学位論文要旨



No 128511
著者(漢字) 﨑田,マユミ
著者(英字)
著者(カナ) サキタ,マユミ
標題(和) 与薬エラーの発生および報告の背景状況の事例分析ならびにエラーの報告とインシデント報告に関わる態度・行動とに影響を及ぼす労働職場要因の検討
標題(洋)
報告番号 128511
報告番号 甲28511
学位授与日 2012.04.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3987号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,廉毅
 国立保健医療科学院 上席主任研究官 福田,敬
 東京大学 講師 児玉,聡
 東京大学 教授 菅田,勝也
 東京大学 准教授 島津,明人
内容要旨 要旨を表示する

【研究の背景と目的】

与薬エラーの発生頻度は高く、与薬システムにおける安全性の向上は重要課題となっている。与薬エラーは与薬システムのいずれの部分でも起きる可能性があるため、患者に傷害(injury)が及ぶ前にエラーを発見・修正し、起きたインシデントから学習することが重要となる。エラーに関する研究は、エラーの原因と予防方略の2種類に大別されるが、近年、双方においてシステムへのアプローチを図る重要性が指摘されている。

職場における社会的相互作用は、与薬エラーの発生および報告に影響を与えることが予測されるが、与薬エラーの発生と報告に至る過程とその背景状況について、職場における社会的相互作用に着目し、その成り立ちを丹念に検討した研究は限られている。

Reasonは、労働職場状況はエラーを誘発することを指摘しているが、看護師の日々の労働職場状況を多側面から捉え、与薬エラーとの関係を明らかにした研究は十分ではない。加えて、近年、エラーの原因の除去を図る予防策だけでなく、エラーの防止に役立つ労働職場環境づくりを図る予防策への関心が高まっている。その要因の一つとして職場の安全風土があげられるが、保健医療分野で注目され始めたのはごく最近のことであり、わが国ではほとんど検討されていない。

一方、インシデント報告には心理・組織的なバリアがあり、報告に対する積極的な態度・行動を阻害していると指摘されている。しかし、インシデント報告に関わる態度・行動に労働職場環境がいかに関わっているかを検討した研究は限られている。

そこで、本研究の目的は以下の2点とした。研究1は、与薬エラーの発生に至る過程とその背景状況およびインシデント報告に関わる態度・行動の進展過程と背景状況について、なかでも職場における社会的相互作用に着目し、質的記述的に明らかにすること、研究2は、与薬エラーの報告とインシデント報告に関わる態度・行動とに影響を及ぼす労働職場要因について労働職場状況および職場の安全風土のうちから検討することを目的とした。なお、本研究では、インシデントは「患者への傷害の程度に関わらずエラーが患者に到達した事象」、ニアミスは「エラーが患者に到達する前に発見された事象」と定義する。したがって、本研究のエラーは、インシデントとニアミスを総称するものとする。

【調査対象と方法】

研究1の対象は、地域中核機能を有する病院の2病棟において、インシデント報告を提出した看護師18名によって語られた26例の報告事例である。面接はデータの飽和が概ね確認されるまで実施した。

研究2の対象は、面接調査の対象を含む4病棟の看護師94名と彼らの2週間における総労働日678人日における与薬エラーおよび労働職場状況報告とし2段階からなる質問紙調査を行い、回答のあった89名と556人日を分析対象とした。質問紙の質問項目と尺度は、研究1の事例分析の結果および先行研究をもとに作成した。

与薬エラーの報告およびインシデント報告に関わる態度・行動の関連要因の検討では、個人および病棟内の相関を考慮した一般化推定方程式(GEE)を用いて分析を行った。

【研究1の結果と考察】

1.与薬エラーの発生に至る過程とその背景状況

与薬エラー発生の背景には複数の労働職場状況と潜在的組織状況が存在し、各要因のみでエラーに至る事例は見られなかった。与薬エラーの発生に影響を及ぼしやすい職場における社会的相互作用として、《情報伝達・共有不足》《サポートが機能しない》《ケアの方針に関する協議不足》《指導が機能しない》の4つのカテゴリーが抽出された。与薬エラーの発生に至る過程として、《組織変更に伴う多職種間のコミュニケーション不足》および《職務遂行に伴うサポートの授受にリスクが潜む》状況では、情報伝達・共有不足が起き易く、サポート機能は阻害され易くなっていた。また、《ケアの方針に関する協議不足》の背景には《多様化する医療・看護ニーズに対する労働力の不均衡》が、《指導が機能しない》背景には《利用しづらい情報設備環境》が潜在しており、他の労働職場状況と組み合わさり与薬エラーの発生に至っていた。

これらの結果から、与薬エラーの防止のためには、エラーの原因の除去への取り組みに加えて、職場における社会的相互作用とその背景状況の良好化がエラーの防止に繋がることが示唆された。

2.インシデント報告に関わる態度・行動の進展過程とその背景状況

インシデントの発生に伴い、看護師は「インシデントに直面し様々な感情を抱く」「インシデントを防止するために必要なことを考えて実践する」「インシデント報告に対してアンビバレントな感情を抱く」というプロセスを経て報告行動に至っており、「インシデントについてフィードバックを受けて話し合う」段階に至る者も見られた。このプロセスを促進する背景状況として「師長や同僚からサポートを得る」「インシデントを共有することが必要だと思う」「普段から職場でミスや問題について話し合っている」「病棟・病院単位でインシデント報告からの改善活動を行っている」の4つのカテゴリーが抽出された。

以上の結果から、エラーおよびインシデントを報告し、報告からの学習を促進していくためには、職場において個人が自分のミスについて話したり、意見を述べたりしても不利益を被らないと感じられるような環境の構築や、自分の考えを遠慮せずに述べることの積み重ねによるオープンな風土の形成が極めて重要になってくると考えられた。

【研究2の結果と考察】

1.与薬エラーの報告3指標の関連要因

与薬エラーの報告3指標は、勤務シフト、情報伝達・共有不足、与薬業務進行の遅れ、および与薬への患者参加の少なさという労働職場状況と正の関連が見られ、職場の安全風土の評価の高さとも正の関連が見られた。これらの関連性は、与薬エラーの報告にはエラー自体を誘発する要因とエラーの報告を促進する要因の2つの要素が寄与していることを示唆していた。

これらの結果から、与薬エラーの防止策として、エラーの原因の除去とともに、エラーの報告および報告からの学習を促進する労働職場環境づくりを図るという両面からのアプローチの重要性が示唆された。

2.インシデント報告に関わる態度・行動4指標の関連要因

仕事の過重負担スコアが高いほど過度な自己非難・落胆スコアは高く、報告への主体性・積極性スコアは低いという関連が見られ、職場の安全風土の評価スコアが高いほど報告への主体性・積極性スコアは高く、インシデント報告の積極的な運用観スコアも高いという関連が示された。

これらの結果から、エラーおよびインシデントの報告に関わる積極的な態度・行動とそれによる学習のプロセスを促進していくためには、仕事の過重負担の軽減とともに、職場の安全風土の良好化を図るという両面からの支援が重要になると考えられた。

3.エラーの報告およびインシデント報告に関わる態度・行動に対する職場の安全風土の役割

注射エラーの報告は、職場の安全風土5下位尺度のうち、管理者のサポートの良好さ、フィードバック・トレーニングの良好さ、および整理整頓の良好さが正の関連を示していたのに対し、インシデント報告に関わる積極的な態度・行動2指標は、職場の安全風土の下位尺度すべてが、すなわち、上記3尺度以外にも、職務妨害の少なさ、コミュニケーション・葛藤の解消の良好さの2尺度とも強い関連を示していた。

これらの結果から、職場の安全風土は、エラーが報告され、その報告と分析に関わる学習プロセスにおいて重要な役割を担うものであり、職場の安全への取り組みにおける管理者のサポート、フィードバック、コミュニケーションなどにみる社会的相互作用の良好化を通じてエラーの防止にも繋がっている可能性が示唆された。

【全体の考察】

本研究は、地域中核機能を有する一医療機関の看護師を対象としており、本研究の結果をそのまま一般化できるかは検討を要する。質問紙調査は個人の回答を対象としているため社会的な望ましさが回答に影響を与えている可能性があり、横断的研究のため因果関係の特定は難しいという限界がある。また、本研究では、先行研究における安全風土の概念および項目を参考に職場の安全風土の評価尺度を作成し、一定の信頼性と妥当性が認められたことからこの尺度を用いて分析を進めたが、当該尺度については今後もさらに検討を積み重ねる必要があると考える。

しかし、本研究は与薬エラーの発生とその報告に関わる態度・行動の背景要因を職場における社会的相互作用と労働職場状況に焦点をあてて定性的定量的に明らかにした点、また、エラーの報告とインシデント報告に関わる積極的な態度・行動の有無及び多寡に影響を及ぼす要因として、看護師を取り巻く労働職場状況だけでなく、職場の安全風土に着眼し、エラーの報告とインシデント報告からの学習を促進するうえで重要な役割を果たしていることを明らかにした点に意義があると考える。

【結論】

面接調査および質問紙調査から導き出された結論は以下の5点であった。

1)与薬エラーの発生に影響を及ぼしやすい社会的相互作用とその背景状況が明らかになった。2)インシデントの発生に伴い看護師がとるインシデント報告に関わる態度・行動とその促進的背景状況が明らかになった。3)与薬エラーの報告には、エラーの発生をもたらしやすい労働職場状況とエラーの報告を促進する職場の安全風土が正の関連を示していた。4)インシデント報告に関わる積極的な態度・行動には仕事の過重負担が阻害的に、職場の安全風土が促進的に関連していた。5)注射エラーの報告とインシデント報告に関わる態度・行動に対する職場の安全風土の促進的な役割が明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、与薬システムの安全性向上のための重要課題である与薬エラーの発生及び報告の背景状況とエラーの報告及びインシデント報告に関わる態度・行動に影響を及ぼす労働職場要因について、職場における社会的相互作用と労働職場状況に焦点を当てて定性的、定量的に明らかにすることを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.面接調査の結果、与薬エラー発生の背景には複数の労働職場状況と潜在的組織状況が存在していることが示され、与薬エラーの発生に影響を及ぼしやすい職場の社会的相互作用として、「情報伝達・共有不足」「サポートが機能しない」「ケアの方針に関する協議不足」「指導が機能しない」の4つのカテゴリーが明らかにされた。さらに、与薬エラーの発生に至る過程を検討し、これらの社会的相互作用には組み合わさり易い潜在的組織状況と労働職場状況が存在していることが示された。

2.面接調査の結果、インシデント報告に関わる態度・行動の進展過程として、看護師はインシデントの発生に伴い、「インシデントに直面し様々な感情を抱く」「インシデントを防止するために必要なことを考えて実践する」「インシデント報告に対してアンビバレントな感情を抱く」というプロセスを経て報告行動に至っており、「インシデントについてフィードバックを受けて話し合う」段階に至る者もみられることが示された。さらに、このプロセスを促進する背景状況として「師長や同僚からサポートを得る」「インシデントを共有することが必要だと思う」「普段から職場でミスや問題について話し合っている」「病棟・病院単位でインシデント報告からの改善活動を行っている」の4つのカテゴリーが抽出された。

3.質問紙調査の結果、与薬エラーの報告3指標は、勤務シフト、情報伝達・共有不足、与薬業務進行の遅れ、および与薬への患者参加の少なさという労働職場状況と正の関連が示され、職場の安全風土の評価とも正の関連が示された。これらの関連性から、与薬エラーの報告にはエラー自体を誘発する要因とエラーの報告を促進する要因の2つの要素が関わっていることが示唆された。

4.質問紙調査の結果、インシデント報告に関わる態度・行動4指標の関連要因を検討し、仕事の過重負担スコアが高いほど過度な自己非難・落胆スコアは高く、報告への主体性・積極性スコアは低いという関連が示された。また、職場の安全風土の評価スコアが高いほど報告への主体性・積極性スコアは高く、インシデント報告の積極的な運用観スコアも高いという関連が示された。

5.職場の安全風土の評価の5下位尺度と注射エラーの報告及びインシデント報告に関わる態度・行動4指標との関連を検討し、注射エラーの報告とインシデント報告に関わる態度・行動に対する職場の安全風土の促進的な役割が明らかにされた。

以上、本研究は、与薬エラーの発生と報告の背景状況について、職場における社会的相互作用に着目し定性的に明らかにした。また、与薬エラーの報告とインシデント報告に関わる態度・行動とに影響を及ぼす労働職場要因について、職場の安全風土の評価尺度を作成した上で、労働職場状況と職場の安全風土のうちから定量的に分析し、与薬エラーの防止策として、エラーの原因の除去を図るとともにエラーの報告や報告からの学習を促進する労働職場環境づくりを図るという両面からのアプローチの重要性を明らかにした。よって、本研究は、労働職場における安全管理・教育の向上に係わる有用な知見を得ていることから、学位の授与に値すると考えられる。

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