学位論文要旨



No 128514
著者(漢字) 涌井,智子
著者(英字)
著者(カナ) ワクイ,トモコ
標題(和) 在宅介護者の介護負担感および抑うつ度に関連する地域の介護支援環境要因の検討 : 介護者の続柄別の影響評価
標題(洋)
報告番号 128514
報告番号 甲28514
学位授与日 2012.04.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3990号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 赤林,朗
 東京大学 准教授 松本,裕
 東京大学 准教授 秋下,雅弘
 東京大学 准教授 飯島,勝矢
 東京大学 講師 永田,智子
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

平成23年10月現在、我が国の介護を要する高齢者は500万人を超え、65歳以上高齢者の17.8%を占めるに至った。今後も増加が見込まれ、これらの要介護高齢者を、誰がどのように見守り、介護をしていくのかということは緊迫の課題である。

介護は、介護者の身体的健康に影響をあたえるだけでなく、介護者の仕事や社会活動といった社会生活を制限し、不安や抑うつといった精神的健康の悪化につながる事が報告されている。特に、介護者の精神的負担の増加は、要介護高齢者への虐待や施設入所につながることも指摘され、継続的な在宅介護の実現には、介護者の精神的健康への支援が必要である。

先行研究では、介護者の精神的健康に影響を与える要因として、要介護高齢者のADLの低下や認知症状、介護者の年齢や経済状況、周囲からのサポートといった介護者・要介護高齢者の個人要因の検討が行われてきた。しかし、要介護高齢者の認知機能やADLの改善には長期的な治療を要し、また、介護者個人要因への支援も十分ではない現状にある。

一方で、地域の役割に注目してみると、介護には、介護保険でカバーされないような緊急時のサポートが必要とされ、これらをカバーする地域住民が主体となって行う介護者交流などの私的支援環境が、介護を支援している可能性が考えられる。加えて、地域のネットワークや、ソーシャルキャピタルとして定義される信頼、互酬性など、地域の特性が、一般住民や高齢者の健康に影響を与えることが注目されているが、介護者を対象にした研究は見られない。介護者の精神的健康を改善する重要な要因の一つにサポートがあげられることから、地域全体の支援環境の整備が精神的健康の改善に影響すると考えられるが知見の蓄積に至っていない。また、我が国の介護保険制度は、各自治体によって運営されるが、介護者の精神的健康に対する介護保険制度の影響は、個人のサービス利用との関連が検討されてきたにすぎず、保険者単位での検討はなされていない。

そこで、本研究では、地域の介護支援環境が介護負担感と抑うつ度に与える影響を検討した。なお、介護者と要介護高齢者の続柄の違いは、介護状況や介護負担感に影響を与える重要な要因の一つであることから、地域の支援環境の違いが続柄によって異なるという仮説を立て、検討を行った。

【目的】

第一に、続柄による介護状況と精神的健康の違いを把握する。

第二に、地域の介護支援環境として、

(1)地域の私的介護支援環境

(2)地域の介護保険サービス環境

の2点が、在宅介護者の介護負担感および抑うつ度に及ぼす影響について、介護者の続柄別にその影響を検討し、在宅介護者の精神的健康の改善に有用な地域支援の在り方について示唆を得る。

【方法】

調査対象地域

人口81万人を抱えるA県に在住する要介護高齢者の主介護者を対象とした。本研究では、家族介護者への質問紙調査と、介護保険事業報告及び県が提供する介護保険データから、地域の介護支援環境が介護者の精神的健康に与える影響を評価した。

家族介護者質問紙調査

要介護認定者リストを用いて、第1号被保険者で要介護1~5に認定された要介護高齢者のうち施設入所者を除外した対象から、16の保険者ごとに無作為抽出された5,639名の介護者に郵送による自記式の質問紙調査を実施した。

測定項目

介護支援環境要因として、地域の介護保険サービス充実度、および私的介護支援環境として、介護保険以外の支援充実度(以下、介護保険外支援充実度)、介護者支援充実度、介護情報充実度、およびソーシャルキャピタルの信頼と互酬性について、介護者から評価を得た。これらの指標は、各保険者単位で集計した平均得点を地域の介護支援環境の充実度とした。

介護者の精神的健康の指標には、介護負担感と抑うつ度を測定し、介護負担感尺度には日本語版Zarit Caregiver Burden Interview介護負担感尺度を、抑うつ度の測定には日本語版 the Center for Epidemiologic Studies Depression Scaleを使用した。

介護者の基本属性は、性別、年齢、婚姻状況、要介護高齢者との続柄、主観的健康度および経済状態を、介護に関連する要因として、要介護高齢者との同別居の状況、介護期間、サポートの受領について回答を依頼した。また、要介護高齢者については、性別、年齢、日常生活動作能力(以下ADL)、認知症状の有無を把握した。

介護保険サービス環境の客観的指標

介護保険事業状況報告より、第1号被保険者一人あたりの居宅サービス給付月額(居宅給付費)、第1号被保険者1000人当たりの居宅の事業所数(居宅事業所数)及び通所サービスの利用定員(通所利用定員)を算出した。これらの指標は、介護保険サービス資源を測る客観的指標として設定し、質問紙調査で得られた介護保険サービス充実度と併せて、介護保険サービス環境の指標とした。

分析方法

家族介護者質問紙調査および、介護保険事業状況報告からデータセットを作成した上で、続柄の違いによる介護状況と精神的健康の違いを、ボンフェローニの補正によるχ二乗検定、Mann-WhitneyのU検定、ボンフェローニの多重比較により検討した。介護者の精神的健康に影響を与える地域の介護支援環境評価には、介護負担感と抑うつ度を従属変数とするマルチレベル分析を行った。従属変数のみを含み、切片以外には独立変数を含まないヌルモデルを検討し、従属変数の級内相関の初期推定値を把握した上で、個人レベル変数として、要介護高齢者のADL、認知症状の有無、介護者の経済状況および主観的健康度を調整変数として投入した。最後に、地域レベルの変数を固定効果として投入し、これらの変数の影響を検討した。分析に際しては、SPSS Statistics Version20混合モデルを使用した。統計的有意水準は、p<0.05とした。

倫理的配慮

本研究の実施に際しては、A県及び全16介護保険者の承諾と協力を得て行った。また、東京大学医学部倫理委員会の倫理審査を受け、承認を得た(承認番号2913)。

【結果】

1.対象者の属性

有効回答数は2,405名であった。介護者の平均年齢は64歳、76%が女性であり、配偶者29%、娘21%、息子16% 、嫁介護者が29%であった。9割が要介護高齢者と同居しており、4割が仕事に従事していた。要介護高齢者の68%が女性で、平均年齢は85歳であった。

2.介護者の続柄による介護状況の違い

配偶者介護者は、仕事従事者が少なく、主観的健康度が低く、またADLは低いが、認知症状のない要介護高齢者を介護する傾向にあった。一方、息子介護者は、経済状態が低く、介護期間が短い傾向にあり、別居介護の割合が比較的多かった。介護保険サービスについては、娘や嫁に、通所のサービスを利用する傾向があった。介護負担感および抑うつ度は、どちらも配偶者介護者で有意に高くなっていた。

3.地域の介護支援環境が介護負担感に与える影響

介護負担感について、地域間分散は小さかったが、息子介護者で、地域の介護保険サービス、介護保険外支援および介護者支援が充実している地域では、介護負担感が有意に低くなっていた。一方、嫁介護者の場合は、介護保険外支援充実度において統計的に有意な関連が認められたが、息子の場合と異なり、介護保険外支援が充実している地域では、介護負担感が有意に高くなっていた。

4.地域の介護支援環境が抑うつ度に与える影響

地域の介護支援環境の抑うつ度への影響は、地域間分散は非常に小さいものの、娘および嫁介護者で居宅事業所数が多い地域において、介護者の抑うつ度得点が有意に低くなっていた。その一方で、嫁介護者の場合、介護者支援充実度や地域の互酬性は、抑うつ度を有意に高める方向に影響していた。

【考察】

介護者の続柄によって、介護状況及び精神的健康が異なることが確認された。また、地域の介護支援環境の影響は、続柄によって、介護負担感および抑うつ度への影響が異なっていた。配偶者では、精神的健康の地域間分散が小さく、地域の支援環境よりも個人の影響が大きいと考えられた。一方、息子介護者では、介護保険サービス環境の客観的な指標では有意な関連が認められなかったのに対し、私的介護支援環境および、介護保険サービスが充実していると評価された地域で介護負担感が低くなっており、特に、息子介護者には、介護保険サービスの充実とともに、介護者のニーズに見合った支援が提供される地域の環境の充実が介護負担感の改善につながると考えられた。一方、娘や嫁介護者では、介護保険サービス資源の充実が、精神的健康の改善に有用と考えられた。その一方で、私的支援環境が充実した地域の嫁介護者では、負担感が高く、抑うつ傾向にあることから、私的な支援環境の充実は、嫁介護者を介護につなぎ留め、それ故に介護負担感および抑うつ度の悪化につながっている可能性が考えられた。

【結論】

本研究では、16の異なる保険者の介護状況及び介護者の精神的健康を把握したことで、地域特性の検討が可能になり、我が国にとって貴重な介護者データを得た。

地域の介護支援環境が、精神的健康に与える影響は続柄で異なり、息子介護者には、特に、地域の介護支援環境の充実が精神的健康の改善に有効である一方で、嫁介護者には、精神的健康を悪化させる方向に働いていた。続柄のように、把握しやすい介護者の特性を各保険者が把握したうえで、その保険者の介護者特性に効果的な保険者単位での支援を行うことは、保険者にとっても効率的な支援配分の一つの方法になることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、16の介護保険者ごとに無作為抽出した家族介護者の介護状況と精神的健康を把握し、我が国の在宅介護者の介護負担感および抑うつ度に影響する「地域の介護支援環境」の影響を、要介護高齢者と介護者の続柄別に、明らかにすることを試みたものであり、下記の知見を得た。

1.介護者の続柄によって介護の状況が異なり、息子介護者では経済状態が低く、別居での介護が多いこと、嫁介護者では認知症状を有する要介護者の介護が多いといった違いが確認された。また、特に配偶者では、介護負担感が有意に高く、抑うつ傾向にあることが確認された。

2.家族介護者の精神的健康における地域間分散は小さく、要介護者のADL、認知症状の有無、介護者の経済状況と主観的健康度を調整することによって地域間分散は小さくなり、個人要因を調整することによって地域間分散が説明されたと考えられた。

3.地域間分散は小さい一方で、介護者の精神的健康に影響を与える地域の介護支援環境が明らかになり、また、その影響は続柄によって異なることが明らかとなった。

4.息子介護者の場合、地域の介護保険外支援や介護者支援が充実している地域で介護負担感が低くなっていた。一方、介護保険サービスについては、介護者が、介護保険サービスが充実していると評価する地域で介護負担感が低くなっており、このことから、介護保険サービス資源よりも介護者が充実していると認めるニーズに合った介護保険サービス、および私的介護支援環境充実の必要性が認められた。

5.娘や嫁介護者では、介護保険サービス資源が抑うつ度の軽減に関連しており、介護保険サービス資源が重要と考えられた。その一方で、ソーシャルキャピタルや介護保険外支援の充実といった私的支援環境は、嫁介護者の介護負担感や抑うつ度を悪化させる傾向が見られ、続柄によって地域の支援環境の影響が異なることが確認された。

6.以上のことから、介護負担感や抑うつ度に関連する個人の関連要因も重要だが、保険者単位での介護支援環境を充実させることは、介護者への重要な支援の方法であり、続柄のように把握しやすい介護者の特性に即して保険者単位での支援配分を考えることは効率的な支援配分であることが確認された。

以上、本研究は、16の異なる保険者の介護状況及び介護者の精神的健康を把握したことで、地域環境の影響を検討することが可能になり、本邦初の貴重なデータを得た。各保険者の介護の特性に沿って保険者ごとに地域の支援環境を充実させることが、保険者にとって効率的な支援配分の一つの方法になることが示唆された本研究知見は、超高齢社会の介護システムを考える上で重要と考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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