学位論文要旨



No 128391
著者(漢字) 大西,紘平
著者(英字)
著者(カナ) オオニシ,コウヘイ
標題(和) 超伝導体を用いた複合構造におけるスピン蓄積状態の研究
標題(洋)
報告番号 128391
報告番号 甲28391
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第750号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大谷,義近
 日本原子力研究開発機構 センター長 前川,禎通
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 准教授 中辻,知
 東京大学 講師 松浦,宏行
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、強磁性体と非磁性体の界面に生じるスピン蓄積状態と超伝導状態との関係を実験的に明らかにしたものである。以下に、研究の背景および内容の要旨を述べる。

【背景・目的】

エレクトロニクスデバイスでは、電子の持つ電荷の流れを制御・利用することが様々な機能を実現するうえで必要不可欠となっている。一方、電子は電荷以外にスピンというもう一つの自由度をもっているが、スピンは電荷と異なり電気的な制御が容易ではなかった。しかし、近年の微細加工技術や微小信号検出技術の発達により、電子スピンに依存した現象を電気的に検出・制御することが可能となり、電子の電荷とスピンの両方の性質に着目した「スピントロニクス」という新しい分野が注目されている。スピントロニクスは最近の研究において目覚ましい発展を遂げており、応用的な発展のみならず、基礎研究の観点からも新しい物理現象が数多く発見されている[1]。

これまでのスピントロニクスの研究の舞台はおもに金属や半導体中にあったが、近年、舞台を超伝導体に移した超伝導スピントロニクスが注目され始めている。本来、超伝導状態とスピン偏極状態は相反するものだが、メゾスコピック系における超伝導スピントロニクスでは、これらの競合により様々な興味深い現象が理論的に予想されており、また新しい機能性素子の提案もなされている[2]。しかし、そのような理論的研究に対して、実験的研究は現段階でいくつかの結果が示されている程度であり十分になされているとはいえない。

その一つの要因に、超伝導体としておもにAl が用いられてきたことが挙げられる。Al は試料中酸化層の作製が容易である一方で、測定においては超伝導ギャップが小さく、磁場や温度といった外的要因に対して超伝導状態が非常に敏感であった。また、先行研究はおもに超伝導体と強磁性体を積層させた縦型構造の試料に直接電流を流すものであったが、この場合にはスピン状態に依存した信号に加えて通常の電流による信号も観測される。一般に、スピン状態に依存した信号は電流による信号に比べて非常に小さいため、上記のようにそれらが重畳している場合には、スピン状態に依存した信号のみを検出することは困難である。

そこで本研究では、超伝導体と強磁性体を面内に配置し、それらを非磁性体で架橋するような構造を用いて、超伝導状態とスピン蓄積状態の関係を調べた。このような面内多端子構造では、スピン状態に依存した信号のみをより正確に取り出すことが可能になる。また、超伝導体としてAlよりも高い転移温度と大きい超伝導ギャップを有するNbを超伝導体として用いた。

【スピン流】

スピンに依存した伝導現象はスピン角運動量の流れであるスピン流という概念によって説明される。図1 のような強磁性体細線と非磁性体細線の十字構造において、強磁性体細線から非磁性体細線へ電流を流したとき、強磁性体と非磁性体のフェルミ面における状態密度の違いからスピン蓄積状態が強磁性体/非磁性体界面に励起される。このスピン蓄積状態は非平衡状態であるため、非磁性体細線中を緩和しながら拡散していく。これがスピン流であり、減衰長はスピン拡散長とよばれる。このとき、図1 中の非磁性体細線左側ではスピン流と電流が存在しているためスピン偏極電流と呼ばれる一方で、非磁性体細線右側ではスピン流のみが存在することとなり純スピン流とよばれる。

【試料作製】

スピン流による現象を面内構造で測定するためには、試料の大きさをスピン拡散長と同程度のサブミクロンスケールにする必要がある。そのため、試料作製にはおもに電子線描画装置による電子線リソグラフィ技術とリフトオフ法など微細加工技術を用いた。また上述したように超伝導体としてNb、強磁性体と非磁性常伝導体にはそれぞれPy(Ni81Fe19)とCu を用いた。

Nb は高融点材料であるため、通常の金属と異なり試料作製が容易ではない。そこで、本研究ではスパッタおよびAr イオンミリングによる繰り返しリフトオフを組み合わせた手法と斜め蒸着法の2通りの試料作製方法を試みた。一般に、繰り返しリフトオフを組み合わせた方が複雑な構造の作製が容易である一方、斜め蒸着法では大気暴露せずに複数材料の蒸着を行うことが可能であるため、作製される界面の特性が良いとされる。実際にそれぞれの方法で作製した試料の特性を調べた結果、斜め蒸着法によって作製された試料の方が、界面特性が優れていることが確認できた。そこで、以下の準粒子緩和過程に関する実験では繰り返しリフトオフ法を用い、界面状態がとくに重要になるスピン流吸収過程に関する実験では斜め蒸着法によって試料を作製した。

【超伝導状態中における準粒子流の緩和過程】

超伝導状態中におけるスピン流の振る舞いを理解するために、スピン偏極準粒子の緩和過程に関する実験を行った。

図2(a) に示すような端子配置により同一試料においてスピン偏極率の異なる電流を超伝導/常伝導体界面に流し、励起された準粒子による抵抗を測定した。その結果、図2(b) に示すように準粒子のスピン偏極成分由来と考えられる抵抗差が測定された。抵抗の増加分から超伝導状態におけるスピン拡散長を計算したところ、常伝導状態のそれよりも長くなった。しかし、Nb/Cu 接合界面の超伝導状態、励起電流による影響、注入される純スピン流の量などが明らかではなかったため、定量的議論を十分に行うことは不可能であった。

【超伝導状態への純スピン流吸収過程】

上述の実験結果を踏まえ、斜め蒸着法によって界面特性を向上させた試料を用い、超伝導状態へのスピン流の注入過程について実験を行った。具体的には、超伝導ギャップによって純スピン流の吸収がどのように抑制されるかを調べた。

吸収過程の測定には非局所スピンバルブ測定を用いた。非局所スピンバルブ測定とは、図3(a) に示すような面内構造において励起電流を流すことによって非磁性体中に純スピン流を励起し、その大きさをもう一方の強磁性体端子で非局所電圧として測定する方法である。非局所電圧は2 本の強磁性体の磁化状態に依存し、非局所電圧を電流で除算した非局所抵抗の磁場依存性を測定すると図3(b) に示すようになる。ここで、測定される抵抗差はスピン蓄積信号と呼ばれ、検出用強磁性体におけるスピン流の量と比例関係にある。このとき、2 本の強磁性体細線間にあるNb 細線への純スピン流の吸収があれば、検出されるスピン蓄積信号は減少する[3]。したがって、非局所スピン蓄積信号の変化を測定することで超伝導状態にあるNb 細線へのスピン流の吸収量を調べることが可能である。

実際の測定の結果、図4(a) に示すように、測定温度が超伝導転移温度より十分低いにも関わらず、スピン蓄積信号は常伝導状態における測定とほぼ等しく、一方でスピン流のための励起電流を減少させると、超伝導状態における測定でのみスピン蓄積信号が増大した。図4(b) に、このスピン蓄積信号の励起電流依存性を詳細に測定したものを黒丸で示す。図中に示すように、励起電流を減少させていくとスピン蓄積信号は単調に増加した。これらの結果は、超伝導状態であってもスピン流が吸収されており、また励起電流を減少させたときにスピン流の吸収が抑制されることを示している。超伝導ギャップの方がスピン蓄積の大きさと比較して非常に大きいため、一見すると上記の結果は直観と反するが、これらは非磁性体中におけるスピン蓄積状態にエネルギー分布を取り入れることにより説明できる。図4(b) の実線は、励起電流による誘導磁場の影響、スピン蓄積による超伝導ギャップの抑制効果、励起電流によるジュール熱の影響を考慮して計算を行ったスピン蓄積信号の励起電流依存性である。図から明らかであるように計算結果は実験結果を非常によく説明しており、非局所純スピン流の吸収現象が超伝導状態によって抑制されること、またそれがエネルギー分布を考えたモデルによって説明可能であることが明らかとなった。

数値計算との一致は常伝導状態における様々な式が超伝導状態においても適用可能であることを示唆している。また、超伝導状態中に対して一部の純スピン流が吸収されうることは、非局所にスピン偏極した準粒子を超伝導状態中に励起できることを示している。

【まとめ】

本研究では超伝導体としてNb を用いて、超伝導体におけるスピン蓄積状態について実験を行った。高品質Nb 細線とNb/Cu 界面の作製プロセスを確立し、超伝導状態に対してスピン蓄積状態がどのように振る舞うかを明らかにした。本研究の成果により、超伝導状態におけるスピン流の研究が促進されるとともに、これまで強磁性体が不可欠であった物理現象をスピン蓄積状態によって誘起できる可能性を示せた。

[1] S. A. Wolf et al., Science 294, 1488 (2001); I. zuticet al., Rev. Mod. Phys. 76, 323 (2004).[2] T. Yamashita et al., Phys. Rev. Lett. 95, 097001 (2005); F. Giazotto et al., Phys. Rev. B 77,132501 (2008).[3] M. Morota, et al., Phys. Rev. B 83, 174405 (2011).

図1: 面内構造におけるスピン流。非磁性体中の右側では純スピン流が流れる。

図2: (a) スピン偏極していない電流とスピン偏極した電流による界面抵抗測定の模式図。(b) 界面抵抗の温度依存性の実験結果

図3: (a) 非局所スピンバルブ測定と(b) 測定結果の模式図。

図4: (a) 超伝導状態と常伝導状態におけるスピン非局所スピンバルブ測定の結果。(b) スピン蓄積信号の励起電流依存性。縦軸は常伝導状態におけるスピン蓄積信号で規格化した値である。黒丸が実験結果、実線が数値計算の結果を示している。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は超伝導状態に対するスピン注入あるいはスピン吸収に着目して行った実験研究を纏めたものである。7章からなり、第1章においては論文の趣旨と導入、第2章においてはスピン注入やスピン蓄積に関する実験結果を理解するために必要となる基礎理論、第3章では微細構造を有する素子作製手法と測定手法、第4章では高品質な超伝導ニオブ細線を用いた超伝導/常伝導体接合の作製手法の最適化と考察、第5章では超伝導状態中における準粒子流の緩和過程に関する実験と議論、第6章では超伝導状態への純スピン流吸収過程についての実験と議論、第7章では全体の総括と今後の展望が述べられている。

博士論文において、精密な実験と測定結果の数値解析から大西紘平氏は、素子作製と超伝導へのスピン注入手法あるいはその注入量の定量的解析法の観点から、今後の超伝導スピントロニクス分野の発展に資する3つの重要な成果を得ている。

(1) 2400度におよぶ高融点材料のニオブは通常の金属とは異なり、それを用いた試料作製が困難である。通常用いられているリフトオフ法とスパッター堆積法を併用する手法では、ニオブ/銅界面に超伝導状態が抑制された層が形成されることを明らかにした。これを回避するために2層マスク構造を用いた斜め電子線加熱蒸着を超高真空中で行うことで、界面特性の優れたニオブ/銅細線からなる超伝導/常伝導体接合を作製する手法を確立した。

(2) 上述の斜め蒸着の手法で作製したニオブ/銅細線接合を用いて超伝導状態中における準粒子の緩和過程やクーパー対への再結合過程の詳細を、クーパー対への緩和・再結合過程における非局所準粒子流やスピン偏極準粒子の緩和過程に着目して調べた。その結果、近接効果で超伝導状態にある銅細線中の準粒子流の緩和にともなって発生する局所電圧の測定に成功した。さらに同様の実験を非局所手法で生成した純スピン流についても行い、準粒子による電圧の増加を測定することに成功した。

(3) 超伝導ギャップによる純スピン流の吸収現象の抑制を測定することで、スピン流の超伝導状態への吸収過程について詳細に調べた。その結果、超伝導状態にあるニオブ細線に対してもスピン流が吸収され得ることを発見した。さらに純スピン流の超伝導状態への吸収量の励起電流依存性を詳細に調べ、低励起電流では吸収量が減少すること、すなわち超伝導ギャップにより純スピン流吸収が抑制されることを明らかにした。また、これらの結果を説明するために電子のエネルギー分布を考慮したモデルを構築し、数値計算を行った。励起電流による発熱効果などを考慮することで、実験結果を定量的に説明することができることを示した。この実験により、純スピン流を超伝導状態に注入し、非局所にスピン偏極準粒子を励起できる可能性を示した。

なお、本研究は論文提出者の大西紘平氏が主体となって測定及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上本博士論文は、超伝導状態へのスピン注入の吸収過程に関して定量的な議論を行うことを可能にした。このことは、今後の超伝導スピントロニクス研究の発展の端緒を開き、物質科学の発展に十分寄与するとみなせる。よって、大西紘平氏の学位論文の論文審査の結果、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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