学位論文要旨



No 128436
著者(漢字) 齋藤,淳史
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,アツシ
標題(和) 電磁界の細胞機能発現への影響とその応用に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 128436
報告番号 甲28436
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第795号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 人間環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神保,泰彦
 東京大学 特任教授 杉浦,清了
 東京大学 教授 鳥居,徹
 東京大学 教授 佐々木,健
 東京大学 准教授 小谷,潔
内容要旨 要旨を表示する

本論文では,電磁界の中枢神経系に対する作用メカニズムを調べ,またその効果を医療分野で積極的に利用するために,培養神経細胞を用いた新しい影響評価方法および細胞操作方法の検討を行った.ここで,電磁界の生体効果の特徴はその周波数特性にあり,時間的に変動しない電磁界は電界・磁界が直接作用するが,周波数が高くなるにつれて刺激作用や熱作用が支配的となる.そのため,ここでは生体影響および医療応用の両面でのメカニズムがほとんどわかっていない刺激作用を対象とし,電磁界により生体内に誘導される電流(誘導電流)の(1)ガイドラインレベルでの効果および(2)強い刺激効果を培養神経回路網の活動を指標として調べた.具体的には,(1)のガイドラインレベルでの作用については国際非電離放射線防護委員会(International Commission on Non-Ionizing Radiation Protection, ICNIRP)の防護指針で制定されている閾値を用いて中枢神経系の発生モデルに対する影響を調べた.(2)の強い刺激効果については中枢神経系の非侵襲的治療のために利用される反復経頭蓋磁気刺激(Repetitive Transcranial Magnetic Stimulation, rTMS)のメカニズムを調べるために,培養神経回路網への局所的な誘導電流刺激方法を検討し,刺激に伴う神経活動の変調効果を刺激部位と非刺激部位の各効果と対応づけて調べた.また,生体に対して刺激作用や熱作用といった物理的作用を与えない非侵襲的な細胞操作技術の開発を目的として,(3)定常磁界および磁性ナノ粒子を用いた高密度・3次元培養神経回路網の作製に関する検討を行った.ここでは,磁性ナノ粒子を導入した細胞を外部磁力によってボトムアップ的に高密度集積化する方法を試み,そのために必要となる細胞への磁性ナノ粒子導入条件の検討および導入細胞を用いた培養神経回路網の高密度・3次元化方法に関する検討を行った.

1.低周波磁界が神経分化能・回路網形成能に与える影響の長期的評価

中枢神経系の発生・発達への環境中の電磁界の影響を調べるために,神経分化誘導中のP19胚性癌腫(Embryonal Carcinoma, EC)細胞に対して50 Hz正弦波の低周波磁界を印加し,神経分化と回路網形成への影響を長期的に評価した.磁界印加はインキュベータ内に設置したヘルムホルツコイルによって行い,数値シミュレーションおよび実測により得られた結果から,磁束密度分布が±5%以内となる領域に培養試料を設置した.また,磁束密度についてはICNIRPのガイドラインの基準値である1 mTと,その10倍の強度である10 mTを使用した.制作した低周波磁界印加装置を用いてP19EC細胞の分化誘導に伴う胚様体形成過程で4日間恒常的に磁界印加を行った結果,10 mT印加群について胚様体サイズの有意な低下を確認した.さらに10 mT印加群の胚様体を回収し,分化初期の細胞形態,神経分化能,回路網形成過程での自発電気活動への影響を調べた.その結果,非印加群と比較して,神経突起伸長速度の有意な低下および神経分化効率の有意な増加を確認した.微小電極アレイ(Microelectrode Array, MEA)基板上での長期培養による自発電気活動の評価を行った結果,分化誘導後2-3週目でのスパイク発火頻度の有意な増加を確認した.この傾向は,Fluo-4 AMを用いた細胞内Ca2+濃度変化の蛍光イメージングにおいても確認できた.なお,1 mT印加群については上記の指標での有意な影響は確認できなかった.

そこで次に,10 mT印加時の培養容器内の誘導電流密度分布を数値シミュレーションにより推定し,誘導電流密度に対する影響を評価した.その結果,容器内での誘導電流密度の最大値は約0.1 A/m2であった.ここで,得られた誘導電流密度分布をもとに培養容器内にPolydimethylsiloxane(PDMS)によってコンパートメント構造を作製し,誘導電流密度の強度依存性を調べた.その結果,誘導電流密度が高くなるほど胚様体のサイズおよび神経分化時の細胞形態への影響が顕著となった.一方,磁界印加時のCa振動をリアルタイムで調べた結果,磁界印加が胚様体内のCa振動に影響は確認できなかった.

以上の結果から,P19EC細胞の神経分化誘導時に対して,10 mTの低周波磁界印加は神経分化・回路網形成に影響を与える可能性が示唆された.ここで,影響が確認できた誘導電流密度はICNIRPの防護指針の閾値の約10倍の強度であり,閾値での影響はないことが考えられた.また,誘導電流の刺激作用による直接的な細胞活動の変調は引き起こされないことから,電位感受性イオンチャネルを介さないシグナル伝達への影響が示唆された.

2.培養神経回路網に対する局所誘導電流刺激方法の開発と刺激効果の観測

rTMSの刺激効果のメカニズムを調べることを目的として,培養神経回路網の局所的な領域を誘導電流によって非侵襲的に電気刺激できる実験システムを構築した.また,刺激効果はMEAによりリアルタイムで評価した.刺激時には軟磁性材料であるMu-metalを利用し,外部磁界をMu-metalへ集束させることでMu-metal近傍で約20 A/m2程度の強い誘導電流を発生させた.ここで,Mu-metalを培養神経回路網の近傍に配置するためにはPDMSを用いて作製した高さ100 μm程度の細胞培養チャンバーをコンパートメントとして用いた.さらに,チャンバー構造を複数個作製し,各チャンバーをマイクロ流路によって結合させることで非刺激部位の回路網活動と刺激応答性の関係を調べた.低頻度(0.5 Hz)および高頻度(5 Hz)の2種類の双極性パルス磁界を用いて培養神経回路網を局所誘導電流刺激した結果,各刺激に対してそれぞれ抑制効果および増強効果を確認した.このことから,本システムを用いることで培養系においてもrTMSでみられるような回路網活動の変調効果を確認できることがわかった.次に,刺激部位と非刺激部位の関係を調べるために軸索を介して双方向に接続されたクラスター状の培養神経回路網の一部を局所誘導電流刺激した.その結果,同期バースト発火の抑制効果が非刺激部位に伝搬することを確認した.また,同部位を局所薬理刺激した結果からも非刺激部位での同期バースト発火の抑制および増強を確認した.このことから,回路網の局所的な刺激は刺激部位と非刺激部位の同期バースト発火を強く変調する可能性が示唆された.そこで次に,局所的な薬理刺激によって同期バースト発火の発生を停止させた状態で0.5 Hzの低頻度刺激を行った.その結果,抑制効果は確認できず,刺激中におけるスパイク発火頻度の有意な増加のみを確認した.また,同条件下においては刺激終了後の神経活動の持続的な変化を確認した.

以上の結果から,作製した局所誘導電流刺激システムを用いることで,培養環境下での神経回路網活動の変調効果を確認した.また,同システムを用いた実験から局所的な刺激効果は同期バースト発火を介して非刺激部位の神経回路網活動に伝搬し,さらに非刺激部位の神経活動が刺激部位の誘発応答の急激な変化に関与することが示唆された.

3.磁性ナノ粒子および定常磁界を用いた高密度・3次元培養神経回路網の作製

生体への物理的作用として刺激作用や熱作用が生じない人工的な磁界の神経科学分野への応用を目的として,磁性ナノ粒子と定常磁界を用いた培養神経回路網の3次元化に関する検討を行った.ここではまず,磁性ナノ粒子の導入条件を調べるために大脳皮質培養神経回路網を用いて培地内の磁性ナノ粒子の濃度に対する細胞死,回収効率,導入後の自発電気活動への影響を調べた.その結果,500×104 cells/dishの試料において1 mg/ml以下の濃度では神経細胞・グリア細胞の各細胞での細胞死は確認できず,また80 %以上の導入効率を確認した.一方,同濃度での導入後にMEAを用いた長期的な影響評価を行った結果,1週間程度継続するスパイク発火頻度の変化を確認した.さらに,磁性ナノ粒子導入後は接着細胞を一度回収する必要があり,この過程では神経細胞の大規模な細胞死がみられた.一方,グリア細胞の一種であるアストロサイトについては顕著な細胞死およびアストロサイト間のギャップ結合への影響がみられなかった.そのため,ここではアストロサイトのみに磁性ナノ粒子を導入し,磁性ナノ粒子の導入-非導入アストロサイト間でのギャップ結合を用いた培養神経回路網の3次元化を検討した.

単層培養神経回路網上に磁性ナノ粒子導入アストロサイトを集積化し,24時間培養した結果,外部磁力を用いて単層の培養神経回路網を回収・移動できることがわかった.また,回収した培養神経回路網を別の神経回路網上に配置した結果,底面の細胞を剥離させずに単層培養神経回路網上へ別の培養神経回路網を集積化することができた.そこで,次にMEAを用いて磁性ナノ粒子導入アストロサイトの集積化および回収した培養神経回路網の集積化による自発電気活動パターンへの影響を調べた結果,磁性ナノ粒子導入アストロサイトの集積化により,培養24時間以内でのスパイク発火頻度およびパターンの急激な変化を確認した.一方,回収した培養神経回路網を単層培養神経回路網上へ集積化した試料については,培養24時間以内で急激な発火パターンの変化はみられなかったものの,観測電極毎で発火頻度の増減傾向が異なることを確認した.

以上の結果から,磁性ナノ粒子導入アストロサイトを用いることで,外部磁力を用いた培養神経回路網の回収と集積化を行うことができ,集積化する細胞によって異なる自発電気活動の変化を確認した.また本手法は,高密度・3次元構造を有する脳・神経回路網を培養系で作製し,その活動パターンを調べるための方法として応用が期待できる.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり、第1章では研究背景並びに関連分野の動向に関する考察に基づき、目的と具体的な課題が提示されている。すなわち、電磁界の生体作用につき、安全性と技術的な利用の可能性の両面から理解するのが本研究の目的であり、特にマイクロ加工技術を積極的に利用して細胞レベルの現象を可視化することが特徴であることが述べられている。具体的な検討課題として、以下の3項目を設定している:(1)安全性の視点から、生物が周囲環境に最も高い感受性を有すると考えられる発生・細胞分化段階の試料に対する低周波磁界の作用について、その強度依存性を明らかにする、(2)反復経頭蓋磁気刺激(Repetitive Transcranial Magnetic Stimulation, rTMS)に付随する現象として知られている神経活動変調を細胞レベルの作用として観測する、(3)技術的な利用の可能性として、磁性ナノ粒子を用いた3次元培養神経回路網の作製手法を開発する。

研究対象である脳神経系の電気現象,発生・発達過程に関する既存研究の状況を第2章にまとめた後、第3章では、低周波磁界が細胞分化・神経回路網形成能に与える影響の長期的評価につき記述している。神経分化誘導中のP19胚性腫瘍細胞に対して50 Hz正弦波の低周波磁界を4日間恒常的に印加した結果,10 mT印加群について、(1) 胚様体サイズと神経突起伸長速度の低下,(2) 神経分化効率の増加,を確認したことが報告されている。さらにその後形成される神経回路の自発活動において、分化誘導後2-3週目でのスパイク発火頻度の増加が認められ、1 mT印加群ではこのような変化が見られないとの結果になった。この観察結果を受けて、培養容器内にPolydimethylsiloxane(PDMS)によってコンパートメント構造を作製し、印加電磁界強度依存性を系統的に調べる実験を行った。その結果、胚様体のサイズおよび神経突起伸長の誘導電流密度依存性は確認できたが、磁界印加時に細胞内Caイオン濃度が直接変化する現象は観測されず、誘導電流による脱分極、電位感受性イオンチャネルを介した細胞内代謝過程への作用という通常のシグナル伝達経路以外を考慮する必要があることがわかった。今回の実験で電磁界の作用が認められた10 mTという磁界強度は現行の防護指針の10倍であり、この結果は安全性確保の現行制度の妥当性を示すものである。

第4章では、rTMSによる神経活動変調現象につき記述している。細胞培養容器中にMu-metalを利用して20 A/m2の強い誘導電流を発生,収束させる装置を作製し,複数のPDMS製マイクロチャンバを組み合わせて、1つの培養系で刺激印加群と非印加群の活動を同時計測できるシステムを構築した。刺激印加群と非印加群の間はマイクロトンネルを介して連絡があり,神経回路としての結合は形成されているため,刺激印加群に誘導される変調は神経回路活動を介して非印加群に伝搬する系となっている。刺激印加群では、低頻度(0.5 Hz)および高頻度(5 Hz)の2種類の双極性パルス磁界による刺激に対して、それぞれrTMSによる神経活動変調現象として知られている抑制効果と増強効果が誘起されることが確認された。誘導された活動変化が神経連絡を介して非印加群の活動も変調することが確かめられ、同様な効果が薬理実験でも再現されたことから、この現象がrTMSによる神経活動変調現象の細胞レベルでの実態であることが示唆された。

第5章は、磁性ナノ粒子を用いた3次元培養神経回路網の作製とその活動観測結果である。細胞内に磁性ナノ粒子を導入し、形成された神経回路を磁石により培養皿底面から剥離、別の培養神経回路上に3次元的に堆積させるという発想である。剥離・移動時のダメージを指標に手法としての評価を行い、磁性ナノ粒子を導入したアストロサイトのみの培養細胞塊を形成、これを単層培養神経回路網上に静置して24時間培養後に単層培養神経回路網の回収・移動を行う手法を確立した。この手法で複数の細胞層を積層した試料を作成、層間の結合形成によると考えられる電気活動変化の検出に成功した。

以上、設定した3つの課題に対して得られた研究結果に基づき、第6章で結論と今後の展望について総括している。なお、本論文第3章、第4章、第5章は、神保泰彦、小谷潔、森口裕之、高山祐三、斎藤亜希、との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク