学位論文要旨



No 128358
著者(漢字) 大木,優
著者(英字)
著者(カナ) オオキ,ユウ
標題(和) フェニルピペリジン型γ セクレターゼモジュレーターの作用標的と機序の解明
標題(洋)
報告番号 128358
報告番号 甲28358
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1453号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 村田,茂穗
内容要旨 要旨を表示する

[序論 ]

アルツハイマー病(AD)は、進行性の認知機能障害を伴う神経変性疾患であり、脳内でのアミロイドβペプチド(Aβ)の凝集・蓄積が重要な病因因子であると考えられている。Aβは、アミロイド前駆体蛋白質であるAPPが始めにβセクレターゼによる切断を受け、そのC末端断片(APP-CTF)がγセクレターゼの直接の基質となり産生される。そのため、γセクレターゼ活性を抑制する低分子化合物がADの根本治療・予防につながると期待され開発が進められてきた。しかしながら、γセクレターゼはAPPのみならずNotchを始めとする多様な基質を切断するため、γセクレターゼを全般的に阻害する薬剤は副作用が危惧され、現実に、γセクレターゼ阻害剤Semagacestatの第3相治験は最近中止された。γセクレターゼの産出するAβにはC末端長の異なる様々な分子種が知られており、そのなかでも42アミノ酸からなるAβ42が最も病原性の高い分子種と考えられている。現在、Aβ42の産生を特異的に抑制し、他の基質の切断を阻害しないγセクレターゼモジュレーター(GSM)と呼ばれる一連の化合物が、副作用の少ないアルツハイマー病の根本的治療薬として期待されている。GSMはγセクレターゼ活性を完全に抑制することなくAβ42産生を低下させる一方で、Aβ38産生を上昇させるが、その標的分子及び作用機序は明らかではなかった。そこで本研究において私は、フェニルピペリジン骨格を有し、脳移行性が比較的高い強力なGSMである化合物GSM-1に着目し、ケミカルバイオロジー的手法を用いその標的分子の同定、およびその作用機序の解明を目的として、研究を遂行した。

[方法・結果 方法・結果 ]

1. フェニルピペリジン型γセクレターゼモジュ。レーターGSM-1の標的分子の同定

γセクレターゼはPresenilin(PS)、Nicastrin(Nct)、Aph-1、Pen-2の4種の膜タンパク質により構成される膜タンパク質複合体である。活性型γセクレターゼ複合体においてPSは断片化され、N末端断片(NTF)とC末端断片(CTF)になる。まずSf9細胞より精製したγセクレターゼ複合体およびγセクレターゼ基質であるAPP-CTFを用いたin vitroassayを行ったところ、GSM-1がAβ42産生を抑制した。そこで光親和性標識法によりGSM-1の標的分子の同定を試みた。光親和性標識法は、UV照射により近傍のアミノ酸と共有結合を形成するベンゾフェノン基と、アビジン-ビオチン結合を利用した精製に適するビオチン基を導入し、低分子化合物の標的分子を同定する手法である。我々はGSM-1の構造活性相関解析を行い、光感応基ベンゾフェノンとビオチンを組み込んだ光親和性標識法に適する分子プローブGSM-1-BpBを作出した(図1)。マウス脳およびPS1/2ノックアウトMEF(DKO)細胞膜画分に、GSM-1-BpBを用いて光親和性標識実験を行い、PS1 NTFがGSM-1-BpBの特異的な標的分子であることを明らかにした(図2)。

2. GSM-1の結合領域の同定

PS1 NTF内のGSM-1結合部位を同定する目的で、PS1のN末端側および膜貫通領域(TMD)の間にトロンビンプロテアーゼにより特異的に切断される配列(LVPRGS)を組み込んだ変異PS1(Th60N、Th1、Th3)を作成した。これらの変異体はいずれもトロンビン処理により特異的な切断を受け、またいずれの変異体もγセクレターゼ活性を有し、GSM-1に対して感受性であった。またこれらの切断断片はPS1の最N末端を含むため、N末端を認識する抗体による検出が可能である(図3)。これらの変異体PS1を発現させたDKO細胞の膜画分を用い、GSM-1-BpBによる光親和性標識実験を行った後、トロンビン処理により部位特異的な切断を行い、アビジンビーズにより標識されたタンパク質断片の精製を行った。その結果Th1およびTh3の切断断片は精製されたが、Th60Nの切断断片は回収されなかった。すなわち、61-110番残基の間にGSM-1-BpBの結合領域があると考えられた(図4)。さらにN末端領域の79アミノ酸を欠失したPS1変異体(Δ2-79)でもGSM-1作用が観察されたことから、GSM-1の標的が第1膜貫通領域(78から100番目のアミノ酸で構成される)に存在すると考えられた。そこで第1膜貫通領域を同じ配向性を持つ他の膜タンパク質であるCLACのTMDに置換した変異体を用い、光親和性標識実験を行ったところ、GSM-1-BpBとの結合が失われた(図5A、5B)。更に、TMD1を含む大腸菌由来精製リコンビナントタンパク質がGSM-1-BpBと結合したことから、TMD1がGSM-1の結合部位であると結論した。

PS1は活性中心構造と基質結合部位を有するγセクレターゼの触媒サブユニットである。GSM-1がこれらの機能部位へ与える影響を評価することを目的とし、活性中心に結合する光親和性プローブであるL-852,646および基質結合部位に結合するpep.11-Btによる光親和性標識実験を行った。GSM-1存在下において、いずれのプローブもPS1との結合の減弱が観察された。すなわちGSM-1がこれらの化合物と同じ部位に結合しているか、結合部位の構造変化を惹起している可能性が示唆された。そこでこれらのプローブの親化合物であるL-685,458やpep.11存在下でGSM-1-BpBを用いた光親和性標識実験を行ったところ、GSM-1BpBとPS1の結合に影響は見られなかった。すなわちGSM-1が直接活性中心や基質結合部位に結合しているのではなく、アロステリックにこれらの機能部位の構造を変化させるものと考えた。

4. GSM-1作用メカニズムの生化学的解析

現在γセクレターゼによる切断機構として細胞質側で切断が開始し生じた「長い」Aβが段階的に切断を受けていくという"Successive cleavage"モデルが想定されている。このモデルでは、Aβ42が産生される場合にはAPP-CTFからAβ48→Aβ45→Aβ42→Aβ38と段階的に切断され、一方Aβ40はAβ49→Aβ46→Aβ43→Aβ40の別経路により産生されると考えられている。GSM-1はAβ42量を減少させ、Aβ38量を増加させる作用を有する。このモデルに従いGSM-1の作用点を明らかにすることを目的に、私はin vitroγセクレターゼアッセイを用いてAPP-CTFからのAβ42産生過程を経時的に追跡した。その結果、GSM-1はAβ42産生を減少させAβ38産生を増加させるが、Aβ45の産生に影響を与えないことを明らかにした(図6)。また、Aβ40やAβ43、Aβ46産生にも影響は生じなかった。以上の結果から、GSM-1は、Aβ42が切断を受けてAβ38を産生する過程に直接的に作用していると考えた

[まとめ・考察 まとめ・考察 ]

本研究において私は、フェニルピペリジン型γ本研究において私は、フェニルピペリジン型vγセクレターゼモジュレーターであるGSM-1がPS1のTMD1を標的とし、活性中心および基質結合部位の構造をアロステリックに変化させることにより、Aβ42産生を抑制し、且つAβ38産生を上昇させることを見出し、γセクレターゼを標的とする低分子化合物の作用部位を初めて明らかにした。今後は、Aβ42産生制御の分子メカニズムを解明し、新たな観点からγセクレターゼモジュレーター作出を目指したい

[謝辞 ]

本研究を遂行するにあたり、 本研究を遂行するにあたり、 本研究を遂行するにあたり、 本研究を遂行するにあたり、 GSMGSMGSM-1誘導体である光親和性標識 誘導体である光親和性標識 誘導体である光親和性標識 誘導体である光親和性標識 プローブ プローブ GSMGSM -1-BpB BpBの合成 の合成 にご協 力頂いた東京大学院薬系研究科天然物合成化教室 横島 聡准教授、福山 透教授に深く感 謝致します。

Ohki Y., et al.Phenylpiperidine-typeγ-secretase modulators target the transmembrane domain 1 of presenilin 1. The EMBO Journal2011 Oct 14. doi: 10.1038/emboj.2011.372.

図1.GSM-1とGSM-1-BpBの化学構造式

図2.GSM-1-BpBを用いた光親和性標識実験

図3.トロンビン切断配列を組み込んだPS1変異体の模式図

図4.GSM-1-BpBを用いた光親和性標識実験後のトロンビン切断実験

図5.(A)実験に使用したTMD swap変異体の模式図(B)上記変異体のGSM-1-BpBを用いた光親和性標識実験

図6.GSM-1のAβ切断へ与える影響

審査要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(AD)は、進行性の認知機能障害を伴う神経変性疾患であり、脳内でのアミロイドβペプチド(Aβ)の凝集・蓄積が重要な病因因子であると考えられている。Aβは、アミロイド前駆体蛋白質であるAPPが始めにβセクレターゼによる切断を受け、そのC末端断片(APP-CTF)がγセクレターゼの直接の基質となり産生される。そのため、γセクレターゼ活性を抑制する低分子化合物がADの根本治療・予防につながると期待され開発が進められてきた。しかしながら、γセクレターゼはAPPのみならずNotchを始めとする多様な基質を切断するため、γセクレターゼを全般的に阻害する薬剤は副作用が危惧される。γセクレターゼの産出するAβにはC末端長の異なる様々な分子種が知られており、そのなかでも42アミノ酸からなるAβ42が最も病原性の高い分子種と考えられている。現在、Aβ42の産生を特異的に抑制し、他の基質の切断を阻害しないγセクレターゼモジュレーター(GSM)と呼ばれる一連の化合物が、副作用の少ないアルツハイマー病の根本的治療薬として期待されている。GSMはγセクレターゼ活性を完全に抑制することなくAβ42産生を低下させる一方で、Aβ38産生を上昇させるが、その標的分子及び作用機序は明らかではなかった。そこで申請者は、フェニルピペリジン骨格を有し、脳移行性が比較的高い強力なGSMである化合物GSM-1に着目し、ケミカルバイオロジー的手法を用いその標的分子の同定、およびその作用機序の解明を目的として、研究を遂行した。

1.フェニルピペリジン型γセクレターゼモジュレーターGSM-1の標的分子の同定

γセクレターゼはPresenilin(PS)、Nicastrin(Nct)、Aph-1、Pen-2の4種の膜タンパク質により構成される膜タンパク質複合体である。活性型γセクレターゼ複合体においてPSは断片化され、N末端断片(NTF)とC末端断片(CTF)になる。まずSf9細胞より精製したγセクレターゼ複合体およびγセクレターゼ基質であるAPP-CTFを用いたin vitro assayを行ったところ、GSM-1がAβ42産生を抑制した。そこで光親和性標識法によりGSM-1の標的分子の同定を試みた。光親和性標識法は、UV照射により近傍のアミノ酸と共有結合を形成するベンゾフェノン基と、アビジン-ビオチン結合を利用した精製に適するビオチン基を導入し、低分子化合物の標的分子を同定する手法である。我々はGSM-1の構造活性相関解析を行い、光感応基ベンゾフェノンとビオチンを組み込んだ光親和性標識法に適する分子プローブGSM-1-BpBを作出した。マウス脳およびPS1/2ノックアウトMEF(DKO)細胞膜画分に、GSM-1-BpBを用いて光親和性標識実験を行い、PS1 NTFがGSM-1-BpBの特異的な標的分子であることを明らかにした。

2.GSM-1の結合領域の同定

PS1 NTF内のGSM-1結合部位を同定する目的で、PS1のN末端側および膜貫通領域(TMD)の間にトロンビンプロテアーゼにより特異的に切断される配列(LVPRGS)を組み込んだ変異PS1(Th60N、Th1、Th3)を作成した。これらの変異体はいずれもトロンビン処理により特異的な切断を受け、またいずれの変異体もγセクレターゼ活性を有し、GSM-1に対して感受性であった。またこれらの切断断片はPS1の最N末端を含むため、N末端を認識する抗体による検出が可能である。これらの変異体PS1を発現させたDKO細胞の膜画分を用い、GSM-1-BpBによる光親和性標識実験を行った後、トロンビン処理により部位特異的な切断を行い、アビジンビーズにより標識されたタンパク質断片の精製を行った。その結果Th1およびTh3の切断断片は精製されたが、Th60Nの切断断片は回収されなかった。すなわち、61-110番残基の間にGSM-1-BpBの結合領域があると考えられた。さらにN末端領域の79アミノ酸を欠失したPS1変異体(△2-79)でもGSM-1作用が観察されたことから、GSM-1の標的が第1膜貫通領域(78から100番目のアミノ酸で構成される)に存在すると考えられた。そこで第1膜貫通領域を同じ配向性を持つ他の膜タンパク質であるCLACのTMDに置換した変異体を用い、光親和性標識実験を行ったところ、GSM-1-BpBとの結合が失われた。更に、TMD1を含む大腸菌由来精製リコンビナントタンパク質がGSM-1-BpBと結合したことから、TMD1がGSM-1の結合部位であると結論した。

3.GSM-1の構造に与える効果の解析

PS1は活性中心構造と基質結合部位を有するγセクレターゼの触媒サブユニットである。GSM-1がこれらの機能部位へ与える影響を評価することを目的とし、活性中心に結合する光親和性プローブであるL-852,646および基質結合部位に結合するpep.11-Btによる光親和性標識実験を行った。GSM-1存在下において、いずれのプローブもPS1との結合の減弱が観察された。すなわちGSM-1がこれらの化合物と同じ部位に結合しているか、結合部位の構造変化を惹起している可能性が示唆された。そこでこれらのプローブの親化合物であるL-685,458やpep.11存在下でGSM-1-BpBを用いた光親和性標識実験を行ったところ、GSM-1BpBとPS1の結合に影響は見られなかった。すなわちGSM-1が直接活性中心や基質結合部位に結合しているのではなく、アロステリックにこれらの機能部位の構造を変化させるものと考えられた。

4.GSM-1作用メカニズムの生化学的解析

現在γセクレターゼによる切断機構として細胞質側で切断が開始し生じた「長い」Aβが段階的に切断を受けていくという"Successive cleavage"モデルが想定されている。このモデルでは、Aβ42が産生される場合にはAPP-CTFからAβ48→Aβ45→Aβ42→Aβ38と段階的に切断され、一方Aβ40はAβ49→Aβ46→Aβ43→Aβ40の別経路により産生されると考えられている。GSM-1はAβ42量を減少させ、Aβ38量を増加させる作用を有する。このモデルに従いGSM-1の作用点を明らかにすることを目的に、私はin vitroのγセクレターゼアッセイを用いてAPP-CTFからのAβ42産生過程を経時的に追跡した。その結果、GSM-1はAβ42産生を減少させAβ38産生を増加させるが、Aβ45の産生に影響を与えないことを明らかにした。また、Aβ40やAβ43、Aβ46産生にも影響は生じなかった。以上の結果から、GSM-1は、Aβ42が切断を受けてAβ38を産生する過程に直接的に作用していると考えられた。

以上のごとく申請者は、フェニルピペリジン型γセクレターゼモジュレーターであるGSM-1がPS1のTMD1を標的とし、活性中心および基質結合部位の構造をアロステリックに変化させることにより、Aβ42産生を抑制し、且つAβ38産生を上昇させることを見出し、γセクレターゼを標的とする低分子化合物の作用部位を初めて明らかにした。これらの結果は、アルツハイマー病研究ならびに膜内タンパク質切断機構を発展させる新知見を多く含み、博士(薬学)の学位に相応しいものと判定した。

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