学位論文要旨



No 128356
著者(漢字) 池淵,祐樹
著者(英字)
著者(カナ) イケブチ,ユウキ
標題(和) 薬物誘発性肝障害発症の非遺伝的要因に基づいた危険性評価
標題(洋)
報告番号 128356
報告番号 甲28356
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1451号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,洋史
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 村田,茂穗
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

薬物誘発性肝障害(Drug-Induced Liver Injury: DILI)は臨床上もっとも頻繁に遭遇する副作用の一つであり、多くの場合は速やかな被疑薬の休薬により回復が期待される。一方稀ではあるが、重症化し肝移植などによる救命が必要となる劇症肝炎へと進展するケースも存在し、予測不可能であるために臨床上大きな問題となっている。また、臨床試験段階での開発中止や市販後の販売中止の主要な原因の一つとなっており、多大な費用・期間を要する医薬品開発の観点からも障害となっている。

2000 年代に日本医薬品医療機器総合機構及びアメリカ食品医薬局(FDA)に報告された検査値異常を含むDILI 症例全体に対する劇症肝炎症例の割合を調査し、各薬物のインタビューフォームに記載されたDILI 発症率と比較したところ、劇症化報告のある薬物に関してはDILI 発症率に因らずある程度一定の頻度で劇症化することが示唆された(Fig.1)。年間100 症例程度しか報告されないその非常に稀な発症頻度のため症例を集積して解析を行うことは極めて困難であり、今後の更なる解析が必須ではあるものの、Fig.1の結果は、DILI 発症率の高い薬物ほど結果的に劇症肝炎の危険性が高いことを示唆している。すなわち、DILI 全体の発症率を精度良く予測することは最終的な劇症化リスク予測の基盤になりうると考えられた。

これらの背景を踏まえ、本研究において私は、起因薬物を限定せずにDILI 患者のゲノム・血清検体を収集し、メタボローム解析等の網羅的な解析を行うことでDILI 患者に共通するリスク因子の探索を試み、同定された複数の非遺伝的な因子存在下でDILI が誘発されることをラットin vivo・in vitro で検証した。さらに、それら非遺伝的な要因が相乗的に薬物毒性を亢進させることに着目し、薬物個々が持つDILI リスク評価法の構築を試みた。

【方法及び結果】

第1章 DILI 患者に共通するリスク要因の解析

1. DILI 患者では肝臓中グルタチオン量の低下・炎症性サイトカインの上昇が発症以前から観察される

DILI 症例の大部分を占める特異体質性DILI は、遺伝的.非遺伝的要因から成る薬物応答性の個人差と、薬物固有の性質が複合的に働くことで発症すると想定されている(Fig.2)。薬物の代謝活性化に伴う様々な細胞ストレスとそれを増幅するいくつかの遺伝子変異がDILI の発症に繋がると考えられており.2A)際にHLA 遺伝子の変異がアモキシシリンなど特定の薬物のDILI リスクを増加させることが報告されているものの、臨床で起こる特異体質性DILI の多くを説明するには不十分と言わざるを得ない。起因薬によらず、DILI 発症全般に関連するリスク因子の存在を仮定し、それらに基づいてDILI 発症機構を包括的に理解する必要があると考えられたため、東大病院でDILI と診断された64名の患者、及び15 名のコントロール患者の検査用血清残検体を収集し、キャピラリー電気泳動質量分析計を用いたメタボローム解析を行った。その結果、DILI 患者において肝臓中グルタチオン(GSH)濃度の低下を反映する血清中..Glu-Xs(X:アミノ酸)濃度の有意な上昇が観察された。さらに、DILI 発症前後の経時的変化を解析したところ、.-Glu-Xs 濃度は肝障害マーカーの上昇以前から高値を示し、DILI の発症及び回復後にも変化しなかった(Fig.3)。また、炎症反応の一般的な指標であるCRP 値が同様に推移することが示されたため(Fig.3)、肝細胞に直接作用する代表的な炎症性サイトカイン4 種類(TNF.、IL-1.、IFN.、IL-6)の濃度変化を測定した。すると、CRP と同様に、これら炎症性サイトカインはDILI 発症以前より高値を示した。このため、多様な起因薬によらず、DILI 患者に共通して発症以前から存在するこれらの要因がDILI 発症の素因となっているものと考えられた(Fig.2B)。

一方、同一患者群からゲノムDNA を抽出し、薬物動態関連遺伝子やHLA の網羅的な遺伝子解析、さらにはゲノムワイド関連解析を行ったが、いずれも有意な差は認められなかった。そのため、以降は、DILI 発症における個人差に寄与しうる非遺伝的因子として肝臓中GSH 量低下・炎症性サイトカイン刺激に着目して解析を行った。

2. 肝臓中GSH 量低下・炎症性サイトカイン刺激・薬物の共存によりDILI が誘発される

次に、これらの因子が薬物の毒性発現にいかに作用するか、モデル薬物であるジクロフェナクをラットに投与することで検証した。各炎症性サイトカイン、あるいはGSH 低下剤のみを単独で前投与したラットでは、ジクロフェナク投与後に有意な肝障害マーカー値の上昇が認められなかった一方で、それら全てが共存した時に初めて顕著に肝障害が誘導された(Fig.4)。さらに、いずれか一つの要素を除いた場合には肝障害の程度は有意に低下した(Fig.4)。

また、従来DILI モデルの一つとして提唱されてきたリポ多糖(LPS)前投与ラットにおいても、LPS 前投与により肝臓中GSH 量低下と炎症反応が同時に惹起されていることが分かった。GSH、あるいは各炎症性サイトカインの中和剤をLPS と同時に投与した場合には、やはりいずれかの因子を1 つでも抑制するのみで有意に肝障害の程度は減弱した。これらの結果から、薬物投与以前に存在する酸化ストレスと炎症反応の相乗的な作用が薬物による毒性発現の閾値を低下させ、DILI 発症に不可欠な患者背景を形成していると示唆された。

3. リスク因子の相乗的な作用によりラット肝細胞での薬物毒性が亢進する

ラットin vivo モデルで認められた肝臓中GSH 量低下・炎症性サイトカイン刺激による相乗的な薬物毒性の亢進が肝細胞への直接的な作用によるものか検証するために、続いてラット初代培養肝細胞を用いて解析した。ジクロフェナクの濃度依存的な細胞死を評価した結果、肝細胞中GSH 量低下及び炎症性サイトカイン4 種類の共存下ではより低濃度での細胞死が観察され、その相乗的な作用が示された(Fig.5)。また、この際に起こる細胞死が主にアポトーシスであったこと、GSH 低下条件下で増加する反応性代謝物と蛋白質との共有結合体(プロテインアダクト)の生成を抑制した場合には肝細胞毒性が低下したことから、GSH 低下・炎症性サイトカインによる相乗的な薬物毒性の亢進は細胞死シグナルの活性化や反応性代謝物の除去など、複数の機構に基づいた作用であることが示唆された

第2章 非遺伝的要因に基づいた薬物個々のDILI リスク評価法の構築

1. 臨床血漿中濃度に近い濃度で肝細胞死を引き起こす薬物ほどDILI リスクが高い

炎症性サイトカイン4 種類の濃度上昇)が肝細胞の薬物に対する感受性を高めることが示唆された一方で、それらの条件を満たす患者全てがDILI を発症する訳ではなく、薬物個々が持つDILI リスクが大きく関与するものと思われる。ラット肝細胞において薬物の濃度依存的な細胞死が観察されている様に、臨床でのDILI リスクを評価するためには臨床血漿中濃度を考慮する必要があると思われたため、肝細胞の50%が死滅する濃度として定義したTC50 値と臨床平均血漿中濃度Css の比を取ってDILI発症率を評価した。223 薬物を対象に解析した結果、リスク因子存在下では、Css,u/TC50,u とDILI 発症率との間に有意性を持った正の相関関係が認められた(Fig.6A)。リスク因子非存在下、つまり薬物単独でのTC50 の場合にはこの傾向は消失し、リスク因子による薬物毒性の亢進率(TOXICS: TC50,リスク因子非存在下/TC50,リスク因子存在下)で評価することでやはりDILI 発症率の高い薬物群を分離することが出来た。

2. プロテインアダクト量に基づいた予測法よりも精度良く危険性の高い薬物を分離できる

近年、FDA の発表したガイダンスにある様に、薬物の反応性代謝物が蛋白質と共有結合することで形成されるプロテインアダクト量とDILI 発症リスクとの間に正の相関関係があることが複数の論文で示唆され、一般に受け入れられている。構築したラット肝細胞系が薬物の代謝活性化等も包含した評価系であることから、プロテインアダクト量のみに基づいて評価するよりも精度良くDILI リスクを予測出来うると思われたため、文献情報を収集し同一の49 薬物に関して検証した。その結果、重大な警告あるいは市販中止されている薬物を含むDILI 発症率が高い薬物群の分離能を比較すると、プロテインアダクト量での評価法よりも有意に精度良く、危険性の高い薬物を分離できることが示された(Fig.6B)。

【まとめと考察】

本研究において私は、(1)DILI 患者に共通する背景として肝臓中GSH 量低下及び炎症反応が発症以前から存在すること、及び(2)肝細胞にこれらの因子が相乗的に作用することで薬物による毒性発現の閾値が低下すること、を見出した。また、この知見に基づき、(3)ラットin vitro細胞系から決定される毒性発現濃度と臨床血漿中濃度を比較することで薬物個々のDILIリスクを推測できること、を示した。従来考えられてきた様に、薬物の服用が引き金となって生じる酸化ストレスや炎症反応がDILI の進展・増悪に関わるのではなく、疾患背景に依存して事前に存在する複数のリスク因子が薬物毒性を亢進させ、結果としてDILI が発症すると考えた点に本研究の強い独自性がある(Fig.7)。さらに、この考えに基づいて構築したラット肝細胞系により、現在広く受け入れられているプロテインアダクト量に基づいた評価法よりも精度良くDILI リスクを予測出来うることが示唆されたため、医薬品開発における有力なツールを提案することが出来た。

今後、血清中のγGlu-Xs 及び炎症性サイトカイン濃度をモニタすることで患者側のDILIリスクを、また肝細胞in vitro系により薬物個々のDILI リスクを評価することで、DILI リスクの非常に高い患者・薬物の組合せを特定することが可能となれば、発症リスクの高い患者群にはDILI の危険性が高い薬物の投与を控えるなど、臨床において有用な提案に繋がるものと思われる(Fig.7)。DILI の発症及び更なる劇症化の危険性を患者・薬物両面から評価する方法論の構築が可能となれば、治療効果と危険性を鑑みた上でのより安全かつ有効な薬物治療の実現に貢献し、また、効率的な創薬・安全性試験の実施に繋がることが期待される。

Fig.1 DILI 発症率と劇症化の関連性劇症肝炎報告数:(◇), 1(△), 2~4(□), 5 以上(●)

Fig.2 特異体質性DILI の複合的要因

(A) 薬物を引き金として発症・増悪するDILI スキーム

(B) 薬物以前に存在する疾患背景に依存したDILI 発症

Fig.3 DILI 患者に共通する非遺伝的な背景因子

Fig.4 GSH 量低下・炎症性サイトカイン刺激による相乗的な薬物毒性亢進効果

Fig.5 相乗的な作用による肝細胞死の増加

Fig.6 薬物個々のDILI リスク評価

(A) リスク因子存在下での肝細胞TC50 と臨床血漿中濃度比による評価(223 薬物)

(B) プロテインアダクト量に基づいたリスク評価法との比較(49 薬物)

Fig.7 患者個々・薬物個々のリスク評価に基づいたDILI ハイリスク群の分離、予測法の可能性

審査要旨 要旨を表示する

薬物誘発性肝障害(Drug-Induced Liver Injury: DILI)は臨床上もっとも頻繁に遭遇する副作用の一つであり、稀ではあるものの重症化・劇症化し、肝移植などによる救命が必要となるケースもある。現状では予測が不可能であるため臨床上大きな問題となっており、また、そのため臨床試験段階での開発中止や市販後の販売中止に至る主要な原因の一つとなり医薬品開発の観点からも重大な障害となっている。現状の臨床においては、DILI発症初期の休薬・処置が効果的に実施されることも相俟ってDILIが劇症化する頻度は低く、劇症肝炎の発症機構解明は進んでいない。しかしながら、申請者が過去のDILI及び劇症肝炎報告を整理した結果、特定の薬物が劇症化しやすい訳ではなく、DILI全体の報告数と劇症肝炎の報告数には一定の相関があることが示唆された。従って、患者・薬物個々のDILI発症リスクを精度良く予測することが可能となれば、結果的に臨床・医薬品開発において未解決の重要課題である劇症肝炎のリスク評価に繋がるものと考えられる。DILI発症リスクに関しては患者側の遺伝的な背景に焦点を置いた解析が数多くなされてきたものの、ごく一部の薬物との関連性が報告されるに限られ、広範な薬物によるDILI発症を説明するには不十分であった。また、薬物毎の危険性を反映する指標として代謝依存的に生成される蛋白質との共有結合体量が注目を集めているが、スループットの問題などから網羅的な解析には至っていなかった。そこで本研究では、起因薬物を限定せず収集した患者検体に対してメタボローム解析等の網羅的な解析手法を用いて、DILI患者に共通するリスク因子を探索している。種々の解析結果から、DILI以外の患者の疾患背景に由来すると思われる肝臓中グルタチオン量の低下及び炎症性サイトカイン濃度の上昇が相乗的に薬物毒性を亢進させることが示唆され、これに基づいた薬物個々のDILIリスク評価法の構築を試みている。

第一章では、初めにDILI患者に共通する遺伝的・非遺伝的な因子の網羅的な探索を行い、DILIを発症する以前から肝臓中グルタチオン量の低下・複数の炎症性サイトカイン濃度の上昇が生じていることを見出している。過去の動物モデル解析から、いくつかの因子に関してはDILIの進展・増悪に関わっていることが想定されていたものの、DILI発症以前から複数の背景因子を有することがDILIの発症を規定していることをヒト臨床解析から示唆した初めての結果となっている。また、これに基づきラットin vivo及びラット初代培養肝細胞を用いた解析を行い、薬物投与以前にこれらの因子が存在することが薬物の肝細胞傷害性を相乗的に高めることも確認されている。

第二章では、上述のリスク因子の影響を反映したラット肝細胞毒性評価系を構築し、223種類もの薬物に関してその濃度依存的毒性発現プロファイルを決定している。ラット肝細胞死を引き起こすのに必要な薬物濃度がヒト臨床血漿中濃度に近い薬物ほどDILI発症率が高いことが示され、このことから、リスク因子を満たす一部の患者において肝細胞死を起こし得る薬物濃度に達した場合に、実際の臨床においてもDILIを発症することが想定される。さらに、一部の情報が得られる薬物に関して、蛋白質との共有結合体量に基づいたDILIリスク評価とその信頼性を比較した結果、本研究で提案された方法はDILI発症率の高い薬物を有意に精度良く分離できることが示されている。

以上申請者の研究は、これまで主流であった薬物服用により生じる様々な因子がDILIを増悪させるとするDILI発症スキームではなく、患者の疾患背景に由来すると考えられる複数のリスク因子が薬物の毒性発現を亢進させ、その結果としてDILIの発症に至るとする新たなスキームを提唱している。個々の因子だけを見れば、過去に動物モデルでの解析からDILIの増悪に関わることが示唆されているが、薬物服用以前からそれらのリスク因子を有していることが、相乗的にDILI発症に関わっていることをヒト臨床解析から示唆した初めての報告であり、今後のモデル研究として価値が非常に大きい。さらに、この知見に基づいて構築した薬物毎のDILIリスク評価法は、現在広く受け入れられている共有結合体量に基づいた予測法よりも精度良くDILIリスクを判定可能であり、前臨床試験段階での有効な評価ツールになり得ると思われる。今後より大規模な臨床研究を行い、患者・薬物個々のDILIリスクを定量的に評価することが可能となれば、治療効果と危険性を鑑みた上でのより安全かつ有効な薬物治療の実現に貢献し、また、効率的な創薬・安全性試験の実施に繋がる意義深い研究である。従って、申請者の業績は博士(薬学)の授与に相応しいものと判断した。

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