学位論文要旨



No 128421
著者(漢字) 福世,真樹
著者(英字)
著者(カナ) フクヨ,マサキ
標題(和) なぜ感染で死ぬのか?感染の集団生物学の「実験+数理」解析系の創出
標題(洋) Success of a suicidal defense strategy against infection in a structured habitat
報告番号 128421
報告番号 甲28421
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第780号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,一三
 東京大学 教授 河岡,義裕
 東京大学 教授 黒田,真也
 総合研究大学院大学 教授 佐々木,顕
 東京大学 准教授 吉田,丈人
内容要旨 要旨を表示する

1.背景

病原体とホストの関係は,なぜ無毒化の方向に進化しないのだろうか.ホストが死んでしまえば,病原体が増えなくなるという場合,共存するのが良いような場合でも,病原体はホストに致死性を発揮する事が知られている.これまでの説には,次のような病原体側に着目したものがあった.

(i) 毒性が強いほど病原体が増殖できる.

(ii) 新しいホストに病原体が未適応である.

(iii) 同一ホストへの重複感染時に毒性の強い病原体が勝ち残る.

このような感染の集団生物学(疫学)は,もっぱら流行の観察とその数理モデル化によって進められてきた.実験的な解析は,一部の重要な例外を除いては,殆ど行われてこなかった.また,このような実験も,分子レベルに至るまでの機構解析と接続された例は殆ど無い.

2.目的

本研究では,数理モデル化と結合したモデル実験系によって感染の集団ダイナミックスを解析でき,しかもそれを分子レベルでのメカニズムにたどる事ができるような研究システムを構築することを目標とする.

より詳しく言えば,「なぜ病原体のホスト殺しが進化できるか」を問い,ホスト側に着目し,次のような仮説を検証する.「病原体の増殖による二次感染によるホストの絶滅(Fig.1左)が,感染されたホストが病原体もろとも自殺することによって防がれる(Fig.1右).このホストの自殺型感染防御による死亡率の増加が見かけ上の病原体の毒性となっており,病原体のホスト殺しはホストにとって有利であるため維持される.」即ち,多細胞生物において生体防御機構として機能しているプログラム細胞死と同様の機能で,個体レベルに自殺型感染防御戦略が存在する可能性を検証する.今研究では,とくに,最近の感染数理研究で注目されている空間構造の影響に注目する.

3.計画・方法

分子レベルで非常によく研究された単細胞微生物である大腸菌をモデルホスト,それに感染するウイルスであるファージをモデル病原体とする.3.1)実験.

ホストには感染されると病原体もろともすぐさま死んでしまうもの(自殺型,Fig. 2(a)(i))と,感染されると病原体の増殖を許すもの(非自殺型,(Fig. 2(a)(ii)))を用意する.それらを混合して,ファージ感染のもとで,競争させ(Fig. 2(b)),自殺型の比率が上昇するかを追う.自殺には,DNAメチル化酵素遺伝子が大腸菌に侵入し染色体をメチル化すると,大腸菌の酵素McrBCが染色体を切断することを使う.

ゲノム配列が解読済みの大腸菌MG1655株(mcrBC+ lacZ+)を親株として,自殺型株(mcrBC+ lacZ::cml),非自殺型株(mcrB::kan lacZ+)を作製した.非自殺型株と自殺型株を様々な比率で混合し,PvuIIメチル化酵素遺伝子を持つファージを感染させ,空間構造の無い条件(均一系,液体中で振盪)あるいは,空間構造のある条件(不均一系,軟寒天中)で,培養後,2種類の生存大腸菌数を比較した.また,これらの大腸菌を蛍光たんぱく質(非自殺型にGFPuv,自殺型にmRFP)を発現するように造り替えて,蛍光顕微鏡観察を行った.

(3.2)シミュレーション.

数理解析には,2次元格子という形で空間構造をとりいれたポピュレーション・ダイナミクス・モデルを作り,それに基づいたシミュレーションで,自殺型ホストの広がりに有利な条件を検討し,実験結果との対応付けをする.

ホスト用格子と病原体用格子からなる二重格子(Fig. 3)を用いる.空間構造のある条件では,ホストは隣接するマス目にだけ増殖でき,病原体は自分のいるマス目から7マス以内のマス目の真上のホストにだけ感染する.空間構造の無い条件ではそのような制約は無い.構築した数理モデルを用いてシミュレーションを行った.プログラムにはMPI環境でC++を用いた.

4.結果と考察

(4.1)培養による自殺ホスト:非自殺ホストの比率と病原体濃度の経時変化をFig. 4に示す.

(4.1.1)実験(Fig. 4(a),(b))

空間構造のある条件では,病原体濃度が上昇した後,2桁の自殺型の比率の上昇が見られた(Fig. 4(a)).この結果から自殺型感染防御が成り立っていることが確認された.一方,空間構造の無い条件では病原体濃度が上昇した後,自殺型の比率が減少した.これらの結果から自殺型感染防御戦略の成功には空間構造が重要な役割を果たしていることが分かる.

(4.1.2)シミュレーション(Fig. 4(c),(d))

空間構造のある条件での病原体濃度上昇後の自殺型比率の上昇が再現された(Fig. 4(c)).ところが,空間構造の無い条件では病原体濃度上昇後に自殺型比率の負の方向へ偏ったランダムな増減が見られた.これはポピュレーションサイズに制限があり,初期絶対数の小さいホストには,病原体耐性変異体の出現待ち時間があるためと考えられる.

(4.2)次に初期比率を変化させた時の結果を感染無しのコントロールと共にFig. 5に示す.

(4.2.1)空間構造あり,実験(Fig. 5(a)).

初期比率10-3の時に2桁の自殺型比率の上昇が見られたが,初期比率が上昇するにつれ,比率上昇の程度が減少し,初期比率103の条件ではほとんど変化は見られなかった.この結果は(1)自殺型感染防御戦略が自殺を起さない戦略に対して,侵入可能であり,一度定着してしまえば安定であること,(2)しかし,自殺型感染防御戦略は自殺を起さない戦略を駆逐出来ないこと,を示している.

(4.2.2)空間構造無し,実験(Fig. 5(b)).

自殺型の初期比率が小さい条件(10-3,10-1)では自殺型の比率の2桁の減少が見られた.この減少はポピュレーションサイズによる制限によると考えられ,空間構造の有無による比率の変化の違いを強調する.また,この時,自殺型のホストに「病原体の変異体で自殺をさせないもの」の出現が確認された.これは病原体にとってホストの自殺は有利でなく,変異病原体が選択された結果と考えられる.

(4.2.3)空間構造有り/無し,シミュレーション(Fig. 5(c), (d)).空間構造のある条件での自殺型比率の上昇と空間構造の無い条件での自殺型比率の減少が再現された.

(4.3)空間構造のある条件で培養を行い蛍光顕微鏡観察した結果をFig. 6に示す.感染のある条件では非自殺型のマイクロコロニーは感染によって縮小していた.これに対して,自殺型のマイクロコロニーは病原体源である非自殺型のマイクロコロニーが近くにあっても成長していた(Fig. 6(b)).

一方,シミュレーションでは自殺型の初期比率が小さい条件では非自殺型ホストが感染を蔓延させているのが,感染非自殺型ホスト(黄色)の広がりから分かる.自殺型のホストは近隣にある非自殺型のコロニーが感染の蔓延によって絶滅しても,感染をコロニー表面に留め,生き残っている(Fig. 6(c)).これに対し,自殺型の初期比率が大きい条件では非自殺型ホストが自殺型ホストに囲まれてしまうため,感染は広がらない(Fig. 6(d)).この為,自殺型の比率も上昇しない.自殺型ホストは自分の周囲にいる非自殺型ホストも感染から守っており,フリーライダーである非自殺型に寄生されている.

5.結論

実験及びシミュレーション解析により,自殺が感染防御として機能しうることが示された.また,その進化には空間構造が必要であることが示唆された.これまで病原体の毒性の進化については病原体に着目した説明がなされてきたが,自殺型感染防御説はこれまでの説明と矛盾することなく,病原体はホストを絶滅させないため弱毒の方向へ進化し,ホストが病原体を駆逐するため強毒の方向へ進化するという病原体とホストの新たなせめぎ合いを見出す.

また,これまで感染の疫学は流行の観測とその数理モデル化によって行われてきたが,本研究では数理モデル化とリンクしたモデル実験系を構築して解析を行った.これはモデル実験系による疫学的解析の皮切りとなる解析系であろう.

6.謝辞

数理解析は,佐々木顕教授(総研大)の指導のもと行われた.また,本研究は東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター・スーパーコンピュータシステムを利用して行われた.

Fig.1. 自殺型感染防御.

非自殺型ホストは病原体に感染すると病原体を周囲に撒き散らしてから死亡する.これに対し,自殺型のホストは病原体に感染すると病原体を周囲に撒き散らすことなく自殺する.

Fig. 2. デザイン.

(a)(i):非自殺型ホストは病原体の増殖を許し,二次感染を引き起こす.(a)(ii):自殺型ホストは感染を受けるとすぐさま自殺し,感染を広げない.(b):実験方法.2種類のホストを様々な比率で混合し,病原体を感染させた後,空間構造のある無しで培養する.

Fig. 3. 二次元二重格子.

Fig. 4 培養による比率の経時変化と病原体濃度.(実験:N=4,シミュレーション:N=5)

Fig. 5 培養による比率の変化.

Mean±SEM.(実験:N=4,シミュレーション:N=100)

Fig. 6 蛍光顕微鏡観察とスナップショット.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は背景、実験系による検証、シミュレーションによる検証、考察からなり、背景では病原体の強毒性維持の疑問、それに対するこれまでの病原体側に着目した説明、今回検証するホスト側に着目した仮説である自殺型感染防御戦略、今回着目した空間構造の重要性について述べている。

実験系による検証では、大腸菌とラムダ・ファージを用いている。空間構造のある条件では、感染実験のタイムコースを見たところ、自殺型感染防御戦略を持ったホスト(自殺型)の比率の上昇が見られた。この結果から自殺型感染防御が成り立っていることが確認された。一方、空間構造の無い条件では自殺型の比率が減少した。これらの結果から自殺型感染防御戦略の成功には空間構造が重要な役割を果たしていることが分かる。また、条件を変えて感染実験を行ったところ、空間構造のある時、自殺型の初期比率が小さい時に自殺型比率の上昇が見られたが、初期比率が上昇するにつれ、比率上昇の程度が減少し、初期比率条件ではほとんど変化は見られなかった。自殺型感染防御戦略が自殺を起さない戦略に対して、侵入可能であり、一度定着してしまえば安定であること、しかし、自殺型感染防御戦略は自殺を起さない戦略を駆逐出来ないこと、を見出した。

シミュレーションによる検証については、空間構造のある条件では感染のタイムコースを見たところ、自殺型の比率の上昇が見られること、空間構造の無い条件では自殺型の比率が減少することが再現されている。また、条件を変えてシミュレーションを行ったところ、空間構造のある時、自殺型の初期比率が小さい時に自殺型比率の上昇が見られたが、初期比率が上昇するにつれ、比率上昇の程度が減少し、初期比率条件ではほとんど変化は見られないことが再現されている。

また、考察では病原体の毒性についてのホストと病原体のせめぎ合い、本研究で構築した解析系による他の動植物に感染するウイルス、細菌への応用、利他行動の進化における空間構造の重要性について述べられている。

なお、本論文は佐々木顕教授、小林一三教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、シミュレーション及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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