学位論文要旨



No 128489
著者(漢字) 新村,博
著者(英字)
著者(カナ) ニイムラ,ヒロシ
標題(和) 植物柔組織セルロースの存在形態に関する研究
標題(洋)
報告番号 128489
報告番号 甲28489
学位授与日 2012.04.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3847号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,雄二
 東京大学 特任教授 空閑,重則
 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 准教授 和田,昌久
 東京大学 講師 横山,朝哉
内容要旨 要旨を表示する

セルロースは結晶性の微細繊維すなわちミクロフィブリルとして生物によって合成され、その結晶構造と大きさは産生細胞の表層にある合成酵素複合体の構造に支配され、高等植物ではロゼットと呼ばれる複合体が3.5 nm幅のミクロフィブリルを作ると考えられてきた。しかしミクロフィブリル幅の正確な値は電子顕微鏡観察では決定できなかった。本研究は近年発達した原子間力顕微鏡(AFM)を活用して、超微細セルロースフィブリルの存在を実証しその特徴を解明したものである。 研究対象として食用果実の果肉をはじめとする高等植物柔組織を取り上げた。これらは発生学的に木材細胞の一次壁に類似した組織である。木材細胞二次壁においてはセルロースミクロフィブリルが平行配列して様々な大きさの束を形成するが、一次壁はランダム配向した分散性のセルロースミクロフィブリルからなっていることを示唆する知見が多数あり、本研究はこれを集中的に検討することにより、新しい形態のセルロース原料を探索し、それらの特徴を解明した。

果実果肉をはじめとする高等植物の柔組織を、4% 水酸化ナトリウム-2% 亜塩素酸ナトリウムという穏和な処理で得られた水不溶の多糖物質は、いずれも特徴的なフィブリルを与え、それらの主成分はX線回折および赤外吸収スペクトルによりセルロースと同定された。重要なことは、通例のセルロース定量法(αセルロースの調製)で行われる強アルカリ処理(18% KOHなど)を避け、4%NaOH 処理を用いたことである。これによって結晶変態を起こさないセルロースの抽出が可能となり、微細な天然セルロースの直接観察と分析を行うことができた。この手法を果実組織および木材の幼弱組織に適用した結果、下記の諸点が明らかとなった:

1.すべての食用果実は幅2.0 nm以下のセルロースフィブリルを含む。

2. 葉肉、花弁などの非可食柔組織も同様のフィブリルを含む。

3. 上記フィブリル試料の巨視的な分散状態(懸濁液における沈降性)は試料により大きく異なる。分散性の良いもの(粘質物を与えるもの)は、果肉ではオランダイチゴ、カキ、モモ、他の組織ではアマトウガラシ果皮、カカオ果皮であった。

4. 幅2 nm以下のフィブリルはセルロース分子鎖の本数にして10以下を意味する。これは一次壁系の組織においてはセルロース合成酵素の単位がロゼットではなく、それよりも小さな単位(Subunit)であることを強く示唆する。

5. 五月初旬にマカンバ形成層から得られた不溶性多糖は長さ10~50 nm、幅1.0 nm程度の湾曲したフィブリルであった。これらは一次壁セルロースの初期生成物の可能性がある。

このように高等植物セルロースの微細構造したがってその合成機構には従来の通説には収まらない多様性があり、未利用のバイオマスから得られる幅1~2ナノメートルのセルロースは新しいナノファイバー資源の可能性を与えることが明らかとなった。

図1. カキ果肉からのセルロースのAFM像

図2. 5種の果肉からのセルロースミクロフィブリル幅のヒストグラム

審査要旨 要旨を表示する

本論文は天然セルロースの基本単位であるミクロフィブリルの観察を原子間力顕微鏡によって精密化し、とくに高等植物の柔組織に含まれる超微細なセルロースについて広範な研究を行った結果をまとめたものである。

第I章 「序論」では本研究の背景を次のように整理した。

セルロースはバイオマスの圧倒的多量を占める高等植物細胞壁の繊維要素であり、再生可能な有機高分子資源として近年あらためて注目されている。天然セルロースの基本構造は「ミクロフィブリル」と呼ばれる結晶性微細繊維であるが、その大きさ(幅)は古くから論争の的になってきた。ミクロフィブリルの断面形状は生物種により多様であり、それは細胞膜上に存在するセルロース合成酵素複合体(terminal complex)内の酵素の数と配列で決定されているという描像が1980年代から確立された。そして最重要の植物資源である高等植物については、「ロゼット」と呼ばれる酵素複合体で合成される3.5 nm幅の「elementary fibril」が基本単位であるという仮説がこれまで受け入れられてきた。

しかし高等植物のセルロースの形態は組織によって多様であり、3.5 nmよりも細いフィブリルが存在するという報告が1980年代から諸所で行われてきた。しかしそれらは解像度の不十分な電子顕微鏡観察、あるいはX線回折および13C固体NMR という間接的な技法によるものであり、ミクロフィブリルの直接観察による証明はなされていなかった。本研究は近年発達した原子間力顕微鏡(AFM)の機能を活用して、高等植物の柔組織から得られるセルロースフィブリルの幅を直説観察により決定する。

第II章 「果実柔組織等のセルロース」では様々な果実の果肉から弱アルカリ不溶性の多糖を抽出し、それらをAFMで観察した。一般に植物体から純粋なセルロースを単離するには、亜塩素酸による脱リグニン処理の後、20%程度の苛性アルカリでヘミセルロースを溶解除去する(αセルロースの調製)。しかしこの処理ではセルロースが結晶膨潤して天然のミクロフィブリル形態が失われる。NaOHの濃度を2%~14% まで変えて試験した結果、果実等に含まれる細いセルロースは6%程度からすでに結晶変態とフィブリルの崩壊を起こすことが分かった。そこで本研究では4%NaOH処理と1~2% 亜塩素酸ナトリウム処理を交互に数回繰り返して得られる固形分を「弱アルカリ抵抗性多糖」(Weak-alkali resistant polysaccharide, WARP)と呼ぶことにした。その化学処理の性格から、WARPの主成分は未変態の天然セルロースであり、少量成分としてヘミセルロースが含まれると考えられたが、そのことは中性糖分析で裏付けられた。

WARPを観察する手法として、原子レベルで平滑な表面を与える壁間雲母板の上に、微細フィブリルの懸濁液を展開する方法を用いた。このような試料にAFMの高さ計測機能を適用することにより、AFMチップの有限曲率に起因する解像度限界を克服し、真のミクロフィブリル幅を決定することが可能になった。これを様々な食用果実の果肉、葉肉、芽、花弁などの柔組織に適用した結果、従来説の3.5 nmよりも格段に細い 1.0 nmから 2.5 nm幅のフィブリルが普遍的に存在することが分かった。その形には (1)まっすぐで長いフィブリル、(2) 湾曲した短いフィブリル、(3) (2)が連結した網状のもの、(4) 短いかぎ針状フィブリル があり、それらが混在する場合も多かった。

第III章「樹木形成層のセルロース」では樹木形成層のセルロースを取り上げた。目的は、木材細胞の外壁に微量に存在する一次壁のセルロースがどのような形態を有するのかを明らかにし、かつその形成過程についての手掛かりを得ることである。5月から9月の樹木の活動期には樹皮の裏側の形成層が細胞分裂と細胞壁形成を行うが、その時期の形成層は多量の水を含んで脆弱であり、容易に剥離採取できるが、この物質は一次壁成分のみを含んでいると考えられる。東京大学秩父演習林のウダイカンバ樹の形成層を様々な時期に採取し、WARPを調製して第II章と同様にAFMで観察した。その結果、活動初期の5月末には短い湾曲フィブリル(幅1.0 nm程度)ばかりが見られたが、7月、8月にはこれに長い真直ぐなフィブリルが混入し、その割合が増えるという特徴的な所見が得られた。したがってこれらの短フィブリルは細胞膜上の酵素複合体から合成され始めたばかりの「始原セルロース」である可能性がある。しかしこれは単年度のみの観察であり、追試による検証が必要である。

第IV章「農林業廃棄物からのナノファイバーの調製」では、柔組織には細い分散性のフィブリルが普遍的に存在するという第II章の結果に基づき、セルロースナノファイバーの実用的原料になりうる植物組織を探索した。大量に発生する未利用材料として (1)スギ針葉、(2)ミドリハナヤサイ(ブロッコリ)茎髄、(3)カカオポッド、(4)ナツミカン中果皮 を検討した。その結果、組織が軟らかくて化学処理が容易であり、かつ高分散性のナノファイバーが得られるナツミカン中果皮が最も有望であると結論した。

第V章 は総括である。

以上を総合して、本論文は木質化していない植物柔組織および樹木の形成層には従来の定説よりも細い2 nm程度以下のセルロースフィブリル、場合によってはわずか数本の分子からなる極細繊維が含まれることを明らかにした。 この知見はセルロースの合成機構すなわち酵素複合体の構成について従来の説を覆すものである。同時にこのような知見は、天然セルロースのナノ材料資源としての可能性を拓くものである。したがって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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