学位論文要旨



No 128361
著者(漢字) 小沢,政成
著者(英字)
著者(カナ) コザワ,マサナリ
標題(和) 肝再生過程におけるG1後期細胞内応答の解析
標題(洋)
報告番号 128361
報告番号 甲28361
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1456号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,洋史
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 准教授 垣内,力
 東京大学 准教授 東,伸昭
 東京大学 准教授 八代田,英樹
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

肝臓は再生能を有する臓器であり、肝がんの切除や生体部分肝移植といった外科的治療は肝再生を期待して行われる。しかしながら、不十分な肝再生によって肝不全・予後不良がもたらされる例が報告されており、肝再生を積極的に制御する方法論の確立が望まれている。肝再生を抑制する一因として、これまでに動物モデルを用いた検討により肝臓内グルタチオン(GSH)濃度の減少が示唆されており、臨床では生体部分肝移植に伴う移植片の冷虚血・再灌流によって肝臓内GSH濃度が30%程度に減少することが報告されている。従って、臨床における肝臓内GSH濃度の減少は肝再生を抑制し、肝移植患者の予後に悪影響を与えることが想定される。そこで、GSH濃度の減少が肝再生を抑制する分子メカニズムの解明を目的として本研究を行うこととした。本研究を通じて得られるGSH濃度の減少を原因とした肝再生抑制メカニズムに関する知見は、肝移植の施術に伴って生じる酸化ストレスへの効果的な対応策を構築し、重症肝疾患患者における治療予後の向上を図る上での基盤情報になると期待される。

ラット肝部分切除モデルでは、restriction pointを通過する際に重要なcyclin Dの誘導が観察される肝切除後12時間から24時間(G1中後期)にかけて、肝臓内GSH濃度が増加していることが報告されている。そこで本研究では、比較的還元下にあるはずのG1中後期において、GSH濃度の減少がcyclin Dの発現量上昇に対して抑制的に作用する結果、肝再生が抑制されると想定した。cyclin Dはhepatocyte growth factor(HGF)、epidermal growth factor(EGF)等の増殖因子の刺激によって誘導されることが知られているが、HGFおよびEGF受容体の強い活性化は肝切除後一時間以内に観察され、更にcyclin Dのプロモーター領域に結合能を有するAP-1、NF-κB、STAT3などの転写因子の活性化は、肝切除後6時間以内には観察されている。従って、G1中期以降において観察され始めるcyclin Dの誘導には、肝切除直後に発生する強い増殖刺激とは異なった二次的な増殖シグナルが関与している可能性が想定される。

本研究では、肝再生過程で主要な機能を果たすHGF受容体のc-METに着目し、まずG1中後期におけるcyclin Dの誘導制御メカニズムの解明を試み、次いでGSH濃度の減少がそのcyclin Dの誘導メカニズムに対して及ぼす影響を解析した(Fig.1)。

【方法・結果】

cyclin D1の透導に重要な、G1中後期におけるシグナル経路の解析

1-1.持続的なPI3K/Akt/mTORC1経路の活性化がcyclin D1の発現誘導に必要である。

まず、c-MET下流シグナルのPI3K/Akt/mTORC1経路およびMEK/ERK経路に着目し、cyclin D1の誘導に増殖シグナル受容後の二次的なシグナル応答が関与している可能性を検討した。ラット初代培養肝細胞を用いて、HGF刺激後におけるmTORC1の基質であるS6K1およびMEKの基質であるERK1/2の経時的なリン酸化プロファイルを取得した結果、いずれのシグナル分子もG1中後期に至るまでリン酸化されていることが確認された。続いて、両経路の持続的な活性がcyclin D1 mRNAの誘導および肝細胞のS期への移行に必要であるか否か検討した。cyclin D1の誘導が観察され始めるHGF刺激後12時間時点においてPI3K/Akt/mTORC1およびMEKの各阻害剤を添加した結果、PI3K/Akt/mTORC1の各阻害剤はcyclin D1 mRNAの誘導を抑制し、BrdU取り込みを指標としたS期肝細胞数を有意に減少させることが明らかとなった(Fig.2)。一方、MEK阻害剤に関しては有意な抑制効果は観察されなかった(Fig.2)。これらの結果から、PI3K/Akt/mTORC1経路の持続的な活性化が肝細胞のS期への移行に必要であることが示唆された。

1S期への移行に重要な、細胞周期G1中後期における肝細胞内シグナル経路の解析

2GSHの減少が、G1中後期細胞内シグナルに及ぼす影響の解析

1-2.リガンド非依存的なc-METの活性化が、持続的なmTORC1のリン酸化をもたらす。

PI3K/Akt/mTORCI経路の持続的な活性化をもたらすシグナル入力の起点を同定するため、まずc-METの関与を検討した。ラット初代培養肝細胞において、HGF添加後の経時的なc-METリン酸化プロファイルを取得した結果、c-METはHGF添加直後と比較して強度は低下するものの、12時間以降も持続的にリン酸化されていることが明らかとなった。この12時間時点以降におけるc-METの活性が、PI3K/Akt/mTORCI経路の持続的な活性化に関与しているか否かを検討するため、c-METキナーゼ阻害剤をHGF刺激後12時間時点で添加した。その結果、S6K1のリン酸化、cyclin D1 mRNA発現量、およびS期肝細胞数が減少することが明らかとなった。続いて、PI3K/Akt/mTORCI経路の活性化に寄与する12時間時点以降におけるc-METの活性化が、HGFの曝露に起因したものであるか否かを検討するため、HGF添加後5時間時点でメディウム交換を行ってHGFをウォッシュアウトし、c-METの経時的なリン酸化プロファイルを取得した。その結果、HGFウォッシュアウト群においてc-METは12、18時間時点でリン酸化されており、S6K1のリン酸化プロファイルに差異は観察されなかった(Fig.3)。また、HGF添加群とHGFウォッシュアウト群では、肝細胞のS期への移行割合に差異は観察されなかったため、細胞周期の進行に必要なG1中後期におけるc-METの持続的な活性化は、HGF非依存的なメカニズムを介して生じている可能性が示唆された。

1-3.持続的なc-MET/PI3K/Akt/mTORCI経路の活性化がin vivo肝再生に必要である。

これまでの検討より明らかとなった、G1中後期におけるc-MET/PI3K/Akt/mTORC1経路の持続的な活性化が、in vivo肝再生過程においても重要な役割を果たしていることを確認するため、ラット部分肝切除モデルを用いて検討を行った。部分肝切除後12時間時点でc-METキナーゼ阻害剤およびmTORC1阻害剤をそれぞれ投与した結果、24時間時点におけるcyclin Dの発現量およびS期肝細胞数は有意に減少し、G1中後期におけるc-MET/mTORC1の活性がin vivo肝再生においても必要であることが示唆された。

GSH濃度の減少による肝再生抑制メカニズムの解析

2-1.GSH濃度の減少はcyclin D1の誘導を抑制する。

GSH濃度の減少が肝部分切除後のin vivo肝再生を抑制するメカニズムを検討するため、まずGSH合成酵素阻害剤であるBSOがラット初代培養肝細胞の増殖に及ぼす影響を検討した。なお、BSOは、添加後12時間時点でGSH濃度をcontrolの20%に、24時間時点で3%にまで減少させた。HGFと同時にBSOを添加した結果、BSOの処理はS期肝細胞数を有意に減少させ、その抑制効果はGSH ethyl ester(GSHE)によるGSHの補給によってレスキューされた(Fig.4A)。続いて、GSH濃度の減少が、HGF添加後のcyclin D1 mRNA量に影響を与えるか否か検討を加えた結果、BSOの処理は12、18時間時点におけるcyclin D1 mRNAの発現量上昇を抑制することが明らかとなった(Fig.4B)。

2-2.GSH濃度の減少は、AMPKの活性化を介してmTORC1の活性を抑制する

GSH濃度の減少がmRNAレベルでcyclin Dの発現上昇を抑制したため、cyclin Dの誘導に重要なG1中後期におけるc-MET/PI3K/Akt/mTORC1経路の活性化に対し、肝細胞内GSH濃度の低下が抑制的に作用している可能性が想定された。この点を検証するため、まずGSH濃度の減少がmTORClの活性に影響を及ぼしているか否か検討した。その結果、HGF刺激後12時間時点において、BSO添加群ではS6K1のリン酸化が減弱していることが明らかとなった(Fig.5)。mTORC1活性を制御するシグナル経路としてはPI3K/Akt経路、MEK/ERK経路およびmTOR抑制因子であるAMPKを介した経路が知られているため、GSH濃度の減少が各々の活性に及ぼす影響を検討した。その結果、BSOの処理はAktおよびMEKの活性に影響を与えなかった。一方、HGF添加直後に一過性にリン酸化され、その後脱リン酸化されるAMPKに関しては、BSO処理群でAMPKのリン酸化が12時間時点で高く維持されたままであった(Fig.5)。そこで、G1中後期におけるAMPKの活性化が細胞増殖の抑制に関与している可能性を検討するため、BSOの細胞増殖抑制効果に対するAMPK阻害剤の影響を検討した。AMPK阻害剤をHGFおよびBSO添加後12時間時点で添加したところ、肝細胞におけるS期への移行割合は有意にレスキューされた。また、AMPKの阻害剤を用いたレスキュー処理群においては、mTORC1の活性がHGF添加群とほぼ同程度まで回復している様子が観察された。従って、GSH濃度の低下による肝細胞のS期への移行割合の減少は、AMPKの活性化を介したmTORC1の活性抑制に起因したものであることが示唆された。

【まとめ・考察】

本研究において私は、HGF刺激を受容した肝細胞において、(1)cyclin Dの発現上昇にはG1後期までの持続的なPI3K/Akt/mTORC1経路の活性化が必要であること、また、(2)G1中後期におけるリガンド非依存的なc-METの活性化が、この経路の持続的な活性化に関与すること、および、(3)肝細胞内GSH濃度の減少は、AMPKを介したmTORC1の活性抑制によって、cyclin Dの発現上昇を抑制することを見出した(Fig.6)。以上の知見より、肝臓内GSH濃度およびmTORC1活性を維持する方法論を確立することが、重症肝疾患患者の治療予後の向上を図る上で重要であることが示唆された。

これまでの肝再生に関する研究は、肝切除直後のシグナル解析や、シグナル分子の欠損が肝再生に与える影響についてのものが主であった。本研究によって、細胞周期の進行にはG1中後期における増殖因子受容体からのシグナル入力が必要であることが示唆されたことから、肝再生を抑制するリスク因子およびその分子メカニズムの解析を詳細に行う際には、増殖刺激受容直後だけではなく、G1期全般に渡った肝細胞内増殖シグナル分子の活性に対する影響を検討することが重要であると考えられる。今後は、GSH濃度の減少によってAMPKが活性化されるメカニズムを解明することにより、mTORC1の活性抑制を効果的に防ぐ方法論の確立が期待される。

Fig.1本研究のスキーム

Fig.2 PI3K/Akt/mTORC1経路およびMEK/ERK経路の阻害による肝細胞増殖抑制効果

(A)HGF添加後24時間時点におけるcyclin D1 mRNAの発現量

(B)HGF添加後27-30時間におけるBrdU取り込み細胞数の割合

PI3K inhibitor,LY294002;Aktinhibitor,Akt inhibitor IV;mTORC1 inhibitor,Rapamycin;MEK inhibitor,PD98059

Fig.3 HGF添加後5時間時点におけるHGFのウォッシュアウトが、その後の肝細胞内c-METおよびS6K1のリン酸化に及ぼす影響

Fig.4 BSOによる肝細胞増殖抑制効果

(A)HGF添加後27-30時間におけるBrdU取り込み細胞数の割合

(B)HGF添加後12、18時間におけるcyclin D1 mRNAの発現量

Fig.5 HGF添加後12時間時点におけるS6K1およびAMPKのリン酸化に対するBSOの影響

Fig.6 GSH濃度の減少が肝細胞のS期への移行を抑制する分子メカニズムの概要

審査要旨 要旨を表示する

肝臓は再生能を有する臓器であり、肝がんの切除や生体部分肝移植といった外科的治療は肝再生を期待して行われる。しかしながら、不十分な肝再生によって肝不全・予後不良がもたらされる例が報告されており、肝再生を積極的に制御する方法論の確立が望まれている。肝再生を抑制する一因として、肝臓内グルタチオン (GSH) 濃度の減少が動物モデルを用いた検討により示唆されており、臨床では生体部分肝移植に伴う移植片の冷虚血・再灌流によって肝臓内GSH濃度が30%程度に減少することが報告されている。従って、臨床における肝臓内GSH濃度の低下は肝再生を抑制し、治療予後に影響を与えている可能性が想定される。

本研究は、これまで不明であったGSH濃度の減少が肝再生を抑制する分子メカニズムの解明を目的とし、ラット部分肝切除に伴う肝再生過程をモデルとして、解析を行っている。まず、cyclin D1の発現上昇およびGSH濃度の増加が観察されるG1中後期に着目して、cyclin D1の発現誘導を制御するメカニズムの解明を試み、次いでGSH濃度の減少がそのcyclin D1の誘導メカニズムに対して及ぼす影響を解析したものである。

まず、細胞周期G1期からS期への移行を制御するcyclin D1の誘導に重要な、G1中後期におけるシグナル経路の解析を行っている。増殖因子HGF刺激後のラット初代培養肝細胞では、HGF受容体であるc-METおよびその下流シグナル分子であるAkt、mTORC1、MEKがG1中後期に至るまで持続的に活性化していることが示された。各シグナル分子に対する阻害剤を用いた検討からは、G1中後期におけるc-MET/ PI3K/Akt/mTORC1経路の阻害が、cyclin D1 mRNAの誘導、および肝細胞のS期への移行を抑制する一方で、やはりc-MET下流で活性化するMEK/ERK経路に対する阻害は影響を及ぼさないことが確認された。G1中後期においてc-METが活性化されるメカニズムに関しては、G1初期におけるHGFのウォッシュアウトがその後のc-METおよびその下流シグナル分子のリン酸化、更に肝細胞のS期への移行割合に影響を及ぼさないことからHGF非依存的であることが見出されている。また、ラット部分肝切除モデルを用いた検討からは、cyclin D1の発現量およびS期肝細胞数が、G1中期におけるc-METキナーゼ阻害剤またはmTORC1阻害剤の投与によって減少することが確認されており、G1中後期におけるc-MET/mTORC1の活性がin vivo肝再生においても必要であることが示唆されている。これら一連の検討は、cyclin D1の発現上昇にはG1中後期におけるc-MET/PI3K/Akt/mTORC1経路の持続的な活性化が必要であることを初めて示唆したものである。

続いて、GSH濃度の減少による肝再生抑制メカニズムの解析を行っている。ラット部分肝切除モデルでは、S期肝細胞数およびcyclin D1発現量がGSH合成酵素阻害剤であるL-buthionine (S,R)-sulphoximine (BSO)の投与によって減少することが確認されている。ラット初代培養肝細胞では、HGF刺激に伴うcyclin D1 mRNA発現量の上昇がBSOの処理によって抑制されることが確認され、cyclin D1の誘導に必要なG1中後期におけるc-MET/PI3K/Akt/mTORC1経路の活性化に対して、肝細胞内GSH濃度の低下が抑制的に作用する可能性が想定された。この点に関しては、BSOの処理によってG1中後期におけるmTORC1の活性が減弱される一方、mTORC1の上流に位置するAktの活性は変化しないことが確認されている。mTORC1の活性を制御する他のシグナル分子に対して解析を行った結果、BSOの処理はmTOR抑制因子であるAMPKのリン酸化を増大させることが見出されている。BSOの細胞増殖抑制効果に対するAMPK阻害剤の影響を検討した結果、BSOとAMPK阻害剤の併用群では肝細胞のS期への移行割合は回復し、さらにmTORC1の活性がHGF単独添加群とほぼ同程度にまで回復する様子が確認されている。従って、GSH濃度の低下による肝細胞のS期への移行割合の減少は、AMPKの活性化を介したmTORC1の活性抑制に起因したものであることが示唆されている。

以上、本研究は、GSH濃度の減少によって肝細胞の増殖が抑制される分子メカニズムとして、AMPKがGSH濃度の減少によって活性化し、cyclin D1の誘導に必要なmTORC1の活性を抑制する一連のスキームを見出している。本知見は、肝再生過程においてGSH濃度およびmTORC1の活性を保持することの重要性を示唆し、重症肝疾患患者における治療予後の向上を図る上での基盤情報になると期待される。また、本研究は、AMPKがGSH濃度の減少に起因して活性化することを初めて見出し、これまで全般的に詳細な分子メカニズムが不明であった酸化ストレスの細胞増殖抑制効果において、AMPKが関与している可能性を示唆した価値ある研究と考えられる。従って、申請者の本業績は学位の授与に値するものと判断される。

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