学位論文要旨



No 128424
著者(漢字) 宮本,万理子
著者(英字)
著者(カナ) ミヤモト,マリコ
標題(和) 下総台地における牧景観の特徴とその変容過程
標題(洋) Studies on the characteristics of pasture landscapes on Shimousa plateau and their transformation processes
報告番号 128424
報告番号 甲28424
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第783号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横張,真
 東京大学 教授 斎藤,馨
 東京大学 教授 山本,博一
 東京大学 教授 福田,健二
 奈良女子大学 教授 宮城,俊作
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の背景と目的

郊外の景観は,零細分散錯圃を基盤とし,戦後の人口増加・住宅需要の高まりを背景とした都市開発の結果として成立した景観であることが多い。こうした景観は,農林地が小規模に分散し,且つ市街地と混在する特徴を有するとされる。こうした特徴を有する郊外の景観は,一般的には景観保全上の価値を有さず,醜悪な景観とされることがこれまで一般的であった。

たしかに,景観を人為的操作対象として捉え,美的観点から景観を評価する景観工学の立場からは,郊外の景観は評価に値しない景観といえる。しかし,自然的・人文的作用の結果として景観現象を解明する立場からは,地域固有の価値を有するものとして郊外の景観は位置づけられうると考える。本研究では,自然的・人文的作用の結果として郊外の景観を解明する立場をとるものである。

自然的・人文的作用の結果として郊外の景観を捉えた研究は,造園・建築・地理の分野において多数存在する。こうした既往の研究の多くは,都市化の影響を免れ,過去から現在にかけて形態が変化することなく継続する景観を対象としている。しかし,前述したとおり郊外の景観は,戦後の人口増加・住宅需要の高まりを背景とした都市開発の影響を受け,大半は形態変化が著しく,過去の痕跡が乏しい景観である場合が多い。従って,郊外の景観を議論する際には,形態変化が著しく,過去の痕跡が乏しい景観について議論することが課題として挙げられる。

過去から現在にかけて形態が変化することなく継続する景観を既往の研究が多く扱う背景には,特定の時代に成立した景観に歴史的・学術的価値を見出そうとする姿勢があるためといえる。しかし,自然的・人文的作用は継時的に変化することを考慮すると,過去から現在にかけて形態が変化しながら継承される景観が多く存在するものと考えられる。こうした観点にもとづくと,歴史的・学術的価値を有する景観のうち,過去から現在にかけて形態が変化しながら継承される景観について議論することが必要であると考える。

関東平野東部に位置する下総台地は,戦後の都市開発の結果,農林地が小規模に分散し,これらが市街地と混在する所謂典型的な郊外の景観を呈している。当該地域の歴史を紐解くと,近世期に江戸幕府によって所持された牧が立地していたことが史実として明らかにされており,過去に歴史的・学術的価値を有する景観が存在した。近世期に成立した牧は,江戸幕府から明治政府への政権交代に伴い廃止され,新田開発用地として転用されたことや,さらには,戦後の都市開発の影響を受けて変容したとされる。しかし,牧の廃止は,その後の新田開発や都市開発の形態に影響を与え,牧の景観変容の履歴は現在の景観に表出していると考えられる。従って,こうした牧の履歴から現在の景観の特徴を解明することが可能であると考えられる。

2.博士論文の概要

第2章 牧景観の特徴の解明

目的:本章は,近世期に成立した牧の景観を解明することを目的とした。

方法:近世期における牧の景観を解明するため,「小金牧周辺野絵図(1672年)」,「小金牧絵図(1862年)」の古地図を用い,牧境界の特定および景観構成要素を把握した。

結果:牧の総面積は,1672年において16,520ha,1862年において7,050haであり,57.3%が消失し,こうした縮小は牧用地の周辺集落への払い下げに起因していることが把握された。こうした牧の縮小は,江戸幕府の新田開発による増徴政策,江戸における薪炭需要の増加が背景となったことが関連付けられた。

1672年における牧内の景観構成要素は,「運上(うんじょう)野(の)」「野(の)馬(ま)立場(たてば)」「御林(おはやし)」「道(みち)」の4つに大別された。「運上野」は馬の放牧場と集落の採草地として,「野馬立場」は馬の放牧場として,「御林」は馬の日除地および周辺の集落の薪炭林として,「道」は牧内を通過するための道として利用されていた。1862年における牧内の景観構成要素は,「野(の)馬(ま)入場(いりば)」「野(の)馬(ま)立場(たてば)」「御林(おはやし)」の3つに大別された。1672年と異なる景観構成要素である「野馬入場」は,馬の日除地および集落の薪炭林として利用されていた。こうした牧内の景観構成要素の変化のうち「野馬入場」への景観変容は,上記同様に江戸幕府の新田開発による増徴政策,江戸における薪炭需要の増加が背景となったことが関連付けられた。

以上より,近世期に創出された牧は周辺集落への払い下げによって縮小したこと,牧の景観は,馬と周辺集落の関係により構築された多様な景観を有した景観であることが解明された。

第3章 牧の払い下げ形式にもとづく景観変容の解明

目的:本章では,牧の払い下げ形式にもとづく景観変容を解明することを目的とした。

方法:牧の払い下げ形式と景観変化との関係を解明するため,まず,牧の払い下げ地域を特定した。牧の払い下げ地域の特定には,「小金牧周辺野絵図(1672年)」,「小金牧絵図(1862年)」の古地図を地理情報システム上でデジタル化した。1672年から1862年の牧境界の差分をとることにより,「1672年~1862年払い下げ地域」を特定した。明治時代の牧の払い下げ地域および上地地域の特定には,文献調査および農業センサス集落単位を用いて「1869年上地地域」を特定した。「1869年払い下げ地域」は「小金牧絵図」から差し引くことにより特定した。

つぎに,「1672年~1869年払い下げ地域」と「1869年上地地域」ごとに1910年,1952年,1970年,2000年の景観変容を把握した。こうした景観変容に関する解釈を自治体史,開発動向一覧等を補足資料として用いた。

結果:1672年から1862年の間に,牧全体の57.3%が払い下げられたことが解明された。1869年には,牧全体の20.3%が払い下げられ,22.4%が上地されたことが解明された。こうした牧の払い下げは,江戸幕府の新田開発による増徴政策,江戸幕府から明治政府への政権交代に伴う牧の廃止が背景となったことが関連付けられた。

つぎに,牧の払い下げ形式と景観変容との関係を見てみると,払い下げ地域では,1910年から1952年の間に樹林地が畑へと,1952年から1970年の間に樹林地が畑,建物用地へと,1970年から2003年の間に樹林地が建物用地或いは畑が建物用地へと転用される傾向が把握された。こうした転用に団地や,ニュータウン,ゴルフ場などの大規模開発が多く存在していた。上地地域では,1910年から1952年の間に樹林地が畑へと転用され,1952年以降は主に畑が建物用地へと転用される傾向が解明された。こうした転用に大規模開発はわずかにしか存在しなかった。こうした牧の払い下げ・上地ごとの開発動向の違いは,払い下げ・上地後の土地分配の差異にもとづくものであることが考えられた。

以上より,払い下げ・上地地域ごとに近代化以降の景観変容に規則性があることが解明された。

第4章 牧の払い下げ形式にもとづく景観の特徴の解明

目的:本章では,牧の払い下げ形式にもとづく景観を特徴の解明することを目的とした。

方法:第3章で得られた牧の履歴が表出しやすいと考えられる農林地の構成および街路パターンに着目し,以下の分析を行った。まず,2006年の土地利用データから農地および山林を抽出し,農業集落ごとに農地と樹林地の割合を算出した。つぎに,「千葉県土地利用データ(2006年)」から最小幅員1.5m以下を抽出し,農地造成事業,都市開発事業の資料にもとづき開発区域を特定し,農業集落ごとの3タイプの街路面積の割合を算出した。文献調査と併せて検討することで,払い下げ・上地地域ごとに牧の履歴が解釈される景観の特徴を解明した。最後に,払い下げ形式と農林地の構成と街路パターンの関係から,払い下げ・上地地域ごとに牧の履歴が解釈される景観の特徴を解明した。

結果:農業集落単位ごとに農林地の構成にもとづき景観を解釈した結果,払い下げ地域においては,「農林地並存型」が,牧が払い下げられた後,畑と山をセットにした山添新田という開発様式により新田開発が行われたこと,戦後市街化調整区域に指定され,こうした農林地が残存することから牧の履歴を反映した地区であると解釈された。上地地域においては,「畑卓越型」が,上地後,明治期から戦前にかけて畑を中心とした地目が優先されたこと,戦後市街化調整区域に指定されたことから,牧の履歴を反映した地区であると解釈された。

農業集落ごとに街路パターンにもとづき景観を解釈した結果,払い下げ・上地地域においては「新田開発型」が,払い下げ・上地された後の新田開発に伴う街路が多く継承されていることから,牧の払い下げの履歴を反映した地区であると解釈された。また,払い下げ地域においては,「区画整理型」が,牧が払い下げられた後,少人数の地主に対して大区画の土地が分配された影響により,その後の市街地形成の際の大規模区画整理事業の展開が読み取れたこと,から,牧の払い下げの履歴を反映した地区であると解釈された。

農林地の構成と街路パターンとの関係を見てみると,a)農林地の構成と街路パターンの両者が継承されている地区,b)農林地の構成が継承されている地区,c)街路パターンが継承されている地区,d)農林地の構成と街路パターンの両者が継承されていない地区に分類された。このうち,牧の履歴が解釈される地区は,払い下げ・上地地域ともに,a)農林地の構成と街路パターンの両者が継承されている地区,b)農林地の構成が継承されている地区,c)街路パターンが継承されている地区,と解釈された。

第5章 結論

第2章から第4章の結果のまとめと今後の課題について整理した。

第6章 土地履歴の解釈にもとづく景観の捉え方の検討

第2章から第4章で検討された結果にもとづき,計画の課題としてどのようなことがいえるのかを検討するため,従来の文化財としての景観の捉え方と比較する中で,土地履歴の解釈にもとづく景観の捉え方の検討を行った。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は全6章から構成される。

第1章では、研究背景および既往研究の整理がなされ、歴史性を有した景観の保全を考えるにあたり、現存する景観から過去の履歴が解釈されることが重要であるとする立場が示されている。さらに、こうした観点から、変化が著しく過去の痕跡が乏しいとされる景観であっても、そこから履歴が解釈されるのであれば保全の対象になりうることが指摘されている。そして、こうした認識にもとづき、首都郊外に位置し景観変化が著しい下総台地を対象として、近世期に創出された牧景観の特徴とその変容過程を解明することを通して、牧の履歴が解釈される景観の特徴を解明することが、本研究の目的として提示されている。

第2章「牧景観の特徴の解明」では、小金牧周辺野絵図(1672年)、小金牧絵図(1862年)等の古地図および文献調査から、近世期の牧景観の特徴が明らかにされている。さらに、牧景観に変化をもたらした主要な要因である、「払い下げ」及び「上地」に関して、社会背景も含めて詳細な説明がなされている。

第3章「牧の払い下げ形式にもとづく景観変容の解明」では、第2章の結果を受け、近世期の牧景観の変容に影響を与えたと考えられる牧の払い下げ地域を特定し、「1672年~1869年払い下げ地域」、「1869年上地地域」ごとに、近代化以降の景観変容が明らかにされている。さらに、景観の変容に影響を与えた社会背景について、文献調査をもとに考察されている。

第4章「牧の払い下げ形式にもとづく景観の特徴の解明」では、第2章から第3章で得られた結果をもとに、牧の履歴がとくに表出しやすいと考えられる「農林地の構成」および「街路パターン」に着目し、「1672年~1869年払い下げ地域」と「1869年上地地域」ごとに、牧の履歴が解釈される景観の特徴が明らかにされている。

第5章では、第2章から第4章までの結果のまとめと今後の課題について整理がなされている。

第6章「土地履歴の解釈にもとづく景観の捉え方の検討」では、第1章で述べられている新たな価値基準にもとづく景観の捉え方が、従来の捉え方との比較を通じて明瞭に示されており、既往の文化的景観の概念に対して、新たな視点を与えている。

論文審査においては、本研究における景観の定義の明確化するとともに、近世における牧景観の特徴を把握する際の考察の妥当性、景観変容の経緯にもとづく景観の解釈の手続き上の妥当性について、更なる検討が必要であるとの指摘がなされた。また、全体を通して必要な基礎的情報が欠如している点が指摘され、特に、対象地の選定理由、近世期の牧景観の特徴を示している図中の凡例の記述、景観の特徴分析に用いた分析単位に関する説明などについて、必要な情報が不足しているため、更なる記述が必要であることが指摘された。

しかし、下総台地に江戸時代に開かれた牧の分布やその払い下げ時期によって異なる開発形態の違いが、農林地の構成や街路パターンとして現代の景観に表出していることを明らかにし、当地における歴史的な景観の保全に対して示唆が得られたことは高く評価され、学位に値する成果との結論に至った。論文審査における上記の指摘は、その後の修正を通じて最終提出稿に的確に反映されている。

なお、本論文の第2章から第6章にかけては、横張真、保科宇秀、渡辺貴史との共同研究の成果を含むものであるが、いずれの章の議論も、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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