学位論文要旨



No 128495
著者(漢字) 福岡,愛子
著者(英字)
著者(カナ) フクオカ,アイコ
標題(和) 日本における文革認識 : 歴史的認識転換をめぐる「翻身」の意味
標題(洋)
報告番号 128495
報告番号 甲28495
学位授与日 2012.04.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第867号
研究科 人文社会系
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,健二
 東京大学 教授 武川,正吾
 東京大学 教授 藤井,省三
 東京大学 元教授 上野,千鶴子
 千葉大学 教授 片桐,雅隆
内容要旨 要旨を表示する

本論の目的は、中国の文化大革命〔以下「文革」〕に対する認識が、1960年代後半の日本でどのように形成され、それが事後的にどのように語られるかを、個人誌における思想や態度の根本的変化、すなわち「翻身」という観点から分析することである。主な対象は、戦後の東西冷戦を反映した様々な対立の構図の下で、政党や職場や運動組織などの成員として国交正常化前の「日中」に関わった人々であり、多くの場合社会の大勢に抗して、あるいは帰属集団内で対抗的に、表明され記憶された文革認識である。中でも、政治としての文革認識(P)、革命としての文革認識(R)、運動としての文革認識(M)という違いが重要である。それらは、政界やメディアにおける国交正常化をめざす意志として、また研究者や学生による革命理論探究において前人未到の企てへのヴィジョンとして、さらに労働者や学生の運動実践の場においてあくまでも日中友好を貫く信念として、表明された。各々の当事者個人が、中国観や文革認識に関して、1文革期に発表した文章や講演・対談記録、2その後に書いた回想的文書、3現在の時点で私のインタビューに応じて語る記憶、という三種類のテクストを一次資料とし、計24人の「翻身」の質と程度を比較する。

そのような対象化を通して、文革情勢に対する事実認知のみならず、日中国交正常化によるマスター・ナラティヴの変化、あるいは「歴史決議」による中国の公的言説の転換など、抗いようのないマクロな政治的転換が、個人レベルにおいてどのように受けとめられ意味づけられるのかを問うことができる。以下の二つの問題系に沿って、これを明らかにする。

I. 文革認識の構成要素となる情報の種類とその受容に関わる問題

II. 歴史的認識転換を契機とした個人誌上の変化=「翻身」をめぐる記憶の語りという問題

Iは、かつての文革認識が何に根差したどのレベルの認識であったかという尺度に置き換えて、文革認識をa事実認知的要素、b行動指令的要素、c価値評価的要素から成るものとして分析する 。

IIの鍵となる「翻身」は、それまで信じてきたことが覆るような問題的状況に関わる概念であり、個人誌上の変化を語り手の主観的な意味づけに沿って記述・分析するための用語である 。「翻身」の質と程度は、「翻身」の契機となるそのような問題的状況の深刻さ、つまりそのような認識転換の受け入れ難さに依存するとみなすことができる。

その意味で注目すべきは、中国研究者のR1新島淳良と、中国留学中に紅衛兵運動を現地体験した日共党員子弟R3、それに反日共系日中友好協会(日中正統)の活動家であったM1である。いずれも、文革期中国へのコミットメントの強さ、「歴史決議」による「文革徹底否定」の受け入れ難さ、それゆえの内的葛藤の深刻化・長期化、それを経た個人誌上の変化の根源性において、本論における代表的な「翻身」とみなしうる。

(1)事実認知に対する価値評価の優位性、認知的情報の両義性

問題系Iに即して言えば、文革についての語り方の特徴は、認知的情報に対する評価的情報の圧倒的優位ということである。

例えばR1新島淳良は、戦後の中国革命成功への強い憧憬と革命の軍隊の倫理性に対する深い感銘を抱き、毛沢東の中国を「コミューン国家」として理想化した。R3は、国際共産主義運動史への理論的探究心に基づいて「修正主義との闘い」としての文革に期待した。一方M1の場合は、日共系会員からの「妨害」行為に反発して高まった文革認識だったが、軍国少女から民主的労働者への転身によって獲得した「平等」という価値に照らして、文革を「三大差別」撤廃の運動ととらえて共感した。

しかし、認知的情報の重要性も無視できない。P1宇都宮徳馬のような日中国交正常化を政治使命とした文革擁護論においても、R1新島淳良の呼びかけの思想としての文革認識の表明においても、現地で認知した文革の否定的な要素が重大な懸念材料であったからこそ、それを乗り越える論理と正当化のために、ますます多くの言説資源が動員された。また、価値を優先する語り方においても、それに認知上の妥当性を与えて客観化するためには認知的情報が必要とされる。そして元北京特派員P2秋岡家榮の回想にも明らかなように、紅衛兵の目の輝きなど現地体験の記憶の鮮明さは、最もよく動員される資源の一つである。文革中の中国を初体験した学生訪中団の場合、現在の回想においては、当時ナイーブな感動を表明した者ほど、そのあまりにリアルな記憶に対する違和感に戸惑う。

(2)主体的・選択的認識が否定されることの意味

個人やその認識を成り立たせているものの多層構造の中で、価値は、その個人の内面性・固有性に最も近いものとみなすことができる。認識転換の受け入れ難さは、それぞれに内面化され、あるいは隙間のないほどに自己と同一化された価値が否定されることに対する抵抗の強さなのである。

例えばR3とM1の「翻身」において変わったのは、表層的な意味での事実に対する認知であり、絶対化した対象に対する距離であり、最も根源的には、物の見方や認識枠組みである。そのような変化を個人誌上に位置づけ、記憶とアイデンティティの統合を図る自己という存在は変わらず、その認識を成り立たせていた価値はむしろ強化さえされる。

R1新島淳良・R3・M1における毛沢東や文革の絶対化とその帰結には、「毛沢東に憑かれた人」や「思想の奴隷」となっていた人、あるいは「複眼的な見方」のできない盲信に陥っていた人が、現実超越的な存在に依拠して切り開いたある種の自由な回路によって、その対象に対する最も鋭い批判者となりうるという可能性が顕著である。

認識転換の受け入れ難さという意味では同様であったはずの他の事例と比べて、R1、R3、M1の特筆すべき特徴は、懐古的な語彙も毛沢東やかつての中国への熱い思いも発せられないことである。そして文革の理念の倫理的な読み直しによる単純な文革再来願望もない。かつての認識とは全く異なる地平に立てること、それが「翻身」の効果の現れの一つであろう。

しかしそのこと自体は、個人的にも社会的にも語られることはない。そのような語り方も「転向」に代わる語彙も、共有されていないからである。彼らの「翻身」の語りが社会に開かれるための中間集団の不在とその機能の不全という問題でもあろう。「日中正統」や「中国派」などは、認識転換などの問題的状況において、その機会をポジティヴに受けとめ新たな認識を共有し合う正当化装置としての機能ではなく、成員個人の内的葛藤を回避し集団としての結束や従来の認識の存続に固執する「逆機能」の方が顕著であった。

(3)過去の認識の「誤り」をめぐる「反省」と「責任」

最後に残された問題は、最も深い意味の「翻身」においてさえ、未来への志向性のみが顕著で、過去に対する「反省」の語彙は不在だということである。

これは、客観的時空上の文脈依存性と主観的一貫性との交差する存在である自己というものの複雑さに起因する問題でもある。そのようなものとしての自己にとって、過去の特定の時空上における認識は、歴史的文脈が変化した後に政治的転換によって否定されたとしても、他者性や文脈依存性による免責が可能である。いわば言説空間におけるパラダイム・シフトは、それが大規模であればあるほど、その変化を内面化し主観的現実として受け入れられない人々を多く巻き込み、彼らを表向き大勢に順応させながら、揺り戻しの潜在勢力として温存することになるということだ。

記憶として語られざるものがあることは、その記憶が帰属する個人にしかわからない。そのリソースを、どのような文脈でどのように動員するかを選択し、過去の語り直しをくり返しながら、オープン・エンドな物語としての個人誌の管理者として「私は私」と主張する。そのような「私」の「翻身」は、他者に名指されての弁明ではなく自らの選択によって主体的に行う永続的な自己改造の機会を意味する。

知識人の責任について付言すれば、バーガーらのalternation(翻身/態度変更)において、それに伴う従来の慣例的な構造の暴露と破壊を専門的に行うのが知識人である。知識人は、近代社会における社会的分業の結果、現実定義における対抗的専門家として現れた。その意味で革命とは、知識人が自らの社会構想を社会の中で実現すべく選択する道なのだ。革命的知識人は彼の逸脱的観念を認めてくれる他者を必要とする。社会的に意味ある現実定義は、すべて社会的過程によって客観化されなければならず、現実についての対抗的定義は対抗的社会を必要とする。R1新島の「幸福な社会」を構想した呼びかけの思想としての文革認識が、制度上の真空地帯の中に存在し、そこで生産された「意味」もその限りにおいて価値を持つのだとすれば、対抗的社会におけるその「意味」の消費者は、彼に対して事後的な責任を問うことなどできない。制度擁護側から、彼の呼びかけの反制度的な危険性が暴露できるだけだ。知識人の責任は、その社会的境界性ならではの「翻身」によって新たな意味を生産し、彼が必要とする対抗的な社会への影響力を通してどれだけの妥当性・信憑性を打ち立て得たかによって問われるしかない。

盛山和夫『制度論の構図』(創文社、1995年)及び吉田民人『情報と自己組織性の理論』(東京大学出版会、1990年)を参照した。以下の文献におけるalternation、「転向」、conversion、epiphanyの概念化を参照した。Berger, Peter. L, and Thomas Luckman, [1966]1967, The Social Construction of Reality: A Treatise in the Sociology of Knowledge, New York: Anchor Books.鶴見俊輔, 1991『鶴見俊輔集4 転向研究』筑摩書房.Snow, David, & Richard Machalec,1983, "The Convert as a Social Type," R.Collins (ed.) Sociological Theory, Jossey-Bass: 259-289.――――, 1984, "The Sociology of Conversion," The Annual Review of Sociology, 10: 167-190.Denzin, N.K., 1989, Interpretive Interactionism, Sage. (=1992, 片桐雅隆ほか訳『エピファニーの社会学』マグロウヒル出版.)
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、歴史的・社会的に大きな意味をもった中国の「文化大革命」〔以下「文革」と略記する〕を取り上げ、日本においてその影響を受けた人びとの文革認識の揺らぎを、当事者の語りのなかに現れるアイデンティティの変容に焦点をあてつつ分析した「翻身」の社会学である。「翻身」とは、マクロな要因によって思想や態度の転換が迫られる問題的状況であると同時に、そうした状況のなかでの主体の再構築をも包含する概念である。こうした研究は日本でも中国でもほとんど行われておらず、その意味でも画期的な文革研究といえよう。文革は、その実態に関する情報が不十分ななかで、少なからぬ日本の知識人・学生・労働者の期待を集めたが、後に理念とは異なる事実経過が明らかになり、ついには中国当局の公的言説において全否定された歴史事象として、「翻身」研究に戦略的な特異性をもつ。福岡は、文革期の日中関係に思想・運動を通じてコミットした24名を対象として、当時の論考・著作、回想の収集と分析、また可能な当事者に対してのインタビューを行った。ピーター・バーガーの「態度変更 alternation」を土台に、宗教社会学のconversionやepiphany、日本思想史での「転向」の概念などを検討しつつ、語りのなかの主体性、相互作用の重視、情報の階層性、時間軸の導入を特徴とする、独自の「翻身」概念を理論枠組みとして設定している。

第2章では日本における文革認識の変遷について、その時代の新聞・雑誌の記事分析から整理し、日中関係の構造変動という語りの文脈を明らかにしている。そのうえで、第3章から第8章の丹念な資料分析は、戦前の左翼運動を経験した明治・大正生まれの第1世代、軍国少年・少女で戦後民主主義を経験した昭和初期生まれの第2世代、戦後生まれの第3世代という世代に関わる区分と、「政治としての文革認識」「革命・思想としての文革認識」「運動としての文革認識」という位相に関わる分類とを組み合わせながら、日中友好の政治家や北京特派員のジャーナリスト、毛沢東思想研究者や留学生、さらに日中交流推進事業に関与した人びと、60年代学生運動参加者といった、多様な立場と状況に置かれた当事者の記憶と語りのなかの文革認識の動きを分析し、累積的/再体験的/連鎖的等々の「翻身」の類型化的な把握を試みている。

福岡が結論で展望しているように、かつての自分の認識の誤りを正すという「反省」の語りより、否定された自己を回復し「個人誌」上に統合する新たな主体化の語りが顕著であるという事実の向こうには、人間が引きうけるべき「責任」に関わる、さらに大きな社会学的な問いが潜んでおり、その更なる追求は今後の課題でもあろう。文革認識に焦点をしぼったこのケーススタディは、その記述の厚みと分析の丹念さにおいて、アイデンティティ研究および「転向」研究の優れた貢献である。本審査委員会は、博士(社会学)の学位を授与するにふさわしいものと判断した。

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