学位論文要旨



No 128374
著者(漢字) 野々村,恵子
著者(英字)
著者(カナ) ノノムラ,ケイコ
標題(和) アポトーシスによるほ乳類脳初期発生動態の制御
標題(洋)
報告番号 128374
報告番号 甲28374
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1469号
研究科 薬学系研究科
専攻 統合薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 准教授 垣内,力
 東京大学 准教授 富田,泰輔
 東京大学 准教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

[序]

脳は、我々の生命活動や知的活動を支える器官であり、その機能は形態に深く結びついている。脳の形態が正常に形成されるためには、脳を構成する細胞が適切に増殖・分化・移動することが必要である。アポトーシスもこれらの細胞運命と同様に、脳の正常な形態形成にとって必須である。遺伝学的にアポトーシス抑制した変異マウスでは、脳室が神経上皮に押しつぶされているような形態異常が観察されたことから、脳の形態形成におけるアポトーシスの役割は、神経上皮の細胞数の制限であると考えられてきた。しかしながら変異マウスの脳の形態は野生型と大きく異なるため、細胞数の変化を検討するためには、脳全体のサイズの変化を調べる必要があった。ところが、そのような解析はこれまで行われてこなかった。本研究では、脳の全領域の切片から脳の三次元構造を再構成する手法により、アポトーシスが抑制された変異マウスにおける神経上皮の肥大および他の形態異常についての検討を行うことで、脳の形態形成におけるアポトーシスの役割の解明を目指した。

[方法・結果]

1. Apaf-1 欠損胚の神経上皮は肥大していない

アポトーシスに必要なカスパーゼ活性化因子であるApaf-1 の欠損胚では、胎生10.5 日に脳室の狭小と神経上皮の変形・肥厚が認められる(図1)。これらの形態異常は、神経上皮の肥大により脳室が圧搾されたものと解釈されてきた。しかし、Apaf-1 欠損胚の神経上皮は変形しているので、その肥大を検討するためには実際に面積を測定する必要があった。そこで、Apaf-1 欠損胚の神経上皮の面積を、胎生10.5 日の前脳の全領域の切片において測定し、正常胚(ヘテロ変異体)と比較した。その結果、驚いたことに、Apaf-1 欠損胚の神経上皮は大きく変形しているにも関わらず、各切片における神経上皮の面積は、正常胚とほとんど差がないことが明らかとなった(図2)。この傾向は胎生9.5 日でも同様であった。細胞数の変化について検討するためには、神経上皮の面積に加え細胞密度を測定する必要がある。そこで、Apaf-1 欠損胚の神経上皮の細胞密度を、胎生10.5 日のいくつかの領域において測定し、正常胚と比較したが、変化は認められなかった。これらの結果は、胎生10.5 日 Apaf-1 欠損胚の神経上皮の細胞数は増加しておらず、正常であることを示唆する。

2. Apaf-1 変異胚では、脳室の拡大が不全である

胎生10.5 日Apaf-1 欠損胚では、神経上皮は肥大していなかったにも関わらず、脳室は顕著に小さかった。この結果は、脳室の狭小は、肥大した神経上皮に押しつぶされることにより形成されたのではないことを示唆する。Apaf-1 欠損胚において脳室の狭小がもたらされる過程を明らかにするために、脳室の面積を、胎生9.5、10.5 日の前脳の全領域の切片上で測定した。その結果、Apaf-1欠損胚の脳室の面積は、胎生10.5 日では前脳の全領域において正常胚に比べ顕著に小さかったが、胎生9.5 日では、正常胚とあまり変わらないことが明らかとなった。さらに、前脳の中間点に位置する切片において、脳室の面積を両遺伝型で比較したところ、胎生10.5 日では顕著な差があるにも関わらず (各遺伝型 n=4)、胎生9.5 日では有意な差が認められない(各遺伝型n=5)ことが判明した(図3)。正常胚の脳室は胎生9.5 日から10.5 日の間に劇的に拡大していたことから、Apaf-1 欠損胚で認められる脳室の狭小は、胎生9.5 日から10.5 日の間に脳室が正常に拡大しないことに由来することが明らかとなった。

3.脳室の拡大不全の原因として、神経管閉鎖異常が考えられる

それでは、なぜApaf-1 欠損胚では脳室が拡大しないのだろうか。正常胚では9.5 日目までに神経管が完全に閉鎖し、それに引き続いて脳室の劇的な拡大が生じる。しかしApaf-1 欠損胚では、胎生9.5 日以降でも、神経管が閉鎖していない領域が残存していた。この未閉鎖領域から、脳髄液が体外へと漏出するために、脳室が拡大しない可能性が考えられた。そこで、Apaf-1 欠損胚で実際に脳室内の液体が神経管の未閉鎖領域から体外へ漏出するかを確認するために、胎生10.5 日の脳室に対し色素の注入を行った。注入された色素は、正常胚では脳室内へ留まったが、Apaf-1 欠損胚では神経管未閉鎖領域から体外へと漏出した(図4)。このことから、Apaf-1 欠損胚では、神経管の未閉鎖領域の残存により、脳室内部に液体を貯留できないことが確認された。

4. アポトーシスは神経隆起の形態変化を引き起こすことで神経管の閉鎖完了に導く

Apaf-1 欠損あるいはcaspase-9 欠損胚では正常胚で閉鎖が完了する胎生9.5 日以降にも、神経管に未閉鎖領域が残存する (図5)。アポトーシスが神経堤において胎生8.5~9.5 日の閉鎖前後に多量に観察されることから、アポトーシスが神経管の閉鎖過程に関与する可能性が考えられた。アポトーシスの有無が神経管の閉鎖過程にどのように影響するのかを調べるために、組織形態の微細な変化を検出することができる生体イメージングを行った。正常胚では両側の神経堤が速やかに近づくことで神経孔が前後方向に細長くなり閉鎖がスムーズに進んだのに対し、Apaf-1 欠損胚では両側の神経堤は近づかないため神経孔は丸くなり最終的に未閉鎖領域が残った(図. 5B)。また、閉鎖中の神経堤頂端部の組織の厚さはApaf-1 欠損胚の方が正常胚に比べ厚かった(図. 5C)。これらの結果から、神経管の閉鎖過程で認められるアポトーシスは、頂端領域の組織形態の変化をもたらすことで神経管の円滑な閉鎖を可能にしていることが示唆された。

[まとめと考察]

これまで、アポトーシスシグナル変異マウスでは、脳室が神経上皮に押しつぶされているような形態異常が認められることから、神経上皮が肥大している、あるいは、脳の細胞数が増加していると言われてきた。しかしながら、今回の解析により、神経上皮と脳室の形態異常が認められても、神経上皮は肥大しておらず、同時に、細胞密度にも変化が認められないことから、これらの変異マウスの脳において細胞数が増加している可能性は低いことが判明した。

さらに、Apaf-1 欠損胚では胎生9.5 日ら10.5 日の間に拡大すべき脳室が、ほとんど拡大していないことが明らかとなった。この脳室の拡大不全の原因として、神経管閉鎖異常による脳髄液の脳室内貯留不足が考えられる。この考えは、Apaf-1 欠損胚では脳室内に注入した液体が神経管の未閉鎖領域から漏出することと、発生過程の脳室に外科的に穴をあけた場合には、脳室の拡大不全が認められることが知られていることから支持される。

本研究は神経管閉鎖の際の神経堤頂端の組織形態変化もアポトーシスにより調節されていることも示した。神経管閉鎖時に神経堤の形態をすばやく変化させることは、閉鎖にとって重要であると考えられ、細胞を組織から素早く除去するシステムであるアポトーシスにより制御されることは理にかなっている。

図1.前脳の中間点における切片像(胎生10.5日)(神経上皮を点線で囲ってある)

図2.前脳の各切片における神経上皮の面積(胎生10.5日)

図3.前脳の中間点の切片における脳室の面積の比較

図4.脳室への色素の注入(胎生10.5日)

図.5

審査要旨 要旨を表示する

アポトーシスは発生過程初期の脳において神経上皮で散発的に観察されるのに加え、前方神経隆起(Anterior Neural Ridge; ANR)など特定の領域で特定の時期に大量に観察される。前者のアポトーシスは神経前駆細胞の数を制限することで脳の全体細胞数を調節すると考えられてきたが、ANRで認められる大量のアポトーシスの役割は未だ不明である。ANRは神経板の最も前端に位置し、神経板が神経管へと変化する際に左右の近接・閉鎖というダイナミックな形態変化が起こるとともに、拡散性形態形成因子(モルフォゲン:形原)を産生することで広範囲の神経前駆細胞の生存と領域化を制御するオーガナイジングセンターとしての役割を持つ。こうしたオーガナイジングセンターの空間位置あるいはサイズ制御の機構を解明することは、組織化の連続により達成される脳の発生を理解する上で重要である。そこで、本研究ではANRに起こるアポトーシスの役割の解明を目指した。

まず、アポトーシスがANRにおいて胎生8.5-9.5日の閉鎖前後に多量に観察されることから、アポトーシスがANRの閉鎖過程に関与する可能性が考えられた。実際に、apaf-1 -/-あるいはcaspase-9 -/-胚では正常胚で閉鎖が完了する胎生9.5日以降にも、ANRに未閉鎖領域が残存することが確認された。アポトーシスの有無がANRの閉鎖過程にどのように影響するのかを調べるために、組織形態の微細な変化を検出することができる生体イメージングを行った。正常胚では両側のANRが速やかに近づくことで神経孔が前後方向に細長くなり閉鎖がスムーズに進んだのに対し、apaf-1 -/-胚では両側のANRは近づかないため神経孔は丸くなり最終的に未閉鎖領域が残った。また、閉鎖中のANR頂端部の組織の厚さはapaf-1 -/-胚の方が正常胚に比べ厚かった。これらの結果から、ANRの閉鎖過程で認められるアポトーシスは、頂端領域の組織形態の変化をもたらすことでANRの円滑な閉鎖を可能にしていることが示唆された。

それでは、ANRに未閉鎖領域が残存することは、脳全体の形態にどのような影響を及ぼすのだろうか。正常胚では、神経上皮の内腔である脳室は脳脊髄液で満たされており、その圧力により脳室が拡大し神経上皮が正常な形態をとることが示されている。アポトーシス欠損胚では、神経管の未閉鎖領域から脳脊髄液が体外へと漏出することで、脳室の拡大に異常が出ることが予想された。そこで、胎生9.5、10.5日胚において頭部連続切片上で脳室断面積を測定したところ、正常胚ではこの間に脳室が劇的に拡大していたのに対し、apaf-1 -/-胚ではほとんど拡大せず脳室の狭小が生じることが分かった。これまで、アポトーシス欠損胚に認められる脳室の狭小は、神経上皮の細胞数過剰により引き起こされると考えられてきたが、脳室の狭小が生じている欠損胚の脳細胞数を定量的形態解析および実際の細胞数のカウントにより調べたところ、正常胚に比べ有意な増加は認められなかった。これらの事実は、アポトーシス欠損マウスでは神経前駆細胞の過剰は生じておらず、神経管閉鎖異常に起因する脳室拡大の不全が脳全体の形態異常の主たる原因であることを示唆する。

また大量のアポトーシスは、ANRの癒合により生じる前脳正中線周辺の広い領域でも観察される。これらの領域はFgf8やShhなどの形原を産生し、拡散した形原の濃度勾配に応じて神経上皮細胞を異なる種類の神経前駆細胞へと分化させており、脳の領域化における中心的役割を果たしている。そこで、アポトーシスがこれら領域のオーガナイジングセンターとしての役割に影響する可能性を検討するために、これらの領域で産生される形原の発現パターンをアポトーシス欠損胚と正常胚で比較した。その結果、前脳腹側で発現するFgf8 mRNAが胎生10.5日のアポトーシス欠損胚で正常胚に比べ後方まで認められた。一方、胎生9.25日ではアポトーシス欠損胚、正常胚ともにFgf8 mRNAは前脳後方まで発現しており差は認められなかった。これらの結果は、アポトーシスが胎生9.25-10.5日の間にFgf8産生細胞を前脳の後方から除去していることを示唆する。それでは、Fgf8産生領域が脳の後方に残存することは、神経上皮の領域化異常を引き起こすのだろうか。まず、FGF8タンパク質の分布を調べたところ、apaf-1 -/-胚では正常胚にくらべ後方の腹側神経上皮にFGF8タンパク質が拡散していることが確認された。これと一致して、Fgf8の増加によって発現が抑制されることが知られる前脳腹側神経前駆細胞マーカーNkx2.1の発現が、胎生10.5日apaf-1 -/-胚では正常胚に比べ減少していた。以上の結果は、アポトーシスによるFgf8産生細胞の前脳後方からの除去は、FGF8タンパク質の拡散を介した神経上皮の正常な領域化に重要であることを示唆する。

アポトーシスは発生において、組織にとって不要な細胞や異常をきたした細胞を除去するのみであり、器官形成への積極的な寄与はないと捉えられることが多い。脳初期発生過程についても、アポトーシスの役割はこれまで、散発的に神経前駆細胞を間引くことでその数を制限することであると考えられてきた。しかしながら本研究で得られた結果から、脳初期発生過程においてアポトーシスは、神経管閉鎖時の組織形態変化や形原産生領域の位置調節という脳の中でも局所で生じる変化を正確に引き起こすことで、脳全体の発生を正常に進めるための原動力として働いていることが示された。特に、形原の産生は多くの発生現象だけでなく、成体神経新生や創傷治癒、腫瘍形成の際にも重要であることから、これらの現象においても産生細胞集団のサイズがアポトーシスにより調節されている可能性が考えられる。本研究の成果は、局所のアポトーシスが拡散性因子産生細胞の除去を介して器官全体の制御を行いうることを示すものであり、他の様々な器官や個体におけるアポトーシスの役割を理解する上でも重要な知見である。以上より、本研究は博士(薬学)の学位に値すると判定した。

UTokyo Repositoryリンク