No | 128350 | |
著者(漢字) | 平田,祐介 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ヒラタ,ユウスケ | |
標題(和) | 線虫C. elegans を用いた生体膜環境変化に対する応答機構の解明 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 128350 | |
報告番号 | 甲28350 | |
学位授与日 | 2012.03.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(薬学) | |
学位記番号 | 博薬第1445号 | |
研究科 | 薬学系研究科 | |
専攻 | 機能薬学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 生体膜の主要な構成成分であるリン脂質には飽和脂肪酸から高度不飽和脂肪酸(PUFA,polyunsaturated fatty acid)まで様々な脂肪酸が結合している。膜リン脂質の脂肪酸組成は生体膜環境を規定する主要な因子であり、膜の流動性や膜タンパク質の適切な機能発現に重要と考えられている。一方で生体膜環境は環境温度などの外的要因によっても影響を受けており、生体は膜環境変化に応答することで、外的環境へ適応していると考えられる。このような生体応答は、バクテリアにおいては一部その機構が明らかになっているものの、多細胞動物においては不明な点が多く残されている。 私は修士課程において、PUFA合成系を欠損する線虫(Caenorhabditis elegans)における遺伝子発現解析を行ない、PUFA欠乏依存的に著しく発現上昇する遺伝子upd-1(Upregulated gene under PUFA-Depleted condition 1)を同定した。さらに、この遺伝子をレポーターとし、PUFA欠乏状態からupd-1発現に至るシグナル伝達に関わる分子を網羅的RNAiスクリーニングにより探索した結果、MAPK経路を構成するキナーゼ分子群mtk-1(MAP3K)、MKK-4.2(MAP2K)、pmk-3(MAPK)を同定した(図1)。このことから、膜環境変化(PUFA欠乏)を感知する機構によりMAPK経路(MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路)が活性化し、何らかの生体応答が起こっていることが示唆された。 そこで、博士課程において私は、MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路活性化の生理的意義、およびMTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路の上流で生体膜環境を感知する機構の解明を目指した。 【方法と結果】 1.MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路は、PUFA欠乏状態における熱耐性増大仁寄与している PUFA欠乏株は、運動能の低下、成長遅延、様々なストレスへの感受性の元進を示すことが報告されている。このような表現型は、PUFA欠乏による生体機能低下を反映したものであると考えられる。一方で興味深い事に、この変異体は、熱ストレスに対する耐性を獲得していることも知られている(Nandakumar et al, PLoS GENETICS, 2008)。私は、この表現型は何らかの細胞内シグナルの活性化によって引き起こされたものと考え、MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路との関連を調べた。Wild-typeおよびfat-4 fat-3 fat-1三重変異体(不飽和結合が3つ以上の脂肪酸を合成できない)を、成虫期において通常培養温度(20℃)から致死的温度(35℃)へと移行させ、経時的に生存率を記録した。その結果、fat-4 fat-3 fat-7三重変異体では、Wild-typeと比較して顕著な熱耐性の増大が認められた(図2)。この熱耐性の増大は、mkk-42(MAP2K)を欠損することで著しく抑制された。これらの結果から、PUFA欠乏状態における熱耐性増大には、MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路の活性化が大きく寄与していることが示唆された。 2.MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路は、高温環境への適応に重要である 線虫は、通常培養温度(20℃)から致死性のない高温環境(30℃)で数時間培養すると、致死的温度(35℃)に対して耐性を示すことが知られている(獲得熱耐性)。そこで、MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路が獲得熱耐性に関与するかを調べたところ、Wild-typeと比較して、mtk-7、mkk-4.2、pmk-3の変異体は獲得熱耐性が著しく減弱することを見出した。一方、通常培養温度から直ちに致死的温度に曝したときの生存(内因性熱耐性)にはWild-typeとMAPK経路の変異体で差はみられなかった(図3)。 また、このMAPK経路が、熱ストレス時においてもupd-1の発現誘導に関わるかどうかを調べた所、Wild-typeでupd-1は顕著に誘導されたが、MAPK経路の変異体では全く誘導されなかった。以上の結果から、MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路は熱ストレスによって活性化し、高温環境への適応(獲得熱耐性)に重要な役割を果たすことが示唆された。 3.MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路は、既知の熱ストレス応答経路とは独泣に機能する 熱ストレス応答に重要な因子として、daf-16(インスリンシグナルの下流で負に制御されるフォークヘッド型転写因子)、hsf-1(熱ショック転写因子)の2つの転写因子がこれまでに知られている。これらの転写因子は熱ストレス時に活性化され、熱ショックタンパク質などの熱ストレス応答に関わる遺伝子の転写誘導を引き起こす。MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路が、これらの転写因子を介して機能しているかどうかを遺伝学的に検証するためmkk-4.2変異体とdaf-16、hsf-1変異体の交配を行ない、獲得熱耐性の解析を行なった。その結果、daf-16、hsf-1のいずれの場合も、mkk-4.2との交配により獲得熱耐性が相加的に減弱しており、熱ストレス応答において、MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路は既知の熱ストレス応答経路とは独立に機能することが示された。 4.MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路の上流で機能する膜タンパク質FLR-1,FLR-4の同定 これまでに行った網羅的RNAiスクリーニングから、PUFA欠乏時のupd-1発現上昇に関わる遺伝子をMAPK分子以外に102遺伝子同定している。この中には、熱ストレス時のupd-1の発現上昇に関わる遺伝子、およびMTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路の上流で機能する遺伝子が含まれると考えられる。そこで、これら102遺伝子について、まず熱ストレス時のupd-1の発現上昇に関わる遺伝子があるかを、upd-1::GFPの発現を指標として調べた。その結果、66遺伝子が熱ストレス時のupd-1の発現上昇にも関係していた。さらに、この66遺伝子について遺伝学的上下関係の解析を行なうべく、mkk-4.2を欠損したupd-1::GFPトランスジェニック体に対して、MKK-4.2恒常活性体を発現させ、恒常的にupd-1::GFPの発現上昇が起こる系統を作成した。この系統にmkk-4.2の下流で働くpmk-3をRNAiすると、upd-1::GFPの発現は抑制されたが、mkk-4.2の上流で働くmtk-1のRNAiでは抑制されなかった(図4)。 そこでこの系統に対し、スクリーニングで得られた102遺伝子のRNAiを行いmkk-4.2との遺伝学的上下関係を調べた。その結果、mkk-4.2より上流に位置する膜タンパク質として、FLR(Fluoride Resistant)-1、FLR-3、FLR-4を同定した(図5)。以上の結果から、PUFA欠乏時および熱ストレス時には、細胞膜上に局在するFLR分子群(FLR-1,FLR-3,FLR-4)がMTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路の上流で機能し、upd-1発現誘導を引き起こしていることが示唆された。 【まとめと考察】 私はPUFA欠乏時の遺伝子発現誘導に関わるMAPK経路が、PUFA欠乏時の熱耐性の表現型に重要であることを明らかにした。また、PUFA欠乏のみならず、熱ストレスによってもこのMAPK経路を介した遺伝子発現誘導がおこることを見いだし、獲得熱耐性という熱ストレスの適応応答に、この経路が重要であることを示した。さらに、このMAPK経路は、daf-16やhsf-1が関わる既知の熱ストレス応答経路とは独立した経路であることが示唆された。以上のように、私は熱ストレスの適応応答に重要な新規の細胞内シグナル伝達経路を解明した。 また、熱ストレスによる遺伝子発現誘導においてMAPK経路の上流で機能する分子として、膜タンパク質分子群、FLR-1,FLR-3,FLR-4を同定した。FLR-1は電位非依存性のナトリウムイオンチャネルファミリーに属し、その中には、物理的な刺激をシグナルに変換する受容体として機能する分子も知られている。また、FLR-4は3回膜貫通領域を有するユニークなSer/Trhrキナーゼであり、これらFLR分子群はPUFA欠乏や熱ストレスといった生体膜環境の変化に応じて、下流のMAPK経路を活性化する分子実体の有力な候補であると考えられる。本研究において同定したFLR分子群およびMTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路の詳細な解析により、今後動物細胞における生体膜環境変化に対する応答機構が分子レベルで解明されることが期待される。 【図1】PUFA欠乏状態におけるupd-1の発現上昇は、mtk-7(MAP3K)、MKK-42(MAP2K)、pmk-3(MAPK)のRNAiで抑制され 【図2】PUFA欠乏状態における熱耐性増大は、mkk-4.2(MAP2K)の欠損により抑制される。 【図3】MAPK経路構成分子の変異体では、獲得熱耐性が顕著に減弱する 【図4】upd-1は、熱ストレス時にmtk-1,mkk-4.2pmk-3依存的に発現上昇する。 【図4】upd-1::GFPを発現するMKK-4.2恒常活性体導入株に対するmtk-1,pmk-3のRNAi。 【図5】upd-1::GFPを発現するMKK-42恒常活性体導入株に対するflr-1, flr-3, flr-4のRNAi。 【図5】膜環境変化の感知およびシグナル伝達機構 | |
審査要旨 | 生体膜の主要な構成成分であるリン脂質には飽和脂肪酸から高度不飽和脂肪酸(PUFA,polyunsaturated fatty acid)まで様々な脂肪酸が結合している。膜リン脂質の脂肪酸組成は生体膜環境を規定する主要な因子であり、膜の流動性や膜タンパク質の適切な機能発現に重要と考えられている。一方で生体膜環境は環境温度などの外的要因によっても影響を受けており、生体ば膜環境変化に応答することで、外的環境べ適応していると考えられる。このような生体応答は、バクテリアにおいては一部その機構が明らかになっているものの、多細胞動物においては不明な点が多く残されている。平田は修士課程において、PUFA合成系を欠損する線虫(C.elegansの脂肪酸不飽和化酵素fat-3およびfat-1の二重変異体。以下、PUFA欠乏株と呼ぶ。)における遺伝子発現解析を行ない、PUF A欠乏依存的に著しく発現上昇する遺伝子upd-1(Upregulated gene under PUF A-Depleted condition 1)を同定した。さらに、この遺伝子をレポーターとし、PUFA欠乏状態からupdイ発現に至るシグナル伝達に関わる分子を網羅的RNAiスクリーニングにより探索した結果、MAPK経路を構成するキナーゼ分子群Mtk-1(MAP3K)、Mkk-4.2(MAP2K)、pmk-3(MAPK)を同定した。このことから、膜環境変化(PUF A欠乏)を感知する機構によりMAPK経路(MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路)が活性化し、何らかの生体応答が起こっていることが示唆された。そこで、博士課程において平田は、MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路活性化の生理的意義、およびMTK-1-MKK4.2-PMK-3経路の上流で生体膜環境を感知する機構の解明を目指した。 PUF A欠乏株は、運動能の低下、成長遅延、様々なストレスへの感受性の元進を示すことが報告されている。このような表現型は、PUF A欠乏による生体機能低下を反映したものであると考えられる。一方で興味深い事に、この変異体は、熱ストレスに対する耐性を獲得していることも知られている(Nandakumar et al., PLoS GEIVETICS, 2008)。平田は、この表現型は何らかの細胞内シグナルの活性化によつて引き起こされたものと考え、MTK-1-MKK-42-PMK-3経路との関連を調べた。Wild-typeおよびPUF A欠乏株を、成虫期において通常培養温度(20℃)から致死的温度(35℃)へと移行させ、経時的に生存率を記録した。その結果、PUF A欠乏株では、Wild-typeと比較して顕著な熱耐牲の増大が認められた。この熱耐性の増大は、mkk-4.2(MAP2K)を欠損することで著しく抑制された。これらの結果から、PUF A欠乏状態における熱耐性増大には、MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路の活性化が大きく寄与していることが示唆された。 線虫は、通常培養温度(20℃)から致死性のない高温環境(30℃)で数時間培養すると、致死的温度(35℃)に対して耐性を示すことが知られている(獲得熱耐性)。そこで、MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路が獲得熱耐性に関与するかを調べたところ、Wild-typeと比較して、MTk-1、mkk-4.2、pmk-3の変異体は獲得熱耐性が著しく減弱することを見出した。一方、通常培養温度から直ちに致死的温度に曝したときの生存(内因性熱耐性)にはWild-typeとMAPK経路の変異体で差はみられなかった。また、このMAPK経路が、熱ストレス時において毛upd-1の発現誘導に闘わるかどうかを調べた所、Wiid-typeでupd-1は顕著に誘導されたが、MAPK経路の変異体では全く誘導されなかった。以上の結果から、MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路は熱ストレスによって活性化し、高温環境への適応(獲得熱耐性)に重要な役割を果たすことが示唆された。 熱ストレス応答に重要な因子として、daf-16(インスリンシグナルの下流で負に制御されるフォークヘッド型転写因子)、hsf-1(熱ショック転写因子)の2つの転写因子がこれまでに知られている。これらの転写因子は熱ストレス時に活性化され、熱ショックタンパク質などの熱ストレス応答に関わる遺伝子の転写誘導を引き起こす。MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路が、これらの転写因子を介して機能しているかどうかを遺伝学的に検証するため、Mkk-4.2変異体とdaf-16、hsf-1変異体の交配を行ない、獲得熱耐性の解析を行なった。その結果、daf-16、hsf-1のいずれの場合も、mkk-4.2との交配により獲得熱耐性が相加的に減弱しており、熱ストレス応答において、MTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路は既知の熱ストレス応答経路とは独立に機能することが示された。 これまでに行った網羅的RNAiスクリーニングから、PUF A欠乏時のupd-1発現上昇に関わる遺伝子をMAPK分子以外に102遺伝子同定している。この中には、熱ストレス時のupd-1の発現上昇に関わる遺伝子、およびMTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路の上流で機能する遺伝子が含まれると考えられる。そこで、これら102遺伝子について、まず熱ストレス時のupd-1の発現上昇に関わる遺伝子があるかを、upd-1::GFPの発現を指標として調べた。その結果、66遺伝子が熱ストレス時のupd-1の発現上昇にも関係していた。さらに、この66遺伝子について遺伝学的上下関係の解析を行なうべく、mkk-4.2を欠損したupd-1::GFPトランスジェニック体に対して、MKK-4.2恒常活性体を発現させ、恒常的にupd-1::GFPの発現上昇が起こる系統を作成した。この系統にmkk-4.2の下流で働くpmk-3をRNAiすると、upd-1::GFPの発現ば抑制されたが、mkk-4.2の上流で働くmtk-1のRNAiでは抑制されなかった。そこでこの系統に対し、スクリーニングで得られた102遺伝子のRNAiを行いmkk-4.2との遺伝学的上下関係を調べた。その結果、mkk-4.2より上流に位置する膜タンパク質として、FLR(Fluoride Resistant)-1、FLR-3、FLR-4を同定した。これらは細胞膜上に局在しており、複合体を形成することも示唆されている。以上の結果から、PUFA欠乏時および熱ストレス時には、細胞膜上に局在するFLR分子群(FLR-1, FLR-3,FLR-4)がMTK-1-MKK-4.2-PMK-3経路の上流で機能し、upd-1発現誘導を引き起こしていることが示唆された。 本研究において平田は、PUF A欠乏時の遺伝子発現誘導に関わるMAPK経路が、PUF A欠乏時の熱耐性の表現型に重要であることを明らかにした。また、PUF A欠乏のみならず、熱ストレスによってもこのMAPK経路を介した遺伝子発現誘導がおこることを見いだし、獲得熱耐性という熱ストレスの適応応答に、この経路が重要であることを示した。さらに、このMAPK経路は、daf-16やhsf-1が関わる既知の熱ストレス応答経路とは独立した経路であることが示唆された。以上のように、平田は熱ストレスの適応応答に重要な新規の細胞内シグナル伝達経路を解明した。 また、熱ストレスによる遺伝子発現誘導においてMAPK経路の上流で機能する分子として、膜タンパク質分子群、FLR-1,FLR-3,FLR-4を同定した。FLR-1は電位非依存性のナトリウムイオンチャネルファミリーに属し、その中には、物理的な刺激をシグナルに変換する受容体として機能する分子も知られている。また、FLR-3、FLR-4はそれぞれ2回、3回膜貫通領域を有するユニークなSer/Thrキナーゼ様分子であり、これらFLR分子群はPUF A欠乏や熱ストレスといった生体膜環境の変化に応じて、下流のMAPK経路を活性化する分子実体の有力な候補であると考えられる。 本研究は、特定の膜環境変化を認識してシグナルを伝達する仕組みが多細胞動物にも備わっていることを明確に示すものであり、生体膜環境変化に対する応答に関わる分子実体を明らかとし、分子メカニズム解明の糸口を提示したという点で、非常に意義深いものである。よって、本研究の成果は、博士(薬学)に充分値するものと判断した。 | |
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