学位論文要旨



No 128349
著者(漢字) 花田,雄一
著者(英字)
著者(カナ) ハナダ,ユウイチ
標題(和) カイコの体液タンパク質ApoLp による黄色ブドウ球菌の病原性抑制機構の解明
標題(洋)
報告番号 128349
報告番号 甲28349
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1444号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 有田,誠
 東京大学 准教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

宿主と病原性細菌との相互作用を明らかにすることは、感染症の発症メカニズムを理解する上で重要である。哺乳動物と無脊椎動物とにおいて、細菌に対する自然免疫機構はよく保存されている。近年、新しい感染防御システムとして、哺乳動物の血液中のタンパク質が細菌の病原性発現機構を転写段階で抑制するメカニズムが報告された。無脊椎動物において細菌の病原性発現を転写段階で抑制するシステムがあるかは不明である。

私の所属する研究室においては、黄色ブドウ球菌の病原性評価系としてカイコ感染モデルが確立されている。黄色ブドウ球菌の産生する溶血毒素はカイコを殺傷する活性をもつにもかかわらず、溶血毒素遺伝子を欠損した黄色ブドウ球菌のカイコ殺傷能力は野生株と比べて低下しない。この原因はカイコ体液中において黄色ブドウ球菌が溶血毒素を産生できないからだと私は考え、研究に着手した。本研究において私は、カイコ体液を出発原料として黄色ブドウ球菌の溶血毒素産生を阻害する因子を精製し、それがカイコ体液タンパク質apolipophorin(ApoLp)であると同定した。

[本論]

1. カイコ体液からの黄色ブドウ球菌の溶血毒素産生を阻害する因子の精製

修士課程において、私は、カイコの体液が黄色ブドウ球菌の溶血毒素産生を阻害する現象を見出している。私はカイコの体液中から黄色ブドウ球菌の溶血毒素産生を阻害する活性を指標として、この因子の精製を行った(表1)。Mono S カラムによる分画により得られた活性画分の比活性の上昇は28 倍、活性の回収率は59%であった。Mono S カラム画分をゲルろ過クロマトグラフィーに供したところ、活性は約300kDa の溶出画分に回収され、活性とタンパク質との挙動の一致がみられた。この活性画分をSDS ポリアクリルアミドゲル電気泳動により分析したところ、220kDa と74kDa のタンパク質がみとめられた。N 末端配列から、これらのタンパク質はカイコの脂質輸送タンパク質であるapolipophorin-I( ApoLp-I )とapolipophorin-II( ApoLp-II )と同定した。以上の結果は、カイコ体液中のApoLp が溶血毒素産生阻害因子であることを示唆している。

表1 カイコ体液中の黄色ブドウ球菌の溶血毒素産生を阻害する因子の精製

2. ApoLp は黄色ブドウ球菌の溶血毒素の発現を転写段階で抑制する

次に私は、ApoLp が黄色ブドウ球菌の溶血毒素をコードする遺伝子の発現を抑制しているかを検討した。α溶血毒素をコードするhla、β溶血毒素をコードするhlb のmRNA 量は、ApoLp 添加により、およそ1/10 に低下した (図1A)。さらに、hla のプロモーター活性はApoLp 添加により低下した (図1B)。以上の結果は、ApoLp が黄色ブドウ球菌による溶血毒素の発現を転写の開始段階で阻害することを示唆する。

3. ApoLp はカイコの黄色ブドウ球菌に対する感染抵抗性に寄与する

次に、私はApoLp がカイコの黄色ブドウ球菌に対する感染抵抗性の発揮に寄与するかを検討した。カイコに黄色ブドウ球菌と抗ApoLp 抗体、もしくは黄色ブドウ球菌とコントロール抗体をそれぞれ注射した。抗ApoLp 抗体を注射したカイコにおいては、コントロール抗体を注射したカイコと比べて、カイコの生存時間が短縮した。一方、溶血毒素をコードするhla とhlb を二重に破壊した黄色ブドウ球菌を注射した場合、抗ApoLp 抗体を注射したカイコの生存時間の短縮はみられなかった (図2)。以上の結果は、ApoLp が黄色ブドウ球菌の溶血毒素の産生を阻害し、カイコの黄色ブドウ球菌に対する感染抵抗性に寄与することを示唆する。

4. ApoLp は黄色ブドウ球菌のもつ2成分制御系sae を介して溶血毒素の産生を阻害する

ApoLpが溶血毒素発現を促進する制御因子の発現を抑えるかを検討した。saeは病原性を制御する2成分制御系をコードし、溶血毒素をはじめとする細胞外毒素の産生に必須とされている。agr 遺伝子は機能性RNA であるRNAIII をコードしており、溶血毒素の発現を正に調節することが報告されている。ApoLp 添加群においてsaemRNA とRNAIII の量が減少した (図3A)。

ApoLp による溶血毒素発現阻害に、sae とagr が必要であるかを知るために、sae とagr の遺伝子破壊株のApoLp に対する感受性を調べた。sae 破壊株にApoLp を添加してもhla とhlb の発現は低下しなかった。一方、agr 破壊株は、ApoLp 添加によりhla とhlb の発現が低下した (図3BC)。以上の結果は、ApoL による黄色ブドウ球菌の溶血毒素の発現阻害にはsae が必要であることを示唆する。

5. ApoLp はリポタイコ酸に結合し、2 成分制御系sae の活性化を阻害する

ApoLpを黄色ブドウ球菌とインキュベートするとApoLpは菌体画分に回収される (図4A)。細菌表層を構成するリポタイコ酸(LTA)の添加により、ApoLp による黄色ブドウ球菌の溶血毒素産生阻害効果が消失したが、ペプチドグリカン(PGN)の添加では、消失しなかった。以上の結果は、ApoLpが菌体のLTAと相互作用して溶血毒素産生阻害効果を示すことを示唆する。

そこで私は、黄色ブドウ球菌のLTA がApoLp による黄色ブドウ球菌の溶血毒素産生阻害に必要であるかを検討した。LTA の合成酵素をコードするltaS を破壊した黄色ブドウ球菌は、野生株と比べて溶血毒素産生を阻害するのに必要なApoLp の量が約4 倍に増加した (図4B)。さらに、ltaS 破壊株においてはApoLp によるsae の発現低下の程度が減弱した (図4C)。以上の結果は、ApoLp がLTA に結合することにより、2 成分制御系sae の活性化を抑制し、溶血毒素の産生を阻害することを示唆する。

6. カイコのApoLp の機能は哺乳動物のMucin に保存されている

哺乳動物の Mucin はカイコの ApoLp とアミノ酸の一次配列上約30%の相同性を示す領域が存在する。 そこでMucin が黄色ブドウ球菌に 対する溶血毒素の発現を抑えるかについて検討した。Mucin 添加により、 黄色ブドウ球菌のhla、hlb、およびsae の発現が低下した (図5A)。また、hla プロモーターの活性も低下した (図5B)。以上の結果は、ApoLp による溶血毒素産生阻害効果がMucin において保存されていることを示唆する。

[結論]

本研究において私は、カイコ体液中のApoLp が黄色ブドウ球菌の病原性抑制因子として、カイコの感染防御に寄与すること、ApoLp は細菌表層のLTA に結合し、sae 経路を不活性化することを明らかにした (図6)。黄色ブドウ球菌のsae を標的とした病原性抑制因子は哺乳動物においても報告がなく、ApoLp は病原性抑制因子として新規の活性をもつ。これまでに、sae がコードしている2成分制御系のセンサーが認識している実体は不明であったが、私はLTA をその候補として提示した。また、ApoLp による病原性抑制効果は哺乳動物のMucin に保存されていることを明らかにした。Mucin は粘液の主成分であり、ヒトの鼻腔粘膜は黄色ブドウ球菌が最も多く局在する場所でもある。粘膜組織に豊富に存在するMucinが病原性抑制効果をもつことは、宿主が黄色ブドウ球菌へ抵抗性を示す上で有用であると考えられる。

Hanada Y, Sekimizu K, and Kaito C. Silkworm Apolipophorin Protein Inhibits Staphylococcus aureus Virulence.J Biol Chem. 286: 39360-9. (2011)

図1 ApoLp による溶血毒素をコードする遺伝子の発現抑制(A) Buffer 添加群を1 としたときのhla、hlb のmRNA 量比 (B) hlaプロモーター活性 ★, p < 0.05.

図2 抗ApoLp 抗体によるカイコの感染抵抗性の低下 ●: WT +conrol IgG, ▲: WT + anti-ApoLp IgG, ○: ΔhlaΔhlb + control IgG, △:ΔhlaΔhlb + anti-ApoLp IgG

図4 ApoLpのLTAを介したsae の発現抑制 (A) ApoLpと共培養した黄色ブドウ球菌の菌体画分についてのSDS-PAGE. Lane 2-10 がApoLp添加群 (B) ApoLp添加時のltaS 破壊株における溶血毒素産生 (C) Buffer 添加群を1 としたときの sae のmRNA 量 ★, p < 0.05.

図5 ブタ胃由来Mucin による黄色ブドウ球菌の病原性抑制 (A)Buffer 添加群を1 としたときのMucin 添加群における各遺伝子のRNA量(B) Mucin 添加群のhla プロモーター活性 ★, p < 0.05.

図6 モデル図

審査要旨 要旨を表示する

黄色ブドウ球菌による感染は敗血症や髄膜炎などの重篤な疾患を引き起こすため臨床上問題となる。黄色ブドウ球菌は宿主を障害する病原性細菌である一方で、健常人の約30%の皮膚や鼻腔に存在する常在性細菌である。これらの結果から、宿主は黄色ブドウ球菌による病原性の発揮を抑えるしくみをもつと推察される。しかしながら、宿主が黄色ブドウ球菌の病原性を抑えるしくみは十分に理解されていない。したがって、そのしくみを分子レベルで明らかにすることは、感染症の発症メカニズムを理解し、新たな治療法を確立するために重要である。

黄色ブドウ球菌の産生する溶血毒素は、赤血球などの宿主細胞を破壊する病原性因子である。本研究では、昆虫カイコの体液が黄色ブドウ球菌の溶血毒素産生を阻害する活性をもつことに着目し、本因子の精製に着手した。このカイコ体液を出発原料とした精製により、溶血毒素産生を阻害する活性の実体がApolipophorin-II/I(ApoLp)であることが明らかとなった。さらに、ApoLpは溶血毒素をコードするhla(α溶血毒素)、hlb(β溶血毒素)の遺伝子発現を抑制することを見出した。Apolipophorinは昆虫の体液中に豊富に存在する脂質輸送タンパク質である。1969年に単離・精製されて以来、ApoLpの生理機能は広く研究されてきた。近年になり、ApoLpの免疫系への関与が着目されているが、ApoLpが細菌の病原性発揮に影響を与えるという報告例はない。本研究により見出された細菌による毒素産生を阻害する効果は、ApoLpのもつ新規機能ということができる。

ApoLpが黄色ブドウ球菌の溶血毒素産生を阻害することにより、宿主の感染防御に寄与するかを検討した。黄色ブドウ球菌の病原性評価モデルであるカイコ感染モデルを用いた。ApoLpに対する抗体を作用させたカイコは、コントロール抗体を作用させたカイコに比べて、黄色ブドウ球菌により殺傷されやすくなった。ApoLp抗体によりカイコの黄色ブドウ球菌の感受性が上昇したことから、ApoLpが黄色ブドウ球菌に対する感染防御に寄与することが示唆された。次に、溶血毒素遺伝子を破壊した黄色ブドウ球菌に対するカイコ感染実験を行った。その結果、溶血毒素遺伝子破壊株では、ApoLp抗体による黄色ブドウ球菌に対する感受性の上昇はみられなかった。これらの結果から、ApoLpは黄色ブドウ球菌の溶血毒素産生を抑えることにより、カイコの感染防御に寄与することがわかった。

黄色ブドウ球菌の溶血毒素遺伝子の発現は、sae (Staphylococcus aureus exoprotein expression)、agr (accessory gene regulator)という病原性制御因子により正に調節されることが報告されている。そこで、ApoLpがsae、agrの発現を抑えるかを検討した。sae、agrのmRNA量をリアルタイムPCRにより測定した。その結果、ApoLpの添加群ではBuffer添加群と比べて、sae、agrのmRNA量の低下がみとめられた。さらに、sae破壊株ではApoLpによる溶血毒素遺伝子の発現抑制効果が消失した。これらの結果から、ApoLpはsae経路を不活性化することにより、溶血毒素遺伝子の発現を抑えることがわかった。

次に、ApoLpがsae経路を抑制するメカニズムを解析した。本研究では、ApoLpが黄色ブドウ球菌に結合することに着目し、細菌表層の構成因子の中からApoLpと結合する因子を探索した。その結果、リポタイコ酸がApoLpと結合することを見出した。さらに、リポタイコ酸合成酵素をコードするltaS破壊株では親株と比べて、ApoLpによるsae経路の不活性化が減弱することがわかった。これらの結果は、ApoLpが細菌表層のリポタイコ酸を介してsae経路を不活性化することを示唆する。これまでの研究では、saeを不活性化する宿主由来因子、ならびにsae経路へのリポタイコ酸の寄与はわかっていない。したがって、本研究で見出されたApoLpによる溶血毒素産生抑制反応は新規の病原性抑制メカニズムを提示する。

宿主が黄色ブドウ球菌の病原性を抑えるしくみを明らかにすることを目的とした本研究において、昆虫体液中のApoLpが黄色ブドウ球菌のsae経路を不活性化することにより溶血毒素遺伝子の発現を抑制する機序が明らかとなった。さらに、sae経路の不活性化には細菌表層のリポタイコ酸へのApoLpの結合が寄与していることが示唆された。本知見は、黄色ブドウ球菌が疾患を誘起する上で重要な制御因子の発現を抑える新規の病原性抑制メカニズムを示すものである。これにより、これまでの殺菌的な治療法とは異なる、非殺菌的な治療法という新たなアプローチの可能性を示すものである。よって申請者は、博士(薬学)の学位を受けるに十分な資格を有すると判定した。

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