学位論文要旨



No 128404
著者(漢字) 名取,恒平
著者(英字)
著者(カナ) ナトリ,コウヘイ
標題(和) 昆虫肢付節の分節化における転写因子の動的な発現制御による領域の決定機構
標題(洋)
報告番号 128404
報告番号 甲28404
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第763号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 小嶋,徹也
 東京大学 教授 河村,正二
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 教授 能瀬,聡直
 東京大学 准教授 鈴木,雅京
内容要旨 要旨を表示する

序論

多細胞生物の発生の過程では、受精卵というただ一つの細胞が細胞分裂を繰り返し、特異的な遺伝子の発現により性質の異なる細胞群からなる領域に細分化することで、立体的な組織を構築する。この複雑かつ精密な過程を可能にする分子メカニズムの全体像、また、その過程のどのような変化が様々な生物種固有の形態をもたらすのかを理解することは、昔から続く、発生生物学上の興味深いテーマである。

昆虫は多細胞生物の中でも、地上の様々な環境に幅広く適応し莫大な種数を誇る分類群であり、大きな形態の多様性を持ち、形態形成の分子メカニズムとその進化の解明に適した研究対象である。昆虫の肢は体に近い部分から、基節、転節、腿節、脛節、付節、先付節と呼ばれる6つの節を持つが、このうち付節は昆虫種によって1-5の異なる数の分節に分かれており、この部分の領域分割や関節の形成を司るシステムの種特有な変更が存在すると考えられる。付節の領域分割の分子的メカニズムを明らかにすることで、多細胞生物の形態形成の単なる一つの例としてだけではなく、種間の形態的な多様性をもたらすメカニズムに迫ることができるであろう。

ショウジョウバエの成虫肢は幼虫体内の肢原基と呼ばれる一層の細胞からなる円盤状の原基から形成される。肢の先端に対応する肢原基の中心からEpidermal Growth Factor Receptor(EGFR)のリガンドが分泌され、EGFRシグナルの強度に応じて発現する領域特異的な転写因子の相互制御により、先付節と付節の各分節領域が決定していると考えられている。しかし実際には、肢原基は細胞分裂により成長しながら段階的に領域を分割しており、そのような単純なトップダウン式の制御だけでは付節の領域化を説明することが出来ない。ホメオドメインを持つ転写因子をコードする遺伝子BarH1とBarH2(以下Barと総称する)は、3齢幼虫初期には付節遠位側で発現を開始し(図1. A)、付節近位側で発現している別の転写因子をコードするdachshund(dac)の発現領域と隣接して発現している。3齢幼虫中期にはBarとdacそれぞれの発現領域の間にどちらも発現していない領域(ギャップ)が生じる(図1. B-C)。その後、付節領域の成長に伴い、Barの発現しない領域がさらに拡大し、肢原基の外形から各分節が区別出来る3齢幼虫後期には、第1、第2付節でdacの発現が見られるが第3付節ではどちらも発現しておらず、第4付節での比較的弱いBar発現と第5付節の比較的強いBarの発現という明確な5つの領域に分かれる(図1. D-E、模式図F)。この間のBarの発現変化が各付節の領域化に必要であることは、Barの発現を完全に失った場合は第1付節以外が融合し、後期における発現を失った場合は第3-第5付節のみが融合することなどから示されている。しかし、このようなBarやdacの発現変化をもたらし5つの付節領域を形成するメカニズムは十分にわかっていなかった。

本研究は、発生と形態形成のモデル生物であるショウジョウバエの成虫肢原基を用いて、付節領域におけるBarの発現変化を引き起こし、5つの付節の領域を形成する分子メカニズムを解明することにより、成長しつつある組織でどのように正確な領域が決定されるのかについての知見を得ることで、昆虫種間で異なる数や大きさの付節がどのように獲得され得たのかについての示唆を得るものである。

結果

・rotundによる第3付節でのBarの発現消失

Barの発現領域の変化に合わせて発現を変化させる遺伝子として、Zinc-fingerドメインを持つ転写因子をコードするrotund(以降、rn)に着目した。rnの発現をレポーター遺伝子であるLacZの発現で観察出来るエンハンサートラップラインを用いて、Barとrnの発現領域の変化を免疫染色により観察したところ、rnはBarより後に、Bar発現領域に隣接した近位側の領域で発現を開始し(図2. A)、その後徐々に発現領域を拡大し、3齢中期からはBarと重複した領域で発現することが示された(図2. B-C)。rnの発現を失った変異体では3齢後期でも第3付節でのBarの発現は維持され(図2. D)、またGAL4-UAS系を用いたrnの強制発現によってBarの発現が抑制されたことから(図2. E)、第3付節でのBarの発現消失はrnによるものであり、Barの発現しない領域の拡大は、rnの発現領域の拡大によることが分かった。(図2. F)

・nubbinによるrnの発現制御

Barの発現変化にrnの発現変化が重要であることが分かったが、rnの発現変化を引き起こす原因については不明であった。POU-ホメオドメインを持つ転写因子をコードするnubbin(nub)は3齢幼虫後期に第5付節で発現しているが、rnの発現はちょうどこれと反対に第4付節まで発現が広がっており、nubによるrnの発現制御が示唆された。rnのエンハンサートラップラインを用い、免疫染色によりnubとrnの発現を詳細に観察すると、rnの発現が始まる前の3齢幼虫初期には、nubはBarの発現領域を含む広い領域で発現していた(図3. A)。その後ちょうどBarの発現領域の外側で隙間のような発現の消失を見せ、まさにその領域でrnの発現が開始していた(図3. B)。その後nubの発現が第5付節に向かって縮小するのに伴い、rnの発現が拡大していった(図3. C)。モザイク解析によりnubを欠失した細胞ではrnが異所的に発現し(図3. E)、また、GAL4-UAS系を用いたnubの強制発現によってrnの発現が抑制された(図3. F)。これらから、nubの発現領域が縮小することによりrnが遠位側に発現を拡大し、徐々にBarを抑制していくと考えられた(図3. G)。

・EGFRシグナルによるnubの制御

さらにnubの発現制御メカニズムの解明を目指した。免疫染色により観察されたnubの発現は肢原基中央から周縁にかけて徐々に弱くなる勾配を形成しており(図3. A)、同様の勾配を形成しているEGFRシグナルによる制御が示唆された。EGFRのDominant negative型をGAL4-UAS系により強制発現し、EGFRシグナルを低下させるとnubの発現が抑制され(図4. A)、EGFRの活性化型をflip-outシステムとGAL4-UAS系により一部の細胞群で強制発現させてEGFRシグナル活性化したところnubの発現消失が抑制された(図4. B)。これらから、3齢幼虫初期におけるnubの発現はEGFRシグナルによる制御を受けていることが示された(図4. C)。

・apterousによる第4付節でのBarの発現維持

前述の通り、nubの発現がBarの発現領域を含む付節の広い領域から、第5付節にまで縮小することで、rnが発現を拡大し、第3付節でのBarの発現を終結させることが分かった。しかし、rnは発現が消失する3齢幼虫後期までに第4付節にまで発現が拡大しており、第4付節ではBarとrnの発現が重なるため、rnの発現下でもBarの発現を維持しうる要因があると考えられた。LIM-ホメオドメインを持つ転写因子をコードするapterous(ap)はまさにこの第4付節で特異的に発現する転写因子であり、ap変異体の肢では第4付節が欠失するが、どのように第4付節の形成に関わっているのかは明らかでなかった。免疫染色によりapの発現をBar、rnと比較して詳細に観察したところ、3齢幼虫中期に、rnとBarの発現領域が重複し始めるまさにその細胞で発現を開始していた(図5. A-B)。GAL4-UAS系を用いてapをより初期から強制発現した領域では第3付節で見られるようなBarの発現消失が起こらず(図5. C)、またGAL4-UAS系を用いてapに対応するInverted repeat RNAを強制発現しRNAiによるノックダウンを行うと、本来はBarの発現が維持される第4付節でもBarの発現が消失した(図5. D)。このことから、apはrnによるBarの抑制を無効にし、Barの発現を維持することで第4付節となる領域を決定する機能を持つことが示された(図5. F)。

結論と考察

本研究により、EGFRシグナルの制御下にあるnubの発現領域が縮小するのに応じてrnが発現を開始・拡大し、それによってBarの発現領域が消失した領域が第3付節となり、apが特定の時期に発現を開始することでBarの発現が維持された領域は第4付節となるという過程が明らかになった。

こうして導き出された付節の領域化メカニズムはいくつかの点で興味深いものである。まず、rn及びBarの発現領域変化を引き起こすnubはEGFRシグナルの制御下にあることから、肢原基の成長により中央から分泌されるEGFRリガンドが到達しない領域が生じ、nubの発現変化を引き起こし得る。このことは付節領域の成長自体が分節化と密接に関係している可能性を示唆する。次にapの発現開始時期が、Barの発現が消失する領域と維持される領域の割合を決定し、最終的な付節の分節化および各付節の大きさの決定に重要と考えられることである。このことから、付節領域の成長の度合いとapの発現開始時期によって付節領域の分節化が容易に影響を受けることが予想される。本研究の結果を基礎として、他の昆虫でも本研究で重要性が明らかになった転写因子群の発現を解析することにより、昆虫種間で見られる付節の分節数やプロポーションの多様性をもたらしているメカニズムについての解明が期待される。

図1.Barとdacの発現領域の変化.

A.3齢初期にはBar(紫)とdac(緑)の発現領域は隣接している.B-C.3齢初期から中期にかけてBarとdacの間にギャップが生じ、その後、Barの発現しない領域はさらに拡大する。D-E.3齢後期から前蛸期には第1付節での強いdacの発現、第2付節での弱いdacの発現、どちらも発現していない第3付節、第4付節での弱いBarの発現、第5付節で強いBarの発現が見られ、各付節とBar、dacの発現による領域が対応している.F.Barとdacの発現変化のモデル図A,B=肢原基の正面像.A',B',C-E=肢原基の断面像.右側が遠位側.

図2.rnの発現領域の変化と第3付節におけるBarの抑制.

A-C.rn(緑)はBar(紫)に隣接した近位側領域で発現し始め、拡大していく.D.rnの変異体ではBarが第3付節でも消失しない(矢頭).E.rnを強制発現した領域でBarが抑制される(矢頭).F.rnの発現拡大によりBarの発現が限局されるモデル図A-D:肢原基の断面像.右側が遠位側.E:肢原基の正面像.全てで上側が背側.

図3.nubの発現変化とmの抑制.

A.3齢初期にはnub(緑)は付節全体を含む領域で発現している.B.nubの発現が消失した領域でm(紫)が発現を開始する(矢頭).C-D.付節領域のnubの発現領域が縮小するに従いrnの発現領域が拡大する.E.nubを欠失したクローンではrnが異所的に発現する(矢頭).F.nubを強制発現した領域でrnが抑制される(矢頭).G.nubの発現消失によりrnの発現が拡大するモデル図A,B,C,E-F:肢原基の正面像.B',B"=Bの矢頭付近を拡大した断面図.C',C":Cの点線付近を拡大した断面図.D:肢原基の断面像.全てで上側が背側.

図4.EGFRシグナルによるnubの発現制御.

A.EGFRシグナルの活性を強制的に落とした領域でnub(緑)が抑制される(矢頭).B.EGFRシグナルを強制的に上昇させた細胞(紫)でnub(緑)の具所的な発現がみられる(矢頭).C.EGFRシグナルによりnubの発現領域が変化するモデル図A-B=全て肢原基の正面像.上側が背側.

図5.aρの発現領域とBarの発現維持.

A-B.aρ(緑)はrn(青)とBar(赤)の発現が重複する細胞で発現する(矢頭).C.aρをノックダウンすると第4付節でのBarの発現が消失する(矢頭).D-E.aρを強制発現した領域では第3付節でもBarの発現が消失しない(矢頭).F.rnによるBarの抑制下でaρがBa'の発現を維持するモデル図A-C,E:肢原基の断面像.右側が遠位側.D=Legdiscの正面像.全てで上側が背側.

図6.付節の領域決定のモデル図.

A.3齢幼虫初期にはBarとdacは隣接して発現しており、EGFRシグナルが到達する広い範囲でnubが発現している.B.組織の成長に伴いEGFRシグナルの到達範囲から外れた領域でnubの発現が消失し、rnが発現を開始する.C.nubの発現を失った領域が広がるに連れrnの発現領域が拡大し、近位側のBarが抑制されていく.D.aρが発現を開始し、以降はmの発現が拡大してもBarが抑制されない領域が出現する.E.rnによりBarの発現が消失した領域は第3付節となり、aρによりBarの発現が維持された領域は第4付節となる.

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、昆虫の肢を構成する分節のうち、種間でその分節数に多様性を持つ付節に着目し、付節に5つの分節を持つショウジョウバエを用いて付節の分節化に伴う領域決定の分子メカニズムを詳細に解析した結果が述べられている。特に、二つの転写因子をコードする遺伝子BarH1とBarH2(合わせてBarと呼称)は、当初は付節の遠位側の分節に相当する領域で発現しているが、後に第3付節では発現が消失し、第4付節では弱い発現、第5付節では強い発現というように発現が変化し、この発現変化が付節の分節化に重要であることから、Barの発現変化のメカニズムに重点を置いて解析している。序論では昆虫種間の付節多様性の存在、ショウジョウバエでこれまで調べられてきた肢および付節の分節化メカニズムについて述べている。

結果は大きく分けて、転写因子をコードする3つの遺伝子の機能解析と、カイコ幼虫肢の形成における転写因子の発現解析から成っており、一つはrotund(rn)によるBarの抑制による第3付節の形成、一つはnubbin(nub)によるrnの発現制御とnubの発現制御について、一つはapterous(ap)によるBarの発現維持による第4付節の形成である。

まず、rnについて発現時期と領域をBarと比較しながら詳細に解析し、rnの発現領域拡大とBarの発現領域縮小の密接な関係を示している。また、rnの変異体ではBarの発現領域縮小が起こらず、rnの強制発現によりBarが抑制されることから、rnの発現領域の拡大によりBarの発現消失が起き、その領域が後の第3付節であることを示している。

次に、nubについて発現領域の変化をrn、Barと比較して詳細に観察し、当初は付節を含む広い領域で発現していたnubがちょうどrnの発現が開始する領域で消失し、続くnubの消失した領域の拡大と、rnの発現領域の拡大の対応を示している。nub変異体ではrnが異常に広い領域で発現することによりBarなどの転写因子をコードする遺伝子の発現を抑制すること、nubの強制発現によりrnが抑制されることから、rnの発現時期・領域の制御は主にnubの発現領域変化によることを示している。さらに、付節領域でモルフォゲン・シグナルとして機能しているEpidermal Growth Factor Receptor(EGFR)シグナルによりnubの発現が制御されていることを示し、組織自体の成長によりこのシグナルの到達範囲が相対的に変化し、最終的にBarの発現領域が変化する可能性を示唆している。

rnは将来の第4付節ではBarの発現領域と重なって発現するが、apについて発現領域と時期をBar及びrnと比較した解析から、rnが発現を拡大しつつBarと発現領域が重なり始める時期にこの領域でapの発現が開始していることを示している。apのノックダウンによりrnと発現が重複する領域でのBarの発現が消失し、apの強制発現により本来発現が消失する領域でBarの発現が残存することを示し、apがRnなどの抑制因子の存在下でもBarの発現を維持する機能を持ち、apの発現により第4付節が形成されることを示している。

最後に、ただ一つの付節を持つカイコ幼虫肢の形成過程におけるBar、rn、nub、apなどの転写因子の発現解析を行い、nubの発現変化はショウジョウバエと同じように見られるがBarの発現領域との関連が見られないこと、Barの発現を制御するrnやapなどの発現がそもそも見られないことを示している。

考察ではこれらの結果から、ショウジョウバエ付節においてRn、Nub、Apの各転写因子によるBarの発現制御を通じた第3、第4付節の領域形成メカニズムを示すとともに、これまで形成過程が全く不明であった第2付節についても、当初はBarが発現していた領域であることを示し、既存の研究と合わせて付節の各領域形成の大部分を説明するモデルを提唱している。また、カイコ幼虫肢がただ一つの付節のみを持つメカニズムは、Barの発現を制御する因子が発現しないことによる可能性を示唆している。

本研究により、昆虫肢の付節分節化において各分節の領域を決定する分子メカニズムの大部分が明らかになった。本研究の結果を基礎として、昆虫種間における付節の分節数や大きさなどの多様性をもたらすメカニズムについても理解が深まることが期待される。さらにこの結果は、組織の成長、あるいは特定の遺伝子の発現時期によって領域決定が進行するという新規の分子メカニズムを提示しており、広く組織の発生メカニズム一般について、新たな概念を提示するものである。また、本研究は論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったものであり、博士(生命科学)学位を授与できると認められる。

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