学位論文要旨



No 128431
著者(漢字) 丹羽,雄一
著者(英字)
著者(カナ) ニワ,ユウイチ
標題(和) 沖積層から検出されたオフフォールトイベントの発生年代に基づく大地震の発生履歴の復元と古地震研究上の意義
標題(洋) Reconstruction of Holocene large earthquake history based on detection and age estimation of coseismic off-fault events recorded in the alluvium and its implication for paleoseismology
報告番号 128431
報告番号 甲28431
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第790号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 准教授 芦,寿一郎
 東京大学 准教授 穴澤,活郎
 東京大学 准教授 池田,安隆
 東京大学 教授 佐竹,健治
内容要旨 要旨を表示する

人口やインフラの集中する沖積平野では,過去に発生した地震の発生時期や規模に基づく将来の地震発生の長期的な評価を通じて,地震による被害を軽減していくことが求められる.大地震が発生すると,断層直上(オンフォールト)において断層がずれるだけでなく,断層から離れた地点(オフフォールト)では土地の隆起や沈降,液状化,タービダイトなどが発生し得る.従って,古地震履歴をより正確に解明する上で,オンフォールトの現象だけでなく,オフフォールトの現象(オフフォールトイベントとする)にも着目することが重要である.また,沖積平野は地震沈降をはじめとするオフフォールトイベントが人間社会に甚大な被害をもたらす場所である一方,オフフォールトイベントを検出し,それらの発生時期を高時間分解能で推定できる可能性を秘めた場所でもある.すなわち,沖積平野でオフフォールト古地震学的知見を蓄積することで,沖積平野の災害脆弱性評価に貢献していくことが重要である.そこで,本論文は,「オフフォールト古地震学」の立場から古地震の履歴を解明する方法を濃尾平野を研究対象地域として例証した.

第1章では,将来の大地震発生の評価における,古地震学研究,その中でも特にオフフォールト古地震学研究の重要性について述べた.さらに,オフフォールト古地震学研究において沖積平野を対象とする意義についても述べ,研究の目的と論文の構成について述べた.

第2章では,既存研究に基づくオフフォールト古地震学研究の概説を通じて,オフフォールト古地震学研究の課題および,オフフォールト古地震学研究の沖積平野での適用に関する展望を述べた.

第3章では,濃尾平野の地形・沖積層層序や,濃尾平野周辺における既報の古地震イベントについて概説するとともに,濃尾平野の持つオフフォールト古地震学研究対象地域としての意義を論じた.

第4章では,本論文で用いたボーリングコア試料,既存研究による濃尾平野沖積層の堆積相区分の概要,および研究方法を述べた.

第5章では,ボーリングコアの解析結果に基づいて堆積相を詳細に区分し,堆積環境を推定した.

1. 各コアともに下位から内湾・プロデルタ堆積物,デルタフロント堆積物,氾濫原・デルタプレーン堆積物からなり,大局的には完新世デルタの発達に対応した地層のサクセッションが認められる.

2. さらに詳しく見ると,1) デルタフロント堆積物の一時的な細粒化とECの上昇が認められる,2) 後背湿地堆積物の上位にデルタフロント堆積物が累重する,3)放棄チャネル堆積物で高EC値が認められる,4) デルタフロント堆積物下部の砂質シルト層に強い流れのイベント堆積物が堆積する,などといった定常的なデルタの発達過程だけでは説明のつかない層準が認められる.

第6章では,第五章で指摘された定常的なデルタの発達過程だけでは説明のつかない層準が形成される要因を考察した.

1. 全体として上方粗粒化を示すデルタフロント堆積物中に認められる一時的な細粒化とECの増加,後背湿地堆積物からデルタフロント堆積物への層相変化,後背湿地堆積物中での汽水~海水生珪藻の産出,および,放棄チャネル堆積物での高EC値の原因としては,一時的な相対的海水準の上昇によって浅海域では一時的な水深増加が起こり,陸上氾濫原では海面下への沈水により海水の影響を受ける堆積環境に変化した可能性が挙げられる.また,後背湿地堆積物中で認められるC/N比の急減を伴う有機質泥層から無機質泥層への層相変化の原因の1つとして,地盤の沈降に伴う湿地の水位上昇により植生が衰退した可能性が挙げられる.イベントの同時性や完新世中期から後期にかけての相対的海水準の低下傾向,測地学資料を踏まえると,これらのイベントの原因として,濃尾平野西部で地震沈降が発生した可能性が挙げられる.

2. 桑名断層上盤側のコアで認められる,デルタフロント到達直後の砂質シルト層中の基底に侵食面を持ち,級化や逆級化を示す砂層が堆積する原因として,強い流れが突入するイベントが起こったことが考えられる.強い流れを引き起こす原因の一つとして津波の可能性を挙げることができる.

3. 現在の氾濫原地域において,氾濫原・デルタプレーン堆積物の堆積時期が平野東部では2360- 2618 cal BPより古く,平野西部では1967 - 2182 cal BPより新しいことから,2600~2000年前に木曽川主流の西方への河道変化が起こった可能性が示される.西方への河道変化の原因の一つとして平野の西方への傾動沈降の可能性が挙げられる.

第7章では,第六章で検出されたオフフォールトイベント,あるいはその可能性を示す特徴と既報の地震イベントとの対比を試み,濃尾平野における古地震履歴について考察した.

1. 発生時期の異なる5つの地震沈降(600~100年前,1300~900年前,2600~2000年前,4200~3800年前,5600~4700年前)は養老断層の活動に起因する可能性が示され,14C年代値に基づくと,これらすべての活動が養老断層の南側に位置する桑名断層の活動と同時に起こったと考えても矛盾しない.

2. 上記の地震イベントの対比および,桑名断層の南側に位置する四日市断層の活動性の既存の見解を踏まえると,これら三つの活断層が完新世において同一の活動セグメントを構成している可能性が高い.

3. これらを踏まえると,濃尾平野では養老断層系(養老・桑名・四日市断層)の活動による地震の発生が過去6000年間に5回推定され,養老断層系の平均活動間隔は約1200年となる.

4. 桑名断層上盤側で3000年前から1600年前の間に推定される2回の強い流れの襲来イベントは同断層の活動時期と矛盾しないため,2回のイベントのうち1回は桑名断層の活動の際に発生した津波と考えても矛盾しない.イベント砂層が津波堆積物であると断定できれば,約2000年前の養老断層系の活動の確実度をより高める証拠となる.津波堆積物と高潮堆積物の識別が今後の課題である.

第8章では,濃尾平野の6地点(YMコア,KZNコア,KZコア,KMコア,NKコア,MCコア)において相対的海水準変動を復元し,復元された相対的海水準を汎世界的な海水準と比較することで,完新世の地殻変動の傾向を考察した.

1. 内湾堆積物最上部のECと内湾堆積物最上部堆積時の水深を近似するデルタフロント堆積物の層厚との間には直線的な関係が認められる.このことと,内湾堆積物のECが塩分指標になり得る,という既存の見解を踏まえると,内湾堆積物のECは水深に変換される.

2. 上記から推定された古水深を堆積曲線で示される海底面の標高を足し合わせ,過去7000年間の相対的海水準を推定した.相対的海水準は,養老断層系から最も遠いNKコアで最も高く,次いで2番目に養老断層系から遠いMCコアで高く,これら2地点よりも養老断層系から近いYM,KZN,KZ,KMの4地点では低い,という傾向を示す.

3. 汎世界的な海水準の上昇が停滞する6000~7000年前以降も養老断層系に近い場所で引き続き海水準が上昇する原因としては,濃尾平野がローカルな地殻変動によって沈降していることが挙げられる.養老断層系から近い地点で認められるこのような相対的海水準の上昇傾向および,養老断層系から離れた地点で相対的海水準が高くなる,という傾向は,養老断層系からの距離が離れた地点では沈降速度は小さく,断層から近づくにつれて沈降速度が大きくなることを示唆する.

4. 上記の議論は,相対的海水準変動を地点ごとに復元することで,養老断層系の活動に伴う濃尾平野の西方へ傾動沈降が検出できたことを意味する.

5. 今後の課題として,圧密の影響の厳密な評価,ECの古水深指標としての誤差評価や堆積曲線の精度向上が挙げられる.これらの精度を上げることができれば,相対的海水準変動を復元することによって内湾堆積物堆積中の古地震イベントを検出できる可能性がある.

第9章では,8章までに得られた結果を踏まえて,沖積平野においてオフフォールト古地震データが得られた意義を論じた.

1. 沖積層に記録されたオフフォールトイベントに着目することは,地震像の補強,古地震履歴の精度良い推定,より長期間にわたる活動セグメントの検討,を行うことを可能にした,という点で意義深い.

2.濃尾平野で推定される地震沈降に起因するメートルオーダーの海面上昇は,気候モデルによる21世紀の海面上昇量の予測値に匹敵する.すなわち,沖積平野の災害脆弱性評価の観点から平野の地形形成プロセスを海水準変動と関連付けて理解する際に,地震沈降に起因する相対的海水準上昇は考慮に値する.

これまでにオフフォールト古地震学の立場からの古地震履歴の検討事例がほとんどない沖積平野においてオフフォールト古地震学的知見が得られたことに本論文の意義と独自性があると考えられる.沖積平野におけるオフフォールト古地震学研究の方法論を確立させるために,今後は類似の条件を有する沖積平野においても同様の調査が必要であると考えられる.すなわち,定常的な堆積過程が既知で,歴史記録やオンフォールト古地震学研究による古地震履歴の知見を有する沖積平野において,1)沖積層の分析結果に基づくオフフォールトイベントの検出,2)高密度な14C年代測定値に基づくイベントの発生年代の推定,3)検出されたオフフォールトイベントの発生年代に基づく古地震の履歴の解明,といった本論文が提案する一連のイベント検出作業により,オフフォールト古地震学による古地震履歴の解明における成果をあげることが望まれる.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、地震発生の長期予測と地震被害軽減を目的として、人口の集中する沖積平野を対象として、古地震の発生時期や規模を復元するための新たな手法を開発し、その有効性を明らかにした研究である。全体は10章で構成されている。

第1章は、研究の目的と論文の構成について述べている。とくに古地震履歴の復元上、オフフォールトの現象に着目する重要性を指摘している。また、沖積平野は地震沈降をはじめとするオフフォールトイベントが人間社会に甚大な被害をもたらす場所である一方、オフフォールトイベントの発生時期を高い時間分解能で検出可能な場所であることを指摘している。

第2章では、既存研究をレヴューしつつ、オフフォールト古地震学研究の課題および、同研究の沖積平野への適用に関する展望を述べている。

第3章は、対象地域である濃尾平野のテストフィールドとしての利点を論じるとともに、同平野における地形・沖積層層序や既報の古地震イベントについて概説している。

第4章では、本論文で用いたボーリングコア試料、既存研究による濃尾平野沖積層の堆積相区分の概要、および研究方法を述べている。

第5章では、ボーリングコアの解析結果に基づいて堆積相を詳細区分し、堆積環境を推定している。各コアともに完新世デルタの発達に対応した地層のサクセッションが認められるが、 詳しく見ると、以下の1)~4)の特異層準が認められることを指摘している。1) デルタフロント堆積物の細粒化とEC(堆積物の混濁水の電気伝導度の値)の上昇、2) 後背湿地堆積物にデルタフロント堆積物が累重、3)放棄チャネル堆積物で高EC値が出現、4) デルタフロント堆積物下部の砂質シルト層に強い流れの堆積物が挟在。

第6章では、上記の特異層準の形成要因について考察し、一時的な相対的海水準の上昇によって浅海域では水深が増し、陸上氾濫原では海面下への沈水した可能性を指摘している。そして、イベントの同時性や完新世中~後期の相対的海水準の低下傾向、測地学資料を踏まえ、これらのイベントの原因として、地震沈降の可能性を論じている。また、桑名断層上盤側コアの泥層中に津波砂層が複数枚挟在する可能性を指摘している。さらに、平野の西方への傾動沈降に伴い2600~2000年前に木曽川主流路位置が西方へ移動した可能性を指摘している。

第7章では、前章で検出されたオフフォールトイベントと既報の地震イベントとの対比を試みている。その結果、発生時期の異なる5つの地震沈降(600~100年前、1300~900年前、2600~2000年前、4200~3800年前、5600~4700年前)が、養老断層とそれに南隣する桑名断層・四日市断層が同時に活動して生じた可能性が高いことを指摘した。さらに、濃尾平野では養老断層系(養老・桑名・四日市断層)の活動による地震の発生が過去6000年間に5回推定され、養老断層系の平均活動間隔は約1200年となることを指摘している。

第8章では、濃尾平野の6地点において相対的海水準変動を復元し、汎世界的な海水準との差異に着目することによって、完新世の地殻変動を考察している。堆積曲線で示される海底面の標高に、内湾堆積物のECから推定された古水深を加えて、過去7000年間の相対的海水準を推定した。相対的海水準は、養老断層系から最も遠い地点で最も高く、次いで2番目に養老断層系から遠い地点で高く、養老断層系に近い4地点では低い、ことを示すとともに、汎世界的な海水準の上昇が停滞する6000~7000年前以降も養老断層系に近い場所で引き続き海水準が上昇する原因として、濃尾平野がローカルな地殻変動によって沈降していることを指摘した。以上は、養老断層系の活動に伴う濃尾平野の西方へ傾動沈降が検出できたことを意味する。 今後の課題として、圧密の影響の厳密な評価、ECの古水深指標としての誤差評価や堆積曲線の精度向上を挙げ、相対的海水準変動の復元精度の向上によって今後内湾堆積物堆積中の古地震イベントを検出できる可能性に言及している。

第9章では、8章までに得られた結果を踏まえて、沖積平野においてオフフォールト古地震データが得られた意義を論じた。第10章では、全体のまとめをおこなっている。

このように本研究は、沖積層と微地形に着目することで、従来認知されてこなかった臨海沖積平野における古地震イベントの復元が可能であることを示した点に、オリジナリテイーと今後の発展性を認めることができる。

なお、本論文第4章から8章は、藤原 治、大上隆史、三枝芳江、田力正好、安江健一、斎藤龍郎、笹尾英嗣、國分陽子、須貝俊彦との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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