学位論文要旨



No 128355
著者(漢字) 玉木,啓文
著者(英字)
著者(カナ) タマキ,ヒロフミ
標題(和) 医薬品の名前と外観類似に基づく取り違えリスクの定量的評価指標の構築
標題(洋)
報告番号 128355
報告番号 甲28355
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1450号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 特任教授 澤田,康文
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 准教授 小野,俊介
 東京大学 准教授 伊藤,晃成
 東京大学 特任准教授 堀,里子
 九州大学 教授 竹田,正幸
内容要旨 要旨を表示する

【 背景・研究目的 】

医薬品の取り違えによる誤投薬やインシデントは、医療現場で起こる薬剤関連事故の 1~2 割を占めており、これを防止することは健康被害の回避の観点から重要である。特に、医薬品名と包装の類似性が誘発する取り違えは大きな問題となっており、医薬品自体の名称や外観などの医薬品側の要因を改善し、取り違えを減らす取り組みが行政や製薬企業により行われつつある。即ち、病院等で事故を招いた類似した医薬品名や外観については医療機関に対し注意喚起がなされ、重大な結果を招いた医薬品については製薬企業により名称や外観が変更されてきている。また新薬承認申請前には、既存医薬品と類似した薬名が新たにつけられないよう類似医薬品名をチェックするフローチャートで確認することが義務付けられている。しかし、医薬品名の類似度評価のアルゴリズムには改善の余地があり、フローチャート自体、危険な医薬品名の類似を判定できるか否かが検証されていない。更に、薬名以外の重要な類似要因の 1つである医薬品の外観類似度を判断する指標や方法はいまだ確立されていない。

本研究では医薬品の取り違えに影響を与える諸因子を医療現場への調査によって明らかにし、臨床試験により取り違えに関わる主観的類似度を定量的に測定した。更に、取り違えの原因となる医薬品名の類似性評価のための指標の改良と、医薬品の外観類似に及ぼす因子の検討および類似性評価のための指標構築を行い、取り違えやすさ・類似度の定量的評価の可能性について検討した。

【 方法・結果 】

1. 改良型医薬品名類似度指標の構築

医薬品名称の類似度を評価する指標として、実際に名称の類似により取り違えが発生した医薬品名の組み合わせと、ランダムに作成した組み合わせを効率的に判別可能な薬名類似度指標 (vwhtfrag) が当教室により構築されていた。しかしこの指標では (1) 主観的に感じる医薬品名の類似度との相関が不明である、(2) 医薬品名の類似度に特に強く影響する先頭部分の一致の寄与が十分に評価されていない、(3) 医薬品名の組み合わせの文字列長の違いによる影響が考慮されていない、という課題があった。これらの課題について検討を行い、考慮されていなかった要素を組み込んだ改良型指標の構築を行った。

(1) 既存薬名類似度指標 (vwhtfrag) と主観的類似度の相関

非医療従事者および薬剤師を対象に主観的類似度を検討した既存研究(Cognitive studies, 13, 80, 2006)のデータから、医薬品名の組み合わせごとの主観的類似度を抽出し、vwhtfrag との相関を検討した。Vwhtfrag は主観的類似度と高い相関を示し(非医療従事者 r=0.84, p<0.001; 薬剤師 r=0.79, p<0.001)、人が感じる主観的類似度ともよく相関することが明らかとなった。

(2) 医薬品名の先頭部分一致の寄与の検討

類似度に強く関わる医薬品名の先頭一致及び末尾一致の影響を検討した既存研究から(Rikkyo Psychological Research, 48, 47, 2006)、主観的類似度データを抽出し解析したところ、末尾が一致した組み合わせより先頭が一致した組み合わせのほうが主観的類似度が高かったが、vwhtfrag の指標値はどちらも同じであった。そこで、先頭一致の寄与を説明する係数を加えた改良指標 (m1‐vwhtfrag) を作成し、前述のデータに最も良くあてはまる係数を回帰計算で求めたところ、末尾一致と比べ先頭一致の寄与が約 1.5 倍高いことが明らかとなり、m1‐vwhtfrag と主観的類似度との相関性も改善した。

(3) 医薬品名の文字列長の違いによる影響の検討

非医療従事者 21 名を対象に、文字列長が 0~3 文字異なる医薬品名の組み合わせの主観的類似度(0~10 の連続スケール)をたずねる臨床試験を実施し、文字列長の差と平均文字列長が医薬品名の主観的類似度に与える影響を検討した(本研究で実施した臨床試験は、すべて薬学系研究科倫理委員会の承認を得て実施した)。試験の結果、平均文字列長が主観的類似度に与える影響は小さかったが、文字列長の差は大きくなるほど類似度が有意に低下した。文字列長の差が主観的類似度に及ぼす影響は、強い影響を示す先頭一致文字数の 20% 程度であることが明らかとなった。

(4) 改良型薬名類似度指標 (m2-vwhtfrag) の構築

薬剤師を対象とした web アンケートにより薬名類似により取り違えが発生した医薬品名の組み合わせを収集し、実際に取り違えが発生した組み合わせ(正例とする)とランダムな組み合わせ(負例とする)を最も良く判別できる m2‐vwhtfrag(vwftfrag に先頭一致の寄与と文字列長の差の影響を組み込んだ指標)を構築した。正例と負例が正しく判別された比率の積の平方根を目的関数とし、正例と負例を最も良く判別できる m2‐vwhtfrag の係数と閾値を求めたところ、先頭一致の寄与の係数が 2.5、文字列長の差の係数が 0.15 のときに目的関数が最大となり、最も良い判別性を示した (Fig. 1)。さらに、m2‐vwhtfrag は vwhtfrag よりもよい判別性を示した。

2. 医薬品の外観類似度評価指標の構築

医薬品の外観の類似については、ある特定の医薬品の組み合わせの類似性を検討する試みは行われていたが、外観の要素が類似度に与える影響を定量的に評価した研究は行われておらず、類似性を評価する指標も構築されていなかった。本研究では、品目数が最も多く医療現場で取り違えが起こりやすい包装形態である PTP シートを取り上げ、その外観の類似性を左右する外観要素を抽出し、主観的類似度に与える影響を定量的に検討し、薬剤師が似ていると感じるシートを予測できる外観類似度指標の構築を試みた。

(1) 似ていると感じる PTP シートの組み合わせの収集と重要な類似要素の検討

薬剤師を対象とした web アンケートにより外観が似ていると感じる PTP シートの組み合わせを収集し、その組み合わせについて特に類似に影響すると考えられる外観要素をたずねた。その結果、PTP シートの色が最も多く選択され (90.9%)、続いて錠剤の色 (57.1%)、錠剤の形 (46.2%)、印字色 (45.9%) の順に選択された割合が高く、色に関する要素の影響が大きいことが明らかとなった。

(2) PTP シートの各部位の色が外観類似度へ及ぼす影響の検討

PTP シートの外観類似に特に影響すると考えられる、シート、錠剤、印字の 3 つの部位の色について、色の違い(色差)と類似度との関係を調べるため、非医療従事者を対象にシート画像の組み合わせの類似度をたずねる臨床試験を実施した。色相、明度、彩度を変更し作成したシート画像の各部位の色が異なる組み合わせを液晶画面上に表示し、主観的類似度(0~10 の連続スケール)をたずねた。PTP シートの主観的類似度は、3 つの部位の色差が大きいほど直線的に低下し、シート色の影響が最も大きかった。錠剤色と印字色の寄与は、それぞれシート色の 9 割程度と半分程度であることが明らかとなった。

(3) PTP シートのサイズと錠剤および印字の面積が外観類似度へ及ぼす影響の検討

PTP シートのサイズと錠剤および印字の面積の違いが外観類似へ及ぼす影響を調べるため、(2) と同様の手法でシートの類似度をたずねる臨床試験を実施した。PTP シートの主観的類似度は、シートサイズが異なる組み合わせでは縦と横の拡大倍率が大きくなるほど低下し、錠剤や印字のサイズ、印字の量を変更した組み合わせでは、シート全体に対する錠剤もしくは印字の面積割合の比が大きくなるほど低下した。

(4) PTP シートの外観類似度指標の構築

試験より得られた色差、シートサイズ、錠剤と印字の面積の主観的類似度に対する影響を考慮した外観類似度指標を構築し、(1) のアンケートで収集した似ている PTP シートの組み合わせ(正例)と、ランダムに作成した組み合わせ(負例)の外観類似度を比較した。また、正例と負例が正しく判別された比率の積の平方根を目的関数とし、正例と負例を最も良く判別できる閾値を求めた。構築した外観類似度指標の値は、似ている PTP シートの組み合わせのほうがランダムに作成した組より高く (Fig. 2)、閾値を ‐10.7 としたときに目的関数が最大となり、似ていると感じられる PTP シートの組み合わせを最適に判別できた。

【 まとめ・考察 】

本研究では、医薬品名及び PTP シートの外観の類似度指標を新規に構築した。これらの指標は、医薬品間の名称や外観の類似度を定量的に示し、取り違えが起きやすい医薬品名の組み合わせや、似ていると感じられる外観の組み合わせを判別可能である。これらの類似度指標を用いることで、類似した組み合わせをコンピューターで高速に検索することを可能としたり、規制当局や製薬企業において、承認や製造の前に新医薬品と既存医薬品の類似性を効果的に確認したり、医療機関において、採用薬の取り違えリスクの評価や対策、新規採用医薬品選定時の有用なリスク評価情報として利用するなど、医薬品取り違えのリスク対策に向けた応用が期待される。

Fig. 1. 取り違えが起こった組み合わせとランダムな組み合わせの既存指標値 (A) と新規指標値 (B) の度数分布

Fig. 2. 似ている PTP シートの組み合わせとランダムな組み合わせの外観類似度指標値の度数分布

審査要旨 要旨を表示する

医薬品の取り違えは、医療現場における薬剤に関連した事故、インシデントの数割を占め、治療に支障を来たすのみならず患者の死亡を含む有害事象の原因ともなっている。医療安全の観点から、医薬品の取り違えを防止することは重要であり、医療機関、規制当局、製薬企業は、取り違えの発生を減少させる、もしくは発生した取り違えを発見し誤服用を防ぐ対策を実施しているが、依然取り違えは多数発生しており十分な効果が得られていない。近年、調剤の自動化や薬剤照合システムの開発により、一部の調剤では取り違えの防止が進展してきたが、処方や調剤前の医薬品の充填、患者の服用までを含めた医療全体での取り違えの防止に資する、取り違えの原因となる医薬品の類似性に対する対策はほとんど行われておらず、類似性の評価手法や指標の構築が求められていた

申請者の研究では、特に医薬品の取り違えの原因となる医薬品名と、医薬品の包装を含めた外観の類似性に着目し、それぞれの類似性に影響を及ぼす要素を検討し、その影響を認知心理学的手法を用いて定量的に評価している。新規に検討した類似要素を用い、薬名類似度指標および外観類似度指標を構築し、取り違えた医薬品名の組み合わせと、薬剤師が似ていると感じる PTP シートの判別を可能とすることを試みている。

第一章においては、医療現場における医薬品の取り違えの現状と原因、実施されている防止対策と課題について概説し、取り違えの原因となる医薬品の類似性に着目した対策の必要性を述べている。

第二章においては、医薬品名の類似について、既存の薬名類似度指標 vwhtfrag で考慮されていない類似要素の寄与の検討を行い、これらの要素を組み込んだ改良型薬名類似度指標の構築を行っている。医薬品名の類似性に特に影響を及ぼす先頭部分の一致の寄与を、主観的類似度のデータの解析から算出し、未検討であった医薬品名の文字列長の差による主観的類似度への影響も、被験者を対象とした試験により明らかにしている。これらの新規要素を組み込んだ改良型薬名類似度指標 m2-vwhtfrag を構築し、アンケート調査で収集した実際に取り違えが起こった組み合わせと、無作為に作成した医薬品名の組み合わせを最もよく判別できるよう最適化している。この新規指標により、既存の指標や特徴量と比較して、取り違えが発生した医薬品名の組み合わせの的確な判別が可能となった。また、取り違えた医薬品名の判別性により最適化された新規指標は、医薬品名の主観的類似度ともよく相関し、類似要素の寄与の比も主観的類似度試験の結果と類似することを示し、医薬品名の主観的な類似性と取り違えの発生が強く関連することを示唆している。

第三章においては、外観の類似性について、特に医療現場での使用頻度と種類が多い PTP シートの類似に関わる要素とその寄与を検討し、似ていると感じるシートの組み合わせを判別できる外観類似度指標の構築を行っている。薬剤師を対象としたアンケート調査から PTP シートの類似には特に色が強く関わることが示唆されたことから、認知心理学的な試験により、シートの組み合わせの主観的類似度とシート色、錠剤色、印字色の色差の関係を明らかにし、その寄与の比を定量的に明らかにしている。また、シートの大きさ、錠剤や印字の面積の割合の違いによる主観的類似度への影響も明らかにし、検討した要素を組み込み構築した外観類似度指標により、薬剤師が似ていると感じる PTP シートの組み合わせを的確に判別できることを明らかにしている。この指標は、市販の PTP シートの組み合わせの主観的類似性とも相関することが示されており、PTP シートの外観類似性を良好に表現していると考えられる。

以上、申請者の研究は、医薬品名の類似性および PTP シートの外観類似性に関わる新規要素の影響とその寄与を定量的に評価しており、人が感じる類似性に関わる要因の解明という観点で意義が大きいといえる。また、今回構築した薬名類似度指標および外観類似度指標は類似性の評価のみならず、取り違えが発生した医薬品名の組み合わせ、および外観が類似している PTP シートの組み合わせを的確に判断可能であり、医薬品の類似性の評価を用いた取り違え防止対策に有用であると考えられる。従って、申請者の業績は博士(薬学)の授与にふさわしいものと判断した。

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