学位論文要旨



No 128416
著者(漢字) 安東,友美
著者(英字)
著者(カナ) アンドウ,トモミ
標題(和) C型肝炎ウイルス(HCV)の病原性及び持続感染機構の解析
標題(洋)
報告番号 128416
報告番号 甲28416
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第775号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,俊樹
 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 津本,浩平
 東京大学 教授 川口,寧
 東京大学 准教授 加藤,直也
 国立感染症研究所 部長 脇田,隆字
内容要旨 要旨を表示する

C型肝炎ウイルス(HCV)は、1989年に同定されたフラビウイルス科ヘパシウイルス属のRNAウイルスである。感染者は日本で約200万人、世界で1億7000万人にのぼる。その多くが10-30年という長期間を経て慢性肝炎から肝硬変へと進行し、高率に肝細胞癌を発症する。ウイルスの長期間にわたる持続感染が、HCVの病原性発現に重要と考えられているが、その分子機構は明らかになっていない。そこで、HCVの病原性及び持続感染機構を解析するために、2つのテーマで研究を行った。

以下に[背景・目的]、[方法]、[結果]及び[考察]をテーマごとに記す。

1.C型肝炎ウイルス複製複合体におけるATP制御の可視化と機能解析

[背景・目的]

近年、HCV感染が単なる肝炎だけでなくインスリン抵抗性や脂肪肝などの代謝異常も引き起こしていることが明らかになっている。我々の研究室で行ったHCV感染細胞内の代謝物質の網羅的解析(メタボローム解析)で、HCV感染が糖代謝に影響を与えることが確認された。一方、HCVはゲノムRNA複製時にATPを利用すること(Nature 2006)、高ATP濃度環境下でhelicaseの活性およびHCV複製活性が亢進すること(J. Virol. 2009)が報告されている。糖代謝異常がATPの代謝異常を介してHCV複製の活性化に繋がっている可能性が考えられるが、複製細胞におけるATPの機能は明らかになっていない。近年、FRET技術を利用して細胞内ATPの時間的・空間的な分布・変動を可視化するプローブ(ATeam)が開発され、細胞内小器官によりATP濃度が異なることが初めて報告された(PNAS 2009)。そこで、ATeamを用いてHCV複製細胞におけるATPの分布を検証することを目的に研究を行った。

[方法]

ATeamをHCV複製細胞に遺伝子導入し、細胞質のATPレベルを検証した。また、HCV複製複合体に含まれるNS5A蛋白質にATeamを融合し、複製複合体のATP濃度を可視化可能なHCV複製系(SGR-ATeam)を構築した。コントロールとして、NS5AとATeamの融合蛋白質(NS5A-ATeam)単独強制発現系も構築した。これらをHuh7細胞に遺伝子導入し、共焦点顕微鏡による観察を行った。

[結果]

ATeamをHCV複製細胞に発現させたところ、非複製細胞と比較して細胞質のATP濃度が低下していた。インターフェロンを用いて複製を阻害したところ、ATP濃度は非複製細胞同等まで回復した。HCV複製細胞細胞質でATP濃度が低下していることが示された。同様の結果はメタボローム解析でも得られた。

次に複製複合体を含む膜画分を分離し、その画分のATP消費量を解析したところ、非複製細胞と比較してATPの消費量が約2倍に亢進していた。核酸アナログを用いて複製を阻害したところ、ATP消費量は非複製細胞と同等まで低下した。ウイルスゲノム複製によるATP消費量亢進が、HCV複製細胞のATPレベル低下の一因であることが示唆された。

複製複合体のATP濃度を評価するために、HCVが複製可能なSGR-ATeamを発現させた。HCVが複製しないNS5A-ATeam単独発現細胞と比較したところ、細胞質はおよそ2 mMから1 mMに低下している一方、複製複合体の存在を示す顆粒状の部位ではおよそ5 mMという非常に高いATP濃度を観察した。生細胞でFRET観察を行った後細胞を固定化し、抗ウイルス蛋白質抗体を用いた免疫染色を行い、顆粒状の発現部位が複製複合体であることを確認した。HCV複製複合体においてATP濃度が亢進していることが示された。

[考察]

本研究ではFRET技術を利用して細胞内ATPを可視化するプローブ(ATeam)を用いて、HCV複製細胞におけるATPの分布を解析した。その結果、細胞質のATP濃度は半減し、複製複合体のATP濃度はおよそ5 mMと亢進していた。また、HCV複製は多量のATPを消費しており、複製複合体のATP濃度の亢進がHCV複製を活性化している可能性が示された。アポトーシスによる細胞死でのATP濃度が5 mM程度と推察されており(Cell Death Differ. 2005)、複製細胞のATP分布の大幅な変化は、細胞内の生理活性に大きく影響していると考えられる。ATPの分布変化が、どのようなメカニズムで生じているかは本博士論文では解析していない。HCV感染に伴う病原性発現機構に及ぼす影響と共に、今後の最重要課題と考える。また、これまでウイルス感染がATPの分布に及ぼす影響は全く解析されていない。本解析方法は他のウイルスにも応用可能であり、他のウイルスの解析にも有用であると考える。

2.C型肝炎ウイルスゲノムのquasispecies 解析

[背景・目的]

HCVは、自身のゲノムにコードされたRNAポリメラーゼのfidelityが低いためにウイルスゲノムに変異が起こりやすい。その結果、ウイルスゲノムが多種性(quasispecies)を保有し、感染中和抗体や抗ウイルス薬投与に適合していくと考えられる。これまでのHCV研究では、各塩基について優位に存在する塩基をつなげたコンセンサス配列が一般的に用いられており、ウイルスゲノムの変異も多くはコンセンサス配列に対する変化と理解されてきた。従来のPCRおよびクローニング技術ではHCVの多種性に対応しきれないために、quasispeciesについてはほとんど解析されていない。特に個々のウイルスゲノム全長にわたる網羅的な解析は、全く行われていない。そこで次世代シークエンス技術を用い、HCVゲノムの多種性をウイルスゲノム全長にわたり解析することを目的に研究を行った。本研究により、HCVウイルスゲノムの持つ多種性が病態や薬剤耐性獲得にどのように寄与するかの理解つながると期待できる。

[方法]

次世代シークエンスはこれまで主として動物やバクテリアなどの大きなゲノム解析に用いられており、ウイルスのようにサイズは小さいが、変異が多いゲノムに対する解析技術開発が十分ではない。そこで、従来のPCR法と組み合わせた技術開発を試みた。以下にその解析手順をまとめる。

1)HCV陽性血清からのRNA抽出とillumina解析用ライブラリーの作製

2)illumine GAIIxによる解析結果からウイルスゲノムのコンセンサス配列を決定

3)コンセンサス配列に対する変異の同定

4)変異をさけたプライマーで454 GS FLX解析用ライブラリーの作製

5)ウイルスゲノム上の変異とその組み合わせの決定

6)変異を含むプライマーを用いたPCR

7)direct sequenceによる全長ウイルスゲノムを決定

[結果]

これまでにHCV陽性血清1検体を解析した。既知のHCVゲノム配列を参照配列としたマッピングと、de novoアセンブル、blastを利用した近縁配列比較を利用し、コンセンサス配列を決定した。続いてコンセンサス配列を参照配列としたマッピングを行い、約9.6 kbのゲノム上に変異が混在する箇所を200数カ所同定した。GS FLXで解析し、長いリード長を利用して変異の組み合わせを推定した。GAIIxでは検出されなかった変異が新たに検出された。続いて変異を含むプライマーを設計しPCRで増幅した。オーバーラップさせた6つのampliconのダイレクトシークエンスを行い変異の組み合わせを全長にわたり確定した。患者血清中に少なくとも3種類の独立したウイルスゲノムRNA配列が存在することが示された。

[考察]

ヒトゲノム30億塩基対が持つSNPsは数百万箇所報告されており、およそ1000bpに1~3箇所程度である。一方今回同定したHCVゲノムでは9.6 kbpにおよそ300箇所の変異が同定された。数十倍にもおよぶ変異の多さのために、既存の解析技術の単純利用が困難であった。そこで、新旧様々な手法を組み合わせることで、全長のゲノムRNA配列を決定することに成功した。

これまでPCRを伴うダイレクトシークエンスで得られたコンセンサス配列をHCVの代表的な配列とし、様々な研究に用いてきた。しかし、本研究では少なくとも3種類の代表的な配列を決定した。quasispeciesの存在様式は、あるコンセンサス配列のウイルスゲノム中心に広がるのではなく、数種類のウイルスゲノムを中心に広がっている可能性が考えられた。さらに興味深いことに、3種類の配列は、治療感受性に関わるとされているウイルスゲノム配列が異なっていた。C型慢性肝炎患者の標準治療法であるインターフェロン/リバビリン併用療法の感受性を決定する因子は複数報告されているが、その相関関係は明らかになっていない。今回、全長にわたってゲノムRNA配列を決定した結果、感受性因子が一種類の配列上に共存していた。以上の結果からHCVゲノムRNAが持つ複数の代表配列が、病原性、薬剤感受性、宿主の免疫反応などさまざまな淘汰圧力に対する回避メカニズムとして機能していることが想定できる。

本研究手法を用いてHCVウイルスゲノムのquasispeciesが病態にどのような意義があるのかを理解することにより、新たな治療法の開発につながる可能性がある。また、テーラーメード治療への応用や、他のウイルスへの応用も期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は二章からなる。第一章はC型肝炎ウイルス(HCV)複製複合体におけるATP制御の可視化と機能解析、第二章はC型肝炎ウイルスゲノムのquasispecies 解析について述べられている。

第一章では、HCV複製細胞内のATP分布について包括的な解析が行われ、ウイルス複製による宿主細胞内ATP分布の撹乱が報告された。

HCV感染が単なる肝炎だけでなくインスリン抵抗性や脂肪肝などの代謝異常も引き起こしていることが明らかになっている。また、HCV感染が糖代謝に影響を与えること、ATPがHCVの複製を亢進することが報告されている。糖代謝異常がATPの代謝異常を介してHCV複製の活性化に繋がっている可能性が考えられたが、複製細胞におけるATPの機能は明らかになっていなかった。そこで近年報告された、FRET技術を利用して細胞内ATPの時間的・空間的な分布・変動を可視化するプローブ(ATeam)を用いて、HCV複製細胞におけるATPの分布を検証することを目的に研究が行われた。

ATeamをHCV複製細胞に発現させ非複製細胞と比較したところ、HCV複製細胞の細胞質でATP濃度が低下していた。複製複合体を含む膜画分のATP消費量を解析したところ、非複製細胞と比較してATPの消費量が約2倍に亢進していた。複製を阻害したところ、ATP消費量は非複製細胞と同等まで低下した。複製によるATP消費量の亢進が、HCV複製細胞のATPレベル低下の一因であることが示唆された。HCV複製時の複製複合体内のATP濃度を解析可能な系(HCV-ATeam)を構築した。HCVが複製しないNS5A-ATeam単独発現細胞と比較したところ、細胞質はおよそ2 mMから1 mMに低下している一方、複製複合体の存在を示す顆粒状の部位では5 mMという非常に高いATP濃度であった。複製を阻害したところ、短時間の阻害では細胞質、複製複合体共にATP濃度が亢進する一方、長時間の阻害ではどちらもHuh-7細胞同等まで低下した。HCVの複製がATP分布の撹乱の原因であることが示唆された。

本研究ではHCVが複製している細胞内でのATP分布の撹乱について、複製との関連が検証された。これまでウイルス複製がATPの分布に及ぼす影響は解析されておらず、有用な知見が得られたと評価する。HCV複製細胞でATP分布の大幅な変化が実際の患者内で起きているならば、生体内の生理活性に大きく影響していると考えられる。ATPの分布変化を引き起こすメカニズムやHCV感染増殖系を用いた検証等、今後の進展に期待したい。

第二章では、次世代シークエンサーを用い、一人のHCV陽性患者血清から複数のHCVの配列全長を決定する手法の開発が行われた。

HCVゲノムは多種性(quasispecies)を保有し、感染中和抗体や抗ウイルス薬投与に適合すると考えられている。これまでのHCV研究では、各塩基について優位に存在する塩基をつなげたコンセンサス配列が一般的に用いられており、ウイルスゲノムの変異も多くはコンセンサス配列に対する変化と理解されてきた。従来のPCRおよびクローニング技術ではHCVの多種性に対応しきれないために、quasispeciesや個々のウイルスゲノム全長にわたる網羅的な解析は全く行われていない。本研究では次世代シークエンスを従来のPCR法と組み合わせ、HCVゲノムの多種性をウイルスゲノム全長にわたり解析する手法の開発が行われた。本論文ではHCV陽性血清1検体を解析し報告した。患者血清中に少なくとも3種類の独立したウイルスゲノムRNA配列が存在することが示された。C型慢性肝炎患者の標準治療法であるインターフェロン/リバビリン併用療法の感受性を決定する因子は複数報告されているが、その相関関係は明らかになっていない。今回、複数の感受性因子が一種類の配列上に共存していることが初めて確認された。

本研究はHCVゲノムRNAが持つ複数の代表配列が、病原性、薬剤感受性、宿主の免疫反応などさまざまな淘汰圧力に対してどのように寄与しているのかを解析可能なツールと成りうる。開発された手法がどの程度の存在比の種まで解析できるのか、また系の確認を他の手法を用いて行う必要がある。今後、quasispeciesの割合、経時変化、治療による変化等が解析可能になれば、非常に有益な手法に発展すると思われる。

なお、本論文第一章は今村博臣、鈴木亮介、相崎英樹、脇田隆字、鈴木哲朗、渡邉俊樹との共同研究であるが、論文提出者が主体となって行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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