学位論文要旨



No 128521
著者(漢字) 長尾,遼
著者(英字)
著者(カナ) ナガオ,リョウ
標題(和) 珪藻の光合成タンパク質複合体の分解と合成機構
標題(洋) Mechanisms of degradation and de novo synthesis of photosynthetic protein complexes in a diatom, Chaetoceros gracilis
報告番号 128521
報告番号 甲28521
学位授与日 2012.04.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1158号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池内,昌彦
 埼玉大学 准教授 西山,佳孝
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 和田,元
 東京大学 教授 佐藤,直樹
内容要旨 要旨を表示する

光合成反応は、物理化学的な光化学反応と、生化学的な酵素反応の組合せで構成されている。そのため、様々な環境条件で光合成反応の最適化やストレス防御を実現するために、複雑な光合成システムと多様な調節機構が各光合成生物で進化している。つまり、これらの光合成反応は、各光合成生物のもつ固有の光合成システムとその生物がおかれる環境条件に依存している。このような光合成システムは、これまでおもに高等植物と緑藻、シアノバクテリアを対象として詳しく研究されてきたが、地球生態系に大きな割合を占める珪藻の光合成研究は遅れていた。その理由のひとつは、チラコイド膜や光合成装置の単離に適した珪藻のモデル種の確立が遅れていたことにある。中心目のChaetoceros gracilisは海洋に広く分布する優占種であり、すでに光化学系Iが単離されている。私は修士課程において、このC. gracilisを用いて、初めて酸素発生活性を保持した光化学系IIの単離に成功した(長尾2008)。この標品(以下、粗系II標品と略す)を分析して、新たな表在性酸素発生因子を発見した。しかし、この粗系II標品の酸素発生活性が非常に不安定であった。そのため、本研究では、粗系II標品から安定な活性を保持する標品(以下、精製系II標品と略す)を単離し、両標品の比較から、タンパク質分解が失活の主要要因であると推論した(第1章)。さらにそのタンパク質分解酵素の局在を推定し(第2章)、in vivoでの分解と合成に関する現象と比較した(第3章)。

第1章では、粗系II標品の精製と様々な不活性化現象について報告した。私は、C. gracilisから酸素発生活性を保持した粗系II標品の調製についてこれまでに報告している[Nagao et al., 2007]。粗系II標品は、多量のフコキサンチンクロロフィルタンパク質複合体(FCP)が結合しており、また酸素発生活性が失活しやすかった。そこでまず、粗系II標品を界面活性剤Triton X-100で再処理後、陰イオン交換カラムクロマトグラフィーによって、精製系II標品を得た。この標品は、粗系II標品の約2.5倍の高い酸素発生活性(~2135 μmol O2 (mg Chl a)(-1) h(-1))を示した。また、酸素発生に関わる5種類の表在性タンパク質(PsbO, PsbQ', PsbV, Psb31, PsbU)を保持しており、大部分のFCPは除かれていた。この標品の色素組成は、2分子のフェオフィチンaあたり、クロロフィルaが42分子、ジアジノキサンチンが2分子、クロロフィルcが2分子であった。分光測定の結果、典型的な系IIの吸収スペクトルや蛍光スペクトルを示した。また、粗系II標品を25 °C、暗所でインキュベートすると、酸素発生活性の失活、色素の消失、そしてタンパク質のすみやかな分解がみられたが、これらの不活性化現象は精製系II標品ではみられなかった。さらにタンパク質分解に着目したところ、粗系II標品の分解は、金属型のプロテアーゼ阻害剤であるEDTAとセリン型のプロテアーゼ阻害剤であるPMSFにより抑制された。FCPが除去された精製系II標品ではこうした不活性化現象がみられなかったため、このことは不活性成分がFCPに結合していることを示唆している。

第2章では、単離したチラコイド膜を用いて粗系II標品でみられた系IIとFCPのタンパク質分解を担うプロテアーゼについて報告した。チラコイド膜を25 °C、暗所でインキュベートすると、系IIとFCPサブユニットのすみやかな分解がみられた。また、抗体を用いたウエスタン解析によって、系II反応中心サブユニットのD1/D2タンパク質のほとんどが9時間のうちに分解したこと、PSI反応中心サブユニットのPsaA/Bタンパク質が24時間かけて少しずつ分解したこと、シトクロムfが24時間後でもほとんど分解されないことが示された。これらの結果は、チラコイド膜にはFCPと系IIタンパク質を選択的に分解するプロテアーゼが結合していることを示唆している。カゼインタンパク質を含むゲル中でSDS-PAGEを行うzymographyによりプロテアーゼ活性の検出を試みた。チラコイド膜では、3種の金属型と1種のセリン型のプロテアーゼ活性が検出された。これらのプロテアーゼの局在を調べるために、色素タンパク質複合体の分画を試みた。まず、チラコイド膜をドデシルマルトシドで可溶化した後、ショ糖密度勾配遠心によって、2種のFCP画分と1種の光化学系画分を得た。zymographyにより4種の金属型と1種のセリン型のプロテアーゼ活性が2つのFCP画分から検出された。一方、チラコイド膜をドデシルマルトシドで可溶化した後、Clear-Native PAGEにより、系I、系II、および2種のFCP複合体を得た。このうち、1種の金属型のプロテアーゼ活性のみがFCP複合体から検出された。このことは、系IIやFCPのタンパク質分解を担う金属型とセリン型のプロテアーゼがFCPに結合していることを示唆している。

第3章では、生細胞を用いてin vivoでのタンパク質分解と新規タンパク質合成について報告した。通常の生育条件(30 μmol photons m(-2) s(-1))でタンパク質の分解はみられなかったが、タンパク質合成阻害剤クロラムフェニコールを添加したところ、顕著なタンパク質の分解と酸素発生活性の失活がみられた。これの分解や失活は暗所ではみられず、強光(300 μmol photons m(-2) s(-1))では著しく促進された。また、光の効果は系IIの電子伝達阻害剤DCMUによって抑制されたが、シトクロムb6f複合体を阻害するDBMIBによっては抑制されなかった。このことは、タンパク質分解がプラストキノン付近の酸化還元状態によって調節されていることを示唆している。この光依存タンパク質分解が生じた細胞をBlue-Native PAGE (BN-PAGE)に供し、色素タンパク質複合体の分画を試みた。その結果、系IIの二量体とFCP複合体が選択的に分解され、一方、系Iは緩やかに分解し、別のFCP複合体は分解されなかった。このことは、チラコイド膜で検出されたプロテアーゼが細胞内でも作用していることを示唆している。次に、放射性同位体(35)S-メチオニンを用いて新規タンパク質合成について調べた。弱光では、系IIのD1タンパク質の新規合成が主に検出された。さらに、二次元SDS-PAGEの銀染色による系IIの二量体の量が単量体に比べ多いにもかかわらず、放射性同位体の導入量は両者で変わらなかった。このことは、珪藻においても系IIのD1タンパク質の速い代謝回転が起きていることを示している。一方、系Iのタンパク質の合成は遅いが、系IIの他のタンパク質やFCPタンパク質の合成は比較的速いことが示された。この結果は珪藻固有であり、FCPにプロテアーゼが結合していることと関連があると考えられる。一方、暗所にも関わらず系IIの二量体の形成がみられた。これは、光依存タンパク質分解に備えるために、暗所での系II合成を行っていると考えられる。

本研究では、まず、系IIとFCPの分解がすみやかに進行し、その分解を担う金属型とセリン型のプロテアーゼがFCPに結合していることを示唆した。系IIとFCPの優先的なタンパク質分解と合成がin vivoの光合成装置の維持に重要な役割を果たしていることを示した。これらの結果から、珪藻の光合成装置の維持機構が植物やシアノバクテリアと似ているが、FCPとプロテアーゼが大きな役割を果たしている点で珪藻はユニークな光合成生物であると推論される。なお、電子伝達阻害剤のタンパク質分解への効果から、タンパク質分解がプラストキノン付近の酸化還元状態によって制御されていることが示唆された。珪藻は、過剰光散逸機構としてキサントフィルサイクルの存在は確認されているが、ステート遷移については確認されていない。C. gracilisのように沿岸付近で生育している珪藻には、波などにより生じる急激な光変動に耐えうる機構が必要となる。珪藻には、過剰光によるPSIIの過還元状態を検知すると、系IIとFCPを分解し、水分解反応を抑制する機構が備わっているのかもしれない。この特別な環境適応能力のおかげで、珪藻は様々な環境下で繁栄し、水域圏において優占種になりえたのかもしれない。

審査要旨 要旨を表示する

珪藻は海洋生態系において、主要な物質生産をする光合成生物であるが、これまでは、生態学的研究が主で、生化学や分子生物学の研究は非常に少ない。提出者は修士課程において、中心目珪藻C. gracilisを用いて、初めて酸素発生活性を保持した光化学系II標品(以下、粗系II粒子と略す)の単離に成功している。さらに、この標品を分析して、新たな表在性酸素発生因子を発見した。しかし、この粗系II粒子の酸素発生活性が非常に不安定であった。そのため、本研究では、粗系II粒子から安定な活性を保持する標品(以下、精製系II粒子と略す)を単離し、両標品の比較から、タンパク質分解が失活の主要要因であると推論した(第1章)。さらにそのタンパク質分解酵素の局在を推定し(第2章)、in vivoでの分解と合成に関する現象と比較した(第3章)。

第1章では、まず粗系II粒子を精製した。界面活性剤Triton X-100によってチラコイド膜を可溶化し、遠心分画して粗系II粒子を単離した。これを再度Triton X-100処理した後、陰イオン交換カラムクロマトグラフィーによって、精製系II粒子を得た。これは、粗系II粒子の約2.5倍の高い酸素発生活性を示し、酸素発生に必要な5種類の表在性タンパク質(PsbO, PsbQ', PsbV, Psb31, PsbU)を保持していた。一方、粗系II粒子に大量に含まれていたフコキサンチン・クロロフィルa/cタンパク質(FCP)は除かれていた。粗系II粒子を暗所でインキュベートすると、酸素発生活性の急速な失活、フコキサンチンやクロロフィルcなどの色素の消失、そして系IIタンパク質のすみやかな分解がみられた。一方、精製系II粒子ではこれらの急速な不活性化や消失、分解現象はみられなかった。粗系II粒子のタンパク質分解への阻害剤の効果を調べ、EDTA(金属型のプロテアーゼ阻害剤)とPMSF(セリン型のプロテアーゼ阻害剤)が強く抑制することを見いだした。以上の結果は、粗系II粒子の不安定化要因はTriton X-100処理による精製ステップで除去されたことを示唆しており、要因として少なくとも金属型とセリン型プロテアーゼが推定された。色素のブリーチや酸素発生活性の失活の直接原因は不明であるが、速く分解されるタンパク質にその原因があるかもしれない。

第2章では、系IIタンパク質を分解するプロテアーゼの同定を目指した。1章の粗系II粒子のプロテアーゼの検出が難しかったので、チラコイド膜を用いた。チラコイド膜を暗所でインキュベートし、系IIタンパク質とFCPアポタンパク質のすみやかな分解を確認した。また、特異抗体を用いたウエスタン解析によって、系II反応中心のD1/D2タンパク質が9時間のうちに分解し、系I反応中心のPsaA/Bタンパク質は24時間かけてゆっくり分解したが、シトクロムfがほとんど分解しなかった。このようなチラコイド膜における系IIやFCPのすみやかな分解は、粗系II粒子の分解とよく似ている。カゼインタンパク質を含むSDSゲル電気泳動で分離後、カゼインの分解によって、プロテアーゼ活性の検出を試みた(zymography)。さらにEDTAとPMSFによる阻害と組み合わせることで、チラコイド膜では、3種の金属型と1種のセリン型プロテアーゼ活性を検出した。これらのプロテアーゼの局在を調べるために、チラコイド膜をドデシルマルトシドで可溶化しショ糖密度勾配遠心によって分画した。そのFCP画分をzymography分析して、4種の金属型と1種のセリン型のプロテアーゼ活性を検出した。また、チラコイド膜をドデシルマルトシドで可溶化しネイティブ・ポリアクリルアミドゲル電気泳動法で分画した後、zymography分析して、FCP画分に1種の金属型のプロテアーゼ活性を検出した。これらの結果は、チラコイド膜に大量に含まれるFCPは系IIから遊離しやすい主要FCPと系IIに強く結合したFCPに分けられ、後者には数種のプロテアーゼが結合していることを示しており、そのプロテアーゼが系IIやFCPタンパク質の分解を引き起こすことを示唆している。また、このようなチラコイド膜のプロテアーゼは1章でみたFCPを結合した粗系II粒子のタンパク質分解と相関があるかもしれない。

第3章では、生細胞を用いてin vivoでのタンパク質分解と新規タンパク質合成を解析した。通常生育の弱光条件では酸素発生活性の失活やタンパク質分解は見られなかった。しかし、タンパク質合成阻害剤クロラムフェニコールを添加したところ、弱光下でも顕著なタンパク質の分解と酸素発生活性の失活がみられた。これらの分解や失活は暗所ではみられず、強光では著しく促進された。これはタンパク質の光傷害と修復過程を反映しており、他の植物と比べて非常に弱い光(30 μモル光子/m(-2) sec(-1))によって引き起こされる特徴がある。また、光の効果は系IIの電子伝達阻害剤DCMUによって抑制され、シトクロムb6f複合体を阻害するDBMIBによっては抑制されなかった。このことは、タンパク質分解がプラストキノンプール付近の酸化還元状態によって調節されている可能性を示唆している。このようなクロラムフェニコール添加の光依存失活過程の細胞タンパク質をブルーネイティブ・ポリアクリルアミドゲル電気泳動法で解析した。その結果、系IIの二量体は速やかに単量体に変換され、やがてFCPとともに選択的に分解された。一方、系Iは緩やかに分解し、別のFCPは分解されなかった。このことは、チラコイド膜で検出されたプロテアーゼが細胞内でも作用していることを示唆している。次に、放射性同位体35S-メチオニンを用いて新規タンパク質合成について調べ、弱光でも、系IIのD1タンパク質や他の系IIタンパク質やFCPの合成は比較的速いことが示された。これらの結果は珪藻固有であり、FCPにプロテアーゼが結合していることと関連があると考えられる。

以上、本研究では、珪藻の粗系II粒子の不安定要因を精製により除くとともにタンパク質分解が重要な原因であることを示し(1章)、チラコイド膜を用いて系IIやFCPの分解がすみやかに進行し、その分解を担う金属型とセリン型のプロテアーゼがFCP画分に結合していることを示唆した(2章)。生細胞を用いて、系IIとFCPの優先的なタンパク質分解と合成がin vivoの光合成装置の維持に重要な役割を果たしていることを示唆した。これらの結果は、従来まったく知られていなかった珪藻の光化学系IIの阻害や分解・修復に関して独自のアプローチで重要な知見を得たところに、その研究の意義を認められる。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク