学位論文要旨



No 128362
著者(漢字) 高木,穏香
著者(英字)
著者(カナ) タカギ,シズカ
標題(和) Presenilin 1の構造活性相関解析に基づくγ-secretase活性制御法の開発
標題(洋)
報告番号 128362
報告番号 甲28362
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1457号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 准教授 紺谷,圏二
 東京大学 准教授 池谷,裕二
 東京大学 講師 千原,崇裕
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

アルツハイマー病(AD)の発症機構においては、脳内に出現する老人斑の主要構成成分であるamyloid βペプチド(Aβ)の産生と蓄積が深く関与すると考えられている。そのためAβ産生を行う酵素の1つであるγ-secretaseの活性制御は、ADの治療薬開発につながる方策として期待されている。一方γ-secretaseは、疎水性環境に存在する膜内配列を「加水分解」する新奇のアスパラギン酸プロテアーゼであり、その分子機構の詳細は明らかになっていない。さらにγ-secretaseは4種の膜蛋白質から構成される巨大な複合体であり、構造生物学的に高難度の標的分子であるため、アミノ酸レベルでの構造機能連関の研究はほとんど進んでいないのが現状である。当研究室ではSubstituted Cysteine Accessibility Method(SCAM)を用いて、γ-secretase の活性中心サブユニットであるPresenilin 1(PS1)の構造解析を進めてきた。SCAM は、膜蛋白質中の各アミノ酸をCysteine(Cys)に置換し、MTS(methanethiosulfonate)試薬との反応性の有無を検出することにより、各アミノ酸が親水性環境に存在するか否かを調べる方法である(Fig.1)。本手法によりPS1 のtransmembrane domain(TMD)6、7、9 が親水性環境に面しており、膜内に加水分解を可能とする「活性中心ポア」構造を形成することが明らかにされてきた。私は修士課程において、PS1 のN 末端に位置するTMD1 の構造と機能を明らかにすることを目的とし、SCAM による解析を遂行した。その結果、TMD1 内のいくつかのアミノ酸が活性中心ポアに面していることを見出し、加水分解時に際して基質を認識するアミノ酸残基を同定した。博士課程においては、TMD1 の構造活性相関の詳細な解析を進めるとともに、TMD1 に続く長いhydrophilic loop 1(HL1)周辺のアミノ酸についても解析を行い、それらの領域の構造生物学的情報に基づいたγ-secretase の機能制御法の開発を行った。

【方法と結果】

1. TMD1 はG78 からI100 のアミノ酸から形成され、基質結合時に細胞質側に動く

TMD1 およびHL1 を構成するK71 からV151 までのアミノ酸残基についてSCAM による解析を行った。PS1 が有する5 個のCys をSer に置換したCysless PS1 に、1 アミノ酸ずつCys を戻した置換体を作製し、PS1/PS2 ダブルノックアウトマウス由来の線維芽細胞に恒常的に発現させた。γ -secretase 活性の保持されていたCys 置換体を選択し、それらを発現するDKO 細胞をMTSEA-biotin と反応させた。その結果、Fig. 2a において黒丸で示すアミノ酸に対してMTSEA-biotin が反応し、これらの残基が親水性環境にあることが明らかとなった。次に脂質二重膜の境界に位置するアミノ酸を同定するため、それぞれの親水性環境が膜内の「閉じた親水性環境」であるか膜外の「開いた親水性環境」であるかを検出する目的で、電荷をおびたbulky な骨格を有するMTS-TEAE(Fig. 2b)をMTSEA-biotin 反応と競合させた。その結果、G78C、I100C の標識に対してMTS-TEAE は競合を示さなかったのに対し、Y77C 、I101C 、O O N H N H NH OH O O NH2 OM139Cの標識に対しては競合が生じた(Fig. 2b)。これらの結果から、TMD1はG78からI100、HL1はK101からM139のアミノ酸から形成されることが明らかになった。さらに、酵素活性発揮時の構造変化を検出するべく、触媒部位を標的する遷移状態模倣型阻害剤L-685,458、および基質結合部位に結合するヘリカルペプチド型阻害剤pep15の存在下でSCAMを施行した。特に脂質二重膜の境界に位置するG78およびI100に着目すると、各阻害剤の存在下でG78Cの標識が増加する一方、I100Cについては減少した(Fig. 2c)。これらの結果は、PS1に基質が結合した際に、TMD1が細胞質側へ動くことを示唆するものと考えた。

2. HL1の一部はα-helix構造をとり、基質結合部位の形成に重要である

HL1のアミノ酸についてSCAMによる解析を行った結果、C末端側に存在する領域(T122からS132)において、開いた親水性環境に面しているアミノ酸が3ないし4アミノ酸ごとに周期的に検出された。HL1配列に相当するペプチドのCDスペクトルを測定したところ、α-helix構造を有することが示された(Fig. 3a 実線)。このα-helix構造は二重プロリン変異L130P/L134Pの導入により消失した(Fig. 3a 点線)。そこでα-helix構造の重要性を確認するため、L130P/L134P変異型PS1の性状を解析した。その結果、この変異型PS1はγ-secretase複合体を形成するが、酵素活性を欠いていた。そこでPS1内の触媒部位および基質結合部位が形成されているか否かを、光親和性標識反応を利用して評価した。分子プローブとして、光反応性官能基であるベンゾフェノンおよび検出用ビオチン基を、触媒部位に結合する遷移状態模倣型阻害剤(31C)、基質結合部位に結合するヘリカルペプチド型阻害剤(pep11)に結合した、31C-Bpaおよびpep11-Btを用いた(Fig. 3b)。その結果、L130P/L134P変異型PS1は31Cと結合したが、pep11との結合は見られなかった(Fig. 3c)。すなわち、L130P/L134P変異型PS1では基質結合部位が正しく形成されないことが明らかとなり、HL1中のα-helix構造は基質結合部位形成に必須の役割を果たすものと考えられた

3. 抗HL1抗体はTMD1の動きを制御し、γ-secretase活性を抑制する

近年、ループ領域に対するモノクローナル抗体が膜タンパク質のX線結晶構造解析における結晶化リガンドとして頻用されている。上記の結果より、γ-secretase活性の発揮においてTMD1の動きとHL1内のα-helix構造が重要である可能性が示されたことから、抗HL1抗体を用いてこれらの領域を固定することにより、γ-secretase活性を制御しようと着想した。そこで、GST-HL1を抗原としてラットモノクローナル抗体を作出し、培養細胞系においてγ-secretase活性を低下させる抗体9D11を取得した(Fig. 4a)。エピトープマッピングの結果、9D11は、TMD1の直後のアミノ酸K101/S102(Fig. 4b)を認識することが明らかとなった。さらに9D11存在下でSCAMによる解析を行った結果、MTSEA-biotinの反応性がG78Cに対して上昇する一方、I100Cに対しては減少したことから、9D11はTMD1の細胞質側への動きを誘発することが示唆された(Fig. 4c)。これらの結果から、抗HL1抗体を用いてTMD1の動きを制御することにより、γ-secretase活性を制御可能であると考えられた

【まとめ】

本研究において、私はPS1 TMD1およびHL1の構造機能連関を明らかにし、それらの情報に基づいて抗HL1抗体による新規γ-secretase活性制御法を開発した。膜タンパク質の構造活性相関解析という観点から、脂質二重膜中で活性を保持した状態での構造情報の理解が可能であるSCAMを解析法として用い、γ-secretase活性発揮時のTMDの動的挙動および基質結合部位形成に重要な領域を同定した。さらに本研究で作出した抗体はTMD1の固定化を介してγ-secretase活性を制御していると考えられ、膜内配列切断機構におけるTMD1の動的挙動の重要性を示すものと考えた。本抗体は膜蛋白質の動きを制御することにより活性を変化させる中和抗体として、初めての報告例である。

1. Takagi S, Tominaga A, Sato C, Tomita T, Iwatsubo T. J. Neurosci., 30, 15943-15950, 20102. Watanabe N, Takagi S, Tominaga A, Tomita T, Iwatsubo T. J. Biol. Chem., 285, 19738-19746, 20103. Sato C, Takagi S, Tomita T, Iwatsubo T. J. Neurosci., 28, 6264-6271, 2008

Fig.1 SCAMによる構造解析の原理

膜外および膜内の親水性環境に存在するCysは標識される(黒丸)。一方、膜内の疎水性環境に存在するCysは標識されない(白丸)。

Fig.2 SCAMによPS1 TMD1-HL1の解析

(a)TMD1、HL1の模式図(b)MTS-TEAEの構造と競合実験の結果(抗PS1抗体で検出)(c)γ-secretase阻害剤の構造と競合実験の結果(抗PS1抗体で検出)

Fig.3 ps1 HL1の構造機能解析

(a)野生型HL1ペプチドおよびプロリン変異型HL1ペプチドのCDスペクトル(b)光親和性標識実験に使用した分子プローブ(c)光親和性標識実験の結果(抗PS1抗体で検出)

Fig.4 抗HL1抗体9D11の性状解析

(a)9D11がγ-secretaseにより産生されるAICD産生量に与える影響(b)エピトープマッピングの結果分かった9D11の認識部位(黒丸)とSCAMよる解析を行ったアミノ酸(白丸)(c)9D11存在下でのSCAMによる解析結果(抗PS1抗体で検出)

審査要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(AD)の発症機構においては、脳内に出現する老人斑の主要構成成分であるamy―oidβペプチド(Aβ)の産生と蓄積が深く関与すると考えられている。そのためAβ産生を行う酵素の1つであるY―secretaseの活性制御は、ADの治療薬開発につながる方策として期待されている。―方y-secretaseは、疎水性環境に存在する膜内配列を「加水分解」する新奇のアスパラギン酸プロテアーゼであり、その分子機構の詳細は明らかになっていない。さらにy-secretaseは4種の膜蛋白質から構成される巨大な複合体であり、構造生物学的に高難度の標的分子であるため、アミノ酸レベルでの構造機能連関の研究はほとんど進んでいないのが現状である。このためSubstituted Cysteine Accessibility Method(SCAM)を用いて、γ-secretaseの活性中心サブユニットであるPresenilin1(PS1)の構造解析が進められてきた。SCAMは、膜蛋白質中の各アミノ酸をCysteine(Cys)に置換し、MTS(mefhanethiosulfonate)試薬との反応性の有無を検出することにより、各アミノ酸が親水性環境に存在するか否かを調べる方法であるe本手法によりPS1のtransmembrane domain(TMD)6、7、9が親水性環境に面しており、膜内に加水分解を可能とする「活性中心ポア」構造を形成することが明らかにされてきた。申請者はこれまでに、PS1のN末端に位置するTMD1の構造と機能を明らかにすることを目的とし、SCAMによる解析を遂行した。その結果、TMD1内のいくつかのアミノ酸が活性中心ボアに面していることを見出し、加水分解時に際して基質を認識するアミノ酸残基を同定した。申請者は本研究において、TMDIの構造活性相関の詳細な解析を進めるとともに、TMD1に続く長いhydrophilic loop1(HL1)周辺のアミノ酸についても解析を行い、それらの領域の構造生物学的情報に基づいたγ-secretaseの機能制御法の開発を行った。

1.TMDIはG78から110Oのアミノ酸から形成され、基質結合時に細胞質側に動く

TMD1およびHL1を構成するK71からV151までのアミノ酸残基についてSCAMによる解析を行った。PS1が有する5個のCysをSerに置換したCysless PS1に、1アミノ酸ずつCysを戻した置換体を作製し、PS1/PS2ダブルノックアウトマウス由来の線維芽細胞に恒常的に発現させた。γ-secretase活性の保持されていたCys置換体を選択し、それらを発現するDKO細胞をMTSEA-biotinと反応させた。その結果、いくつかのアミノ酸残基に対してMTSEA-biotinが反応し、これらの残基が親水性環境にあることが明らかとなった。次に脂質二重膜の境界に位置するアミノ酸を同定するため、それぞれの親水性環境が膜内の「閉じた親水性環境」であるか膜外の「開いた親水性環境」であるかを検出する目的で、電荷をおびたbuikyな骨格を有する

MTS-TEAEをMTSEA-biotin反応と競合させた。その結果、G78C、l100Cの標識に対して

MTS-TEAEは競合を示さなかったのに対し、Y77C、l101C、M139Cの標識に対しては競合が生じた。これらの結果から、TMD1はG78からl100、HL1はK101からM139のアミノ酸から形成されることが明らかになった。さらに、酵素活性発揮時の構造変化を検出するべく、触媒部位を標的する遷移状態模倣型阻害剤L-685,458、および基質結合部位に結合するヘリカルペプチド型阻害剤pep15の存在下でSCAMを施行した。特に脂質二重膜の境界に位置するG78およびl100に着目すると、各阻害剤の存在下でG78Cの標識が増加する一方、l100Cについては減少した。これらの結果は、PS1に基質が結合した際に、TMD1が細胞質側へ動くことを示唆するものと考えられた。

2.HL1の一部はα-helix構造をとり、基質結合部位の形成に重要である

HL1のアミノ酸についてSCAMによる解析を行った結果、C末端側に存在する領域(T122からS132)において、開いた親水性環境に面しているアミノ酸が3ないし4アミノ酸ごとに周期的に検出された。HL1配列に相当するペプチドのCDスペクトルを測定したところ、α-helix構造を有することが示された。このα-helix構造は二重プロリン変異Ll30P/Ll34Pの導入により消失した。そこでα-helix構造の重要性を確認するため、L130P/L134P変異型PS1の性状を解析した。その結果、この変異型PS1はγ-secretase複合体を形成するが、酵素活性を欠いていた。そこでPS1内の触媒部位および基質結合部位が形成されているか否かを、光親和性標識反応を利用して評価した。分子プローブとして、光反応性官能基であるベンゾフェノンおよび検出用ビオチン基を、触媒部位に結合する遷移状態模倣型阻害剤(31C)、基質結合部位に結合するヘリカルペプチド型阻害剤(pep11)に結合した、31C-Bpaおよびpepll-Btを用いた。その結果、L130P/L134P変異型PS1は31Cと結合したが、pep11との結合は見られなかった。すなわち、L130P/L134P変異型PS1では基質結合部位が正しく形成されないことが明らかとなり、HLI中のa-helix構造は基質結合部位形成に必須の役割を果たすものと考えられた。

3.抗HL1抗体はTMD1の動きを制御し、γ-secretase活性を抑制する

近年、ループ領域に対するモノクローナル抗体が膜タンパク質のX線結晶構造解析における結晶化リガンドとして頻用されている。上記の結果より、Y-secretase活性の発揮においてTMD1の動きとHL1内のα-helix構造が重要である可能性が示されたことから、抗HL1抗体を用いてこれらの領域を固定することにより、Y-secretase活性を制御しようと申請者は着想した。そこで、

GST-HL1を抗原としてラットモノクローナル抗体を作出し、培養細胞系においてγ-secretase活性を低下させる抗体9D11を取得した。エピトープマッピングの結果、9D11は、TMD1の直後のアミノ酸K101/S102を認識することが明らかとなった。さらに9D11存在下でSCAMによる解析を行った結果、MTSEA-biotinの反応性がG78Cに対して上昇する一方、l100Cに対しては減少したことから、9D11はTMD1の細胞質側への動きを誘発することが示唆された。これらの結果から、抗HL1抗体を用いてTMD1の動きを制御することにより、γ-secretase活性を制御可能であると考えられた。

以上のごとく申請者は、PSITMDIおよびHL1の構造機能連関を明らかにし、それらの情報に基づいて抗HL1抗体による新規γ-secretase活性制御法を開発した。膜タンパク質の構造活性相関解析という観点から、脂質二重膜中で活性を保持した状態での構造情報の理解が可能であるSCAMを解析法として用い、γ-secretase活性発揮時の丁MDの動的挙動および基質結合部位形成に重要な領域を同定した。さらに本研究で作出した抗体はTMD1の固定化を介して

γ-secretase活性を制御していると考えられ、膜内配列切断機構におけるTMD1の動的挙動の重要性を示すものと考察された。以上のごとく、本研究はγ-secretaseによる膜内タンパク質切断機構に構造面から新知見をもたらすものであり、博士(薬学)の学位に相応しいものと判定した。

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