学位論文要旨



No 128432
著者(漢字) 鈴木,弥生
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ヤヨイ
標題(和) フタル酸エステル類曝露による男性生殖系発達・機能への影響に関する疫学調査および健康リスク評価
標題(洋)
報告番号 128432
報告番号 甲28432
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第791号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 吉永,淳
 東京大学 教授 徳永,朋祥
 東京大学 教授 戸野倉,賢一
 東京大学 准教授 布浦,鉄兵
 国立環境研究所 客員教授 滝上,英孝
内容要旨 要旨を表示する

第1章 諸言および目的

20世紀後半から世界的に急速な工業化が進み、多種多量の化学物質が生産・排出されてきた。これらが汚染物質として環境中に遍在し、野生動物やヒトに対し悪影響を及ぼすことが懸念されている。近年増加傾向にある、ヒトの神経系・生殖系疾患の原因として、環境中の農薬、プラスチック、可塑剤等の環境ホルモン曝露による影響が懸念され、日本の環境省によるリスク評価が実施された。しかしながら、健康影響に関する疫学データが不足しており、リスク評価は不完全となっている。よって環境ホルモンに関する疫学調査が急務である。フタル酸エステル類(PEs)は代表的な環境ホルモンである。抗アンドロゲン作用を持ち、胎児期の男性ホルモン産生阻害、精巣毒性、生殖器系発達阻害を呈する。一方で、プラスチックの可塑剤として汎用されており、日常的にPEsに曝露の影響が懸念されるが、実際にどのような影響があるのかは良く分かっていない。

以上から、本研究では、フタル酸エステル類による男性生殖系発達および、生殖機能への影響について疫学調査を実施することを主要な目的とした。加えて、男性生殖系発達・機能に影響を及ぼしうる共変量として、大豆製品由来の女性ホルモン用物質イソフラボンへの曝露を考慮した。これは、日本人は大豆摂取頻度の高い食習慣のために高レベルのイソフラボンに曝露しているからであり、既往のEDCsに関する疫学調査では新規の試みである。疫学調査の結果に基づき、試験的に耐容一日摂取量を算出し、日本人の健康リスクを推定し、曝露源調査を行った。

第2章 バイオマーカーを用いた曝露評価手法の検討

2.1 背景・目的

PEsおよびイソフラボンは体内における半減期が12時間未満と短く蓄積性が低いため、一回採取した尿(スポット尿)中の代謝産物濃度により、日常的な曝露評価が可能か確認する必要があった。既往文献を元に尿中代謝産物分析法を確認し、スポット尿による曝露評価の妥当性を調査した。

2.2 尿中代謝産物分析法の検討

2.3 尿試料による曝露評価の妥当性

フタル酸エステル類については、東京都内の産婦人科を2005-2006年に受診し、内容に同意の得られた妊娠25-40週の妊婦12名から、1-6週間の間隔で4回尿を採取し、尿中代謝産物を分析した。尿中PEs代謝産物の再現性の指標(級内相関係数、ICC)は、良好であった(ICC > 0.4)ことから、尿中PEs代謝産物濃度は、2~3ヶ月程度の比較的長期間の曝露評価に適用可能であると考えられた。イソフラボンについては、2009-2010年に妊娠可能年齢の女性14名から合計5点の起床後の尿を9-16週の間に採取した。代謝物を分析した結果、エクオールのICCは0.74となり、尿中イソフラボンについても、スポット尿による4ヶ月間程度の曝露評価は可能であると判断した。

第3章 フタル酸エステル類による男性生殖系への影響調査-胎児期曝露-

3.1 背景・目的

PEsによる健康影響でとりわけ懸念されるのは、胎児期の曝露による男性生殖系発達への影響である。ヒト胎児期のPEs曝露と男児の胎児期生殖系発達との関連を明らかにするため、妊婦とその出生男児を対象とした。

3.2 予備調査:影響指標としての肛門性器間距離測定

AGDは、実験動物において胎児期男性ホルモンレベルを反映する、敏感な生殖毒性指標である。ヒトでの測定はまだ少ないため、予備調査を行った。本調査のAGD測定は、測定法をあらかじめ共同研究の医師に説明した後、実施した。

3.2.1 測定法の検討

泌尿器科を受診した男児59名を対象として、医師1名により、ノギスを用いて、男児の肛門性器間距離を2回、時間をおいて測定した。2回測定値のデータから求めた回帰直線の傾きは0.9以上となり、良好であったことから、信頼性のある測定が可能であると判断した。

3.2.2 新生児の肛門性器間距離測定

都内のJ産婦人科で出生した新生児294名(男児162名、女児132名)について、看護師および助産師によるAGD測定を行った。プラスチック製ノギスを用いて、AGD1およびAGD2を測定し、体格により影響を受けるため、体重により補正し、AGIとした。男児のAGIは女児に比して有意に大きく、実験動物での知見と一致していた。

3.3 疫学調査[1]胎児期フタル酸エステル類曝露と男児の胎児期生殖系発達

胎児期のPEs曝露を反映する母親の妊娠期曝露レベルと男児の出生時肛門性器間距離の関連を調査し、胎児期PEs曝露により男性生殖系発達指標のAGDが短縮する、という仮説を検証した。

3.3.1 方法と対象

2007-2010に都内J産婦人科を受診し研究内容について同意の得られた妊娠女性344名を対象とし、スポット尿を妊娠29±9週に一回採取した。男児を出産した母親について、妊娠期間中のスポット尿中代謝産物の分析、および、出生男児のAGD測定を実施した(N=111)。曝露と影響指標の関連について、多変量解析を行った。

3.3.2 結果・考察

母親の妊娠期尿中PEs代謝産物の検出率は100%であり、妊娠女性と胎児のPEs曝露は広く日常的であると示された。単相関分析により、母親尿中代謝産物と、男児の出生時AGIとの関連を解析した結果、尿中のMEHPのみ有意な負の相関関係(r = -0.189, p = 0.047)が見出された。他の代謝産物ではAGIとの間に有意な関連は見られなかった。重回帰分析を行った結果、男児のAGIに対し、尿中MEHPが最も有意な負の独立変数として採択された(β= -0.226, p = 0.017)。これは、胎児期のDEHP/MEHP曝露により、男児の生殖系発達が阻害されたことを示唆した。一方、イソフラボン曝露とAGIとの間に有意な関連はなく、本対象集団では影響は見られなかった。

第4章 フタル酸エステル類による男性生殖系への影響調査-成人期曝露-

4.1 目的

成人男性の日常的なPEs曝露および、イソフラボン曝露と、生殖機能の精液指標との関連を調査し明らかにすることを目的とした。

4.2.1 方法

2010年に都内T産婦人科を不妊相談に訪れた男性42名を対象とし、スポット尿および精液を採取した。同時に、質問票により食生活・ライフスタイルを調査した。専門の技師により、精液量・精子濃度・精子運動率を測定した。

4.2.2 結果と考察

尿中代謝産物濃度は、第3章の日本人妊婦の測定結果と同程度であった。重回帰分析の結果、精子濃度や精子運動率に対して食品摂取頻度・イソフラボンが有意な独立変数として採択されたことから、食生活は精液指標に影響を与えうる重要な共変量であると示唆された。対象は不妊カップルの男性であり、何らかの疾患・遺伝的要因により、不妊の傾向にある対象者も含まれていると考えられたため、精液指標が基準値以内であった対象者14名に限定し解析した結果、DEHP代謝産物との間に強い負の単相関が見られ、成人男性のPEs曝露は精液指標に負の影響を及ぼすことが示唆された。

第5章 フタル酸エステル類による健康リスク評価

5.1 耐容一日摂取量(TDI)の推定

第3章の多重検定結果から、有意に男児のAGIが小さかった群の母親のDEHP曝露量より、1 μg/kg/dayをDEHPの暫定的TDIとした。この値は実験動物の精巣毒性から導出された、DEHPのTDI(50 μg/kg/day)を大きく下回り、実験動物よりもヒトのほうがDEHPによる影響に対し感受性が高い可能性が示された。日本人妊婦208名のうち、82%が暫定TDIを超過することが判明し、多くの割合の妊娠女性が、男児のAGI減少リスクの懸念レベルにあると推定された。

第6章 フタル酸エステル類曝露源

6.1 目的・方法

食事とハウスダストからのDEHP曝露の寄与を明らかにすることを目的とした。

首都圏在住の日本人成人男女19名を対象とし、陰膳法による食事試料採取、およびハウスダストの採取を実施し、試料をクリーンナップ後GC-MSにより分析した。

6.2 結果・考察

食事由来、およびハウスダスト由来の合計摂取量の内訳は、ハウスダスト(72±18%)、食事(28±18%)となり、ハウスダストの寄与が大きいことが分かった。これらの媒体中DEHPの起源はあらゆるプラスチック製品であると考えられ、個別の製品の対策では曝露の削減は困難である。よって、プラスチック製品に対するDEHPの使用を削減することが、効率的な曝露量の削減につながると考える。

第7章 結言

本研究では、日本人を対象として初めて肛門性器間距離を影響指標とした疫学調査を行った。ヒトにおいて、胎児期DEHPへの曝露により男児のAGIが減少することが示された。

日本人妊婦のおよそ8割が、DEHPの暫定TDIを超過する曝露レベルにあり、男児の生殖発達影響のリスクが懸念された。リスク低減化のためには、あらゆるプラスチック製品への可塑剤としてのDEHP使用を減らすことが効果的であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、フタル酸エステル類やイソフラボンへの曝露による健康リスクを明らかにすることを目的としたものである。ヒト集団を対象とした調査により、公衆の曝露と生殖影響指標との関連を調査して、公衆の健康リスクについて考察し、リスク削減対策を視野に入れた曝露媒体分析・寄与解析が実施されている。

本論文は7章からなる。第1章では、研究全体の背景についての議論に基づき問題提起がなされ、研究方針が提示されている。男性生殖系影響指標の低下を背景として、環境ホルモンがその要因の一つである可能性を論じ、研究対象として、代表的な環境ホルモンの一つであるフタル酸エステル類、および共変量として食事由来の女性ホルモン様物質であるイソフラボン曝露を選定し、その胎児期および成人期の曝露と男性生殖器発達や機能との関連を調べる研究デザインについて説明している。

第2章ではフタル酸エステル類およびイソフラボン曝露評価を目的とした、曝露バイオマーカーの機器分析法について既報に基づき検討している。その結果、尿中のフタル酸エステル類代謝産物7種およびイソフラボン2種の定量を、実試料分析に適した感度・精確さのもと行えることを確認している。また、一部の例外を除き、対象としたフタル酸エステル類およびイソフラボンの日常的な曝露のバイオマーカーとして随時尿中代謝産物濃度が適用可能であることを、同一対象者から繰り返し採取した随時尿の測定結果から級内相関係数を用いて評価し、結論している。

第3章では、胎児期フタル酸エステル類等曝露の影響指標として新生児の肛門性器間距離(AGD)をとりあげて、その測定法について検討したうえで、日本人新生児におけるAGD分布を明らかにしている。AGDを体重補正したAGIという指標を用い、フタル酸エステル類・イソフラボンへの胎児期曝露と出生時のAGIの関連を、妊娠女性を対象とした前向きコホート調査により検討している。妊娠女性の尿中フタル酸ジエチルヘキシル(DEHP)代謝産物とその妊婦から出生した男児のAGIとの間に負の関連を見出し、ヒト集団において、DEHP曝露により男児の胎児期男性ホルモンレベルが低下することを示唆し、他のフタル酸エステル類やイソフラボンはAGIと関連がないことを示している。

第4章では、成人期フタル酸エステル類・イソフラボン曝露と、男性生殖影響指標としての精液指標との関連を、不妊相談を受診した日本人成人男性を対象とした横断調査により検討している。共変量として考慮した食習慣要素や生活習慣要素が精液指標に影響を及ぼすことの他、正常な精液指標基準値内の対象者における、DEHP代謝産物と精子運動率間の有意な負の相関を見出している。しかし対象者数が限られているため、成人男性の生殖機能要因として、フタル酸エステル類やイソフラボン曝露、食習慣、生活習慣を考慮した疫学調査をさらに実施する必要性を指摘している。

第5章では、第3章で見出された、妊娠女性の尿中DEHP代謝産物と出生男児のAGIとの負の関連より、有意な影響を及ぼすDEHP用量を試験的に見積もり、日本人妊娠女性と出生男児のDEHP曝露による健康リスクを評価している。日本人男児の2割程度はすでに胎児期男性ホルモンの不足が懸念されると結論し、DEHP曝露による男性生殖器発達へのリスクを削減する必要性を提案している。

第6章では、第5章の結果に基づき、妊婦のDEHP曝露による新生児の男性生殖器発達不全リスク削減の一助とすることを目的とした、DEHP等の曝露源に関する調査を行っている。この調査では、成人男女を対象として、食事およびハウスダスト試料を採取してDEHP等フタル酸ジエステル濃度を定量し、曝露源としてハウスダストが重要であり、リスク削減対策はハウスダストに向けるべきことを指摘している。

総じて、本論文の研究内容は、フタル酸エステル類曝露による健康リスク評価のうち、曝露評価、ハザード同定、疫学調査にもとづいた量‐影響関係の解明、健康リスク判定、および曝露源調査とほぼ全ての段階について、総合的に、かつ精力的に行われたものと評価できる。従って、本論文内容は、環境システム学分野への貢献を十分に成し、博士論文としての質・量を十分に備えているものであると評価する。

なお、本論文第2章は、吉永淳氏、白石寛明氏、芹澤滋子氏、渡辺知保氏、第3章は、吉永淳氏、水本賀文氏、小島祥敬氏、白石寛明氏、芹澤滋子氏、第4章は、吉永淳氏、登島弘基氏、今井奏子氏、水本賀文氏、白石寛明氏、芹澤滋子氏、畠山将太氏、小野原千恵氏、徳岡晋氏、第5章および第6章は吉永淳氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって試料収集、機器分析および統計解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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