学位論文要旨



No 128372
著者(漢字) 武石,明佳
著者(英字)
著者(カナ) タケイシ,アスカ
標題(和) 組織傷害時に誘導されるカスパーゼ活性化を介した生体防御機構
標題(洋)
報告番号 128372
報告番号 甲28372
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1467号
研究科 薬学系研究科
専攻 統合薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 村田,茂穗
 東京大学 准教授 有田,誠
 東京大学 准教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

【序】

生体がストレスに曝された際に、ダメージを受けた細胞が巧みに反応して生体の恒常性を維持し、生体を健常な状態に保つ。全身性のストレス応答反応の一つとして、自然免疫経路を介した体液性の生体防御機構が挙げられる。自己免疫疾患や創傷治癒のマウスモデルを用いた研究から、このような生体防御機構の活性化は、外来性の病原体によってだけでなく、自己の組織や細胞の損傷によって放出された自己由来の生理活性物質によっても誘導され、体内の恒常性維持に寄与することが示唆された。しかしながら、体液性の生体防御反応を介した生体ストレス応答の組織・個体レベルでの解析は未だ少なく、特に自己由来の生理活性物質に応答する組織・細胞や、活性化されるシグナルメカニズムの多くは明らかでない。

私は生体ストレス応答を個体レベルで解析するため、遺伝学的研究に優れたショウジョウバエを用いて研究を行った。細胞死実行のキーメディエーターであるカスパーゼは、様々な細胞ストレスに応じて活性化することが知られている。カスパーゼ活性化因子dpf-1/dark/HAC-1の変異体(dpf-1 変異体)は、初期胚発生過程で誘導されるカスパーゼ活性が全身で低下していることが報告されているが、成虫まで発生可能であり、成虫の体重、体長や繁殖能などについては野生型と比較して差が認められない。一方で、dpf-1 変異体成虫は表皮への局所的な損傷刺激に脆弱であったことから、カスパーゼ経路が損傷時に誘導される生体ストレス応答に関与していると考えられた。そこで本研究では、カスパーゼ活性が低下したdpf-1 変異体の損傷後致死性を生体ストレス応答破綻のモデルとしてとらえ、遺伝学的手法を用いてこの表現型を解析することにより、カスパーゼを介した正常なストレス応答における責任組織の同定とそのメカニズムの解明を目指した。

【方法と結果】

1. dpf-1 変異体は損傷ストレスに対して脆弱である

私は本学修士課程において、マイクロインジェクション用針でショウジョウバエ腹部表皮に損傷を与える実験を行い、dpf-1 変異体が損傷に脆弱であることを明らかにした(図1)。また、損傷後のdpf-1 変異体の体液に致死誘導性があることを見出し、カスパーゼ経路が損傷後、体液性の防御反応に関与することを示した。

2. 損傷後の生存には腸におけるカスパーゼの活性化が必要である

次に、組織特異的にカスパーゼ阻害因子p35 を発現するショウジョウバエを用いて、損傷後の生存率を解析した。その結果、腸でp35 を発現させた個体において、dpf-1 変異体と同様に損傷後の生存率の低下が観察された(図2A)。さらに、dpf-1 変異体の腸でdpf-1 を強制発現させた個体において損傷後の生存率の低下が緩和されたことから、損傷後の個体の生存には、腸におけるカスパーゼの活性化が必要であることが示唆された(図2B)。

3. カスパーゼは損傷後30 分以内に腸細胞(EC)において活性化され、ECのアポトーシスを誘導する

ショウジョウバエ中腸は主に腸細胞(enterocyte:EC)、腸内分泌細胞(enteroendocrinecell:EE)、腸芽細胞(enteroblast:EB)、腸幹細胞(intestinal stem cell:ISC) から構成されている。カスパーゼ活性化細胞の検出には、カスパーゼ活性化プローブCD8::PARP::Venusを用いた。このプローブでは、カスパーゼ切断配列を含むPARP が過剰発現されるため、PARPの切断端を認識する抗体で染色することで、カスパーゼ活性化細胞を高感度に検出可能である。ショウジョウバエ中腸において、各細胞のマーカーと抗切断型PARP 抗体の免疫染色を行った結果、損傷後のカスパーゼ活性化はEE、ISC、EB ではみられずEC のみで観察された。EC における抗切断型PARP 抗体陽性細胞は、損傷後30 分以内に認められ、損傷後6 時間、24 時間の中腸においても観察された(図 3A、B)。損傷後6 時間と損傷後24 時間に観察された抗切断型PARP 抗体陽性EC を比較したところ、損傷後24 時間の中腸において腸細胞層から脱落して腸管内腔側に位置するEC の割合が増加し、核Hoechst の染色がみられないEC の割合も増加していた(図3C)。一方、dpf-1 変異体の中腸では、損傷後においても抗切断型PARP抗体陽性細胞はみられなかった(図3A)。以上の結果は、局所的な表皮の損傷がシステミックに中腸EC に伝搬されてカスパーゼを活性化し、アポトーシスを誘導することを示唆している。

4. 損傷後の生存には中腸細胞の恒常的な入れ替わりが必要である

ショウジョウバエ中腸では、アポトーシスや細胞増殖によって恒常的に細胞が入れ替わっている。dpf-1 変異体の中腸ではカスパーゼ活性化細胞が観察されないことから、腸細胞のアポトーシスが抑制され、恒常的な入れ替わりが抑制されている可能性が考えられた。そこでまず、細胞増殖について調べるためにBrdU 取り込み実験を行った結果、損傷の有無にかかわらず、dpf-1 変異体においては野生型と比較してISC の分裂頻度が顕著に低下していることが明らかとなった(図4 A)。さらに、EC の入れ替わりを検証するため、EC にGFP を一過的に発現させ、GFP 保有細胞の数の変化を観察した。GFP を一過的に発現させたコントロール個体では、6 日後の中腸のEC 全体における抗GFP 抗体陽性EC の割合が60%まで低下したことから、EC の入れ替わりが生じていることが認められた(図4B)。一方、dpf-1 変異体においては抗GFP 抗体陽性EC の割合はGFP を発現させてから6日後も90%以上を保持していたことから、中腸細胞の恒常的な入れ替わりが阻害されていることが示唆された。そこで、中腸細胞の恒常的な入れ替わりが損傷後の生存に影響するかどうかを検討するため、がん抑制因子PTEN をISC に発現するショウジョウバエを用いた。BrdU 取り込み実験の結果、PTEN の発現が中腸のISC の増殖を抑制することを確認した。さらに、この系統に損傷刺激を加えて生存率を検証したところ、dpf-1 変異体や腸でカスパーゼを抑制した系統と同様に、損傷後に生存率の低下が確認された。以上の結果から、EC でカスパーゼが活性化することにより引き起こされる腸細胞の入れ替わりが、損傷後の個体の生存に必須であることが示唆された。

【まとめと考察】

本研究で私は、表皮に損傷を受けたショウジョウバエ個体の生存には、カスパーゼの活性化を介した中腸EC の細胞死が必要であることを示した。さらに、EC のカスパーゼ活性を抑制した個体ではISC の増殖が抑制され、中腸細胞の入れ替わりが著しく減弱していることを明らかにした。損傷時に誘導される腸でのカスパーゼの活性化が、個体の生存にどのように関与するかについて考察する。野生型においては恒常的な腸の入れ替わりによって古くなったEC が新しいEC に置きかわることで、ダメージを受けやすい腸の環境を正常に維持している。また、腸は免疫応答の主要組織として知られており、損傷を受けたショウジョウバエのEC でカスパーゼの活性化が認められたことから、損傷後に腸において生体防御応答が活性化されることが示唆された。これより、ストレス応答時に、ダメージを受けた細胞や免疫系が活性化した細胞をカスパーゼの活性化を介して迅速に除去し、生体防御応答を適切に制御・収束することにより体内の恒常性を維持する可能性を考えられる。dpf-1 変異体においては古いEC が細胞死を誘導できず、恒常的な腸細胞の入れ替わりが阻害されている。また、ISC の細胞分裂を抑制した個体の腸においても、新しいEB やEC が産生されないため、腸細胞の入れ替わりが起きないと推測される。このような個体においてはダメージを受けた腸細胞に細胞死を誘導できず、除去されるべき細胞が留まることにより、腸環境の悪化や、腸の機能が低下している可能性がある。局所的な損傷部位から物理的に離れた組織(中腸)においてカスパーゼの活性化が認められた点については、ダメージを受けた細胞からのシグナルが自然免疫系を活性化し、マクロファージ様免疫担当細胞や体液を介して腸に伝播する、組織間相互作用の存在が示唆される。ショウジョウバエ中腸はほ乳類の小腸に類似した機能を果たし、カスパーゼが進化的に保存されたタンパク質であることから、ショウジョウバエのみならず他の生物においても組織傷害に対する腸の応答機構は保存されていることが期待される。本研究により、個体で局所的に生じた組織傷害を、物理的に離れた組織である腸が素早く感知、応答するという全身性の生体防御機構の存在が示唆された。

図1表皮損傷後、dpf」7変異体の個体の生存率は顕著に低下する。

図2(A)腸のカスパーゼ活性化を抑制した個体では損傷後に致死となった、(B)損傷後の生存率。腸におけるdpf-7の過剰発現により、dpf-1変異体の損傷後致死性が緩和された。

図3(A、B)コントロール個体では表皮の損傷後30分以内にカスパーゼが活性化したECがみられたが、dpf-1変異体では観察されなかった。(C)損傷後、コントロール個体で観察された抗切断型PARP抗体陽性細胞は、時間経過と共に腸細胞層の外側に位置する割合、核染色のみられない割含が増加した。(ln/out:腸細胞内/外、+/-:核Hoechst染色あり/無し)

図4(A)dpf-1変異体ではBrdUを取り込んだ細胞の数が野生型と比較して顕著に滅少していた。(B)羽化後2日目の成虫ECにおいて一過的にGFPを発現させ、6日後、抗GFP細胞陽性細胞数を検証した。dpf。1変異体では抗GFP抗体陽性細胞の減少(ECの入れ替わり)が抑制されていた。

審査要旨 要旨を表示する

生体がストレスに曝された際に、ダメージを受けた細胞が巧みに反応して生体の恒常性を維持し、生体を健常な状態に保つ。全身性のストレス応答反応の一つとして、自然免疫経路を介した体液性の生体防御機構が挙げられる。自己免疫疾患や創傷治癒のマウスモデルを用いた研究から、このような生体防御機構の活性化は、外来性の病原体によってだけでなく、自己の組織や細胞の損傷によって放出された自己由来の生理活性物質によっても誘導され、体内の恒常性維持に寄与することが示唆された。しかしながら、体液性の生体防御反応を介した生体ストレス応答の組織・個体レベルでの解析は未だ少なく、特に自己由来の生理活性物質に応答する組織・細胞や、活性化されるシグナルメカニズムの多くは明らかでない。

そこで、生体ストレス応答を個体レベルで解析するため、遺伝学的研究に優れたショウジョウバエを用いて研究を行った。細胞死実行のキーメディエーターであるカスパーゼは、様々な細胞ストレスに応じて活性化することが知られている。カスパーゼ活性化因子dpf-1/dark/HAC-1の変異体(dpf-1変異体)は、初期胚発生過程で誘導されるカスパーゼ活性が全身で低下していることが報告されているが、成虫まで発生可能であり、成虫の体重、体長や繁殖能などについては野生型と比較して差が認められない。一方で、dpf-1変異体成虫は表皮への局所的な損傷刺激に脆弱であったことから、カスパーゼ経路が損傷時に誘導される生体ストレス応答に関与していると考えられた。そこで本研究では、カスパーゼ活性が低下したdpf-1変異体の損傷後致死性を生体ストレス応答破綻のモデルとしてとらえ、遺伝学的手法を用いてこの表現型を解析することにより、カスパーゼを介した正常なストレス応答における責任組織の同定とそのメカニズムの解明を目指した。

そこで本研究では、マイクロインジェクション用針でショウジョウバエ腹部表皮に損傷を与える実験を行い、dpf-1変異体が損傷に脆弱であることを明らかにした。また、損傷後のdpf-1変異体の体液に致死誘導性があることを見出し、カスパーゼ経路が損傷後、体液性の防御反応に関与することを示した。

次に、組織特異的にカスパーゼ阻害因子p35を発現するショウジョウバエを用いて、損傷後の生存率を解析した。その結果、腸でp35を発現させた個体において、dpf-1変異体と同様に損傷後の生存率の低下が観察された。さらに、dpf-1変異体の腸でdpf-1を強制発現させた個体において損傷後の生存率の低下が緩和されたことから、損傷後の個体の生存には、腸におけるカスパーゼの活性化が必要であることが示唆された。

ショウジョウバエ中腸は主に腸細胞(enterocyte:EC)、腸内分泌細胞(enteroendocrine cell:EE)、腸芽細胞(enteroblast:EB)、腸幹細胞(intestinal stem cell:ISC) から構成されている。カスパーゼ活性化細胞の検出には、カスパーゼ活性化プローブCD8::PARP::Venusを用いた。このプローブでは、カスパーゼ切断配列を含むPARPが過剰発現されるため、PARPの切断端を認識する抗体で染色することで、カスパーゼ活性化細胞を高感度に検出可能である。ショウジョウバエ中腸において、各細胞のマーカーと抗切断型PARP抗体の免疫染色を行った結果、損傷後のカスパーゼ活性化はEE、ISC、EBではみられずECのみで観察された。ECにおける抗切断型PARP抗体陽性細胞は、損傷後30分以内に認められ、損傷後6時間、24時間の中腸においても観察された。損傷後6時間と損傷後24時間に観察された抗切断型PARP抗体陽性ECを比較したところ、損傷後24時間の中腸において腸細胞層から脱落して腸管内腔側に位置するECの割合が増加し、核Hoechstの染色がみられないECの割合も増加していた。一方、dpf-1変異体の中腸では、損傷後においても抗切断型PARP抗体陽性細胞はみられなかった。以上の結果は、局所的な表皮の損傷がシステミックに中腸ECに伝搬されてカスパーゼを活性化し、アポトーシスを誘導することを示唆している。

ショウジョウバエ中腸では、アポトーシスや細胞増殖によって恒常的に細胞が入れ替わっている。dpf-1変異体の中腸ではカスパーゼ活性化細胞が観察されないことから、腸細胞のアポトーシスが抑制され、恒常的な入れ替わりが抑制されている可能性が考えられた。そこでまず、細胞増殖について調べるためにBrdU取り込み実験を行った結果、損傷の有無にかかわらず、dpf-1変異体においては野生型と比較してISCの分裂頻度が顕著に低下していることが明らかとなった。さらに、ECの入れ替わりを検証するため、ECにGFPを一過的に発現させ、GFP保有細胞の数の変化を観察した。GFPを一過的に発現させたコントロール個体では、6日後の中腸のEC全体における抗GFP抗体陽性ECの割合が60%まで低下したことから、ECの入れ替わりが生じていることが認められた。一方、dpf-1変異体においては抗GFP抗体陽性ECの割合はGFPを発現させてから6日後も90%以上を保持していたことから、中腸細胞の恒常的な入れ替わりが阻害されていることが示唆された。そこで、中腸細胞の恒常的な入れ替わりが損傷後の生存に影響するかどうかを検討するため、がん抑制因子PTENをISCに発現するショウジョウバエを用いた。BrdU取り込み実験の結果、PTENの発現が中腸のISCの増殖を抑制することを確認した。さらに、この系統に損傷刺激を加えて生存率を検証したところ、dpf-1変異体や腸でカスパーゼを抑制した系統と同様に、損傷後に生存率の低下が確認された。以上の結果から、ECでカスパーゼが活性化することにより引き起こされる腸細胞の入れ替わりが、損傷後の個体の生存に必須であることが示唆された。

本研究によって、表皮に損傷を受けたショウジョウバエ個体の生存には、カスパーゼの活性化を介した中腸ECの入れ替わりが必要であることが明らかになった。ストレス応答時に、ダメージを受けた細胞や免疫系が活性化した細胞をカスパーゼの活性化を介して迅速に除去し、生体防御応答を適切に制御・収束することにより体内の恒常性を維持することが予想される。個体で局所的に生じた組織傷害を、物理的に離れた組織である腸が素早く感知、応答するという全身性の生体防御機構は、今回組織傷害のモデルとして用いた表皮の損傷にとどまらず、様々なストレスに対しても誘導されると考えられる。本研究は、個体レベルで解析を行うことにより、組織間の相互作用を介した組織傷害応答が存在することを強く示唆する研究成果である。以上より本研究は博士(薬学)の学位に値すると判定した。

UTokyo Repositoryリンク