学位論文要旨



No 128370
著者(漢字) 藏品,良祐
著者(英字)
著者(カナ) クラシナ,リョウスケ
標題(和) 大腸マクロファージによる腸内常在細菌の認識と炎症応答の抑制
標題(洋)
報告番号 128370
報告番号 甲28370
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1465号
研究科 薬学系研究科
専攻 統合薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 有田,誠
 東京大学 特任准教授 早川,芳弘
内容要旨 要旨を表示する

【序章】

腸管では、病原性寄生体と常在性細菌に対する宿主による認識と応答のバランスによって恒常性が保たれている。マクロファージガラクトースC 型レクチン1 (MGL1)遺伝子を欠損するマウス(Mgl1-KO マウス)では、実験的大腸炎が野生型マウスより重篤になる。腸管においてMGL1 を発現している細胞はF4/80 およびCD11b を高発現し、高い貪食能、非特異的エステラーゼ活性を有するマクロファージである。野生型マウス由来大腸マクロファージを腸内常在細菌であるStreptococcus sp.の死菌体と培養すると抗炎症性サイトカインであるインターロイキン10 (IL-10)の遺伝子発現が誘導されたが、Mgl1-KO マウス由来大腸マクロファージではIL-10 の遺伝子発現が誘導されなかった。IL-10 の遺伝子発現を誘導する菌体の表面分子の実体は不明であり、シグナルを伝える経路も不明であった。

本研究は、MGL1 と結合する菌体分子の解明、MGL1 とそれに結合する分子の相互作用の重要性の確立、シグナル伝達を担う分子の解明を長期的目標とした。具体的には、MGL1 と相互作用する分子の精製方法を確立し、単一分子でIL-10 の産生誘導が起こるか否かを検証することを試みた。また、IL-10 の発現誘導に至るシグナル伝達経路を解明した。さらに乳酸菌の場合でも類似の結合性やIL-10 の産生誘導効果が見られるかを検証した。

第1 章 MGL1 による腸内常在細菌の認識およびMGL1 結合性の分子の同定

1-1 大腸マクロファージのMGL1 を介した腸内常在細菌 Streptococcus sp. の表面分子の認識によるIL-10 の発現誘導

Streptococcus sp.の菌体刺激による大腸マクロファージのIL-10 の遺伝子発現誘導が、菌体の表面分子と大腸マクロファージのMGL1 との直接の相互作用の結果であるかを検討した。野生型マウス由来大腸マクロファージを抗MGL1 モノクローナル抗体(LOM-8.7)、およびアイソタイプコントロール抗体の共存下で、菌体により刺激してIL-10 の遺伝子発現に影響があるか否かを検討した。その結果、菌体刺激によるIL-10 の遺伝子発現誘導はLOM-8.7 の共存下で阻害された(図1)。以上の結果から、大腸マクロファージのMGL1 が菌体の表面分子を認識して、IL-10 の発現誘導が起きていることが示された。

1-2 腸内常在細菌 Streptococcus sp.からのMGL1 結合分子の同定

Streptococcus sp.からMGL1 に結合する成分を抽出するために、菌体をグアニジン塩酸塩で処理し、抽出物中のMGL1結合成分をレクチンブロッティングにより検討した。植物レクチンの中でインゲン豆レクチン(PHA-L4)はMGL1 と同様の結合パターンを示した (図2A)。この抽出物が大腸マクロファージのIL-10 の遺伝子発現を誘導できるかを検討した。野生型マウス由来大腸マクロファージをこの抽出物で刺激するとIL-10 の遺伝子発現が誘導された。一方、Mgl1-KO マウス由来大腸マクロファージではIL-1 0 の遺伝子発現誘導の変化に有意な差はなかった(図2B)。また、この抽出物中にはMGL1結合成分以外の成分も含まれているためPHA-L4 アガロースビーズを用いてPHA-L4 に結合する成分を回収した(図 2C)。その結果、回収した成分にはMGL1 に結合性を示す成分が含まれることが明らかとなった(図2D)。現在、これらの成分については質量分析を行い、分子の同定および糖鎖構造の解析を行っている。

第2 章腸内常在細菌によるIL-10 の発現誘導に至るシグナル伝達経路の解明

MGL1 は、細胞内ドメインにhem immuno-receptor tyrosine-based activation motif(hemITAM)を持つ。これまでにITAM 関連受容体を介したシグナル伝達には、Spleentyrosine kinase (Syk)を介してCaspase recruitment domain 9 (CARD9)を活性化することが知られている。また、菌体刺激による大腸マクロファージのIL-10 の発現誘導には、MGL1 がToll 様受容体(Toll-like receptor, TLR)等と共役して働く可能性がある。そこで、これらの可能性を検証するために、TLR のアダプター分子であるMyD88 の遺伝子を欠損したマウス(MyD88-KO マウス)やCard9 遺伝子を欠損したマウス(Card9-KO マウス)の大腸マクロファージを用いて、菌体刺激によるIL-10 の遺伝子発現誘導が起こるか否かを検討した。その結果、MyD88-KO マウス由来大腸マクロファージでは菌体刺激によりIL-10 の遺伝子発現が誘導されたが、Card9-KO マウス由来大腸マクロファージでは菌体刺激によりIL-10 の遺伝子発現が誘導されなかった(図 3A)。さらに、野生型マウス由来大腸マクロファージにBAY61-3606(Syk 阻害剤)を添加した後、菌体刺激を行い、IL-10の発現誘導が阻害されるか否かを検討した。その結果、BAY61-3606 で前処理した場合では菌体刺激によるIL-10 の遺伝子発現誘導が阻害された(図3B)。以上の結果から、菌体刺激によるIL-10 の遺伝子発現の誘導はMGL1 依存的にシグナルを伝え、Syk、CARD9 のシグナル伝達経路を介して起きており、MyD88 を介するTLR からのシグナル伝達は関与しないことが示された。

第3 章 各乳酸菌株のMGL1に対する結合とIL-10 の発現誘導活性

乳酸菌の投与によりヒトの大腸炎の改善効果が報告されている。乳酸菌 (L.casei 、L.rhamnosus 、L.gasseri 、L.delbrueckii subsp. brugaricus)が、MGL1 に結合するか否かを組換えMGL1(recombinant MGL1:rMGL1)を用いて検討した。その結果、L.casei 、L.gasseri 、L.delbrueckii subsp. brugaricusはMGL1 に結合したが、L.rhamnosus はMGL1 に結合しなかった(図 4A)。次にMGL1 に対する結合性と大腸マクロファージのIL-10 の遺伝子発現に対する誘導活性に相関があるか否かを検討した。野生型マウス、およびMgl1-KO マウス由来大腸マクロファージに、これらの乳酸菌を添加してIL-10 の遺伝子発現が誘導されるかを検討した。その結果、野生型マウス由来大腸マクロファージをL.casei、L.gasseri、L.delbrueckii subsp. Brugaricus と培養した場合ではIL-10 の遺伝子発現が誘導された。一方、L.rhamnosus と培養した場合では、IL-10 の遺伝子発現誘導が起こらなかった(図4B )。Mgl1-KO 由来大腸マクロファージでは、乳酸菌によるIL-10 の遺伝子発現誘導は起こらなかった(図4C)。以上の結果から、これらの乳酸菌は大腸マクロファージにおいてMGL1 依存的にIL-10 の遺伝子発現を誘導し、乳酸菌による大腸炎の改善効果に大腸マクロファージのMGL1 を介するIL-10 の発現誘導が関与している可能性を示した。

【結語】

腸内常在細菌による大腸マクロファージのIL-10 の発現誘導は大腸マクロファージのMGL1 が菌体表面に存在する分子を認識して、Syk, CARD9 を介したシグナルを介して起こることを示した。MGL1 を発現する細胞が、これに対するリガンドとの結合によってサイトカイン遺伝子の転写活性化を誘導した初めての例であり、その機構を解明した意義は大きい。乳酸菌によってもMGL1 依存的に大腸マクロファージのIL-10 の遺伝子発現が誘導されることを示した。これらの知見は炎症性腸疾患の詳細なメカニズムの解明と治療法の開発に役立つと考える。

図1 大腸マクロファージのMGL1を介した腸内常在細菌Streptococcus sp. の表面分子の認識によるIL-10の発現誘導

LOM-8.7を用いて野生型マウス由来大腸マクロファージのMGL1を阻害した時のIL-10の遺伝子発現 (n=2,*p<0.05, **p<0.01 )

図2 腸内常在細菌 Streptococcussp.からのMGL1結合成分の同定(A) 菌体の抽出物におけるMGL1とPHA-L4によるブロッティング(B) 野生型マウス、およびMgl1-KOマウス由来大腸マクロファージを抽出物で刺激した後のIL-10の遺伝子発現誘導 (n=7, 3,**p<0.01, n.s.; not significant)(C) 抽出物、HA-L4ビーズで回収した成分の銀染色の比較(D) PHA-L4ビーズで回収した成分のMGL1、PHA-L4によるブロッティング

図3 Streptococcus sp.の菌体刺激によるIL-10の発現誘導のシグナル伝達経路の解明(A) 菌体刺激による野生型マウス、 Mgl1-KO、Card9-KO、MyD88-KOマウス由来大腸マクロファージにおけるIL-10の遺伝子の発現への影響 (n=7, 4, 3, 2,* p<0.05, ** p<0.01, n.s. notsignificant)(B) BAY61-3606による野生型マウス由来大腸マクロファージにおけるIL-10の遺伝子の発現誘導の阻害 (n=1)

図4 乳酸菌による!"#$依存的な大腸マクロファージにおける%#&$'の遺伝子発現誘導(A) 4種の乳酸菌と固層化したBSA、あるいはrMGL1の結合(*p<0.05, **p<0.01,n.s. not significant)(B) 乳酸菌による野生型マウス由来大腸マクロファージにおけるIL-10の遺伝子発現誘導(n=4, *p<0.05, p<0.01, n.s.not significant)(C) 乳酸菌によるのMgl1-KOマウス由来大腸マクロファージにおけるIL-10の遺伝子発現誘導(n=3, n.s. not significant)

審査要旨 要旨を表示する

「大腸マクロファージによる腸内常在細菌の認識と炎症応答の抑制」と題する本論文は、共生細菌が腸管壁から組織内に浸潤した際に、これが炎症と免疫応答を惹起しないのは如何なる理由によるのかを解明するための重要な知見を提供するものである。樹状細胞及びマクロファージのみに発現するC型レクチンであるマクロファージガラクトースC 型レクチン1 (MGL1)の遺伝子を欠損するマウス(Mgl1-KO マウス)では、実験的炎症性大腸炎が野生型マウスより重篤になることが既に知られていた。腸管組織において、MGL1を発現している細胞は結合組織内に分布する腸管マクロファージのみであり、この腸管マクロファージは共生細菌である

Streptococcus sp.菌体を認識するとこれに応答して抑制性のサイトカインであるIL-10を産生分泌することも知られていた。Mgl1-KOマウスではIL-10の産生誘導は起こらなかった。そこで学位申請者は、腸管マクロファージのMGL1による菌体成分の認識がIL-10の産生と分泌に至る過程を分子レベルで詳細に検討することとした。

本論文は3章から成り、第1章ではStreptococcus sp.菌体表面に存在するMGL1に結合する分子の同定を目指した研究の結果が、第2章では菌体認識によって腸管マクロファージに発生するシグナルの実体を解析した結果が、第3章ではプロバイオティックスとして知られているヒトの共生細菌でも同様の応答が腸管マクロファージに誘導されるかを明らかにした結果が述べられている。

「MGL1 による腸内常在細菌の認識およびMGL1 結合性の分子の同定」と題する第1章では、菌体によって誘導される腸管マクロファージによるIL-10産生がMGL1の糖に対する結合を拮抗的に阻害するモノクローナル抗体によって有意に低下したことから、IL-10産生を誘導するMGL1の役割は菌体の認識であることが明らかとなった。また、MGL1に認識される菌体成分はグアニジン塩酸で抽出されるPHA-L4結合性の成分であることが示された。以上の結果は腸内の恒常性維持において糖鎖含有分子の構造的な特徴に基づく分子認識が重要であることを初めて示すものである。

「腸内常在細菌によるIL-10 の発現誘導に至るシグナル伝達経路の解明」と題する第2章では、腸管マクロファージにおけるStreptococcus sp.菌体によるIL-10産生誘導における、免疫細胞に特徴的なレセプターアダプター分子やシグナル伝達分子の役割を解明した。Sykの関与、CARD9の関与が示された一方、yD88-KOマウス由来の腸管マクロファージではIL-10産生誘導は影響を受けておらず、Streptococcus sp.菌体への応答にTLRファミリー分子は関与していないという意外な結果が得られた。この結果は、腸管マクロファージが細菌と宿主の共生の場を形成する上で重要な役割を果たし、MGL1による糖鎖認識がその引き金となっていることを強く示唆するものである。

「各乳酸菌株のMGL1に対する結合とIL-10 の発現誘導活性」と題する第3章では、プロバイオティックスである乳酸菌が、MGL1 に結合するか否か、MGL1依存的に腸管マクロファージにIL-10産生を誘導するか、またこれがCARD9依存的であるかが検証された。L.casei 、L.gasseri 、L.delbrueckii subsp. garicus はMGL1 に結合したが、L.rhamnosus はMGL1 に結合しなかった。大腸マクロファージに、これらの乳酸菌を添加してIL-10 の遺伝子発現が誘導されるかを検討した結果、MGL1に結合する菌と培養した場合ではIL-10 の遺伝子発現が誘導されたが、結合しない菌と培養した場合では起こらなかった。またこのIL-10産生はMGL1に依存していることがMgl1-KOマウス由来の大腸マクロファージを用いることにより明確に示されたMgl1-KO またはCard9-KOマウス由来大腸マクロファージでは、乳酸菌によるIL-10 の遺伝子発現誘導は起こらなかった。以上の結果から、これらの乳酸菌は大腸マクロファージにおいてMGL1 依存的にIL-10 の産生を誘導し、既に知られていた乳酸菌による大腸炎の改善効果に大腸マクロファージのMGL1 を介するIL-10 の発現誘導が関与している可能性を示した。

本研究は、MGL1 を発現する細胞においてこれに対するリガンドとの結合によってサイトカイン遺伝子の転写が誘導されることが示された初めての例であり、その機構を一部ではあるにせよ解明した意義は大きい。さらに、乳酸菌によってもMGL1 依存的に大腸マクロファージのIL-10 遺伝子の発現が誘導されることが示され、プロバイオティックスの作用機序を解明するための一助となる可能性が高い。これらの結果は、糖鎖生物学、実験病理学及び免疫学に資するところが大である。よって、本研究を行った蔵品良祐は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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