学位論文要旨



No 128443
著者(漢字) 松本,京子
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,キョウコ
標題(和) 越境河川における環境影響評価枠組に関する考察 : メコン川流域における越境環境影響評価枠組の確立に向けて
標題(洋)
報告番号 128443
報告番号 甲28443
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第802号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 国際協力学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中山,幹康
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 堀田,昌英
 法政大学 教授 藤倉,良
 筑波大学 准教授 遠藤,崇浩
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、複数の国家が共有する越境河川における水資源の円滑な管理を促進するために、紛争解決と紛争防止メカニズムとしての越境環境影響評価(Transboundary Environmental Impact Assessment: TbEIA)の枠組の効果と制約について、事例研究から明らかにし、越境環境影響評価が有効に機能するための要件を示している。その結果に基づいて、越境環境影響評価の枠組が確立されていない、東南アジア最大の越境河川であるメコン川流域において、越境環境影響評価の枠組形成に必要な要件を示すことを研究目的としている。

第1章では、水資源の稀少化が顕著になる中で、越境河川での水の確保をめぐる隣国との係争が深刻化する可能性を示唆し、近年に発生した越境河川での係争について概観している。メコン川流域では、水資源開発が進み、越境環境影響評価の方法論が規定されていないことや不適切な手法による越境環境影響評価が実施された結果、幾つかの事例では隣国との係争に発展している。メコン川流域で流域国間の係争に発展した事例を、メコン川の地域的な管理枠組である「メコン川流域の持続可能な開発のための協力協定」(1995年発効)と関連づけて、管理枠組のどのような局面がこれらの係争において問題になったかについて述べている。その結果、実際の越境環境問題に直面した場合に、メコン川協定及びそれに付随する手続き規則のみによる問題解決に限界が判明した。

第2章では、現在採用されている越境河川の水資源を適切に管理するための方法論を概観し、環境影響評価及び越境環境影響評価が、歴史的にどのようにその重要性を増してきたかについて、資源管理全般における越境環境影響評価枠組の歴史的発展及び現状を把握している。1991年に採択され、1997年に発効した「越境の文脈におけるECE越境環境影響評価条約(通称:エスポー条約)」で規定されている、越境環境影響評価の手続き過程とその環境影響評価文書に含む主な構成要素について論じている。また、越境環境影響評価の一連の手続きの中での通知義務と事前協議義務の意義について検証している。その結果、通知義務と事前協議義務の手続きの明確化をすることにより、関係国の積極的な関与を促進し、環境への悪影響を未然に防止・軽減し、関係国との間で協調路線を生みだすことが可能である、ことが導かれた。

第3章では、越境環境影響評価枠組が適用された事例として、「ダニューブ・デルタ事件」について論じている。「ダニューブ・デルタ事件」とは、生態学的に非常に脆弱なダニューブ川のデルタ地域に、ウクライナがビストロエ水路の開削を計画したことから、隣国であるルーマニアが環境への重大なる影響への懸念を表明し、エスポー条約の遵守違反を申し立てた、越境環境問題の係争である。「ダニューブ・デルタ事件」では、越境環境影響評価の枠組であるエスポー条約がどのような局面で機能したかについて分析を行っている。事件の検証より、問題の複雑化と長期化は、プロジェクトの初期段階において、ルーマニアとウクライナ双方がエスポー条約の越境環境影響評価に則った速やかな対応を怠ったために条約の審査手続きに遅延が生じたこと、が判明した。さらに、ルーマニアが他の多国間環境条約事務局に対応を要請したことにより、複数条約間の調整の必要性が生じ、事態の解決に時間を要したことも1つの要因として挙げられている。また、初期段階におけるエスポー事務局の関与が、消極的であったこと、国の窓口としてフォーカルポイントが明確でないことが、原因として挙げられている。

この事例より、エスポー条約という越境環境影響評価枠組が存在していても、適切な通知と事前協議が実施されないことにより、問題解決が遅延することが示唆された。従来、国際法学における条約の履行の観点から、問題処理の過程において、他の多国間環境条約の存在による相互補完的な作用が問題処理を支え、異なるアプローチがとられたことにより問題処理を促してきたことが強調されてきた。本研究では、エスポー条約の交渉過程に焦点をあてることにより、関係国への適切な通知と事前協議を行うことにより、エスポー条約の越境環境影響評価の手続きが円滑に遂行されることを示した。また、エスポー条約に則った通知と事前協議を円滑に遂行するためには、各国のフォーカルポイントを明確にし、国内の関係部局と連携を図り、早い段階で国内外共に問題認識と情報共有をすることが重要であることが判明した。

第4章では、「ウルグアイ川・パルプ工場事件」について論じている。「ウルグアイ川・パルプ工場事件」は、南米のウルグアイ川河岸においてウルグアイが計画・建設した製紙工場に関して、環境への影響を懸念したアルゼンチンが、ウルグアイ側に抗議した事件である。両国間で締約している「ウルグアイ川条約」の枠組での解決を目指したが、両国の合意には至らず、2006年5月に国際司法裁判所へ条約の不遵守申し立てに発展した。2010年4月、国際司法裁判所は、ウルグアイ川条約が規定している手続き義務にウルグアイが違反したとの判決を下した。「ウルグアイ川・パルプ工場事件」の国際司法裁判所の判決文及びそれに付随している裁判官の反対意見を参照し、越境環境影響評価の枠組を効果的に構築するのに有用な視点を抽出している。その結果、通知を要するプロジェクトの範囲、通知のタイミング等の通知義務に関する手続き、情報の質と量の一貫性、これらの手続き過程に携わる河川委員会の機能の点において、流域国が実際に越境環境問題に直面した際に、「ウルグアイ川条約」に定められている条項に記載されている内容が流域国間での理解の相違を生みだしていることが判明した。特に、「ウルグアイ川・パルプ工場事件」では、通知義務が適切に履行されなかったことにより、関係国の関係が悪化したことが問題の発端であることからも、通知の重要さに加えて、それに続く協議が円滑に進められることを担保し得る枠組の必要性が確認された。越境環境問題では、「通知」に始まる一連の手続きのプロセスへの関係国の積極的関与が、その後の情報の透明性を確立し関係国間の信頼性の構築に繋がり、係争を避けられる可能性が示唆されている。

さらに、この「ウルグアイ川・パルプ工場事件」の最終判決における実体的義務違反に関する法廷の見解の中で、越境河川の開発プロジェクトでは、プロジェクト開始前に越境環境影響評価が実施されるべきであり、越境環境影響評価の内容や継続的なモニタリングの必要性についても言及された。国際司法裁判所の見解は、今後越境河川でプロジェクトが実施される際には、越境環境影響評価の実施が慣習化されることが期待されることとなった、大きな転換点となった。

第5章では、第4章で解析した「ウルグアイ川・パルプ工場事件」の事例を通して「ウルグアイ川条約」の制約及びその分析から得られた有効な越境環境影響評価の枠組の要件を念頭に、越境環境問題を扱う上での「メコン川協定」の制約を検討し、メコン川流域の越境環境影響評価の枠組の要件を示している。「メコン川協定」が内包する最大の制約は、協定で規定されている通知するプロジェクトの対象範囲である。本流や支流での流域外送水や流域内の水利用に関してとるべき義務が限られていることである。これにより、通知義務及び事前協議義務に関する越境環境影響評価を実施する手続きの有効性が限られる結果となっている。

メコン川流域において構築されるべき越境環境影響評価枠組には、要件として、1)メコン川協定で規定されている通知するプロジェクトの範囲の制約を補完するために、越境環境影響評価の枠組には、越境環境への影響があると結論づけられるすべての行為を対象にすることが可能な条項を規定する必要性、2)越境環境影響評価の手続き過程で重要である、通知義務や事前協議義務の規定に関して、実際に機能しうる手続きを規定とする必要性、3)関係国の手続き実施を支援するメコン川委員会の役割の明確化と能力強化、4)紛争解決機能の設定、5)手続き過程での公衆参加のメカニズムを組み込むこと、が明らかになった。これらの要件の実現のために具体的な施策が呈示されている。

最後に、本研究を通して得られた知見に基づき、メコン川流域における越境環境影響評価の枠組構築に向けて、提言を行っている。メコン川委員会主導で、越境環境影響評価の枠組がガイドラインとして策定されつつあるが、流域国の政治的な思惑から越境環境影響評価の枠組への合意は未だ実現していない。メコン川における越境環境影響評価枠組は、計画国による被影響国に対する「計画の内容を通知」と「越境環境影響評価の実施の手続き」の2つの要素を含む方向で検討されているが、「計画の内容を通知」部分の「通知」及び「事前協議」の部分のみだけでも実行を確保することにより情報の透明性が実現し、継続的・積極的な流域国の対話を促すことが可能である。

第6章では、結論として、本研究が目的としたメコン川流域における越境環境影響評価の枠組構築の意義について述べている。

審査要旨 要旨を表示する

審査員による互選の結果、中山幹康教授(東京大学)が主査を務めることが決定した。

本論文は、越境環境影響評価(Transboundary Environmental Impact Assessment: TbEIA)の枠組が確立されていない、東南アジアでは最大の国際河川であるメコン川流域において、TbEIAの枠組形成に必要な項目を提示することを目的としている。国際河川における水資源管理を促進するために、実際発生した係争の事例研究から紛争解決メカニズムとしての越境環境影響評価の枠組の効果と制約について明らかにし、TbEIAが有効に機能にするための要件を示している。

序論では、本研究の背景、目的について述べられている。本研究の背景として、水資源の稀少化に伴い、今後国際河川での水資源の争奪が甚大なる係争問題に発展する可能性が高まっている。本論文が扱う研究対象地域であるメコン川流域において発生した係争を概観し、1995年にメコン川下流国4カ国により調印された同流域の管理枠組である「メコン川協定」が実際の越境環境問題に直面した際に、この枠組による問題解決の限界について確認している。国際河川での流域国同士の係争回避を導くために、包括的な越境環境影響評価枠組を整備しそれに基づく国際河川の管理の必要性について述べている。

第2章では、現在採用されている国際河川を保護するための方法について概観し、資源管理全般におけるTbEIAの歴史的発展及び現状について述べている。欧州経済委員会がTbEIAの手続き自体を制度化した「越境の文脈における環境影響評価条約」(通称:エスポー条約、1997年発効)について論じている。さらに、TbEIAの構成要素である通知義務・事前協議義務の重要性について、その効用やメカニズムについて述べている。

第3章では、既存の越境環境影響枠組の分析事例として、「ダニューブ・デルタ事件」について論じている。実際の越境環境問題紛争解決に適用されたスポー条約のTbEIAの機能について分析を行っている。

第4章では、「ウルグアイ川・パルプ工場事件」について論じている。この事件は、南米のウルグアイ川河岸においてウルグアイが計画・建設した製紙工場に伴い、アルゼンチン側への環境への重大なる影響があるとした二国間係争である。事件の争点は、パルプ工場の建設に関して、ウルグアイとアルゼンチンの間で結ばれている「ウルグアイ川条約」の遵守違反が問題となった。最終的に国際司法裁判所への条約の不遵守申し立てに発展している。「ウルグアイ川条約」は、両国の国境であるウルグアイ川の越境環境に関し、最適で合理的な利用のために必要な共同機構の設立を目的として結ばれた条約である。事例を通して、実際の係争に直面して「ウルグアイ川条約」に定められている条項について、国際司法裁判所の最終判決及び法廷の見解、そして法廷の最終判決に関して裁判官の反対意見の分析により機能と制約について論じている。

第5章では、メコン川流域でのTbEIAの枠組の在り方について論じている。最初に、「メコン川協定」と1975年にアルゼンチンとウルグアイの両国で結ばれた「ウルグアイ川条約」における越境環境影響評価に係る条項の分析を行っている。また、この2つの協定・条約に含まれる条項、定められた河川委員会であるメコン川委員会とウルグアイ川行政委員会の役割、両条約及び協定に基づいた紛争解決メカニズム機能及び、TbEIAの過程において関係国へ計画前に関係国に通知する通知義務及び事前協議義務について分析がなされている。その結果に基づいて、越境環境問題に直面した際に、「メコン川協定」が制約となりうる問題点を分析し、メコン川流域のTbEIAの枠組に含むべき要件を示している。メコン川流域で進められているTbEIAの構築は、流域国の政治的な思惑からTbEIAの枠組への合意は、未だ実現していない。メコン川流域のTbEIA早期構築のために、TbEIAの構成要素のうち、「計画の内容を通知する」ことを先行して制度化することを政策提言している。

第6章では、研究から得られた結論が述べられている。

なお、本論文第 5 章は、中山幹康との共同研究に基づき分析を行っているが、論文提出者が主体となって新たな分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(国際協力学)の学位を授与できると認める。

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