学位論文要旨



No 128353
著者(漢字) 松田,真治
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,シンジ
標題(和) 線虫C. elegans を用いた高度不飽和脂肪酸含有リン脂質の機能解析
標題(洋)
報告番号 128353
報告番号 甲28353
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1448号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 准教授 紺谷,圏二
 東京大学 准教授 富田,泰輔
 東京大学 准教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

【序】

細胞膜の主要な構成成分であるリン脂質には、二重結合を複数持つ様々な高度不飽和脂肪酸(polyunsaturated fatty acid:PUFA)が結合しているが、その生物学的な意義は殆ど明らかになっていない。線虫C. elegans は内在的にPUFA を有するモデル生物であり、その合成酵素(fat 遺伝子)を欠失させることで様々な脂肪酸欠乏状態を作出することができる。また、線虫にはシクロオキシゲナーゼやリポキシゲナーゼが存在しないことから、PUFA由来のメディエーターは産生されないと考えられ、PUFA 含有リン脂質そのものの機能を個体レベルで評価できることが期待される。これまでに樹立されたfat 遺伝子の変異体において低温感受性や成長遅延等の表現型が観察されているが、細胞レベルあるいは分子レベルでの解析はあまり行なわれていなかった。本研究において私は、PUFA を含むリン脂質の生物学的意義を分子レベルで明らかにする事を目的として、fat 遺伝子の変異体を用いた解析を行なった。この結果、PUFA 含有ホスファチジルコリン(PC)ならびにPUFA含有ホスファチジルイノシトール(PI)が、それぞれエンドサイトーシスおよび上皮細胞の形態維持に重要な機能を担う事を明らかにした。

【方法と結果】

1.fat-4 fat-3 fat-1 三重変異体はエンドサイトーシスの異常及び、seam 細胞の形態異常を示す。

線虫はPUFAを合成するための脂肪酸不飽和化酵素を内在的に備えており、哺乳動物と同様にアラキドン酸(20:4n-6)やエイコサペンタエン酸(EPA;20:5n-3)などの様々なPUFAを有する。不飽和結合が3つ以上の脂肪酸を合成できないfat-4 fat-3 fat-1 変異体の細胞レベルでの表現型を探索するため、様々なマーカー分子のトランスジェニック線虫との交配を網羅的に行なった。線虫の体壁筋に分泌配列を付加したGFP(ssGFP)を発現させた線虫では、GFPは擬体腔に放出され、擬体腔に存在するスカベンジャー細胞であるcoelomocyteによってエンドサイトーシスされる。一方、fat-4 fat-3 fat-1変異体では、偽体腔にGFP蛍光の蓄積が観察された。この結果から、PUFA欠乏線虫において、coelomocyteのエンドサイトーシス能に異常が生じている事を見出した。また、上皮系細胞の一つであるseam細胞とその周りの細胞とで形成する細胞間接着構造(アピカルジャンクション)に局在する分子AJM-1を可視化させると、野生株では、体軸に沿った2本の線状の局在を示し、seam細胞の形態を観察する事が出来る。一方、fat-4 fat-3 fat-1 変異体においてseam細胞の形態観察を行なったところ、AJM-1を可視化した線が交差しており、seam細胞に形態異常がある事を見出した。

次に、これらの表現型に対して線虫の培地に様々なPUFAを添加して、表現型が回復するかを調べたところ、coelomocyteにおけるエンドサイトーシスの異常は、PUFAの不飽和度が高いほど回復効率が良い事を見出した。一方で、興味深い事に、seam細胞の形態異常は、アラキドン酸あるいはEPAを添加した時のみ回復する事が分かった。

2.PUFA 含有PC ならびにPUFA 含有PI が、それぞれエンドサイトーシスおよびseam細胞の形態維持に必要である。

私は、修士課程において、PUFA をPC に導入する脂肪酸転移酵素としてmboa-6 を見出した(Matsuda et al, Genes Cells, 2008)。また、当研究室ではPUFA をPI に導入する脂肪酸転移酵素としてmboa-7 をそれぞれ同定している(Lee et al., Mol Biol Cell, 2008)。私は上述のPUFA 欠乏による異常が生体膜の主要構成成分であるリン脂質に含まれるPUFA の欠乏に起因するのではないかと考え、mboa-6、mboa-7 との関連を検証した。mboa-6 あるいはmboa-7 に変異を導入したfat-4 fat-3 fat-1 三重変異体に、PUFA の一つであるEPA を添加したところ、エンドサイトーシス異常のEPA による回復はmboa-6 変異によって抑えられ、一方で、seam 細胞の形態異常の回復は、mboa-7 の変異によって抑えられることが分かった。すなわち、1)エンドサイトーシスの異常はEPA がPC に取り込まれることによって回復すること、2)seam 細胞の形態異常はEPA がPI に取り込まれることによって回復することが明らかになった。

3.fat-4 fat-3 fat-1 変異体は上皮におけるアクチン骨格の異常を示す。

これまでに、seam細胞は成虫になる直前のL4幼虫期において融合し、一つの多核細胞になる事が知られている。経時的な観察の結果、seam細胞の形態異常は、L4幼虫期において一旦融合してから成虫になって初めて生じることを見出している。そこで、異常の原因が、L4の時期に形態を維持する力が弱まっている可能性を考えた。アピカルジャンクションに局在する裏打ち蛋白質に細胞骨格系分子であるアクチンが結合している事が知られているので、異常の発症の原因を探るため、アクチン骨格に異常が無いかを調べた。L4幼虫期の線虫をF-アクチンに特異的に結合するファロイジンを用いた染色を行なった。その結果野生株では、アクチンフィラメントが整然と並ぶのに対し、fat-4 fat-3 fat-1 三重変異体では、上皮組織におけるアクチンフィラメントの染色が薄く、凝集している様子が観察された。

また、脂肪酸によるレスキューを調べた結果、seam細胞の形態異常と同様に、培地中にアラキドン酸(20:4n-6)やEPAを添加すると、この表現型は回復するが、n-3アラキドン酸(20:4n-3)を添加しても回復しない事が分かった。

4.アクチンを発現抑制すると、PUFA 欠乏によるseam 細胞の形態異常と類似した表現型を示す。

Seam 細胞の形態維持にアクチンが必要か調べるために、アクチン(act-1、act-2 )の発現抑制によるseam 細胞の形態に対する影響を調べた。その結果、act-1, act-2 のRNAi により、fat 変異体と同様にseam 細胞の形態異常が見られた。

【まとめと考察】

本研究において私は、線虫C. elegans を用いた解析より、PUFAがエンドサイトーシス機構及び、seam細胞の形態維持機構に重要である事を明らかにした。更に、エンドサイトーシスにPCのPUFAが必要であり、一方で、seam細胞の正常な形態維持にPIのPUFAが重要である事を見出し、PUFA含有リン脂質に機能的な役割分担がある事を初めて明らかにした。

生体膜リン脂質の中で、PCはPIに比べて多く、不飽和度がより高い脂肪酸を添加した場合に、エンドサイトーシス異常の回復度が高かったことから、PUFA含有PCは、膜流動性など膜の物性を規定している事が予想される。従って、PUFA含有PCの欠乏による膜の物性の変化が、エンドサイトーシス異常の原因の一つである可能性が考えられる。

また、興味深いことに、PIの多くはsn-2 位にアラキドン酸(線虫ではEPA)を有するという特徴的な脂肪酸組成を持つ事が知られているが、その生物学的意義は明らかになっていなかった。本研究において、fat 変異体の上皮におけるアクチン骨格に異常がある事を見出し、この表現型の回復にはアラキドン酸あるいはEPAの結合したPIが必要である事を明らかにした。アクチン骨格の制御において、PIのイノシトール環(極性頭部)のリン酸化の関与についての報告は数多くなされてきたが、本研究は、生体膜リン脂質の一つであるPIの持つ特徴的な脂肪酸鎖(PUFA)とアクチン骨格の制御との関連を示唆する初めての研究である。

1. Lee HC, Inoue T, Imae R, Kono N, Shirae S, Matsuda S, Gengyo-Ando K, Mitani S, Arai H.(2008) Mol Biol Cell, 19, 1174-1184.2. Matsuda S, Inoue T, Lee HC, Kono N, Tanaka F, Gengyo-Ando K, Mitani S, Arai H. (2008) GenesCells, 13, 879-888.
審査要旨 要旨を表示する

細胞膜の主要な構成成分であるリン脂質には、二重結合を複数持つ様々な高度不飽和脂肪酸(polyunsaturated fatty acid: PUFA)が結合しているが、その生物学的な意義は殆ど明らかになっていない。線虫C. elegansは内在的にPUFAを有するモデル生物であり、その合成酵素(fat遺伝子)を欠失させることで様々な脂肪酸欠乏状態を作出することができる。また、線虫にはシクロオキシゲナーゼやリポキシゲナーゼが存在しないことから、PUFA由来のメディエーターは産生されないと考えられ、PUFA含有リン脂質そのものの機能を個体レベルで評価できることが期待される。これまでに樹立されたfat遺伝子の変異体において低温感受性や成長遅延等の表現型が観察されているが、細胞レベルあるいは分子レベルでの解析はあまり行なわれていなかった。本研究において松田は、PUFAを含むリン脂質の生物学的意義を分子レベルで明らかにする事を目的として、fat遺伝子の変異体を用いた解析を行なった。この結果、PUFA含有ホスファチジルコリン(PC)ならびにPUFA含有ボスファチジルイノシトール(PI)が、それぞれエンドサイトーシスおよび上皮細胞の形態維持に重要な機能を担う事を明らかにした。

線虫はPUFAを合成するための脂肪酸不飽和化酵素を内在的に備えており、哺乳動物と同様にアラキドン酸(20:4n-6)やエイコサペンタエン酸(EPA;20:5n-3)などの様々なPUFAを有する。不飽和結合が3つ以上の脂肪酸を合成できないfat-4fat-3fat-1変異体の細胞レベルでの表現型を探索するため、様々なマーカー分子のトランスジェニック線虫との交配を網羅的に行なった。線虫の体壁筋に分泌配列を付加したGFP(ssGFP)を発現させた線虫では、GFPは擬体腔に放出され、擬体腔に存在するスカベンジャー細胞であるcoelomocyteによってエンドサイトーシスされる。一方、fat-4fat-3fat-1変異体では、偽体腔にGFP蛍光の蓄積が観察された。この結果から、PUFA欠乏線虫において、coelomocyteのエンドサイトーシス能に異常が生じている事を見出した。また、上皮系細胞の一つであるseam細胞とその周りの細胞とで形成する細胞間接着構造(アピカルジャンクション)に局在する分子AJM-1を可視化させると、野生株では、体軸に沿った2本の線状の局在を示し、seam細胞の形態を観察する事が出来る。一方、fat-4fat-3fat-1変異体においてseam細胞の形態観察を行なったところ、AJM-1を可視化した線が交差しており、seam細胞に形態異常がある事を見出した。

次に、これらの表現型に対して線虫の培地に様々なPUFAを添加して、表現型が回復するかを調べたところ、coelolnocyteにおけるエンドサイトーシスの異常は、PUFAの不飽和度が高いほど回復効率が良い事を見出した。一方で、興味深い事に、seam細胞の形態異常は、アラキドン酸あるいはEPAを添加した時のみ回復する事が分かった。

松田は、修士課程において、PUFAをPCに導入する脂肪酸転移酵素としてmboa-6を見出しており、また、当研究室ではPUFAをPIに導入する脂肪酸転移酵素としてmboa-7をそれぞれ同定している。松田は上述のPUFA欠乏による異常が生体膜の主要構成成分であるリン脂質に含まれるPUFAの欠乏に起因するのではないかと考え、mboa-6、mboa-7との関連を検証した。mboo-6あるいはmboa-7に変異を導入したfat-4fat-3fat-1三重変異体に、PUFAの一つであるEPAを添加したところ、エンドサイトーシス異常のEPAによる回復はmba-6の変異によって抑えられ、一方で、seam細胞の形態異常の回復は、mboa-7の変異によって抑えられることが分かった。すなわち、1)エンドサイトーシスの異常はEPAがPCに取り込まれることによって回復すること、2)seam細胞の形態異常はEPAがPIに取り込まれることによって回復することが明らかになった。

これまでに、seam細胞は成虫になる直前のL4幼虫期において融合し、一つの多核細胞になる事が知られている。経時的な観察の結果、seam細胞の形態異常は、L4幼虫期において一旦融合してから成虫になって初めて生じることを見出している。そこで、異常の原因が、L4の時期に形態を維持する力が弱まっている可能性を考えた。アピカルジャンクションに局在する裏打ち蛋白質に細胞骨格系分子であるアクチンが結合している事が知られているので、異常の発症の原因を探るため、アクチン骨格に異常が無いかを調べた。L4幼虫期の線虫をF-アクチンに特異的に結合するファロイジンを用いた染色を行なった。その結果、野生株では、アクチンフィラメントが整然と並ぶのに対し、fat-4fat-3fat-1三重変異体では、上皮組織におけるアクチンフィラメントの染色が薄く、凝集している様子が観察された。また、脂肪酸によるレスキューを調べた結果、seam細胞の形態異常と同様に、培地中にアラキドン酸(20:4n-6)やEPAを添加すると、この表現型は回復するが、n-3アラキドン酸(20:4n-3)を添加しても回復しない事が分かった。Seam細胞の形態維持にアクチンが必要か調べるために、アクチン(αct-1、act-2)の発現抑制によるseam細胞の形態に対する影響を調べた。その結果、act-1,act-2のRNAiにより、力'変異体と同様にseam細胞の形態異常が見られた。

本研究において松田は、線虫C. elegansを用いた解析により、PUFAがエンドサイトーシス機構及び、seam細胞の形態維持機構に重要である事を明らかにした。更に、エンドサイトーシスにPCのPUFAが必要であり、一方で、seam細胞の正常な形態維持にPIのPUFAが重要である事を見出し、PUFA含有リン脂質に機能的な役割分担がある事を初めて明らかにした。

生体膜リン脂質の中で、PCはPIに比べて多く、不飽和度がより高い脂肪酸を添加した場合に、エンドサイトーシス異常の回復度が高かったことから、PUFA含有PCは、膜流動性など膜の物性を規定している事が予想される。従って、PUFA含有PCの欠乏による膜の物性の変化が、エンドサイトーシス異常の原因の一つである可能性が考えられる。

また、興味深いことに、PIの多くはsn-2位にアラキドン酸(線虫ではEPA)を有するという特徴的な脂肪酸組成を持つ事が知られているが、その生物学的意義は明らかになっていなかった。本研究において、松田は、fat変異体の上皮におけるアクチン骨格に異常がある事を見出し、この表現型の回復にはアラキドン酸あるいはEPAの結合したPIが必要である事を明らかにした。アクチン骨格の制御において、PIのイノシトール環(極性頭部)のリン酸化の関与についての報告は数多くなされてきたが、本研究は、生体膜リン脂質の一つであるPIの持つ特徴的な脂肪酸鎖(PUFA)とアクチン骨格の制御との関連を初めて示唆するものである。本研究は生体膜リン脂質中のPUFAの生物学的重要性を見出したものとして意義深く、博士(薬学)に充分値するものと判断した。

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