学位論文要旨



No 128412
著者(漢字) 村田,泰彦
著者(英字)
著者(カナ) ムラタ,ヤスヒコ
標題(和) メダカ近交系統の交雑による対立遺伝子特異的な発現変動解析
標題(洋)
報告番号 128412
報告番号 甲28412
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第771号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 教授 河村,正二
 東京大学 准教授 尾田,正二
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
 東京大学 准教授 鈴木,穣
内容要旨 要旨を表示する

異なる生息環境に適応した同種集団は各生息環境において蓄積された自然変異によって異なる遺伝子発現量を示す。集団間に生じた遺伝子発現量の違いが、表現型の多様化、各生息環境下における種々のストレスへの適応を可能にしていると考えられる。このような遺伝的背景の異なる同種集団が再び接触する hybrid zone では各集団由来の対立遺伝子 (アレル) を受け継いだ交雑個体が存在しており、野生生物集団間で数多く確認されている。交雑個体における2種のアレルの共存は、各アレルに特異的な発現量を変動させ、新たな表現型、場合によっては親と異なる環境適応能の獲得に結びつくと考えられる。交雑およびストレス曝露による両親由来の各アレルに特異的な発現量の変動解析は、親とは異なる環境適応能の獲得を分子生物学的な観点から理解することにつながると考えられる。しかし、アレル特異的な発現を定量的に評価するための方法論や適したモデル生物が不在であったため、遺伝的背景の異なる同種集団の交雑によってアレル特異的な発現がどのように変動するか解析が進んでいない。メダカは日本各地に特有の集団を形成しており、実験動物として多数の近交系統が樹立されている。近年の全ゲノム解析によって、南日本および北日本集団に由来するメダカ近交系統、Hd-rR および HNI 間には、一塩基多型 (single nucleotide polymorphism、SNP) が全ゲノムにおいて3.4%、遺伝子コーディング領域において1.8%存在することが明らかにされている。驚くべきことに、Hd-rR および HNI はこれだけの遺伝的背景の差異を有するにもかかわらず交雑によって、健康で生殖能を有する F1 交雑個体を作出可能である。本研究はこれらメダカ近交系統および F1 交雑個体に着目し、アレル特異的な発現量を個別および網羅的に定量する方法論を構築し、交雑による各アレル特異的な発現の変動、および環境ストレスとしての放射線ストレスが負荷された際の各アレル特異的な発現の変動を明らかにすることを目的とした。

まず、F1 交雑個体におけるアレル特異的発現量を親系統と比較定量に適した方法が不在なため手法の開発を行った。孵化後3ヶ月以上経過し、性成熟したメダカ近交系統Hd-rR、HNI、相反 F1 交雑個体 NdF1 (HNI 雌およびHd-rR 雄の交雑個体) および dNF1 (Hd-rR 雌およびHNI 雄の交雑個体) の雄6個体から腸をそれぞれ採取後、抽出した total RNA を用いて cDNA を合成した。個々の遺伝子についてアレル特異的な発現を定量的に評価するため、アレル特異的プライマーを用いた quantitative analysis of allele-specific expression (qASE) 法を開発した。アレル特異的プライマーの一方の3'末端に SNP が位置するようにプライマーを設計し、さらに3'末端から2塩基目を意図的にミスマッチ塩基として特異性を高めた。次に、Hd-rR および HNI アレル間で SNP を有する11遺伝子に対して、アレル間に共通な配列を用いて設計した共通プライマーおよび各アレルに特異的なプライマーを用い、各親系統および相反 F1 交雑個体における各遺伝子の総発現量およびアレル特異的発現量を定量した。11遺伝子のうち、総発現量が親系統間において有意に異なっていた6遺伝子 (PSMB8, MT, FMO, HPRT1, GAPDH, CYPR2J2) では、各 F1 交雑個体におけるそれらの総発現量は、親系統間で高い総発現量を示した親系統と同程度であった。6遺伝子のうち、4遺伝子 (PSMB8, MT, HPRT1, GAPDH) では、F1 交雑個体におけるアレル間の発現量の差が、親系統間の総発現量の差に比べ小さくなっていたが、2遺伝子 (FMO, CYP2J2) ではそれらのアレル間の発現量の差は、親系統間の総発現量の差と同程度であった。残る5遺伝子においては、親系統間において総発現量に差はみられず、F1 交雑個体におけるアレル間の発現量にも差はみられなかった。また、相反 F1 交雑個体である NdF1 および dNF1 間において親系統の掛け合わせによるアレル特異的な発現量に差はみられなかった。アレル特異的な発現量が転写制御領域のみで調節されていると仮定した場合、親系統間で総発現量が異なる遺伝子では、F1 交雑個体において各親系統の総発現量の平均を示すことが期待されるが、そのような挙動を示す遺伝子は見出されず、交雑によるアレル特異的な発現量の変動に転写調節因子が関与することが示唆された。

次に、交雑によるアレル特異的な発現変動を網羅的に解析するため、各親系統6個体および F1 交雑個体 (NdF1) 6個体の腸由来 total RNA をそれぞれ等量混合したプール RNA を作成し、次世代シークエンサー (Illumina) による RNA-Seq 解析に供した。得られたリードを参照配列 (Hd-rR ゲノム) にアライメント後、Ensembl に登録された遺伝子コーディング領域に応じ、各 SNP ポジションに対してアノテーションを行った。次に、RNA-Seq 解析によって検出された約7,700遺伝子に対して、サンプル間で共通する SNP の抽出、近交系統内に多型の恐れのある SNP の除去、遺伝子コーディング領域内に含まれる各アレル由来のリード数の総和の補正処理を施し、3447遺伝子をアレル特異的な発現変動の解析対象とした。これら遺伝子の一部につき、親系統間の総発現量比および F1 交雑個体におけるアレル間の発現量比を qASE 法による定量結果と比較したところ、高い相関が見られたことから、本法により親系統の総発現量、アレル特異的な発現量を網羅的・定量的に評価可能であることが示された。親系統間において総発現量に1.5倍以上の差がみられた1358遺伝子のうち、836遺伝子がHd-rR 側に偏っており、522遺伝子が HNI 側に偏っていた。両遺伝子群ともに F1 交雑個体においては、アレル間の発現量比を調べたところ、親系統間の総発現量差より小さくなる傾向が認められた。この傾向は親系統間の総発現量が2倍、3倍以上異なる遺伝子群においても同様であった。そこで、この1358遺伝子を対象に F1 交雑個体におけるアレル特異的発現量の親系統に対する1.5倍以上の増減で分類したところ、両アレルに発現量の増減が見られなかった495遺伝子 (36%) を除く822遺伝子 (61%) においてアレルの片方の発現量が増加または減少していた。これら822遺伝子は F1 交雑個体において高い総発現量を示した親系統由来アレルの発現量が減少、または低い総発現量を示した親系統由来アレルの発現量が増加することで親系統間の総発現量差が小さくなる傾向が見られた。また、822遺伝子に対して上述で分類された各遺伝子群に対して gene ontology (GO) 解析を行ったところ、Hd-rR アレルのみの発現量が1.5倍以上増加した遺伝子群に細胞周期停止関連遺伝子、1.5倍以上減少した遺伝子群に微小管関連遺伝子、HNI アレルのみの発現量が1.5倍以上増加した遺伝子群に補酵素結合、ヘム結合および細胞内代謝経路関連遺伝子、1.5倍以上減少した遺伝子群にシグナル伝達関連遺伝子が多く見られた。また、各遺伝子コーディング領域上の検出された SNP 数に含まれる非同義置換率と親系統間の総発現量比と相関が見られるか検討したが、相関は見られなかった。系統間のタンパク質のアミノ酸構成の変化と発現量差には、関係がないと考えられる。

F1 交雑個体 (NdF1) にγ線5Gy照射後、4時間経過した6個体の腸由来プール RNA を GA解析に供し、非照射 F1 交雑個体と比較してアレル特異的な発現変動を検討した。解析対象となった3447遺伝子のうち、813遺伝子において放射線照射後にアレル特異的な発現量が変化しており、813遺伝子のうち509遺伝子においてアレルの片方または両方の発現量が1.5倍以上増加しており、304遺伝子において1.5倍以上減少していた。GO 解析の結果、両アレルの発現量が1.5倍以上増加した遺伝子群に微小管関連遺伝子、減少した遺伝子群にミトコンドリアの ATP 合成関連遺伝子が多く見られた。Hd-rR アレルの発現量が1.5倍以上増加した遺伝子群には熱ショックタンパク関連遺伝子が多く見られた。HNI アレルの発現量が1.5倍以上増加した遺伝子群には脂質生合成関連遺伝子、減少した遺伝子群には転写調節関連遺伝子が多く見られた。HNI アレルの発現量が1.5倍以上減少した遺伝子群に多く見られた転写調節関連遺伝子には放射線ストレス応答だけでなく、DNA 損傷応答およびアポトーシスに関わる遺伝子が含まれていた。

本研究によって、交雑によるアレル特異的な発現量の変動を個別および網羅的に解析する手法が樹立された。親系統間の総発現量が異なる遺伝子は、交雑後に、その差が小さくなる傾向が示された。親系統間の環境適応能に関連すると考えられる遺伝子群も交雑後に親系統間の発現量差が小さくなることが明らかとなった。また、放射線ストレス曝露によってアレル特異的な発現量が増加または減少した各遺伝子群内に特定の機能に関連する遺伝子が発見された。親系統間でアレル特異的な遺伝子発現量の制御に対するストレス感受性の違いが存在する可能性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章から構成される。第1章では、メダカ近交系統および F1 交雑個体における各対立遺伝子 (アレル) 発現量およびその総和である総発現量を遺伝子ごとに定量可能とする quantitative analysis of allele-specific expression (qASE) 法による定量解析、第2章では、総発現量およびアレル発現量の網羅的な解析、第3章では、放射線ストレス曝露後の F1 交雑個体における各アレル発現量の網羅的な解析について述べられている。

遺伝子発現は全ての生物において遺伝子型および表現型を結び付ける主要因の1つである。遺伝的背景の異なる親系統から各染色体を1コピーずつ受け継いだ F1 交雑個体において、各アレルが各親系統におけるアレルと異なる発現量を示した場合、F1 交雑個体は親系統とは異なった表現型および環境適応能を獲得することもあるが、どのように各アレル発現量が変動し、発現制御されるか不明な点が多い。論文提出者は遺伝的背景の異なる南日本および北日本集団由来のメダカ近交系統 Hd-rR および HNI に着目し、F1 交雑個体におけるアレル発現量の個別および網羅的な変動解析および環境ストレスとしての放射線ストレスが負荷された際のアレル発現量の網羅的な変動解析を行った。

第1章では、総発現量および各アレル発現量を個体間で比較定量可能な手法 qASE 法を独自に開発し、qASE 法による11遺伝子の定量に成功した。親系統間で有意に異なった総発現量を示した6遺伝子は、1遺伝子を除き、高い総発現量を示した親系統と同程度の総発現量を F1 交雑個体において示した。アレル発現量が、転写調節因子に代表されるトランス因子ではなく、転写制御領域に代表されるシス因子のみで制御されているならば F1 交雑個体における総発現量は親系統間の総発現量の平均を示すことが期待されるが、そのような挙動を示す遺伝子は見出されなかったことからアレル発現量の変動にトランス因子が関与することが示唆された。また、上記6遺伝子のうち4遺伝子において親系統間の総発現量差が減少する傾向が認められ、アレルの片方あるいは両方が親系統におけるアレル発現量と異なる可能性が示された。

第2章では、次世代シークエンサーによる各親系統および F1 交雑個体における総発現量およびアレル発現量の網羅的な解析を行い、解析対象となる3447遺伝子の選出に成功した。3447遺伝子のうち、1829遺伝子では F1 交雑個体においてアレル発現量に1.5倍以上の変動が認められず、残る1618遺伝子ではアレルの片方または両方の発現量に1.5倍以上の変動が認められたことから、シスおよびトランス因子がそれぞれ遺伝子の半数の発現変動に関与する可能性が示された。また、親系統間で1.5倍以上の総発現量差を示し、親系統間の表現型の違いに関係すると考えられる1358遺伝子のうち、半数を超える822遺伝子 (61%) ではアレル発現量の変動によって F1 交雑個体において親系統間の総発現量差が減少する傾向が認められた。

第3章では、F1 交雑個体に放射線ストレスを曝露し、次世代シークエンサーによる放射線照射前後における各アレル発現量の変動解析を行った。第2章と同一の3447遺伝子のうち、813遺伝子においてアレルの両方または片方の発現量に1.5倍以上の増加または減少が認められた。これら813遺伝子のうち、387遺伝子においてアレルの片方のみの発現量の増加が認められ、238遺伝子においてアレルの片方のみの発現量の減少が認められており、シスまたはトランス因子による各アレルに特異的な放射線ストレス発現応答が存在する可能性が示された。

トランス因子の変化は、F1 交雑個体における多くの遺伝子発現を大幅に変化させ、個体の生存に深刻な影響を及ぼすと予想されるため、シス因子による発現制御が主とこれまで考えられてきたが、トランス因子による発現制御がシス因子と同程度に行われている可能性が初めて示された。また、放射線ストレス曝露に対して各系統由来アレル特異的な発現制御が存在する可能性が示された。今回、開発された手法および明らかにされた結果は分子生物学的な観点から F1 交雑個体の親系統と異なる表現型および環境適応能の獲得を総合的に理解するための重要なアプローチおよび知見となることが期待される。

本論文については、筆頭著者として主体となって解析および検証を行ったもので、論文提出者は学位授与に十分な資格および能力を有すると判断される。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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