学位論文要旨



No 128369
著者(漢字) 小幡,史明
著者(英字)
著者(カナ) オバタ,フミアキ
標題(和) ショウジョウバエカスパーゼ活性化変異体のメタボローム解析
標題(洋)
報告番号 128369
報告番号 甲28369
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1464号
研究科 薬学系研究科
専攻 統合薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 准教授 垣内,力
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

個体の恒常性を維持する上で代謝ホメオスタシスを保つ事は不可欠である。生命は複雑に織り交ぜられた代謝経路を常に健全な状態に保っており、その破綻は糖尿病やがんなどの重篤な疾患と密接に関わっている。一方でアポトーシスは、発生過程での形態形成はもちろん、各組織における細胞数の制御や傷害をうけた細胞の除去により積極的に個体の恒常性維持に関わっており、そのシグナル経路は厳密かつ多重に制御されている。近年、アポトーシスシグナルと細胞内代謝の間には、タンパク質の翻訳後修飾を介した重要なクロストークがあることが報告されている。例えば、caspase-2 は、細胞内NADPH やATP レベルの変化に応答してリン酸化され、活性化を阻害され、またBcl-xl はアセチルCoA レベルを低下させてカスパーゼやBax のアセチル化を制御することが報告されている。細胞の生死を司るアポトーシス経路が、細胞の活動である代謝調節系と密接にリンクしていることは想像に難くないが、その複雑さと解析の困難さから、分子レベルのメカニズムに迫る研究が進んでいないのが現状である。

ショウジョウバエのアポトーシス経路はほ乳類との間で保存されており、ほ乳類Apaf-1 のオーソログであるdapaf-1/dark/Hac-1 がapoptosome と呼ばれるタンパク質複合体を形成することでイニシエーターカスパーゼであるdronc を活性化し、dronc がdrice、dcp-1 などの細胞死実行カスパーゼを活性化することでアポトーシスが誘導される。これまでの研究においてdapaf-1 は発生過程およびストレス誘導性のいずれのアポトーシスにも不可欠であることが明らかになっており、その変異体ではカスパーゼ活性化およびアポトーシスが減弱していることが報告されている。本論文ではCE-MS による包括的なメタボローム解析とハイスループットなLC-MS/MS 分析にショウジョウバエの遺伝学を組み合わせて、アポトーシス経路の不全によってどのような代謝異常が生じるかを個体レベルで解析することで、アポトーシス経路と個体代謝応答を結ぶ分子メカニズムの解明を目的とした。dapaf-1 変異体においてみられるサルコシン/SAM 代謝、エネルギー代謝異常がみいだされる理由やその生理的意義について議論したい。

【方法と結果】

カスパーゼ活性化因子dapaf-1 変異体ではサルコシンレベルが高い

ショウジョウバエカスパーゼ活性化因子dapaf-1/dark/Hac-1 はアポトーシスに必須の因子であり、dapaf-1k1 変異体では生体内のカスパーゼ活性が低下し、アポトーシス細胞が著しく減少している。慶応大学曽我朋義教授との共同研究により、CE-MSを用いて体液中に含まれる代謝産物のメタボローム解析をおこなった(図1)。その結果、変異体におけるサルコシンレベルが野生型の4 倍であることが明らかとなった。この結果は、超高速液体クロマトグラフィー- タンデム四重極質量分析計(UPLC-MS/MS)による、体内サルコシン量の定量によって確認された。また別の機能欠損変異体であるdapaf-1cd4 やいくつかトランスへテロ変異体においても同様の表現型がみられたことから、サルコシンの過剰な上昇はdapaf-1 遺伝子の機能欠損により生じることが確認された。

dapaf-1 変異体ではgnmt の発現が亢進し、SAMレベルが低下している

哺乳類においてサルコシンは、グリシンN メチルトランスフェラーゼ(GNMT)によって、グリシンから合成され、サルコシンデヒドロゲナーゼ(SARDH)によってグリシンへと分解される。これらの代謝酵素は肝臓において強く発現しており、ショウジョウバエにおいてはGNMT とSARDH のそれぞれのオーソログが、主に肝臓に相当する器官である脂肪体に発現している。dapaf-1 変異体におけるサルコシン代謝変動を明らかにするため、定量的RT-PCR およびウエスタンブロッティングによってgnmt、sardh の発現量を確認したところ、gnmt の発現が亢進していることが明らかとなった(図2)。GNMT はほ乳類において、S-アデノシルメチオニン(SAM)を消費してグリシンからサルコシンを合成する酵素である。SAM はほとんどのメチルトランスフェラーゼが触媒するメチル化反応におけるメチル基供与体となっている極めて重要な代謝産物である。gnmt が過剰に発現しているdapaf-1 変異体では、SAM 量が有意に低下していた(図2)。SAM の前駆体であるメチオニン量、またメチオニンからSAM を合成する遺伝子sams の発現が野生型とdapaf-1 変異体で等しいことから、gnmt がSAM 低下の直接の原因であることが確認された。

gnmt、sardh の遺伝学的操作により酸化ストレス感受性が変化する

全身(da-gal4)あるいは脂肪体に発現するドライバー(r4-gal4) をもちいたgnmt 、sardh の遺伝子操作(GAL4/UAS システム)から、この2 つの代謝酵素が実際に脂肪体で体内サルコシン代謝を調節していることが明らかとなった(図3)。このときgnmt の過剰発現でSAM 量の低下、ノックダウンでSAM 量の上昇がおこることから、gnmt は生体内で実際にSAM を消費してその量を制御していることが確認された(図3)。

次にdapaf-1 変異体にみられる代謝異常が生体にとってどのような影響を及ぼすのかを調べる目的で、dapaf-1 変異体を酸化ストレス、飢餓ストレス条件下におき、その感受性を検討した。ホモ接合体およびトランスへテロ接合体のいずれにおいてもdapaf-1 変異体では生存率の低下が見られた(図4)。そこでサルコシン、SAM 代謝が飢餓ストレス、酸化ストレス応答にあたえる影響を検討するため、gnmt、sardh の過剰発現、ノックダウン系統のストレス感受性について検討した。その結果、gnmt の過剰発現系統、あるいはsardh のRNAi 系統では酸化ストレスに対する有意な感受性の増加が観察され、体内サルコシン量に依存して酸化ストレスに対する感受性が変化することが示唆された(図4)。一方、飢餓ストレスにたいしての感受性の変化は認められなかった。

dapaf-1 変異体ではTAG 代謝異常が見られる

dapaf-1 変異体の飢餓ストレス脆弱性の原因を明らかにするため、ショウジョウバエインシュリン/IGF シグナル伝達経路(IIS)に着目した。dapaf-1 変異体幼虫の脂肪体組織を抗dFoxO 抗体で染色してその局在を見てみると、野生型にくらべて飢餓時の核移行が促進している様子が観察された。dapaf-1 変異体成虫でも飢餓ストレス24 時間後のdAkt、dFoxO のリン酸化が減弱しており、Thor の転写量がdapaf-1 変異体のみで顕著に上昇していることから、dapaf-1 変異体ではdFoxO が過剰に活性化されていることが明らかとなった(図5)。また、dFoxO の活性化にともなって、トリアシルグリセロール(TAG)を急激に消費していた(図5)。このことから、dapaf-1変異体では飢餓ストレス時のエネルギー消費が亢進しており、それによって貯蔵しているTAGを短時間に使い切っていることが明らかとなった。

【まとめと考察】

近年目覚ましい発達をとげるメタボローム解析は、特定の代謝産物に不偏な代謝異常の発見を可能とする強力な手法である。我々は細胞死と密接に関連する代謝産物を同定するため、細胞死に必要なカスパーゼ活性化因子dapaf-1 の変異体にみられる全身性代謝異常に着目した。本研究において、ショウジョウバエカスパーゼ活性化因子、dapaf-1 変異体のメタボローム解析から、その体内にはサルコシンが過剰に産生されていることが明らかになった。高サルコシン表現型はgnmtの発現亢進に起因していた。gnmt は脂肪体に多く発現がみられ、SAM を消費してその量を制御しているため、dapaf-1 変異体ではgnmt の発現上昇にともなってSAM 量が低下している。SAMはほぼ全ての細胞内メチル化に必須の代謝産物であるため、dapaf-1 変異体におけるSAM 量の低下は興味深い表現型である。dapaf-1 変異体にみられた酸化ストレス脆弱性はgnmt の過剰発現系統でもみられ、サルコシンの上昇、SAM の低下が生体防御に寄与することが示唆された。

dapaf-1 変異体は飢餓ストレスに対しても脆弱であることが示された。dapaf-1 変異体においては飢餓ストレス時にdFoxO が過剰に活性化し、体内のTAG を短時間に消費していた。また、gnmtの過剰発現では飢餓ストレス脆弱性はみられなかったが、飢餓時にはサルコシンの上昇、SAM の低下がみられたため、サルコシン/SAM 代謝とエネルギー代謝との間に何らかの関連がある可能性が示唆された。サルコシン代謝、エネルギー代謝異常はある種のがんでも観察される。多くのがんではアポトーシス不全がみられているため、dapaf-1 変異体で何故このような代謝異常が生じるかは興味深い。サルコシン/SAM 代謝の調節機構と機能のさらなる解明が期待される。

図1、dapaf-1 変異体におけるメタボローム解析 k1、N5 はdapaf-1 のloss of function変異体である

図2、gnmt の発現と体内SAM 量。cd4、82 はdapaf-1の機能欠損型の変異体dapaf-1 変異体ではgnmt の発現があがりSAM が低下する。

図3、脂肪体で発現するドライバー(r4-gal4)での遺伝学的操作によるサルコシン量への影響

図4、dapaf-1 変異体(左)とサルコシン操作系統(右)のストレス応答

図5、dapaf-1cd4 変異体の飢餓時のthor/4E-BPの発現量およびTAG 量

審査要旨 要旨を表示する

個体の恒常性を維持する上で代謝ホメオスタシスを保つ事は不可欠である。生命は複雑に織り交ぜられた代謝経路を常に健全な状態に保っており、その破綻は糖尿病やがんなどの重篤な疾患と密接に関わっている。一方でアポトーシスは、発生過程での形態形成はもちろん、各組織における細胞数の制御や傷害をうけた細胞の除去により積極的に個体の恒常性維持に関わっており、そのシグナル経路は厳密かつ多重に制御されている。近年、アポトーシスシグナルと細胞内代謝の間には、タンパク質の翻訳後修飾を介した重要なクロストークがあることが報告されている。例えば、caspase-2は、細胞内NADPHやATPレベルの変化に応答してリン酸化され、活性化を阻害され、またBcl-xlはアセチルCoAレベルを低下させてカスパーゼやBaxのアセチル化を制御することが報告されている。細胞の生死を司るアポトーシス経路が、細胞の活動である代謝調節系と密接にリンクしていることは想像に難くないが、その複雑さと解析の困難さから、分子レベルのメカニズムに迫る研究が進んでいないのが現状である。

ショウジョウバエのアポトーシス経路はほ乳類との間で保存されており、ほ乳類Apaf-1のオーソログであるdapaf-1/dark/Hac-1がapoptosomeと呼ばれるタンパク質複合体を形成することでイニシエーターカスパーゼであるdroncを活性化し、droncがdrice、dcp-1などの細胞死実行カスパーゼを活性化することでアポトーシスが誘導される。これまでの研究においてdapaf-1は発生過程およびストレス誘導性のいずれのアポトーシスにも不可欠であることが明らかになっており、その変異体ではカスパーゼ活性化およびアポトーシスが減弱していることが報告されている。本研究はアポトーシス経路の不全によってどのような代謝異常が生じるかを個体レベルで解析することにより、アポトーシス経路と個体代謝応答を結ぶ分子メカニズムの解明を目的としておこなわれた。

ショウジョウバエカスパーゼ活性化因子dapaf-1/darkはアポトーシスに必須の因子であり、dapaf-1k1変異体では生体内のカスパーゼ活性が低下し、アポトーシス細胞が著しく減少している。慶応大学曽我朋義教授との共同研究により、キャピラリ電気泳動-飛行時間型質量分析計(CE-MS)を用いて体液中に含まれる代謝産物のメタボローム解析をおこなった。その結果、変異体におけるサルコシンレベルが野生型の4倍であることが明らかとなった。この結果は、超高速液体クロマトグラフィー-タンデム四重極質量分析計(UPLC-MS/MS)による、体内サルコシン量の定量によって確認された。また別の機能欠損変異体であるdapaf-1cd4やいくつかトランスへテロ変異体においても同様の表現型がみられたことから、サルコシンの過剰な上昇はdapaf-1遺伝子の機能欠損により生じることが確認された。

哺乳類においてサルコシンは、グリシンNメチルトランスフェラーゼ(GNMT)によって、グリシンから合成され、サルコシンデヒドロゲナーゼ(SARDH)によってグリシンへと分解される。これらの代謝酵素は肝臓において強く発現しており、ショウジョウバエにおいてはGNMTとSARDHのそれぞれのオーソログが、主に肝臓に相当する器官である脂肪体に発現している。dapaf-1変異体におけるサルコシン代謝変動を明らかにするため、定量的RT-PCRおよびウエスタンブロッティングによってgnmt、sardhの発現量を確認したところ、gnmtの発現が亢進していることが明らかとなった。GNMTはほ乳類において、S-アデノシルメチオニン(SAM)を消費してグリシンからサルコシンを合成する酵素である。SAMはほとんどのメチルトランスフェラーゼが触媒するメチル化反応におけるメチル基供与体となっている極めて重要な代謝産物である。gnmtが過剰に発現しているdapaf-1変異体では、SAM量が有意に低下していた。SAMの前駆体であるメチオニン量、またメチオニンからSAMを合成する遺伝子samsの発現が野生型とdapaf-1変異体で等しいことから、gnmtがSAM低下の直接の原因であることが確認された。

全身(da-gal4)あるいは脂肪体に発現するドライバー(r4-gal4)をもちいたgnmt、sardhの遺伝子操作(GAL4/UASシステム)から、この2つの代謝酵素が実際に脂肪体で体内サルコシン代謝を調節していることが明らかとなった。このときgnmtの過剰発現でSAM量の低下、ノックダウンでSAM量の上昇がおこることから、gnmtは生体内で実際にSAMを消費してその量を制御していることが確認された。

次にdapaf-1変異体にみられる代謝異常が生体にとってどのような影響を及ぼすのかを調べる目的で、dapaf-1変異体を酸化ストレス、飢餓ストレス条件下におき、その感受性を検討した。ホモ接合体およびトランスへテロ接合体のいずれにおいてもdapaf-1変異体では生存率の低下が見られた。そこでサルコシン、SAM代謝が飢餓ストレス、酸化ストレス応答にあたえる影響を検討するため、gnmt、sardhの過剰発現、ノックダウン系統のストレス感受性について検討した。その結果、gnmtの過剰発現系統、あるいはsardhのRNAi系統では酸化ストレスに対する有意な感受性の増加が観察され、体内サルコシン量に依存して酸化ストレスに対する感受性が変化することが示唆された。一方、飢餓ストレスにたいしての感受性の変化は認められなかった。

dapaf-1変異体の飢餓ストレス脆弱性の原因を明らかにするため、ショウジョウバエインシュリン/IGFシグナル伝達経路(IIS)に着目した。dapaf-1変異体幼虫の脂肪体組織を抗dFoxO抗体で染色してその局在を見てみると、野生型にくらべて飢餓時の核移行が促進している様子が観察された。dapaf-1変異体成虫においても飢餓ストレス24時間後のdAkt、dFoxOのリン酸化が減弱しておりThor/4E-BPの転写量がdapaf-1変異体のみで顕著に上昇していることから、dapaf-1変異体ではdFoxOが過剰に活性化されていることが明らかとなった。また、dFoxOの活性化にともなって、トリアシルグリセロール(TAG)を急激に消費していた。このことから、dapaf-1変異体では飢餓ストレス時のエネルギー消費が亢進しており、それによって貯蔵しているTAGを短時間に使い切っていることが明らかとなった。

近年目覚ましい発達をとげるメタボローム解析は、特定の代謝産物に不偏な代謝異常の発見を可能とする強力な手法である。本研究では細胞死と密接に関連する代謝産物を同定するため、細胞死に必要なカスパーゼ活性化因子dapaf-1の変異体にみられる全身性代謝異常に着目し、メタボローム解析をおこなった。その結果、dapaf-1変異体の体内にはサルコシンが過剰に産生されていることが明らかになった。高サルコシン表現型はgnmtの発現亢進に起因していた。gnmtは脂肪体に多く発現がみられ、SAMを消費してその量を制御しているため、dapaf-1変異体ではgnmtの発現上昇にともなってSAM量が低下している。SAMはほぼ全ての細胞内メチル化に必須の代謝産物であるため、dapaf-1変異体におけるSAM量の低下は興味深い表現型である。dapaf-1変異体にみられた酸化ストレス脆弱性はgnmtの過剰発現系統でもみられ、サルコシンの上昇、SAMの低下が生体防御に寄与することが示唆された。

dapaf-1変異体は飢餓ストレスに対しても脆弱であり、dapaf-1変異体においては飢餓ストレス時にdFoxOが過剰に活性化し、体内のTAGを短時間に消費していた。gnmtの過剰発現では飢餓ストレス脆弱性はみられなかったが、飢餓時にはサルコシンの上昇、SAMの低下がみられたため、サルコシン/SAM代謝とエネルギー代謝との間に何らかの関連がある可能性が示唆された。サルコシン代謝、エネルギー代謝異常はある種のがんでも観察されており、多くのがんではアポトーシス不全がみられているため、dapaf-1変異体で何故このような代謝異常が生じるかは興味深い。本研究はショウジョウバエの遺伝学とCE-MSによる包括的なメタボローム解析、ハイスループットなLC-MS/MS分析を組み合わせて個体レベルでのアポトーシス不全による代謝異常を明らかにした、先進的な研究である。以上により、本研究は博士(薬学)の学位に値すると判定した。

UTokyo Repositoryリンク