学位論文要旨



No 128517
著者(漢字) 文,彰鶴
著者(英字)
著者(カナ) ムン,チャンハク
標題(和) 日本語と韓国語の文末形式に関する対照研究 : 「知覚表明」と「知識表明」の概念を中心に
標題(洋)
報告番号 128517
報告番号 甲28517
学位授与日 2012.04.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1154号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生越,直樹
 東京大学 教授 近藤,安月子
 東京大学 教授 野村,剛史
 東京大学 准教授 福井,玲
 名古屋大学 教授 堀江,薫
内容要旨 要旨を表示する

本稿では、日韓両言語における<平叙文>の文末形式を対象にし、その対応関係について考察を行なった。その際、「韓国語のhay(yo)体の終結語尾に対応する日本語の文末形式を分析するにあたって、日本語の終助詞に焦点をあてるべきか、それとも日本語の確言形に焦点をあてるべき」かという、問題が存する。

従来の研究においては、韓国語のhay(yo)体の終結語尾を日本語の終助詞との対応関係に焦点をあてて分析を行う場合が多かったが、本稿では、韓国語のhay(yo)体の終結語尾を日本語の確言形に焦点をあてて分析を行うことを提案した。このような提案を検証するために、検討すべき問題として以下のような問題を提起した。

(1)日韓両言語における<平叙文>の文末形式を考察するために検討すべき問題

(1)韓国語のhay(yo)体の終結語尾が担う意味に対応するものとして、日本語の終助詞ではなく、「確言形」に焦点を当てて分析できるか。

(2)韓国語のhay(yo)体の終結語尾と日本語の<平叙文>の「確言形」との対応に焦点を当てて分析する立場をとると、韓国語のhay(yo)体の終結語尾が日本語のネやダロウといった終助詞(もしくは終助詞相当形式)のように「確認要求的表現」として用いられる場合はどのように説明すれば良いか。

(3)韓国語のhay(yo)体の終結語尾と日本語の<平叙文>の「確言形」との対応に焦点を当てて分析する立場をとると、韓国語の終結語尾ci(yo)における、<平叙文>以外の用法についてはどのように説明すれば良いか。

(4)韓国語は「知覚表明」を表す形式としてneyとkwun二つを有するが、その違いは何か。そして、その違いは日本語ではどのように表現できるか。

本稿では、このような問題を考察するために、次のような「知覚表明」と「知識表明」という概念を導入することと「意味論」的意味と「語用論」的意味を区別することを提案した。

(2)(1)「知覚表明」と「知識表明」

「知覚表明」とは"話し手が発話時に発話現場で感覚器官によって知覚した内容の表明"であり、「知識表明」とは"話し手が既に知識として定着させている内容の表明"である。

(2)「意味論」的意味と「語用論」的意味の区別

「意味論」的意味は言語形式自体が有する言語的意味の問題であり、「語用論」的意味は言語形式の具体的な使用における解釈の問題である。

以上のような考察対象と問題のありか、そして、本稿の立場について、第1章で述べた。以下、第2章からの考察内容を簡単にまとめると次のようである。

第2章では、(1)(1)を検討するために、日韓翻訳本の調査や感動詞・叙法副詞との共起関係を分析した結果、韓国語の終結語尾と日本語の終助詞の間には一対一の対応関係が見られず、韓国語の終結語尾と日本語の<平叙文>の確言形(の意味分類)の間において、「知覚表明」対「知識表明」という命題めあて的な意味の対立に基づいて、密接した対応関係が見出された。

このような分析結果から、基本的に韓国語の終結語尾と日本語の確言形における言語形式自体が有する意味、つまり「意味論」的意味は、命題めあて的な意味機能であると理解される。ただし、具体的な「知覚表明」と「知識表明」という命題めあて的な意味を表すにあたって、日本語の確言形の場合は、 一つの確言形が具体的な使用において、二つのタイプの意味、つまり「知覚表明」であったり「知識表明」であったりするので、日本語の確言形における「知覚表明」あるいは「知識表明」という意味は、「語用論」的意味であるとも言えるであろう。

しかし、言語事実としては韓国語の終結語尾が日本語の終助詞に対応しているように見える場合も存在する。そのような場合は、韓国語の終結語尾自体が有する命題めあて的な意味機能が、発話現場で聞き手に対して発話されるという語用論的な文脈で日本語の終助詞自体が有する聞き手めあて的な意味機能(「確認内容伝達」、「注意喚起」など)としても使える場合であると考えられる。以上の内容を簡単に図で示すと次のようである。

第3章では、(1)(3)を検討するために、「「知識」における確信度のスケール」に注目し、「知識表明」を表すciの様々な意味用法間の関連性を分析した。その結果、ciの文は、基本的に「知識表明」を表す<平叙用法>を持ち、このような意味用法は形式自体が有する「意味論」的意味として理解される。そして、「確かな知識」あるいは「不確かな知識」を述べ立てる<平叙用法>のciが一定の語用論的な要因が加わることによって、他の用法(<疑問用法>、<命令用法>、<勧誘用法>、<意志用法>)へ拡張することが確認できた。

第4章では、(1)(4)のうち、韓国語のneyとkwunの違いについて分析した。neyとkwunは基本的に「知覚表明」を表すという点においては共通している。しかし、neyとkwunは「非納得」の感動詞と「納得」の感動詞との共起において、対立的な振る舞いを示し、このような共起現象から想定できる「入力情報の処理過程(「未知情報の遭遇段階」→「関連情報の探索段階」→「未知情報と関連情報のリンク段階」)」からすると、neyは「未知情報の遭遇段階」を表しkwunは「未知情報と関連情報のリンク段階」を表すという点において異なることが確認できた。

第5章では、(1)(4)のうち、韓国語のneyとkwunの違いは日本語ではどのように表現できるかという問題を取り上げた。韓国語におけるneyとkwunの違いは、意味用法や感動詞との共起関係、文脈による置き換えの可否を検討した結果から、日本語における非ノダとノダの違いと並行していることが確認でき、特に、neyは非ノダに、そしてkwunはノダに対応することが分かった。

第6章では、(1)(2)を検討するために、日韓の確認要求的表現の内実を分析した結果、「確認要求」や「同意要求」という機能を果たすという目的は同じであっても、その機能を発現させるメカニズムは異なり、韓国語では命題内容が知識か知覚かという命題めあて的な要因が働いており、日本語では話し手の認識と聞き手の認識の一致可否という聞き手めあて的な要因が働いていることが確認できた。

第2章で、表1のような日韓両言語の文末形式における対応関係について述べた。このような第2章の主張は、第3章と第6章の分析結果からも支持される。つまり、「確認要求的表現」のように韓国語の終結語尾が日本語の終助詞に対応しているように見える場合、あるいは韓国語の終結語尾ciのように<平叙文>以外の意味用法を持っているような場合においても、韓国語のhay(yo)体の終結語尾は基本的に<平叙文>における「知覚表明」と「知識表明」という命題めあて的な意味機能が根底で働いており、そのような意味機能が発話現場で具体的に使用されることによって、日本語の終助詞が有するような確認要求的な意味機能、あるいはciの<平叙文>以外の意味用法を発現させているのである。

このような本稿の分析結果から、日韓の<平叙文>の文末形式の対応関係を理解するにあたって、まず韓国語の終結語尾と日本語の確言形の対応関係に焦点をあてて理解し、その後に韓国語の終結語尾と日本語の終助詞の対応関係を理解するのが望ましいと考えられる。

表1. 日韓の<平叙文>の文末形式における対応関係

審査要旨 要旨を表示する

文彰鶴氏の博士論文「日本語と韓国語の文末形式に関する対照研究 -「知覚表明」と「知識表明」の概念を中心に-」の審査結果について報告する。

本論文は、日韓両言語における<平叙文>の文末形式を対象にし、その対応関係について考察を行なったものである。日韓両言語の<平叙文>の対応関係を見ると、韓国語のhay(yo)体の終結語尾に日本語の終助詞が対応する場合と確言形(言い切りの形)が対応する場合があるが、従来はもっぱら韓国語の終結語尾と日本語の終助詞との対応関係ばかりが注目されており、日本語の確言形との対応関係については、十分な分析がなされていなかった。本論文では、日本語の対応形式の違いに着目し、その違いの要因を「知覚表明」と「知識表明」という概念、および「意味論」的意味と「語用論」的意味の区別で説明しようとしたものである。

本論文は7章からなっており、第1章では、本論文で扱う問題を整理し、日韓両言語における<平叙文>の文末形式を考察するうえで検討すべき問題として、(1)日本語の確言形を韓国語の終結語尾が担う意味に対応する形式として認めうるか、(2)韓国語の終結語尾と日本語の終助詞の対応はどう考えるべきか、 (3)韓国語の終結語尾ci(yo)が<平叙文>以外の用法で使われるのはどう説明するか、(4)韓国語で「知覚表明」を表す2つの形式neyとkwunの違いは何か、という4つの問題を挙げている。さらに、本論文で使う基本的な概念の規定を行い、「知覚表明」とは"話し手が発話時に発話現場で感覚器官によって知覚した内容の表明"であり、「知識表明」とは"話し手が既に知識として定着させている内容の表明"である、とした。また、「意味論」的意味は言語形式自体が有する言語的意味の問題であり、「語用論」的意味は言語形式の具体的な使用における解釈の問題である、とした。

第2章では、第1章で提起した(1)の問題について論じている。まず、日韓対訳本の調査を通して、韓国語の終結語尾と日本語の終助詞の間に一対一の対応関係が見られないことを明らかにした。さらに、韓国語の終結語尾と日本語の確言形の対応について、感動詞・叙法副詞との共起関係から分析した結果、韓国語の終結語尾には使い方の違いがあり、その違いは「知覚表明」を表すか「知識表明」を表すかという違いであることを明らかにした。分析結果から、韓国語の終結語尾と日本語の確言形は、いずれも「知覚表明」「知識表明」と関連する意味を持つため、各々の言語形式自体が有する言語的意味、つまり「意味論」レベルにおいて対応すると見る。ただし、韓国語では「知覚表明」と「知識表明」を異なる終結語尾で表しているのに対し、日本語では確言形一つが対応しており、「知覚表明」と「知識表明」の区別に関しては、両者は「語用論」レベルで対応しているとも言えるとしている。このような点を総合し、韓国語の終結語尾と日本語の確言形の対応関係は「意味論・語用論」レベルにおける対応関係であると説明した。

一方、韓国語の終結語尾が日本語の終助詞に対応する場合は、韓国語の終結語尾が持つ命題めあて的な意味機能が、発話現場で聞き手に対して発話されるという語用論的な文脈で、日本語の終助詞が持つ聞き手めあて的な意味機能と対応しているだけで、韓国語の終結語尾と日本語の終助詞の対応関係は「語用論」レベルにおける対応関係であると主張した。

第3章では、第1章で提起した(3)の問題について論じている。「「知識(表明)」における確信度のスケール」に注目しつつ、「知識表明」を表す終結語尾ciの様々な意味用法とその関連性について分析を行っている。分析の結果、ciの文は、基本的に「知識表明」を表す<平叙用法>を持ち、<平叙用法>のciに一定の語用論的な要因が加わることによって、他の用法(<疑問用法>、<命令用法>、<勧誘用法>、<意志用法>)への拡張が起きることを確認している。

第4章では、第1章で提起した(4)の問題、つまり。韓国語の終結語尾neyとkwunの違いについて分析している。neyとkwunは「知覚表明」を表すという点で共通しているが、「驚き・戸惑い」の感動詞と「納得」の感動詞との共起を見ると、対立的な振る舞いを示しており、このことから「入力情報の処理過程」から見ると、neyは「未知情報の遭遇段階」を表し、kwunは「未知情報と関連情報のリンク段階」を表すとしている。

第5章では、第1章で提起した(1)の問題に関連して、韓国語の終結語尾neyとkwunの違いが日本語ではどのように表現されるかを調べている。語尾の使い方や感動詞との共起関係、文脈による置き換えの可否を検討した結果、日本語における非ノダとノダの違いと並行していることが確認でき、neyは非ノダに、kwunはノダに対応することを明らかにしている。

第6章では、第1章で提起した(2)の問題について論じている。韓国語終結語尾と日本語終助詞の対応のうち、日韓の確認要求的表現を分析した結果、「確認要求」や「同意要求」という機能を果たすという目的は同じであっても、その機能を発現させるメカニズムは異なり、韓国語では命題内容が知識か知覚かという命題めあて的な要因が働いているのに対し、日本語では話し手の認識と聞き手の認識の一致可否という聞き手めあて的な要因が働いていることを明らかにした。

第7章は、これまでの考察をまとめ、第2章で述べた韓国語の終結語尾と日本語の確言形は、「意味論・語用論」レベルで対応しており、韓国語の終結語尾と日本語の終結語尾は「語用論」レベルで対応しているという主張は、第3章と第6章の分析結果からも支持されるとした。そして、本論文の考察結果から、日韓の<平叙文>の文末形式の対応関係を理解するにあたっては、まず「意味論・語用論」レベルにおける韓国語の終結語尾と日本語の確言形の対応関係に焦点をあてて理解し、その後に「語用論」レベルにおける韓国語の終結語尾と日本語の終助詞の対応関係を理解するのが望ましいと結論づけている。

本論文のもっとも大きな特徴は、従来の研究が韓国語の終結語尾と日本語の終助詞との対応関係だけを論じていることの問題点を指摘し、日本語の確言形と韓国語の終結語尾との対応関係について、詳しい分析を行ったことにある。そのことによって、韓国語の終結語尾の使用において「知覚表明」と「知識表明」の区別が大きな要因になっていることを明らかにしたのは大きな成果であると言えよう。また、本論文の考察によって、韓国語文末形式の「命題めあて的」性質と、日本語文末形式の「聞き手めあて的性質」が意味論レベルで明確な対比を示しつつ、語用論レベルでは一定の対応関係を見せるという両面を捉えることが可能になった点も新たな試みとして評価できる。モダリティに関する日韓対照研究は、これまであまり研究が進んでおらず、本論文はこの分野の研究を大きく進展させるものであり、韓国語学,日本語学だけでなく、韓国語教育や日本語教育の分野でも高く評価される業績であろう。

審査においては、意味論と語用論の区別に関して不十分な点があること、日本語の確言形に関する分析が不十分であり、そのため日本語と韓国語の相違点が十分明らかにできていないこと、論証において不必要な用法の区別が散見されることなど、今後検討すべき課題も指摘されたが、それらが本論文の価値を損ねるほどのものではないことが確認された。

したがって、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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