学位論文要旨



No 128407
著者(漢字) 伊藤,若菜
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ワカナ
標題(和) 変異型DNAポリメラーゼ・イータを用いた損傷乗り越え複製の分子機構の解析
標題(洋) Analyses of molecular mechanism of translesion synthesis using mutant DNA polymerase η
報告番号 128407
報告番号 甲28407
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第766号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 教授 山本,一夫
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 国立がん研究センター東病院 室長 土原,一哉
 学習院大学 教授 花岡,文雄
内容要旨 要旨を表示する

損傷乗り越え複製(TLS; translesion synthesis)は、損傷のあるDNA鎖を鋳型として複製を行なうことのできない通常の複製DNAポリメラーゼから、損傷のある鋳型鎖でも複製を行なうことのできるTLSポリメラーゼに入れ替わることで損傷による複製阻害を回避し、細胞死を防ぐ機構である。DNA ポリメラーゼ・イータ(Polη)はTLSにおいて、紫外線(UV)による主なDNA損傷であるシクロブタン型ピリミジン二量体(CPD)を正確に効率よく乗り越えることができるTLSポリメラーゼであり、色素性乾皮症バリアント群(XP-V)の原因遺伝子産物として同定された。XP-VはPolηに変異があるため、CPDに対して正確なTLSができずUV過敏性を示し、高頻度に皮膚癌を発症する疾患である。Polηは自身のTLSポリメラーゼ活性に加え、REV1などの他のTLSポリメラーゼと相互作用することが知られている。哺乳類においてはPolη、ι、κ、ζ、REV1が、損傷の種類に応じて協調的にTLSを行なうと考えられており、その過程でTLSポリメラーゼ間相互作用が重要な役割を担うと推測されている。これらのことから、XP-V患者で見られるUV感受性の原因がPolη欠損によるCPDの正確な乗り越えが出来ないことに加え、Polηを中心としたTLSポリメラーゼ間でのネットワークの破綻も関与する可能性があると考えた。これまでの研究でPolη欠損、Polη・Polι二重欠損、及びPolη・Polι・Polκ三重欠損マウスが作成され、UV誘発皮膚発がんを主徴とするXP-V群患者のモデル動物として利用できることが明らかになっている。更にこれらのマウスからマウス胚性線維芽細胞(MEF)が樹立され、XP-V患者由来培養細胞と同様にUV感受性を示すことが分かっている。本研究では、これらのMEFに野生型及びタイプの異なる3種類の変異型Polη(ポリメラーゼ活性に必須なアミノ酸残基2箇所に変異を導入した不活性型 Polη、REV1との相互作用に必須な4個のフェニルアラニンに変異を導入したREV1非結合型Polη、この両変異を併せ持つ不活性型/REV1非結合型Polη)を個別に発現させ、UV感受性と突然変異率を解析した。

まずPolη欠損及びPolη・Polι二重欠損MEFに各種変異型Polηを発現するプラスミドをエレクトロポレーションによってトランスフェクションして過剰発現させ、ハイグロマイシン含有培地でセレクションを行い安定発現株を得た。次にこれらの細胞株を用いてコロニー形成法を主としてUV照射後の生存率を調べた。その結果、Polη欠損及び Polη・Polι二重欠損MEFでは野生型 MEFに比べ著しくUV感受性が高く、UV照射量依存的に生存率の低下がみられた。これらの細胞に野生型 Polηを発現させるとそのUV感受性は野生型MEF程度にまで回復した。不活性型 Polηを発現したMEFでは、部分的であるが明らかなUV感受性の回復がみられた。一方、REV 1非結合型Polηを発現させた場合、そのUV感受性は野生型MEFと同程度にまで回復した。しかし、不活性型/REV1非結合型Polηの発現ではUV感受性の回復は全くみられなかった。これらのことから、Polη-REV1の相互作用はPolηに活性がある場合にはUV感受性回復に必要ないが、Polη自身に活性がなくCPDを乗り越えられない場合、REV1と相互作用することによって部分的にUV感受性を回復させるのではないかと考えられる。また、Polη欠損MEFとPolη・Polι二重欠損MEFではそのUV感受性に大きな差がみられないことから、この不活性型Polη-REV1相互作用を介するTLS経路はPolιに依存しないと思われる。

次に、PolκはXP-V群患者由来細胞において誤りがちな TLSを行うとの報告から、Polκが不活性型Polηによる部分的なUV感受性の回復に関わる可能性が考えられた。そこで、Polη欠損MEF、及びPolη・Polι・Polκ三重欠損MEFのUV感受性をコロニー形成法により調べた。さらに、Polη・Polι・Polκ三重欠損MEFにPolη欠損、Polη・Polι二重欠損MEFと同様に各種変異型Polηを発現させ、同様にUV感受性を調べた。その結果、Polκ欠損MEFはわずかなUV感受性を示した。一方、Polη・Polι・Polκ三重欠損MEFはPolη欠損、Polη・Polι二重欠損MEFと比較しても非常に高いUV感受性を示した。野生型 Polη、REV1非結合型 Polηの発現によりPolη・Polι・Polκ三重欠損MEFのUV感受性は野生型MEFと同レベルまでの回復はみられないものの、Polκ欠損MEFと同レベルにまで回復した。しかし不活性型Polηの発現によりPolη欠損、Polη・Polι二重欠損MEFでは部分的なUV感受性の回復がみられたにも関わらず、Polη・Polι・Polκ三重欠損MEFのUV感受性は回復しなかった。また同様に、不活性型/REV1非結合型Polηの発現によってもUV感受性は回復しなかった。これらのことから、Polη欠損、Polη・Polι二重欠損MEFでみられた不活性型Polη発現による部分的なUV感受性の回復にはPolκの関与が示唆された。

次に各種変異型Polηの発現がUVにより誘発される突然変異率を抑制するかを調べるため、

各種変異型Polηを発現させたPolη欠損MEFのUV照射後の突然変異率をouabain耐性Na+/K+-ATPase遺伝子変異体の出現頻度により解析した。その結果、UV非照射の各MEFの変異率に統計的有意差がないのに対して、Polη欠損MEFではUV照射後に変異率が大きく上昇した。この変異率の上昇は、野生型Polη、及びREV1非結合型Polηの発現により野生型MEFと同程度にまで抑制された。一方、不活性型Polηを発現したPolη欠損MEFではPolη欠損MEFに比べ変異率の上昇がみられた。不活性型/REV1非結合型Polηでは不活性型Polηレベルまでの変異率の上昇は見られないものの、依然としてPolη欠損MEFと同等の高い変異率を示していた。このことから、不活性型Polη-REV1相互作用で誘導されるTLS経路は突然変異率が高い、すなわち誤りがちなTLSを行うと考えた。同様に、不活性型Polηを発現したPolη・Polι二重欠損MEFでもPolη・Polι二重欠損MEFに比べて変異率が上昇したことから、UV誘発性突然変異の上昇においてもPolιの関与は除外できると思われる。一方で、Polη・Polι・Polκ三重欠損MEFではUV照射後の変異率の上昇は殆どみられなかった。各種変異型Polηを発現したPolη・Polι・Polκ三重欠損においても変異率の上昇はみられなかったことから、Polη欠損時における突然変異率の上昇にPolκが寄与していることが示唆された。

以上のことから、次のようなモデルを考えた。通常、CPDのTLSはPolηにより正確に効率よく行われる。Polηの非存在下ではPolι、Polκ、Polζにより誤りがちなTLSが行われることが報告されている。しかし、Polηが存在してもTLSポリメラーゼ活性の欠如によりCPDのTLSを行うことのできない場合にはREV1との相互作用を介してPolκを損傷の場へと引き寄せ、誤りがちなTLSを行うことで細胞死という最悪の事態を回避しようと試みるのではないかと予想した。XP-V患者におけるPOLH遺伝子の変異の中には、ミスセンス変異によりTLSポリメラーゼ活性に重要とされるアミノ酸が別のアミノ酸に置換した不活性型変異が複数報告されている。今回、新たなTLS機構として、不活性型PolηがCPDを乗り越えられない場合にはREV1との相互作用を介して他のTLSポリメラーゼとPolηを交換し、代わりに誤りがちにCPDを乗り越えることを示した。この新たなTLS機構の詳細を明らかにすることで、一部のXP-V患者でみられる不活性型変異による発癌機構の解明に重要な手がかりが得られることが期待される。また、生化学的解析によりPolκ単独ではCPDを乗り越えられずPolζが必要であるとの報告から、Polκに加えPolζもこの経路に協調的に働いていると予想される。今後、さらにPolζの寄与についても不活性型変異体などを利用した解析を行う必要があると思われる。一方、哺乳類以外のTLSポリメラーゼについてもREV1との相互作用について解析することで、TLSにおけるREV1と他のTLSポリメラーゼの相互作用意義の普遍性あるいは特殊性について重要な知見が得られると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

色素性乾皮症バリアント群(XP-V)はDNAポリメラーゼη(Polη)に変異があるため、UVによるDNA損傷であるCPDの損傷乗り越え複製(TLS)ができず日光超過敏性を示し、高頻度に皮膚癌を発症する疾患である。Polηは自身のTLSポリメラーゼ活性に加え、REV1などの他のTLSポリメラーゼと相互作用することが知られている。XP-V患者で見られる紫外線感受性がPolη活性の欠如にのみに起因するのか、あるいはTLSポリメラーゼ間のネットワークの破綻も関与しているのかどうかはまだ明らかではない。申請者は各種TLSポリメラーゼを欠損した細胞に3種類の異なる変異型Polηを個別に発現させた細胞を樹立し、これらの細胞株のUV感受性と突然変異率を解析することによりXP-V患者で見られるUV感受性におけるTLSポリメラーゼネットワーク機能の解明を目指した。

これまでの研究でPolη欠損、Polη・Polι二重欠損マウスが作成され、さらにこれらのマウスからマウス胚性線維芽細胞(MEF)が樹立されている。これらのMEFに野生型及びタイプの異なる3種類の変異型Polη(ポリメラーゼ活性に必須なアミノ酸残基2箇所に変異を導入した不活性型 Polη、REV1との相互作用に必須な4個のフェニルアラニンに変異を導入したREV1非結合型Polη、この両変異を併せ持つ不活性型/REV1非結合型Polη)を個別に発現させ、安定発現株の樹立に成功した。

これらの細胞株を用いてコロニー形成法を主としてUV照射後の生存率を調べた。その結果、Polη欠損及び Polη・Polι二重欠損MEFでみられた高いUV感受性が野生型 Polη、及びREV 1非結合型Polηの発現により野生型MEF程度にまで回復した。また、不活性型 Polηを発現させると部分的にUV感受性を回復するにも関わらず、不活性型/REV1非結合型Polηの発現ではUV感受性は回復しなかった。これらのことから、Polη-REV1の相互作用はPolηに活性がある場合にはUV感受性回復に必要ないが、Polη自身に活性がなくCPDを乗り越えられない場合、REV1と相互作用することによって部分的にUV感受性を回復させることが明らかとなった。また、Polη欠損MEFとPolη・Polι二重欠損MEFではそのUV感受性に大きな差がみられず、この不活性型Polη-REV1相互作用を介するTLS経路はPolιに依存しないことも明らかにした。

次に、Polη・Polι・Polκ三重欠損MEFにPolη欠損、Polη・Polι二重欠損MEFと同様に各種変異型Polηを発現させ、UV感受性を調べた。その結果、Polκの非存在下では不活性型Polηを発現させてもPolη・Polι・Polκ三重欠損MEFのUV感受性は回復しなかった。このことから、Polη欠損、Polη・Polι二重欠損MEFでみられた不活性型Polη発現による部分的なUV感受性の回復にはPolκが関与していることが明らかとなった。

さらに各種変異型Polηの発現がUVにより誘発される突然変異率を抑制するかを調べるため、

UV照射後の突然変異率をouabain耐性Na+/K+-ATPase遺伝子変異体の出現頻度により解析した。その結果、不活性型Polηを発現によりPolη欠損MEF、及びPolη・Polι二重欠損MEFの変異率は上昇し、不活性型Polη-REV1相互作用で誘導されるTLS経路は突然変異率が高い、すなわち誤りがちなTLSであることが明らかとなった。また、Polη・Polι・Polκ三重欠損MEFでは発現させた変異型Polηの種類によらずUV照射後の変異率は上昇しなかったことから、Polη欠損時における突然変異率の上昇もPolκが寄与していることが明らかとなった。

以上のことから、Polηが存在してもTLSポリメラーゼ活性の欠如によりCPDのTLSを行うことのできない場合にはREV1との相互作用を介してPolκを損傷の場へと引き寄せ、誤りがちなTLSを行うことで細胞死という最悪の事態を回避する新たなTLS機構を明らかにした。XP-V患者では変異TLSポリメラーゼ活性を失う不活性型変異が複数報告されており、今回明らかにした新たなTLS機構は不活性型変異による発癌機構の解明に重要な手がかりとなることが期待される。

なお、本論文の一部は、Yokoi M.、Sakayoshi N.、Sakurai Y.、Akagi J.、Mitani H.、Hanaoka F.との共同研究でGenes to Cells誌に公表済みであり、論文提出者が筆頭著者として主体となって解析、および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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