学位論文要旨



No 128499
著者(漢字) 森山,太一
著者(英字)
著者(カナ) モリヤマ,タイチ
標題(和) ヘテロ原子架橋二核ルテニウム錯体の合成および反応性と触媒的変換反応への応用
標題(洋) Studies on Synthesis and Reactivities of Heteroatom-Bridged Diruthenium Complexes and their Application to Catalytic Transformations
報告番号 128499
報告番号 甲28499
学位授与日 2012.04.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7794号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 西林,仁昭
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 教授 工藤,一秋
 東京大学 准教授 橋本,幸彦
 中央大学 准教授 山下,誠
内容要旨 要旨を表示する

1. 諸言

多核金属錯体は金属間の共同効果に由来する単核錯体には見られない特異な反応性を発現することが期待される。これまで、多核錯体の興味深い反応性が数多く報告されているが、その多くは化学量論反応にとどまっており触媒反応へと展開された例は限られている。当研究グループでは、硫黄架橋二核ルテニウム錯体を触媒として用いたプロパルギルアルコールを基軸とする特異な分子変換反応の開発に成功している。これらの反応はルテニウム-アレニリデン錯体を鍵中間体として進行する新規触媒反応であり、いずれも単核ルテニウム錯体を用いた場合には進行しない。しかし、アレニリデン錯体を発生させる前駆体はプロパルギルアルコールに限られており、これを克服することがより広範な触媒反応へと展開する際の検討課題であった。本研究ではアレニリデン錯体の新たな前駆体の設計を行い、新規触媒反応の開発を検討した。

また、多核金属錯体を利用した触媒反応の例が限られている原因の一つとして錯体の立体環境、電子状態の調節の困難さが挙げられる。一般に単核錯体とは異なり、多核錯体では配位子や電荷の調節を行う場合、錯体全体の構造が大きく変化し、当初に設計した骨格を合成できないことが頻繁に見られる。それ故、多核錯体の反応性を系統的に検討することが出来ず、新しい触媒反応を開発する際の障害の一つであった。これまで硫黄架橋二核ルテニウム錯体を基本骨格として、ヘテロ原子上の置換基、架橋カルコゲン原子配位子、ハロゲン配位子及び全体の電荷を系統的に変えた錯体をそれぞれ合成し、これらの因子が反応性に及ぼす影響を検討してきた。その結果、選択性を含む触媒能が大きな影響を受けることや新しい触媒活性の発現を見出してきている。本研究では、更なる新規触媒反応の開発を目指し、二核錯体のルテニウム上の価数の調節や、架橋ヘテロ原子としてカルコゲン元素以外の他のヘテロ原子を導入した新しい錯体の合成とその触媒能に関する検討を行った。

2. ルテニウム-アレニリデン錯体を鍵中間体とするエチニルシクロプロパンとアルデヒドやアルジミンとの触媒的[3+2]環化付加反応

遷移金属アレニリデン錯体は特徴的な反応性を示す興味深い反応中間体であるが、アレニリデン錯体の合成法はプロパルギルアルコールやその誘導体を前駆体とする方法に限られており、これが有機合成化学的な利用を妨げる要因の一つとなっていた(Scheme 1a)。そこで、アレニリデン錯体を合成する新たな前駆体としてカルボキシル基を有するエチニルシクロプロパンを設計した(Scheme 1b)。ビニリデン錯体生成後に環開裂を伴いアレニリデン錯体の生成が期待される。更に、この方法で得られるアレニリデン錯体は、従来のアレニリデン錯体には見られなかった ε位炭素が求核性を有するなどの特長ある反応性を持っており、新たな触媒反応の開発が期待できる。実際、エチニルシクロプロパンと硫黄架橋二核ルテニウム錯体とから系中で生成するアレニリデン錯体に対してアルデヒドやイミンを作用させることで触媒的な[3+2]環化付加反応が進行することを見出した。

触媒量の 1a と BF3・OEt2 存在下、エチニルシクロプロパンと ベンズアルデヒドとを反応させたところ、対応する環化付加生成物であるテトラヒドロフラン誘導体が収率88%で得られた(Scheme 2)。本反応は単核のルテニウム錯体を用いた場合には環化付加体は全く得られなかった。また、アルデヒドの代わりにアルジミンを反応基質として用いた場合には、対応するピロリジン誘導体が得られた(Scheme 3)。触媒量の 1a と Sc(OTf)3 (OTf = OSO2CF3) 存在下、エチニルシクロプロパンと N-トシルアルジミンとを反応させたところ、ピロリジン誘導体が収率88%、高シス選択的に得られた。

本触媒反応の推定機構をScheme 4 に示す。最初に、1a とエチニルシクロプロパンとからビニリデン錯体 A が生成する。続いてシクロプロパン環の炭素-炭素結合開裂を伴いアレニリデン錯体 B が生成する。ルイス酸で活性化されたアルデヒドのカルボニル炭素を ε 位のエノール炭素が求核攻撃することで、新たなアレニリデン錯体 C が生成し、分子内環化反応で D を与えた後、基質との配位子交換により、生成物を与えると共に A が再生する。化学量論反応の検討では、反応中間体であるアレニリデン錯体の生成は確認出来ていないが、理論計算の結果は提案した反応機構を支持している。

3. α-メチルスチレンの触媒的二量化反応

当研究グループでは、硫黄架橋二核ルテニウム錯体の電子状態の調節を行うことで、異なる反応性を示すことを見出している。本研究では、硫黄架橋二核ルテニウム錯体の価数が触媒能に及ぼす顕著な効果について検討を行った。興味深いことに、α-メチルスチレンの二量化反応において、二核錯体のルテニウム原子の価数がRu(III)-Ru(III)の場合は非環状二量体(3/3')が得られるのに対し、Ru(III)-Ru(IV)の場合はインダン(4)が得られることを見出した(Scheme 5)。

触媒 1b 存在下、α-メチルスチレン(2)を反応させたところ非環状二量体(3/3')が得られた。対照的に、1b と塩化シンナミル共存下で反応を行ったところ、インダン(4)が選択的に得られた。当研究グループではRu(III)-Ru(III)の硫黄架橋二核ルテニウム錯体と塩化シンナミルとの反応から、Ru(III)-Ru(IV)の二核ルテニウム錯体が生成するという知見を既に得ており、本触媒反応の選択性は、ルテニウム上の酸化数に依存すると考えられる。

推定反応機構を Scheme 6 に示す。最初に、Ru(III)-Ru(IV)種 E と非環状二量体 3' が反応し、アリル-ルテニウム種 F が生成する。分子内環化が進行することで G が生成し、続くプロトン化により、インダン 4 が得られると共に E が再生する。一方、Ru(III)-Ru(III)の錯体を用いた場合も F と同様のアリルルテニウム錯体は生成するが、Ru(III)-Ru(IV)の錯体に比べて親電子性が低いため分子内環化が進行せず、非環状二量体 3/3' が選択的に得られると考えている。

4. ホスフィド-ヒドロスルフィド架橋二核ルテニウム錯体の合成と反応性

多核金属錯体における架橋ヘテロ原子配位子の種類は反応性に大きな影響を与えることが考えられ、その合成法や反応性の系統的な研究が望まれる。当研究グループでは、電子供与能の高いリン原子を架橋配位子として有するホスフィド架橋二核ルテニウム錯体 5 の合成に成功している。5 は他のヘテロ原子と置換可能な架橋塩素配位子を有しており、実際に 5 を前駆体として他の異種ヘテロ原子架橋錯体であるホスフィド-チオラート架橋二核ルテニウム錯体の合成に成功している。本研究では新たな架橋配位子としてヒドロスルフィド配位子を導入したホスフィド-ヒドロスルフィド架橋二核ルテニウム錯体 6 の合成を検討した。ヒドロスルフィド配位子は脱プロトン化反応によりスルフィド錯体を与えることが知られており、その変換過程を利用した反応場の設計が期待出来る。

錯体 5 と硫化水素ナトリウムと反応させたところ、期待通り、6 が収率56%で得られた(Scheme 7a)。次に、錯体 6 の脱プロトン化反応によるホスフィド-スルフィド架橋錯体の合成を検討した。6 とNaN(SiMe3)2 とを反応させると、ホスフィド- スルフィド架橋四核ルテニウム錯体 7 が収率12%で得られた(Scheme 7b)。6 の脱塩化水素により空配位座を有するスルフィド架橋錯体 H が生成後に二量化することで四核錯体 7 が生成したと考えられる。実際、6 とNaN(SiMe3)2 との反応をイソシアニド存在下で検討したところ、8 が収率 33%で得られた(Scheme 7b)。この実験結果は、H の生成を示唆している。ホスフィド-ヒドロスルフィド架橋錯体 6 とトリエチルアミンと非配位性アニオンのナトリウム塩である NaBArF4 (ArF = 3,5-(CF3)2C6H3)とを反応させたところ、配位不飽和なカチオン性ホスフィド- スルフィド架橋錯体 9 が収率 49%で得られた(Scheme 7b)。

5. まとめ

本研究ではヘテロ原子架橋二核ルテニウム錯体の合成および反応性と触媒的変換反応への応用に関して以下の3つの反応系の開発に成功した。(1) 硫黄架橋二核ルテニウム錯体を用いたエチニルシクロプロパンとアルデヒドまたはアルジミンとの触媒的[3+2]環化付加反応の開発に成功した。エチニルシクロプロパンをアレニリデン前駆体として利用した新規触媒反応であり、今後の触媒反応開発に大きな指針を与える興味深い成果である。(2) α -メチルスチレンの触媒的二量化において、二核錯体のルテニウム原子の価数が触媒能に顕著な影響を及ぼしていることを見出した。同様の骨格を持つ錯体の価電子数により触媒能が制御可能である結果は、触媒設計上極めて重要な知見である。(3)リン架橋二核ルテニウム錯体に対して、新たにヒドロスルフィド架橋配位子を導入することでホスフィド-ヒドロスルフィド架橋二核ルテニウム錯体の合成とその反応性を明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

学位論文研究において「ヘテロ原子架橋二核ルテニウム錯体の合成および反応性と触媒的変換反応への応用」を題材として研究を行った。

第1章では多核遷移金属錯体を用いた触媒的分子変換反応と多核ルテニウム錯体を利用した特徴的な反応性について述べ、更に硫黄架橋二核ルテニウム錯体を用いたプロパルギルアルコールを基軸とした反応について概観し、本論文の研究背景について述べている。常温常圧の温和な条件下で窒素分子や水素分子の活性化を行う酵素であるニトロゲナーゼやヒドロゲナーゼの活性中心は硫黄架橋多核構造を有している。当研究グループは、それらの酵素の活性中心に含まれる鉄原子と同族金属であるルテニウム原子に着目し、種々の硫黄架橋二核ルテニウム錯体を合成し反応性の検討を行ってきた。具体的には、硫黄架橋二核ルテニウム錯体を触媒として用いたプロパルギルアルコールを基軸とする一連の特異な分子変換反応の開発に成功している。これらの反応はルテニウム-アレニリデン錯体を鍵中間体として経由する一般性の高いプロパルギル位変換反応である。一般に単核錯体とは異なり、多核錯体の電子的及び立体的な調節による設計は容易ではなく、これまで多核錯体の反応性を系統的に検討することは困難である。当研究グループは、硫黄架橋二核ルテニウム錯体を基本骨格として、架橋カルコゲン配位子及び全体の電荷を系統的に変化させた錯体の設計に成功しており、これらの因子が反応性に重要な役割を与えることを明らかにしてきた。しかし、これらの二核ルテニウム錯体を用いた特異な反応に適用できる基質はプロパルギルアルコールに限られてきた。そこで、更なる分子変換反応や小分子の活性化反応等のより広範な触媒反応系の開発を目的に二核ルテニウム錯体の修飾を行った。具体的には、架橋ヘテロ原子としてカルコゲン元素以外の他のヘテロ原子を導入した新規錯体の合成や二核錯体のルテニウム上の価数の修飾を行い、その触媒能に関する検討を行った。

第2章ではルテニウム-アレニリデン錯体を経由するエチニルシクロプロパンとアルデヒドやアルジミンとの触媒的[3+2]環化付加反応の開発に関する研究成果について述べている。触媒量の硫黄架橋二核ルテニウム錯体存在下、二つのメトキシカルボニル基を有するエチニルシクロプロパンに芳香族アルデヒドやN-トシル芳香族アルジミンを作用させることで、環化付加反応生成物であるエチニルテトラヒドロフラン及びピロリジンを良好な収率で得た。これまで遷移金属アレニリデン錯体の合成の前駆体はプロパルギルアルコール及びその誘導体に限られてきたが、本系では新たにエチニルシクロプロパンが有効な前駆体となることを明らかにした。

第3章では触媒的α-メチルスチレンの二量化反応において硫黄架橋二核ルテニウム錯体上の価電子数が反応性に及ぼす影響に関する研究成果について述べている。二核錯体のルテニウム上の価電子数を変化させることで二核錯体のルイス酸性度を調節し、それらの尺度を評価する為に、α-メチルスチレンの二量化反応をモデル反応として設計し触媒能の検討を行った。実際に、触媒量の硫黄架橋二核ルテニウム錯体存在下、α-メチルスチレンの二量化反応の検討を行ったところ、二核錯体のルテニウム上の価電子数により異なる反応生成物を与えることを見出した。ルテニウム(III)-ルテニウム(III)を用いた場合には鎖状二量体を与えるのに対し、ルテニウム(III)-ルテニウム(IV)を用いた場合では環状二量体を選択的に与えた。当初の設計通り、同様の骨格を持つ多核錯体の価電子数を修飾することで反応性を制御することに成功した。

第4章ではホスフィド-ヒドロスルフィド架橋二核ルテニウム錯体の合成とそのホスフィド-スルフィド架橋多核ルテニウム錯体への変換反応に関する研究成果を述べている。水素分子の変換反応を目的にホスフィド-ヒドロスルフィド架橋二核ルテニウム錯体を設計した。この錯体を触媒として用いた水素分子の触媒的ヘテロリティック活性化反応は進行しなかったが、化学量論量の塩基存在下で錯体と一気圧の水素分子とを作用させたところ、水素分子がヘテロリティック開裂した錯体の生成を示唆する結果を得た。更に、ホスフィド-ヒドロスルフィド架橋二核ルテニウム錯体の脱プロトン化反応やアルキンとの反応を検討することで、設計した錯体の反応性の詳細を明らかにした。本系では、異なるヘテロ原子架橋配位子を導入した多核ルテニウム錯体の設計に成功しており、今後のヘテロ原子架橋多核錯体を利用した小分子の触媒的変換反応への指針になると確信している。

第5章では本論文の総括と今後の展望について述べている。

以上本論文では、二核ルテニウム錯体上に対して電子的及び立体的な修飾を行うことで、新規触媒反応の達成や今後の更なる触媒反応開発への指針となりうる多核錯体の設計法を確立した。これらの成果は多核遷移金族錯体を用いた触媒反応開発の研究分野の発展に貢献したものである。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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