学位論文要旨



No 128364
著者(漢字) 中原,聡一郎
著者(英字)
著者(カナ) ナカハラ,ソウイチロウ
標題(和) てんかん原性獲得におけるcAMPの役割
標題(洋)
報告番号 128364
報告番号 甲28364
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1459号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 准教授 紺谷,圏二
 東京大学 准教授 武田,弘資
内容要旨 要旨を表示する

研究背景

てんかんは神経細胞群の過剰な同期発射を要因とする慢性の脳疾患である。てんかんのうち内側側頭葉てんかんの患者では、乳幼児~小児期に何らかの外部刺激(脳損傷、発熱、感染等)誘発性のけいれんを経験していることが少なくない。また、この時期は神経回路形成に重要な時期であり、けいれんの要因となる過剰な神経活動が、正常な神経回路形成に影響を与え、その結果として形成される異所性神経回路がてんかん原性領域となる可能性がある。そこで、本研究では、乳幼児期のけいれんが神経回路形成に与える細胞生物学的メカニズムの解明を目的とした研究をおこなった。

異所性神経回路の典型例として、内側側頭葉てんかん患者の海馬歯状回における苔状線維の異常発芽の形成が挙げられる。これは、顆粒細胞の軸索である苔状線維が歯状回門で過剰な側枝を形成し、顆粒細胞間にシナプスを形成する現象である。なお、異常発芽した苔状線維は海馬歯状回において顆粒細胞の同期発射を誘発する。本研究では、顆粒細胞の過剰な側枝形成における細胞内サイクリックAMP(cAMP)量の変動の関与を検証した。これは、cAMPが様々な神経細胞において形態調節をおこなうこと、そして、てんかんモデル動物の海馬においてcAMP量の上昇が確認されているためである

[方法と結果]

てんかん原性獲得過程におけるcAMPの上昇

まず、乳幼児期のてんかん原性獲得過程を研究するラットモデルを作成した。具体的には、GABAa受容体阻害薬であるPTZ(30 mg/kg)を1日1回、哺乳6日齢(P6)からP30まで処置した。投与後、全てのラットにけいれん発作が誘導され、日数の経過に伴い、発作頻度は増大した(図2)。また、P45の時点で反復性の自発発作が確認された。次に、この発作の増悪化の過程において、顆粒細胞の形態をゴルジ染色により検証した。P10の時点では、コントロールと比べ、PTZ処置群では、顆粒細胞の形態に差異は観察されなかった。しかし、P16およびP30ではPTZ処置群において、苔状線維が多くの側枝を伸長させていた(図1)。また、各日齢のモデル動物の歯状回において、cAMPレベルを免疫組織化学染色により検証したところ、PTZ処置群では、顆粒細胞層のcAMP量の有意な上昇がP10より認められ、P16およびP30においても上昇は持続していた(図2)。以上より、PTZ処置群において、顆粒細胞におけるcAMP量の上昇が異常発芽の形成に先行し、その後発作頻度を上昇させることが示唆される

顆粒細胞の形態形成におけるcAMP

次に、海馬切片培養系を利用して、異常発芽形成におけるcAMPの役割を詳細に検証した。培養切片中の顆粒細胞を可視化するため、電気穿孔法を用いて、細胞膜移行性を有するmemGFPを顆粒細胞に強制発現させた。P6ラット由来の培養切片の培養初日から薬物を処置し、培養5日目にmemGFPを導入し、培養9日目に形態を解析した。Sp-cAMPs(cAMPアナログ)を処置すると苔状線維長が増大し、異常発芽が形成された。また、ピクロトキシン(GABAa受容体阻害薬)処置により、てんかん様状態を誘導することで誘導された異常発芽はRp-cAMPs(cAMP不活性化アナログ)の共処置により部分的に抑制された(図3)。

次に、単一顆粒細胞内のcAMP量を時間制御し、異常発芽形成への寄与を検証するため、photoactivated adenylyl cyclase (PAC:光活性化アデニル酸シクラーゼ)ベクターを顆粒細胞に電気穿孔法を用いて導入した。PACはミドリムシの鞭毛に局在するタンパク質であり、470 nmの励起光により活性化され、cAMPを産生する(図4)。同ベクターを培養5日目に導入し、その2日後に470 nmの光を20μmol/s/m2の強度で1日間、切片に照射した。すると。さらにその2日後、非照射群に比べて軸索形成の促進が確認された。また、光強度を2000μmol/s/m2にした場合、30秒といった短期照射でも、軸索形成が促進した(図5)。

次に、30秒、2000μmol/s/m2の光照射によるPACの活性度をcAMP上昇の持続時間として、ELISAにより検証した。HEK293細胞にPACを導入し、その2日後に光を照射し、任意の時間におけるELISAをおこなった。すると、20μmol/s/m2または2000μmol/s/m2の強さの光を30秒照射した場合、照射直後に、cAMP量が最も上昇し、時間経過と共に減衰した(図5)。これより、2000μmol/s/m2の強さの光で誘導されるcAMP量は、それが一過的な上昇でも十分に形態形成を誘導することが明らかとなった

cAMP依存的な異常発芽形成におけるミトコンドリアの関与

cAMPが異常発芽形成を誘導していることが明らかとなったので、次にそのメカニズムを追究した。そこで、ミトコンドリアに着目した。これは、神経細胞の形態形成にはミトコンドリアの産生するATPが重要な役割を果たすことと、これまでに我々が異常発芽の形成にミトコンドリアの軸索局在が関与することを発見しているためである。そこで、ミトコンドリアの局在を経時観察するために、memGFPとミトコンドリア移行性を有するmitoDsRedを培養切片顆粒細胞に共発現させた。まず、培養7日目に苔状線維内のミトコンドリアの局在を観察し、直後にSp-cAMPsを処置し、その24時間後に同じ軸索部位を再度観察し、ミトコンドリア密度の変化量を検証した。すると、Sp-cAMPsの処置により軸索内のミトコンドリアの密度上昇が観察された。また、この様なミトコンドリアの密度上昇と苔状線維形態の関連を詳細に培養7日目から9日目にかけて経時的に観察したところ、まず、苔状線維内のミトコンドリア密度が増加し、その後、局在化し、局在部位より側枝が形成され、最終的に異常発芽が形成された。本結果により苔状線維の形態形成においてcAMPによるミトコンドリアの局在亢進が関与することが示唆された。

【総括】

本研究により、幼児期のてんかん原性過程において、異常発芽の形成は、以下のような過程を経ることが明らかになった。即ち、(1)顆粒細胞の過剰興奮に伴うCa2+流入→(2)顆粒細胞でのcAMP上昇→(3)軸索内でのミトコンドリア密度の上昇→(4)新たな側枝の形成→(5)異常発芽の形成、である。以上の結果は、てんかん原性獲得過程における、一過的なcAMP上昇の重要性を初めて明らかにするものである

図1.てんかんモデル歯状回の顆粒細胞形態

(A)各日齢におけるコントロール、けいれんモデル動物(PTZ処置群)の顆粒細胞形態トレース像。

(B)苔状線維形態(歯状回門での長さ)に関する定量化グラフ。*p<0.05,**p<0.01 vs control.

図2.歯状回のcAMP量および発作推移

(A)各日齢におけるコントロール、けいれんモデル動物の顆粒細胞層におけるcAMPの免疫染色像。

(B)cAMPの蛍光強度に関するグラフ。

*p<0.05,**p<0.01 vs control.

(C)PTZ処置による発作の程度の進行具合。PTZを投与し、その後1時間での発作程度を測定した。P19以降、発作症状が悪化していた。

図3.cAMPシグナルが軸索形態に与える影響

(A)各薬物存在下で培養した顆粒細胞像。Sp-cAMPsの処置により、苔状線維は多くの枝分かれを形成していた。

Sp-cAMPs(100pM):cAMPアナログ

Picrotoxin(50pM):GABAa受容体阻害薬

Rp-cAMP(100μM):cAMP不活性化アナログ

8-CPT-cGMP(100pM):cGMPアナログ

*p<0.05,**p<0.01 vs control.

#p<0.05 vs PlC.

(B)苔状線維長に関する定量化グラフ。

図4.PACの活性化が軸索形態に与える影響

(A)PACはミドリムシの鞭毛基部に局在し、光回避反応を担う。

(B)PACの構造。FAD発色団が光を受容すると、AC(C1,C2)の触媒ドメインが活性化してcAMPを生成する。

(C)RFP-2a-PACベクターの構造。

(D)PACベクターを培養切片顆粒細胞に導入し、その2日後にPAC抗体によりPACの発現を確認した。

図5.苔状線維形態へのPACにより生成されたcAMPの関与

(A)培養海馬切片顆粒細胞にmemGFPおよびPACを導入し、その2日後に各強度(20,2000μmol/m2/s)・時間(30秒(s),1日(d))の青色光(470nm)を照射し、その2日後に形態を観察した。

(B)光強度が高く、照射時間が長いほど軸索形成が促進する。*p<0.05,…p<0.001 vs 0s

(C)HEK細胞にPACを導入し、各強度の光照射後のcAMP量をELlSAにより測定した。光照射直後が最もcAMP「量が高く、時間経過に従い減衰する。

審査要旨 要旨を表示する

てんかんは神経細胞群の過剰な同期発射を要因とする慢性の脳疾患である。てんかんのうち内側側頭葉てんかんの患者では、乳幼児~小児期に何らかの外部刺激(脳損傷、発熱、感染等)誘発性のけいれんを経験していることが少なくない。また、この時期は神経回路形成に重要な時期であり、けいれんの要因となる過剰な神経活動が、正常な神経回路形成に影響を与え、その結果として形成される異所性神経回路がてんかん原性領域となる可能性がある。そこで、本研究では、乳幼児期のけいれんが神経回路形成に与える細胞生物学的メカニズムの解明を目的とした研究をおこなった。

異所性神経回路の典型例として、内側側頭葉てんかん患者の海馬歯状回における苔状線維の異常発芽の形成が挙げられる。これは、顆粒細胞の軸索である苔状線維が歯状回門で過剰な側枝を形成し、顆粒細胞間にシナプスを形成する現象である。なお、異常発芽した苔状線維は海馬歯状回において顆粒細胞の同期発射を誘発する。本研究では、顆粒細胞の過剰な側枝形成における細胞内サイクリックAMP(cAMP)量の変動の関与を検証した。これは、cAMPが様々な神経細胞において形態調節をおこなうこと、そして、てんかんモデル動物の海馬においてcAMP量の上昇が確認されているためである。

1.てんかん原性獲得過程におけるcAMPの上昇

乳幼児期のてんかん原性獲得過程を研究するラットモデルを作成した。具体的には、GABAa受容体阻害葉であるPTzを1日1回、哺乳6日齢(P6)からP30まで処置した。投与後、全てのラットにけいれん発作が誘導され、日数の経過に伴い、発作頻度は増大した。また、P45の時点で反復性の自発発作が確認された。次に、この発作の増悪化の過程において、顆粒細胞の形態をゴルジ染色により検証した。P10の時点では、コントロールと比べ、PTZ処置群では、顆粒細胞の形態に差異は観察されなかった。しかし、Pl6およびP30ではPTZ処置群において、苔状線維が多くの側枝を伸長させていた。また、各日齢のモデル動物の歯状回において、cAMPレベルを免疫組織化学染色により検証したところ、PTZ処置群では、顆粒細胞層のcAMP量の有意な上昇がP10より認められ、P16およびP30においても上昇は持続していた。以上より、PTZ処置群において、顆粒細胞におけるcAMP量の上昇が異常発芽の形成に先行し、その後発作頻度を上昇させることが示唆される。

2.顆粒細胞の形態形成におけるcAMPの役割

海馬切片培養系を利用して、異常発芽形成におけるcAMPの役割を詳細に検証した。培養切片中の顆粒細胞を可視化するため、電気穿孔法を用いて、細胞膜移行性を有するmemGFPを顆粒細胞に強制発現させた。P6ラット由来の培養切片の培養初日から薬物を処置し、培養5日目にmemGFPを導入し、培養9日目に形態を解析した。Sp-cAMPs(cAMPアナログ)を処置すると苔状線維長が増大し、異常発芽が形成された。また、ピクロトキシン(GABAa受容体阻害薬)処置により、てんかん様状態を誘導「することで誘導された異常発芽はRp-cAMPs(cAMP不活性化アナログ)の共処置により部分的に抑制された。

単一顆粒細胞内のcAMP量を時間制御し、異常発芽形成への寄与を検証するため、photoactivated adenylyl cyclase(PAC:光活性化アデニル酸シクラーゼ)ベクターを顆粒細胞に電気穿孔法を用いて導入した。PACはミドリムシの鞭毛に局在するタンパク質であり、470nmの励起光により活性化され、cAMPを産生する。同ベクターを培養5日目に導入し、その2日後に470nmの光を20・mol/s/m2の強度で1日間、切片に照射した。するとさらにその2日後、非照射群に比べて軸索形成の促進が確認された。また、光強度を2000μmol/s/m2にした場合、30秒といった短期照射でも、軸索形成が促進した。

30秒、2000μmol/s/m2の光照射によるPACの活性度をcAMP上昇の持続時間として、ELISAにより検証した。HEK293細胞にPACを導入し、その2日後に光を照射し、任意の時間におけるELISAをおこなった。すると、20μmol/s/m2または2000・mol/s/m2の強さの光を30秒照射した場合、照射直後に、cAMP量が最も上昇し、時間経過と共に減衰した。これより、2000μmol/s/m2の強さの光で誘導されるcAMP量は、それが一過的な上昇でも十分に形態形成を誘導することが明らかとなった。

3.cAMP依存的な異常発芽形成におけるミトコンドリアの関与

cAMPが異常発芽形成を誘導していることが明らかとなったので、次にそのメカニズムを追究した。そこで、ミトコンドリアに着目した。これは、神経細胞の形態形成にはミトコンドリアの産生するATPが重要な役割を果たすことと、これまでに我々が異常発芽の形成にミトコンドリアの軸索局在が関与することを発見しているためである。そこで、ミトコンドリアの局在を経時観察するために、memGFPとミトコンドリア移行性を有するmit。DsRedを培養切片顆粒細胞に共発現させた。まず、培養7日目に苔状線維内のミトコシドリアの局在を観察し、直後にSp-cAMPsを処置し、その24時間後に同じ軸索部位を再度観察し、ミトコンドリア密度の変化量を検証した。すると、Sp-cAMPsの処置により軸索内のミトコンドリアの密度上昇が観察された。また、この様なミトコンドリアの密度上昇と苔状線維形態の関連を詳細に培養7日目から9日目にかけて経時的に観察したところ、まず、苔状線維内のミトコンドリア密度が増加し、その後、局在化し、局在部位より側枝が形成され、最終的に異常発芽が形成された。本結果により苔状線維の形態形成においてcAMPによるミトコンドリアの局在亢進が関与することが示唆された。

本研究により、幼児期のてんかん原性過程において、異常発芽の形成は、以下のような過程を経ることが明らかになった。即ち、(1)顆粒細胞でのcAMP上昇→(2)軸索内でのミトコンドリア密度の上昇→(3)新たな側枝の形成→(4)異常発芽の形成、である。以上の結果は、てんかん原性獲得過程における、一過的なcAMP上昇の重要性を初めて明らかにするものであり、博士(薬学)の授与に値すると判断した。

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