学位論文要旨



No 128506
著者(漢字) 管,心
著者(英字)
著者(カナ) スガ,モトム
標題(和) 統合失調症患者における下前頭回の灰白質体積異常の検討と精神症状の関連
標題(洋)
報告番号 128506
報告番号 甲28506
学位授与日 2012.04.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3982号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 准教授 川合,謙介
 東京大学 准教授 金生,由紀子
 東京大学 講師 湯本,真人
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

統合失調症の脳形態異常の研究の結果、下前頭回や上側頭回の灰白質体積異常が報告されており、思考障害、陽性症状等の統合失調症の臨床症状の中核をなす精神病症状の産出に関与すると推定されてきた。これまでに下前頭回を解剖学的に詳細に区分して形態異常や臨床症状との相関を検討した研究は行われていない。そこで本論文では以下の3点を検討した。

(1)下前頭回を用手的に弁蓋部、三角部と眼窩部に区分して灰白質体積の測定方法を確立する。

(2)統合失調症と健常被験者を対象に弁蓋部、三角部と眼窩部の灰白質体積の比較検討を行う。

(3)統合失調症群において弁蓋部、三角部と眼窩部の脳局所体積と臨床症状の相関を検討し、特徴的な症状産出に関与する部位を同定し病態基盤への推察を行う。

2.方法

2.1対象

本研究の対象は、東京大学医学部附属病院精神神経科に外来通院中あるいは入院中の右利き男性統合失調症患者29名と、年齢と利き手をマッチさせた男性健常被験者29名である(表1)。東京大学医学部の研究倫理審査委員会の承認を得ており、口頭および文書を用いて研究の目的を十分に説明した後、研究参加の意志を確認し、対象者全員より口頭および書面上にて同意を得た。

2.2臨床評価

研究参加者より臨床評価(利き手、養育環境指標、発症年齢・罹病期間・服薬中の抗精神病薬の量・種類)を取得し、陽性・陰性精神症状評価尺度(Positive and Negative Syndrome Scale ; PANSS)に基づいて臨床症状の評価を行った。

2.3画像撮像

臨床評価と同日に、東京大学医学部附属病院放射線部にてゼネラルエレクトロニクス社製の1.5 テスラMR 機器を用いて頭部磁気共鳴画像(MRI)撮像を行った。

2.4下前頭回の区分による画像解析

画像データの解析には、画像解析ソフトウエア3D Slicerを用いた。下前頭回を対象とした先行研究や、関心領域を他部位に置いて我々が行った三次元的な解剖学的先行研究で得られた知見を元に検討しつつ、関心領域法による弁蓋部と三角部及び眼窩部のmanual traceを行った(図1)。

弁蓋部は、前部がシルビウス裂の上行枝とその延長線、後部が中心前溝、腹側境界がシルビウス裂、背側境界が下前頭溝、内側境界が輪状溝で囲まれる部位となり、これがおよそBrodmann Area (BA) 44を形成している。三角部及び眼窩部は、『M』字の部分から弁蓋部を除いた領域、すなわち、前部は下前頭溝、後部はシルビウス裂の上行枝とその延長線、背側は下前頭溝、腹側はシルビウス裂の横行枝、内側境界が輪状溝で囲まれる部位となり、これらがおよそBA 45を形成している。

2.5統計分析

統計解析はSPSS 17.0を用いて行った。

2.5.1級内相関係数を用いた検査者間・検査者内信頼尺度の分析

統合失調症と健常例を含むランダムに選ばれた10例に対して、訓練を受けた2名の検査者が独立に関心領域を設定して弁蓋部と三角部及び眼窩部の灰白質体積測定を行い、結果を元に級内相関係数αを算出して検査者間信頼尺度分析を行った。更に1名の検査者が約12ヶ月の間隔を置いて同一10例に対して再度測定を行い、結果を元に級内相関係数αを用いて検査者内信頼尺度分析を行った。

2.5.2群間比較

被験者間因子として診断(統合失調症患者 or 健常対照者)を、被験者内要因として部位(弁蓋部or三角部及び眼窩部)及び半球(左 or 右)を入れて反復測定分散分析を採用した。

2.5.3臨床症状との相関

相関解析にはSpearman順位相関を採用した。統合失調症群において、弁蓋部と三角部及び眼窩部の脳局所体積とPANSSの結果から算出した症状スコアの相関解析を行った。

3.結果

3.1画像解析

3.1.1級内相関係数を用いた検査者間・検査者内信頼尺度の分析

級内相関係数αはBA 44(主に弁蓋部)では左:0.93、右:0.97、BA 45(主に三角部及び眼窩部)では左:0.93、右:0.97であった。更に1名の検査者内信頼尺度分析を行った結果、級内相関係数αはBA 44では左:0.99、右:0.99、BA 45では左:0.99、右:0.99であった。

3.1.2群間比較

反復測定分散分析の結果、診断の主効果を認めた(F[1,55]=4.59, p=0.037)。各部位毎にEffect sizeを計算したところ、右のBA 45が最大の値を示した。(表2、図2)

3.2臨床症状との相関

陽性・陰性症状評価尺度の因子分析及びdelusional behavior scoreと、BA 44/45灰白質体積の相関の結果、統合失調症群では、陽性症状が重症であるほどBA 45の体積が小さかった(左:rho=-0.416、p= 0.025、右:rho=-0.378、p=0.043)。また解体症状が重症であるほどBA 45の体積が小さかった(左: rho=-0.485、p=0.008、右: rho=-0.493、p=0.007)。更にdelusional behavior scoreと左のBA 45の体積の間に有意な相関を認めた(rho=-0.492、p=0.007)。特筆すべきは、BA 45の体積は陽性症状や解体症状などの精神病的体験と有意な相関を示した一方で、BA 44はいずれの症状とも相関を示さなかったことである。(表3)

4.考察

今回我々は下前頭回を用手的に弁蓋部、三角部と眼窩部に区分して灰白質体積の測定方法を確立し、健常群と慢性期統合失調症群に対して下前頭回をBA 44(主として弁蓋部)とBA 45(主として三角部及び眼窩部)に分けて灰白質体積の検討を行った結果、左右の両部位で有意な体積減少が認められた。この結果は両側性の下前頭回の灰白質体積減少を報告した先行研究の結果とも合致しているが、単なる追試にとどまらずBA 44/45に区分したことで中でもBA 45が最大の体積減少を示すことを明らかにした。

また、症状との相関を検討した結果、右のBA 45が最も大きな減少度合を示し、陽性症状や解体症状と強い相関を持つことが明らかとなった。この所見には、機能の左右偏在性の関与が考えられる。健常者で意味的な言語流暢性課題のような意味処理と左BA 45の関与を報告した先行研究や、他者の行動模倣など対人的な行動は左BA 45だけにとどまらない報告、更には他者の意図理解と右下前頭回の関与を示す報告があり、左右の機能の偏在が影響していると思われる。またBA 45灰白質体積異常と臨床症状の相関がある反面、BA 44灰白質体積異常と臨床症状に相関が認められなかった点からは、下前頭回の三角部を含むBA 45が統合失調症の臨床症状産出に特異的に関与していると考えられる。

本研究のようなMRI画像研究は、脳形態異常が統合失調症の中核症状を産出する基盤たりえることを示唆する所見の蓄積にはつながるが、決定的なbreakthroughたりえない。Imaging Geneticsの手法を用いるなどして、弁蓋部・三角部の脳局所体積の規定に影響する遺伝子が直接的に統合失調症の発症に関与するなどの新たな知見の登場が待たれる。一方で、アットリスク精神病状態や初発統合失調症を対象にして本研究と同様のROI測定方法を用いた研究で、下前頭回三角部が初発統合失調症で特異的に灰白質体積減少を示し、かつ脳局所体積が統合失調症の中核症状と相関している知見も見出されており、MRIを用いた早期の統合失調症画像診断方法の開発など臨床応用へとつながる期待が持てるものである。

5.結論

統合失調症において繰り返し形態異常が報告されている側頭回や下前頭回は、思考障害や陽性症状、解体症状といった統合失調症の中核症状の産出に関与すると考えられている。本研究は、関心領域法を用いて下前頭回を弁蓋部と三角部及び眼窩部に分けた用手的な灰白質体積測定を行う方法を新たに確立し、男性慢性期統合失調症群において、左右両側性に両部位の灰白質体積が減少することを見出した。更に亜区域に分けた検討では、三角部及び眼窩部の体積が小さいほど陽性症状・解体症状が重症であるという相関を見出した。これらの結果は、下前頭回の中でも三角部及び眼窩部が統合失調症の精神病症状の産出に特異的に寄与する可能性を示唆している。

表1.研究対象者のデータ

図1 関心領域法による弁蓋部と三角部及び眼窩部のmanual traceの実際

表2.脳局所体積の統計解析結果

図2 健常者及び統合失調症患者のBA44/45灰白質体積

表3.脳局所体積と臨床症状の相関

審査要旨 要旨を表示する

統合失調症の脳形態異常の研究の結果、下前頭回や上側頭回の灰白質体積異常が報告されており、思考障害、陽性症状等の統合失調症の臨床症状の中核をなす精神病症状の産出に関与すると推定されてきた。本研究は下前頭回を解剖学的に詳細に区分して形態異常や臨床症状との相関を検討することを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 関心領域法を用いてMRI画像を基に下前頭回を弁蓋部と三角部及び眼窩部に分けて用手的な灰白質体積測定を行う方法を開発した。検査者間および検査者内の信頼尺度分析の結果、これらの関心領域の設定方法が揺るぎなく確立されていることを明らかにした。

2. 男性健常群29名と男性慢性期統合失調症群29名に対して下前頭回を弁蓋部と三角部及び眼窩部に分けて灰白質体積の検討を行った結果、左右の両部位で有意な体積減少が認められた。この結果は両側性の下前頭回の灰白質体積減少を報告した先行研究の結果とも合致しているが、単なる追試にとどまらず弁蓋部と三角部及び眼窩部に区分したことで中でも三角部及び眼窩部が最大の体積減少を示すことを明らかにした。

3. 精神病症状との相関を検討した結果、右の三角部及び眼窩部が最も大きな減少度合を示し、陽性症状や解体症状と強い相関を持つことが明らかとなった。三角部及び眼窩部の灰白質体積異常と臨床症状の相関がある反面、弁蓋部の灰白質体積異常と臨床症状に相関が認められなかった点からは、下前頭回の三角部及び眼窩部が統合失調症の臨床症状産出に特異的に関与している可能性を明らかにした。

以上、本論文は、関心領域法を用いて下前頭回を弁蓋部と三角部及び眼窩部に分けた用手的な灰白質体積測定を行う方法を新たに確立し、男性慢性期統合失調症群において、左右両側性に両部位の灰白質体積が減少することを見出した。更に亜区域に分けた検討では、三角部及び眼窩部の体積が小さいほど陽性症状・解体症状が重症であるという相関を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、下前頭回の弁蓋部、三角部及び眼窩部と統合失調症の臨床症状の関連の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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