学位論文要旨



No 128346
著者(漢字) 田埜,慶子
著者(英字)
著者(カナ) タノ,ケイコ
標題(和) Long noncoding RNA, MALAT-1 によるがん進行メカニズムの解析
標題(洋)
報告番号 128346
報告番号 甲28346
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1441号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 秋光,信佳
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 特任教授 磯貝,隆夫
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

生物は進化するにつれ、ゲノムサイズを増すとともに、タンパク質をコードしない、非コード領域を獲得してきた。ゲノムDNAにおける非コード領域の割合は、原核生物では25%以下であるのに対し、酵母や植物、動物へと生物が進化するにしたがって増加し、ヒトにおいては98.5%にまで至る。近年、この非コード領域から転写される、noncoding RNA が多く見出されるようになった。生物におけるそれらnoncoding RNA の役割も解明されつつある。私は、このように生物が進化するにつれて獲得した、noncoding RNA から見いだされる生命現象について研究を行った。

Noncoding RNA の中でも、私が着目して研究を行ったのがlong noncoding RNA(200nt 以上)である。これまでに機能が明らかとなっているlong noncoding RNA は未だ少数であるが、わかっているものについては、タンパク質と相互作用することにより、細胞内構造体の形成に関わることや、クロマチンリモデリング、転写、スプライシングなどの遺伝子発現調節に関わることが示されている。特に、long noncoding RNA による遺伝子発現調節は、細胞の機能に大きな影響を与えることから、long noncoding RNA の役割について知ることは、発生、分化などの生命現象、さらに、疾患についての理解を深めることにつながると考えられ、重要である。

近年、疾患において発現が上昇するlong noncoding RNA が見出されるようになった。その代表例が、MALAT-1(Metastasis associated lung adenocarcinoma transcript-1) である。MALAT-1 は高転移性の肺がん細胞で高発現する。MALAT-1 の高発現は、肺がん患者の予後の悪化と相関があることから、診断マーカーとして有用であると考えられている。しかし、MALAT-1 自体が肺がんの進行に影響するかについては不明であった。MALAT-1 は、核内に安定的に存在する8kb 以上のRNA で、核の中でもスペックルと呼ばれる構造体に特異的に局在する。さらに、MALAT-1 は、遺伝子発現を調節する因子と相互作用する例が報告されており、遺伝子発現調節に関わる可能性が高い。そこで、MALAT-1 が遺伝子の発現を調節することによって、転移に好都合な細胞形質に影響を与えるのではないかと私は考え、この仮説を検証した。

【結果】

1. MALAT-1 は運動性遺伝子の発現を促進し、細胞運動能を促進させる

MALAT-1 は高転移性のがんで高発現することから、MALAT-1 が、転移に重要な細胞運動性に影響するか調べた。肺がん細胞であるA549 細胞において、MALAT-1 をRNAi 法によりノックダウンし(図1-A)、まずWound healing assay によって細胞の移動率を測定したところ、コントロールの細胞に比べてMALAT-1 ノックダウン細胞の移動率は低いことがわかった(図1-B, p<0.01, Student's t-test)。同様の結果は、トランスウェル・チャンバーを用いた運動性アッセイによっても得られた(図1-C, **p<0.01)。以上の結果から、MALAT-1 は肺がん細胞の運動性を促進する働きを持つことが示された。

次に、MALAT-1がどのようなメカニズムで細胞運動性を促進させるかを調べることにした。MALAT-1は核内で、スペックル(転写因子やスプライシング因子が多く集合する核内ドメイン)に局在することが知られている。そこで、MALAT-1が、細胞運動に関与する何らかの遺伝子の発現に影響を与えることによって、運動性を促進させているのではないかという仮説を立てた。MALAT-1ノックダウン細胞のマイクロアレイ解析により、MALAT-1によって影響を受ける遺伝子群を調べた。その結果、MALAT-1のノックダウンによって発現が低下する遺伝子群(図2-A)の中に、運動性に関連するものが多く含まれていることがわかった。それらの遺伝子が、私の用いている肺がん細胞の運動性に影響を与えるか知るため、それらの遺伝子をノックダウンし、細胞の運動性を調べると、CTHRC1,CCT4,HMMR,ROD1のノックダウン細胞の運動性が低下した。このことから、これらの遺伝子は、MALAT-1によって発現が影響される運動性遺伝子群であり、MALAT-1はこれらの運動性遺伝子の発現を促進させることにより、肺がん細胞の運動性を促進させることが示された。MALAT-1が運動性遺伝子群の発現を、転写または転写後のいずれの段階で調節するか知るため、pre-mRNAレベルを調べた。MALAT-1ノックダウン細胞で、転写直後のpre-mRNAの段階から低下すれば転写の段階、低下していなければ転写後に調節されると判断することにした。その結果、MALAT-1ノックダウン細胞で、HMMRのpre-mRNA量は低下し、CTHRC1,CCT4,ROD1のpre-mRNA量は低下していなかった(図2-B,** p<0.001)。このことから、MALAT-1は、HMMRの発現を転写の段階で、CTHRC1,CCT4,ROD1の発現を転写後に調節することがわかった。

以上の結果から、MALAT-1 は、転写あるいは転写後の段階で運動性遺伝子の発現を促進し、肺がん細胞の運動性を促進させることが示された。(Tano K, et al., 2010)

2. MALAT-1 はp53 の発現を抑制し、G1-S 期の細胞周期の移行を制御する

MALAT-1 によって影響を受けるのは、運動性遺伝子のみではない。MALAT-1 ノックダウン細胞のマイクロアレイ解析の結果から、MALAT-1 ノックダウン細胞で、p53 の標的遺伝子群の発現が上昇していることがわかった。このことから、MALAT-1 ノックダウン細胞で、p53 の活性を介した転写が上昇している可能性が考えられた。そこで、この現象がp53を介しているかについて検証した。p53 の発現をRNAi により抑制すると、MALAT-1 のノックダウンによるp21, FAS遺伝子の発現上昇が抑制された(図3, **p<0.01)。同様の結果は、 MALAT-1 ノックダウン細胞に、p53 の阻害剤(pifithrin-!)を作用させることによっても得られた。このことから、MALAT-1 ノックダウン細胞でp53 による転写が上昇し、下流のp21, FAS の発現が上昇することがわかった。従って、MALAT-1 はp53 による転写を抑制し、p21, FAS の発現抑制に関わることが示された。

MALAT-1 ノックダウン細胞におけるp53 の発現を調べると、タンパク質レベル(図4-A)、mRNA レベルの両方で上昇していた。さらに、massive transcriptional startsite (TSS) analysis によって、p53 のプロモーターのうち、転写活性を有するp53 タンパク質をコードするmRNA の上流にあるP1 プロモーターからの転写が、MALAT-1 ノックダウン細胞で上昇していることがわかった(図4-B)。レポータージーンアッセイにより、p53 のP1 プロモーター(コア領域)の活性を調べると、MALAT-1 ノックダウン細胞で上昇していた(図4-C)。以上の結果から、MALAT-1 はp53 遺伝子の転写を抑制することによってp53 の発現を抑制し、下流の遺伝子の発現に影響することが示された。MALAT-1 によって影響を受けるp53 プロモーター領域について、さらに領域を絞り込むため、P1 プロモーターの200bp 領域の5'側からdeletion した mutant reporter gene を作成し、これらをMALAT-1ノックダウン細胞に導入して活性を調べた。その結果、P1 プロモーターの122~165bp 領域にかけての活性が、MALAT-1 ノックダウン細胞で段階的に上昇することがわかった。このことから、MALAT-1 は、P1 プロモーターの122~165bp 領域を介してp53 の転写を抑制していると考えられる。

p53 の下流遺伝子であるp21 は、G1 期のアレストを誘導する因子であることが知られている。そこで、MALAT-1 ノックダウン細胞で、G1 期のアレストが生じているか調べた。FACS 解析の結果、MALAT-1 ノックダウン細胞では、コントロールの細胞に比べてS期とG2/M 期の細胞数が減少し、G1 期における細胞数が上昇していた(図5)。このことから、MALAT-1 ノックダウン細胞はG1 期でアレストを生じることがわかった。従って、MALAT-1 はG1 期からの細胞周期の移行の促進に関わることが示された。

以上の結果から、MALAT-1 はp53 の遺伝子発現を抑制してp21 の発現を抑制し、G1 期からの細胞周期の移行を促進させることが示された。

【総括】

本研究で私は、MALAT-1 が、(1)運動性遺伝子の発現を促進し、肺がん細胞の運動性を促進させること、(2)p53 の転写を抑制し、G1 期からの細胞周期の移行を促進することを明らかにした。(1)も(2)も、がんの進行に通じる現象であることから、肺がん細胞において発現上昇するMALAT-1 は、単なる診断マーカーではなく、がんの悪化に影響する重要な因子であることが、示されたと考えられる。また、運動性遺伝子群の発現は、p53 に依存しないことも示していることから、(1)と(2)は独立した経路であると考えられる。従って、MALAT-1 は、2つの異なる経路を介してがんの悪化に影響すると考えられる。このように、long noncodingRNA に着目することによって、がんの進行メカニズムについて新しい観点から理解できることがわかった。

さらに本研究では、MALAT-1 が、転写および転写後、両段階において遺伝子発現を調節するという、多様な分子機構を担うことが示されたと考えられる。一つのlong noncodingRNA が、複数の遺伝子発現調節に関わるという考えは、概念的に新しい。Long noncodingRNA は、転写因子やスプライシング因子などのように活性を有するタンパク質にはならないが、自身の複雑な構造をうまく利用し、様々な因子と相互作用できる能力を発揮することで、多様な遺伝子発現調節に貢献する分子として、進化とともに獲得されたのではないかと考えられる。

図1 MALAT-1 ノックダウン細胞の運動性低下

図2 MALAT-1 ノックダウン細胞における運動性遺伝子群の発現

図3 MALAT-1 ノックダウン細胞におけるp53の発現量の上昇およびプロモーター活性の上昇

図5 MALAT-1 ノックダウン細胞は、G1期でアレスとを生じる

図6 MALAT-1によるがん進行メカニズムのモデル

審査要旨 要旨を表示する

生物は進化の過程で、ゲノムサイズを増すとともに、非コード領域(タンパク質のアミノ酸一次配列情報をコードしないDNA配列)を獲得してきた。ヒトでは98%が非コード領域と考えられている。近年、この非コード領域から、多種多様なnoncoding RNAが転写されていることが判明した。発生や分化の過程でnoncoding RNAの発現がダイナミックに変動することから、noncoding RNAの機能を理解することが高等真核生物の複雑な高次生命現象を理解する鍵になると考えられるようになっている。さらに、高次生命現象に関与するnoncoding RNAの機能の理解は疾患に理解にもつながると期待されている。実際、疾患において発現が上昇するlong noncoding RNAが次々と見出されてきている。

このような背景のもと、申請者である田埜慶子は、高転移性の肺がん細胞で高発現するノンコーディングRNAであるMALAT-1(Metastasis associated lung adenocarcinoma transcript-1)に着目し、ノンコーディングRNAの生理機能解明に取り組んだ。すなわち、MALAT-1ががんの転移性促進と関係した生理機能を有するのか、MALAT-1の生理機能発現の分子基盤は何か、という問題に申請者は取り組んだ。

まず、申請者は、MALAT-1が高転移性の肺がん細胞で高発現する点に着目した。がんの高転移性を規定する細胞表現形として、足場非依存性増殖、アポトーシス耐性、細胞運動性亢進、プロテアーゼ分泌能変化、などがあげられる。そこで、MALAT-1がこれらの細胞表現形に影響する因子であるかについて、ノックダウン細胞を用いて系統的に解析した結果、MALAT-1が細胞運動性を促進する機能を有することを初めて明らかにした。

次に、MALAT-1が遺伝子発現制御の場として機能する核スペックルという核内構造体に局在することに着目して、MALAT-1が遺伝子発現制御に関与するかを解析した。MALAT-1ノックダウン依存的に発現量が変動する遺伝子をマイクロアレイを用いて網羅的検索した結果、MALAT-1が複数の細胞運動促進遺伝子の発現を制御する機能を有することを明らかにした。

さらに、pre-mRNA量測定とmRNA半減期測定を組み合わせて、MALAT-1が転写レベルと転写後レベルのいずれの段階で遺伝子発現制御に関与しているかを調べた。その結果、MALAT-1が転写と転写後の2種類の作用様式で標的遺伝子の発現を制御することを示す結果を得た。

田埜慶子は、これらの研究を通じて、MALAT-1が細胞運動促進遺伝子の発現制御を介して細胞運動を促進する機能を有するという考えを世界に先駆けて提唱した。これら一連の発見は、がん転移においてnoncoding RNAが関与する様式として新しいモデルを提供する研究である。さらに、noncoding RNAの研究が疾患の分子機構を理解するために極めて有効であることを示している。以上の研究内容は、ノンコーディングRNAという新たな機能性生体分子群を解析することを通じて生命現象の解明のみならず疾患の分子基盤をあきらかにできることを示しており、生物系薬学上、重要なコンセプトを提供するものである。したがって、申請者である田埜慶子は博士(薬学)の学位授与に値する内容と判定した。

また、審査面談を通じた口頭試問でも該当研究分野に対する十分な知識と理解を有していると判断された。

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