学位論文要旨



No 128441
著者(漢字) 一木,絵理
著者(英字)
著者(カナ) ヒトキ,エリ
標題(和) 日本における縄文海進の海域環境と人間活動
標題(洋) Marine environment and human activity during the Jomon Transgression in Japan
報告番号 128441
報告番号 甲28441
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第800号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 教授 鬼頭,秀一
 東京大学 准教授 清水,亮
 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 教授 佐藤,宏之
内容要旨 要旨を表示する

環境変動と人間活動とのかかわりを探る環境史研究においては、環境が急激に変化した時期が重要になってくる。それは、環境の激変期は、生態系だけでなく人間活動においてもダイナミックな質的変化を伴う重要な画期となるからであり、この画期に注目し環境変動と人間活動との関係を明らかにする。

人類の時代は、多くの寒冷期と温暖期の変動に特徴づけられ、約2万年前の最終氷期最寒冷期以降は、後氷期である完新世に向けて急激に温暖化した。この大きなかつ急激な気候変動と海水準変動は、陸域と海域を変え、人類の活動に大きな影響を与えた環境変動であった。

本論は、このような環境変動と人間活動との関わりに注目し、特に完新世に起きた海水準変動である縄文海進による海域環境の変遷と人間活動とのかかわりを明らかにすることを目的としたものである。

縄文海進は、地質学における沖積層研究によって明らかにされてきたが、年代観の統一がなく、考古学における編年や遺跡との関連を議論するには至っていない。また、主に関東平野を中心とした沖積層研究(遠藤ほか,1983など)や考古学における貝塚分布に基づく縄文海進研究が日本における縄文海進のスタンダードとして扱われ、一様な縄文海進像が描かれてきた。しかし地域的な様相が十分に検討されていないという問題点がある。そこで、多くの地域研究によって縄文海進とその後の海退の地域性や多様性を明らかにすることが重要になってくる。

そこで、研究の方法は、地質学を基盤とした沖積層研究に基づき、共通の時間軸となる層序と編年を構築することである。そして画期に注目して、古地理変遷や海陸分布を明らかにし、特に貝類遺体を用いて海域環境の変遷を明らかにする。さらに遺跡群との時間的・空間的な対応関係を明らかにすることで、人間活動、特に漁労活動を追求していく。

対象地域は、縄文海進と遺跡を相互に捉えることが可能である地域を選定した。地域としては、九十九里平野(千葉:縄文海進期には古九十九里湾・古椿海・古多古湾)、夷隅川低地(千葉:古夷隅湾)、関東平野(奥東京湾)、本荘平野(秋田:古本荘湾)、青谷平野(鳥取:古青谷湾)、上北平野(青森:古八戸湾)、常呂平野(北海道:古常呂湾)の7地域である。

それぞれの地域において、沖積層の層序と編年を明らかにした上で、海域環境の変遷を明らかにし、さらに人間活動とのかかわりを検討した。そして地域ごとの成果を比較検討し、地形地質の特徴や海域環境の変遷、遺跡・集落の変遷に関して対比を行った。

そこで明らかになったことは、いくつかの変動は地域間で連動しており、その時期は各地である程度共通しているということである。ただし海域環境の変遷は、地域によって違いがあることも認められた。その要因としては基盤となる地形・地質であり、沖積層層序や基底礫層、海進期内湾形態、海退期(海水準安定期)堆積システム、流入河川、埋積・侵食作用、構造運動などが重要な要素として挙げられた。海進海退は、海岸線の移動であり、グローバルな海水準の上昇低下と、河川による埋積作用という、海側と陸側の双方の作用によって海岸線の位置が決められる。特に海進期は、河川の埋積を上回る海水準の上昇があったため、各地で海岸線が後退すなわち海進がおこった。対して、高海水準に達し安定化すると、河川による埋積が上回ってくることにより、海岸線が前進すなわち海退が起こった。さらに、これらに海岸侵食による地形改変や、波浪・沿岸流による堆積作用、構造運動による隆起・沈降、突発的な火山灰の降下などが加わって、縄文海進期に形成された内湾環境はさまざまに変化した。

そして地域間の比較研究により変動期を対比させることができ、縄文海進の編年と画期は以下のように設定できた。

(1)約7400BP(約8200calBP)(縄文時代早期)における一時的海退期

(2)約7300~6100BP(8100~7000calBP)(縄文時代早期後葉)の高海水準期

(3)約6100~5300BP(7000~6050calBP)(縄文時代前期前半)の海水準安定期

(4)約4400~3700BP(5000~4000calBP)(縄文時代中期中葉~後期前葉)の海退期

―約4400BP(5000calBP)(中期中葉):海退第1期-浅海化

―約4100BP(4600calBP)(中期後葉):海退第2期-汽水化

―約3700BP(4000calBP)(後期前葉):海退第3期-淡水化・陸化

(5)約2100BP(2100calBP)(弥生時代中期)の一時的海退期

そして地域ごとの地形地質・堆積環境の特徴が、海域環境の変遷に大きく影響し、人間活動にも大きく関わっていることを指摘した。海域環境と人間活動との関係に関しては、海進期の縄文時代早期後葉と前期前半、および海退期の中期中葉から後期前葉の3つの時期ごとに明らかにした。以下に具体的な様相をまとめた。

縄文時代早期後葉(約7300~6100BP)の高海水準期には、古椿海や古多古湾を始め、各地で奥深い内湾が形成された。内湾形態の違いは、湾口の広さや支谷の有無、海岸線に現れる。湾口が広く単調な海岸線を有した内湾は、古椿海や古常呂湾があり、直接外洋に面した。また、湾口が狭く樹枝状谷を持った複雑な海岸線を有した内湾は、古多古湾や古夷隅湾、奥東京湾が挙げられた。さらに湾口は狭いものの、単調な海岸線を有した内湾としては、古青谷湾や古本荘湾、古八戸湾が挙げられた。

縄文海進によって初めて内湾奥部まで海域が広がり、河川による埋積は進んでいないため、内湾の水深は深く、広大な干潟は形成されにくかった。しかし、古八戸湾においてはすでに海域は浅く、オオノガイやハマグリの生息する広大な干潟が形成されていたと考えられた。これは十和田火山の活動との関連が想定された。内湾環境の地域性によって、人間の海域への進出、資源利用の形態が異なっていたと考えられ、それが貝塚形成に現れていたといえた。漁労活動においては、特に長七谷地貝塚から出土した遺物から釣漁や刺突漁、網漁などの内湾漁労が想定され、早期後葉には内湾を主とした海洋適応が認められた。

縄文時代前期前半の海水準安定期(約6100~5300BP)には、各地で大規模な貝塚が多数形成された。水深が浅くなり、広大な干潟・藻場が形成されたことが特徴である。干潟環境が広がった内湾は、古椿海や古多古湾、古夷隅湾、奥東京湾(中川低地)、古青谷湾、古常呂湾である。一方内湾環境は継続するものの、浅海化が始まった地域としては、古本荘湾や古八戸湾が挙げられる。特に奥東京湾(荒川低地)では、海進安定期にはデルタの前進が始まり、汽水域が広がっていた。奥東京湾において貝塚の様相が多様であることは、各河川・支谷における埋積の地域性が顕著に現れたことによる。

縄文時代中期中葉~後期前葉(約4400~3700BP)の海退期においては、地形地質の地域性がさらに顕著に現れる。気候の寒冷湿潤化と海水準の低下によって、各地で河川活動の活発化や河川の下刻による浅谷形成が認められた。特に、古椿海においては三段階の海退プロセスとして、この海退期を3時期に細分することができ、海退第1期(約4400BP)に浅海化が始まり、海退第2期(約4100BP)に汽水化、海退第3期(約3700BP)に淡水化ないし陸化へと短期間のうちに変遷したことが認められた。奥東京湾(中川低地)における変動の時期に関しても、約4400、4100、3700BPの3時期に変動期を集約でき、各地で連動する現象として捉えられた。そして古青谷湾や古常呂湾においても約4400以降に河川活動の活発化による三角州の前進と急激な埋積が認められた。

海退第1期である約4400BPにはそれまでの海域が急激に浅海化し、海域が縮小したことが明らかとなった。海退=干潟の消滅と捉えられがちであるが、奥東京湾では、海域の縮小と海岸線の移動によって、奥東京湾東岸に広大な砂質干潟が形成され、大規模な環状集落や貝塚が見られた。

海退第2期である約4100BPには、さらに埋積が進み、海域の縮小や汽水化が進んだ。奥東京湾では遺跡が分散する時期であった。この時期にはほとんどの地域で干潟環境は貧弱化するが、古常呂湾においては、デルタの前進がありつつも、ハマグリやマガキが生息する内湾環境が継続していた。

海退第3期の約3700BPには、各地域において泥炭層の堆積開始として特徴づけられた。海進期に内湾であった地域はほとんどが陸化ないし湖沼化した。奥東京湾では、馬蹄形貝塚や水場遺構が形成され、陸域の拡大によって低地へも活動域を広げ始めた時期であった。

以上より、縄文海進の地域性を明らかにし、新たな編年学的枠組みを構築したことによって、地域間の海域環境と人間活動との関係を捉えることができた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、約11700年前以降に起きた急激な気候の温暖化を原因とする海水準変動による海域環境の変遷と人間活動とのかかわりを論じたものである。日本では、この海水準変動によってもたらされた海進を、縄文時代の貝塚の内容と分布の変遷から初めて論じられるようになったため、長らく縄文海進と呼ばれてきたが、その実態がどのようなものであったかを世界の研究に照らして検討したものでもある。

本論文は6章から成り立っている。そのうち第2章は、本研究の方法であるが、地質学を基盤とした沖積層研究を基礎としながら、共通の時間軸となる層序と編年を構築すること、環境変動の画期に注目して古地理変遷や海陸分布を明らかにし、とくに貝類遺体を用いて海域環境を復元すること、遺跡群との時間的・空間的な対応関係を明らかにするという複数の分野の手法を複合させており、本研究の特徴の一つを述べている。そして第3章では、問題の所在を明確にするために、気候変動と海水準変動、縄文海進研究史の二つの節にわたってこれまでの研究成果と問題点を摘出している。

第4章は、日本列島の7地域における縄文海進像を捉えなおす試みを行っている。7地域とは、九十九里浜海岸に沿う古九十九里湾、その南部の古夷隅湾、関東平野中央部の奥東京湾、秋田県南部の古本荘湾、鳥取県の日本海に面する古青谷湾、青森県八戸地域の古八戸湾、北海道オホーツク沿岸の古常呂湾である。これらの地域設定は、それぞれ異なる規模の内湾であること、道路建設や遺跡の発掘調査など地下地質を知るための調査が盛んに行われていること、縄文時代以降の人間活動が活発であったことを根拠にしている。したがって、得られる情報の多くが新鮮であることが大きな特徴である。とくに、古本荘湾、古八戸湾、古青谷湾に関しては、遺跡分布が集中するうえ、重要な遺跡が分布するため古くから注目されてきたものの、調査・研究がほとんどなされてこなかった地域であり、初めての新しい知見を得ることに成功している。

第5章では、第4章で記載された各地域の縄文海進像の地域間比較が行われており、海域環境変遷の地域性とともに遺跡・集落変遷とのかかわりに見られる地域性が摘出されている。その結果、海域環境の変遷は地域によって違いがあることを認めており、その要因としては基盤となる地形・地質であり、沖積層層序や基底礫層、海進期の内湾形態、海退期(海水準安定期)の堆積システム、流入河川、埋積・侵食作用、構造運動などが重要な要素であることを明らかにしている。

第6章では、第5章までの各地域での事実記載と地域間比較を総合して、縄文海進の編年と画期を提案した上で、海域環境の変遷と人間活動のかかわりを論じている。すなわち画期は、約7400BPの一時的海退、約7300~6100BPの高海水準期、約6100~5300BPの海水準安定期、約4400~3700BPの海退期、約2100BPの一時的海退期の五つである。このような画期において人間活動様式が変化していく様相が明らかにされているのである。以上の検討結果によって、縄文海進の地域性を明らかにし、新たな編年学的枠組みが構築されたこと、地域間の海域環境と人間活動との関係を捉えることができるようになった。

縄文海進研究はこれまで、ひとつの地域を研究対象に進められ、そこで構築されたモデルを他地域にあてはめて考察することが多かった。それに対して、環境の異なる複数の地域を捉えなおし、それぞれの比較を行うことで、実は縄文海進像に明らかな地域性があることを明らかにしたことは大きな成果であり、今後の研究の方向性を示唆するものとしても高く評価できるものである。

以上により、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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