学位論文要旨



No 128440
著者(漢字) 猪熊,ひろか
著者(英字)
著者(カナ) イノクマ,ヒロカ
標題(和) 福祉のまちづくりにおける異質性の相互認容 : 身体障害者の多様性とバリアフリー概念をめぐって
標題(洋)
報告番号 128440
報告番号 甲28440
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第799号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 清水,亮
 東京大学 教授 鬼頭,秀一
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 准教授 清家,剛
 東京大学 教授 堀田,昌英
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、利害の対立する人々の間の関係性の保ち方について、人々の間の異質性に着目しながら、人々の生き方の多様性について考察するものである。利害の対立する人々の間の関係性の保ち方については、共通性の探求や追求という方法がとられる傾向にあるが、この方法をとる場合、結果的にその共通性を有さない人々は依然として排除状態に置かれるという問題が残る。この問題状況の現れ方について、序章で例を挙げながら概説し、本稿の問題意識について説明する。その問題意識の具体的な例は、道路のバリアフリー化における以下のような問題である。

■歩道と車道の段差を無くす手法をとった場合

車いす使用者:当該歩道を走行できるようになる(歩道を使える人に含まれる)

視覚障害者 :歩道の幅を白杖で確認できずに車道に出てしまう恐れがある(物理的に使用できないわけではないが、危険なので当該歩道を使用できなくなる恐れがある)

■点字ブロックを敷設する手法をとった場合

視覚障害者 :進行方向を安全に確認できて目的地へ向かうことができる(通路を通行できる人に含まれる)

車いす使用者:点字ブロック上の走行は走行の安全上望ましくなく、とくに勾配のある通路や雨天時に滑って危険である(物理的に使用できないわけではないが、危険を伴うので当該通路を使用できなくなる恐れがある)

この問題状況についての対応としてこれまで主に検討されてきたのは、新たな政策立案や技術向上によって、政策や技術のカバーする範囲を拡張していくことである。第一章では、これまでの福祉のまちづくり論における、政策立案の拡大や技術の向上の限界について、総合的に議論する。その上で第二章では、事例を参照しながら、政策立案の拡大と技術の向上について取り組み側の立場からその取り組み方について考察する。

まず政策立案側については、重点施策化するために観光と福祉を組み合わせて「住みよいまちは行きよいまち」というスローガンを掲げるにいたる経緯を示し、行政側・観光業界側・福祉関係側による「原則的同意」という概念を用いて説明する。そして、「原則的同意」によって政策立案の幅が広がったために、その広げ方もまた「原則的同意」に基づかなくてはならないという仕組みを明らかにする。事例にみることのできる「原則的同意」に起因する限界は、福祉のまちづくりの対象を身体に不自由さをもつ観光客と設定するために、身体に不自由さをもつ在住人々にとっての利害を考慮することが難しいというものである。

また技術側は、道路のバリアフリー化にあたって、「原則的同意」をはじめとする総合的な要素から「歩車共存」という手法(上述の(1)と(2)を両方とも用いる手法)を選択しているが、その選択そのものもまた「原則的同意」によって制限されていることを明らかにする。そして、それによって、福祉のまちづくりの物理的な部分に予算をふりわけることの困難さに新たな方途を見いだしたはずの「行きよいまちは住みよいまち」という考え方は、その考え方そのものによって同時に自ら限界を設定せざるをえない、という問題の構図を明らかにする。事例にみることのできる「原則的同意」に起因する限界は、歩車共存を目的として歩車道のフラット化を選択するために、視覚障害をもつ人々にとっての利便性を考慮し難いというものである。

第三章では、第二章と同様に事例を参照しながら、政策立案の拡大や技術の向上の限界について、在住の障害当事者の立場から道路のバリアフリー化の意味とその捉え方について考察する。

まず、市行政側による「道路のバリアフリー化整備計画平面図」とバリアフリー化された道路との対応状況と、車いす使用者側による「車いすおでかけマップ」とバリアフリー化された道路との対応状況について検討し、おおむね7割から8割程度の施設等(公共的な施設や生活にかかわる店舗、駐車場)の面する道路はバリアフリー化されていることを明らかにする。しかし、自家用車を用いない車いす使用者にとって、自宅からバリアフリー化された区域に至るまでの区間は依然としてバリアフリー化されていない「残されたバリア」である。さらに、視覚障害者にとっては、歩車道のフラット化というバリアフリー化の手法のために、バリアフリー化された道路自体が「新たなバリア」となっている。身体に障害をもつ人々の利便性向上のためにおこなわれるはずのバリアフリー化は、むしろ、身体に障害をもつ人々の利害を対立させる要因になりえる、という問題の構造について、3-2で示す。

3-3では、バリアフリー化の実施により新たに明らかになった「新たなバリア」を肢体不自由者と視覚障害者が互いに認識しあう場面を引用して、「異質性」への着目の妥当性について示す。「異質性」という概念を用いる理由は、(1)障害種別の違い、(2)利便性面での都合のよさや不都合さの違い、(3)不都合さを賄う手段の質的な違い、(4)都合の良さを含めたよりよさの違い、といった複数の位相の差異を複合的に論じることを可能にするためである。

「異質性」の指し示す差異のうち、道路のフラット化によってあらわになった(2)の差異(利便性の違い)は、車いす使用者の場合フラット化範囲の拡幅によって補えるが、視覚障害者の場合ガイドヘルパーによるガイドヘルプといった質的にことなる手段によって賄うという、(3)の差異(手段の質的な違い)と密接に関連する。さらに、(3)の差異は、車いす使用者にとっては自在な行動範囲の拡幅が「よりよさ」となる一方で、視覚障害者にとっては介助者との関係性構築が「よりよさ」となるという、(4)の差異(よりよさの違い)にかかわる。3-4から3-8において、このような肢体不自由者と視覚障害者の「異質性」とその「相互認容」について、具体的に議論する。

第四章では、身体障害者間の価値観や生き方の「異質性」を、「多様性」概念を用いて議論する。

4-1では、介助者との関係性を重視するような価値の置き方について、「社会的価値」と「個人的価値」、障害の社会モデル等の先行研究のなかでの位置づけを示す。そして、自己決定論との違いを明らかにした上で、「程度の差異」と「本質の差異」の違いを用いながら、介助者と被介助者をつなぐ機能面と関係性面について論じる。

4-2では、肢体不自由者と視覚障害者による異質性の相互認容の場面を引用しながら、相互認容の根底にある三つの要件について議論する。三つの要件とは、(1)全ての人にとって都合のよい物理的な環境が当座実現不可能であると認識していること、(2)その都合の良さ実現のための手段を肢体不自由者と共有しないで構築する手だて(支援者による直接の案内=ガイドヘルパー)に一定の目安を付けていること、(3)都合の良さ実現のための手段であるガイドヘルパーを、ただディスアビリティを補うためだけの存在ではなく、"共に"その行動(移動や活動)を楽しむ相手であると考えていること、である。

(1)については、「排除」の反意語を「包摂」とするのか、それとも「非排除」とするのかについて考えるにあたり、社会的排除論を参照する。排除の反意語を統治側は「包摂」とするが市民側は「参加」と考える社会的排除論の議論と同様の構図を、バリアフリー化後の視覚障害者の通行困難についての構図にみることができる。政策・技術者は、バリアフリー化によって生じた視覚障害者の通行困難を「技術的手法の向上によって解決」しようとするが、視覚障害者の側は、「物理的改修とガイドヘルパーの使い分け」によって解決しようとする。同じように問題に対応しようとしながらも、結果として相反する方法となってしまうことを示す。

(2)については、解決方法の個別的性質を考えるにあたり、既存・多数派による社会における「ノーマル」を目指すノーマライゼーションの「ノーマル」にかんする議論を引く。概念化されたノーマライゼーションが、既存・多数派による社会における「ノーマル」と少数派にとっての「よりよさ」に相容れなさを生じさせる場合について示す。

(3)については、障壁設定の違いを考えるにあたり、似たような技術手法として考えられているユニバーサルデザインとバリアフリーを用いて議論する。まずデザイン自体としてのユニバーサルデザインとバリアフリーの違いは、「よりよさ」が普遍性にあるユニバーサルデザインにたいして、バリアフリーに際しての「よりよさ」は個別性にあることを示す。そして、ユニバーサルデザインとバリアフリーについて、状況(普遍的状況なのか個別的状況なのか)と行為(普遍を目指す行為なのか、個別性を目指す行為なのか)が混在して用いられることに起因する問題点を指摘する。その上で、バリアフリーという言葉を、技術手法を越えた、人々の振る舞い方を表す概念足り得る可能性について論じる。

4-3では、本質の差異にささえられる異質性と多様性について議論する。まず、程度の差異を Variationとしての多様性、本質の差異をDiversityとしての多様性と分類し、異質性と多様性を関連づける。そして、同一性や共通性を根拠に多様性を目指すことによりさらなる排除が生まれるという論理上の問題点を指摘し、それにかわるものとして異質性の相互認容にささえられる多様性について議論する。

終章では、本稿全体をまとめる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、段差解消による道路のバリアフリー化という福祉のまちづくりを推進する際に生じた障害種別間の矛盾的状況に着目しながら、そこから技術や政策が不可避的に有する排除の論理を読み解き、さらには技術や政策とは別様の問題解決を目指す視覚障害者たちのあり方をヒントに異質性を相互に認容し合う態度が持つ重要性を論じたものである。

構成は全部で6つの章となっており、序章で問題の背景や問題関心が述べられた後、1章ではこれまでの福祉のまちづくりについて概観が示される。そこでは「バリアフリー」や「ユニバーサルデザイン」といった鍵概念が有する基本的な考え方やその相違が解説されるほか、福祉のまちづくりが類型別に整理される。また、福祉のまちづくりの一環で行われる道路改修を具体例として、これまで用いられてきた様々な技術的手法を紹介しながら、そうした技術、或いはその技術を用いる政策が、多くの人にとって都合のよいあり方を目指そうとしても、救いきれない人々を原理的に生み出してしまうという問題を有していることを指摘する。技術は境界条件を設けて最適解を求めることで発展していくが、境界条件の外側の問題にはどうしても消極的になってしまう傾向がある。政策にしても、ある一つの政策は誰かにとって都合のよいものとして導入されても、別の人にとってはかえって不都合であるという事態がしばしば生じてしまう。技術や政策がそのような原理的限界を有することを視野に入れた途端、そこに別の見方が開けてくる。それこそが本論文が立脚する、今ここに困っている人がいるということにまずは注目しようとする視点である。技術や制度に解決を見いだそうとする現代社会の陥穽を原理的に見抜き、これを突破する視点を見いだそうとする切り口は独創的であり、意義深い指摘と言える。

2章と3章では、上述の技術や政策の限界や、弱者の存在を起点とする問題の再構成を、岐阜県高山市で実際に行われた福祉のまちづくりを事例にしながら具体的に示していく。2章では福祉観光都市を目指した高山市の事例の概要とともに、「原則的同意」に基づいて事業が進められていった経緯が明かされる。そして、観光と福祉との両立を目指す戦略そのものの内に、政策の対象が結果的に限定されてしまうことが明らかにされる。3章ではその政策から結果的に排除されることになる視覚障害者の振るまい方に着目し、特に彼らが車いす使用の身体障害者との間で利害相反者として対立姿勢を示すのではなく、逆に相互に異質な存在であることを認め合う関係を取り結ぼうとすることに焦点が当てられる。視覚障害者たちは、カラー舗装化を受け入れる代わりにガイドヘルプの拡充という別様の解決策を求めることで排除の関係を避け、配慮の関係への転換を見せようとする。さらにガイドヘルパーとの関係も、障害に対する機能的充足の面だけではなく、もっと人間同士の関係性を重視して相互の気遣いを引き出すことで、自らにとって満足度の高い結果が得られることを目指そうとしている。このような配慮や気遣いに基づく関係性こそ、一人の弱者の個別性に目線を合わせ、技術や制度が不可避的に生み出す隙間を埋めようとする態度にほかならない。

4章ではこの関係性を理論的に多様性概念と結びつける試みが為される。この過程では介助者に機能性よりも関係性を求める高山の事例を基に、本質の差異を認め合うことから排除状態を回避する可能性が見いだされる。そして普遍性を目指すユニバーサルデザインの思想に対置する形で、個別性にこだわって障害を一つずつ取り除いていこうとするバリアフリーの思想を位置づけていく。さらに終章にかけて、多様な個の存在が相互に異質性を容認しながら共存する可能性は、技術や制度の向上だけでは原理的に達成できず、このような思想と組み合わせることの必要性を説く論文の結論が明らかにされていく。

本論文の独創性は、上述の通り福祉のまちづくりの一事例を丹念に追うと同時に、異質性の相互認容やそれに基づく多様性概念の重要性といった理論的考察を行う、その往復運動にある。また、問題解決を技術や制度に依存しがちな社会の現状を省みれば明らかなように、この議論が示唆するものは福祉領域にとどまらない広汎性を有している。その意味で、本論文が果たした功績は現代社会論の文脈でも高く評価できるものである。確かに、一部において事例から乖離した抽象的議論を展開しすぎている嫌いもあるが、本論文全体の学術上の価値を損ねるほどのものではない。

以上により、本審査委員会は、本論文を博士(環境学)の称号を授与するにふさわしい業績として認めるものである。

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