明らかにした。

黄色ブドウ球菌は細胞外に毒素を分泌し、自身のコロニースプレッディングを阻害することにより、宿主体内における移動能力を低下させ、自らの病原性を低下させているのではないかと私は考えている。この様な病原性を抑える機構は、黄色ブドウ球菌の生存戦略として重要であると考えられる。今後、それぞれの阻害因子によるコロニースプレッディング阻害の黄色ブドウ球菌感染における意義を明らかにしていきたい。

(1) Kaito C, Omae Y, Matsumoto Y, Nagata M, Yamaguchi H, Aoto T, Ito T, Hiramatsu K, Sekimizu K.PLoS ONE. 2008; 3(12): e3921(2) Kaito C, Saito Y, Nagano G, Ikuo M, Omae Y, Hanada Y, Han X, Kuwahara-Arai K, Hishinuma T,Baba T, Ito T, Hiramatsu K, Sekimizu K. PLoS Pathog. 2011 Feb 3;7(2):e1001267..(3) Ueda T, Kaito C, Omae Y, Sekimizu K. Microb Pathog. 2011 Sep;51(3):178-85.(4) Kaito C, Hirano T, Omae Y, Sekimizu K. Microb Pathog. 2011 Sep;51(3):142-8.

図1 培養上清添加によりコロニースプレッディングが阻害される

図2 分子量約4 k D a のタンパク質の挙動とコロニースプレッディング阻害活性の挙動

(上) 陽イオン交換カラム溶出画分における阻害活性(白丸)、タンパク質量(黒丸)、塩濃度(点線)を示す。

(下) 溶出画分(22-32)についてSDS ポリアクリルアミドゲル電気泳動法により分析した。

図3 分子量約5 0 kDa のタンパク質の挙動とコロニースプレッディング阻害活性の挙動

(上) 陽イオン交換カラム溶出画分における阻害活性(白丸)、タンパク質量(黒丸)、塩濃度(点線)を示す。

(下) 溶出画分(38-49)についてSDS ポリアクリルアミドゲル電気泳動法により分析した。

図4 遺伝子破壊した各黄色ブドウ球菌の培養上清中のコロニースプレッディング阻害活性

図5 野生型δ溶血毒素と変異型δ溶血毒素の界面活性、疎水性相互作用低下活性、コロニースプレッディング阻害活性

(A)各δ溶血毒素を添加した水滴が壊れるまでの時間を測定した。(B)ヘキサデカンと混合後、ヘキサデカン層に吸着した菌量をA600 により測定した。無添加時の吸着量を100%とし、各δ溶血毒素添加時の吸着量を算出した。(C)各δ溶血毒素を添加時のコロニースプレッディング距離を示す。

図6 変異型δ溶血毒素のアミノ酸配列

図7 黄色ブドウ球菌は自己の移動能力を低下させ宿主との共存を図る

審査要旨 要旨を表示する

申請者の論文は、黄色ブドウ球菌の移動能力であるコロニースプレッディングについて、黄色ブドウ球菌自身が分泌する阻害因子をはじめて同定したというものである。コロニースプレッディングとは鞭毛をもたない黄色ブドウ球菌が有する、増殖に伴い軟寒天上を拡散するという移動能力である。細菌の移動能力は細菌が病原性を発揮する上で重要と考えられており、黄色ブドウ球菌の臨床分離株のコロニースプレッディングにおいても菌株のコロニースプレッディング能力の強さと病原性の強さとの対応が見られる。しかしながら、黄色ブドウ球菌が自己のコロニースプレッディング能力を調節する分子機構は不明であった。本論文は黄色ブドウ球菌の細胞外分泌因子に着目し、黄色ブドウ球菌のコロニースプレッディングの調節に働く分子機構の解明を目指した。

申請者はまず、本論文の第1章において、黄色ブドウ球菌の細胞外分泌因子のコロニースプレッディングに対する効果を検討した。そして、黄色ブドウ球菌の液体培養上清を軟寒天培地中に添加する事によりコロニースプレッディングを阻害される事を見出した。そして、コロニースプレッディング阻害活性を独自に定義するとともに、阻害活性を担う因子の性状解析を行い、阻害因子が黄色ブドウ球菌の細胞外分泌タンパク質発現を制御するagr遺伝子領域依存に分泌されるタンパク質であることを明らかにした。

次に申請者は、第2章において、コロニースプレッディング阻害活性を担う因子の実体を生化学的に明らかにするため、コロニースプレッディング阻害活性を指標とした精製を行った。そして、黄色ブドウ球菌の液体培養上清中から数段階の分画の後、最終段階の陽イオン交換カラムクロマトグラフィーにおけるコロニースプレッディング阻害活性とタンパク質量の挙動の一致から、δ溶血毒素をコロニースプレッディング阻害因子として同定した。さらに、δ溶血毒素をコードするhld遺伝子破壊株を用いた遺伝学的解析から、hld遺伝子破壊株において培養上清中のコロニースプレッディング阻害活性が野生株の10分の1以下に低下すること、hld遺伝子破壊株のコロニースプレッディング能力が野生株に比べ上昇することを見出した。これらの結果より、δ溶血毒素がコロニースプレッディング阻害因子であることを遺伝学的に確証するとともに、黄色ブドウ球菌が自己の移動能力をδ溶血毒素により負に制御していることを明らかにした。

さらに申請者は、第3章において、hld遺伝子破壊株の培養上清中に野生株より低いものの依然としてコロニースプレッディング阻害活性が残存することに着目し、今度はhld遺伝子破壊株の培養上清を出発材料とした精製によりMapタンパク質を同定した。さらに、map遺伝子破壊株を作出し、map遺伝子hld遺伝子2重破壊株の培養上清中でhld遺伝子単独破壊株よりもコロニースプレッディング阻害活性が低下することを明らかにし、Mapがコロニースプレッディング阻害因子であることを遺伝学的に確証した。さらに第4章において、map遺伝子hld遺伝子2重破壊株においても検出されるコロニースプレッディング阻害活性を担う因子として、δ溶血毒素と類似した二次構造を示すPSMαタンパク質に着目し、PSMαタンパク質の軟寒天培地への添加により黄色ブドウ球菌のコロニースプレッディングが阻害される事、map遺伝子hld遺伝子2重破壊株からpsmα遺伝子を破壊すると培養上清中のコロニースプレッディング阻害活性が4分の1に低下し、3重破壊株の阻害活性は野生株の0.3%まで低下する事を示した。以上の結果より、黄色ブドウ球菌の細胞外に分泌するコロニースプレッディング阻害活性の大部分を担う因子として、δ溶血毒素、Map、PSMαが同定された。

最後に第5章において申請者は、同定された因子の中で最も多くの活性を担ったδ溶血毒素について、そのコロニースプレッディング阻害の分子機構を検討した。そして、変異型のδ溶血毒素を用いた解析により、δ溶血毒素がその界面活性により黄色ブドウ球菌の細胞表面の疎水性を低下させることでコロニースプレッディングを阻害することを示唆した。

以上、本研究は、黄色ブドウ球菌のコロニースプレッディングについて、黄色ブドウ球菌の細胞外分泌因子に着目し、生化学的、遺伝学的に解析することにより、黄色ブドウ球菌のこれまで宿主細胞に対する作用が報告されてきた病原性因子δ溶血毒素、Map、PSMαが、黄色ブドウ球菌自身に対しても作用を有していることを明らかにした。細菌が自己の移動能力を負に制御することは本研究が初めて明らかにすることであり、細菌の生存戦略において新たな知見を提供している。また、これらコロニースプレッディング阻害因子群の同定と機能解析に関わる結果は、黄色ブドウ球菌の移動能力調節に関わる分子基盤を解明する上で細菌学上、生物系薬学上、重要な知見を提供している。よって申請者は、博士(薬学)の学位を受けるに十分な資格を有すると判定した。

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