学位論文要旨



No 128538
著者(漢字) 萩原,聖士
著者(英字)
著者(カナ) ハギハラ,セイシ
標題(和) 熱帯ウナギの降海回遊と産卵に関する生理生態学的研究
標題(洋)
報告番号 128538
報告番号 甲28538
学位授与日 2012.06.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3852号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 大竹,二雄
 東京大学 教授 金子,豊二
内容要旨 要旨を表示する

ウナギ属魚類 (以下,ウナギ) の研究は温帯ウナギを中心に進んできており,熱帯ウナギの研究は遅れている.系統的に古いとされる熱帯ウナギの研究は,ウナギという生物の本質的理解を大きく進める.本研究では熱帯ウナギのAnguilla celebesensisとA. marmorataを主な対象とし,生活史イベントの中でも重要な降海回遊と産卵に関する生理学的・生態学的基礎知見を集積することを目的とした.

1.分布と成長

2009年2,11,12月,2010年1,5,7,10月,インドネシア・スラウェシ島のポソ川下流,ポソ湖,ポソ湖流入河川,トミニ湾流入河川,トヲリ湾に流入するラ川で延縄,鰻筒,電気ショッカー,叉手網を用いて定着期のウナギ157個体を採集した (非回遊群).また,ポソ湖流出口では簗により104個体を採集した.これらは降海回遊を開始した個体とみなした (回遊群).形態学・分子遺伝学的形質により,A. celebesensis 99個体,A. marmorata 157個体,A. bicolor pacifica 4個体,A. interioris 1個体の4種・亜種に同定した.A. marmorataはポソ川下流 (94%),ポソ湖内 (93%),トミニ湾流入河川 (100%),ラ川 (92%) で優占した.一方A. celebesensisはポソ湖流入河川 (64%) に多く,ポソ湖内 (4%) ではわずかであり,他の場所では出現しなかった.耳石Sr/Ca比を調べたところ,A. celebesensisでは海ウナギが1個体のみ出現し,大多数は川ウナギであった.A. marmorataはポソ川下流で採集した17個体のうち9個体が河口ウナギ,6個体が海ウナギだった.これらの結果から,種により生息域の利用状況が異なると考えられた.

A. celebesensisの性比は著しく雌 (99%) に偏った.A. marmorataの性比も全体では雌 (73%) に偏ったが,場所別にみるとポソ湖,ポソ湖流入河川,ラ川では雌が95 ~ 100%と優占したのに対し,ポソ川下流とトミニ湾流入河川では雄がそれぞれ77,87%と優占した.これより,雌雄でも生息域の利用状況が異なると考えられた.

耳石の透明帯・不透明帯の周期性の解析から輪紋が年輪であることを確認した.A. celebesensisの雌 (333 - 1083 mm) は3 - 11歳,雄 (349 mm) は3歳,A. marmorataの雌 (182 - 1630 mm) は2 - 23歳,雄 (198 - 690 mm) は2 - 7歳だった.A. celebesensisの雌の成長率は98.9 ± 15.8 mm/年,雄は99.7 mm/年,A. marmorataの雌は95.0 ± 19.2 mm/年,雄は83.6 ± 12.4 mm/年だった.A. marmorataの雌雄の成長率を同年齢群ごとに比較すると,非回遊群の5,6,7歳で雌の成長率が有意に高かった.2種の成長率を比較すると回遊群の8歳でA. marmorataの成長率が有意に高かった.

2.降海回遊魚の生物学的特徴

回遊群の種組成は10 ~ 2月にはA. celebesensisが76 ~ 92%と大半を占めたが,5月と7月にはA. celebesensisは出現せず,A. marmorataがそれぞれ96,100%を占めた.種同定していない年間降海個体数のデータから種毎の降海時期を推定すると,A. celebesensisは11 ~ 2月に多く降海し,A. marmorataの降海は5月頃をピークとしてほぼ周年に亘ることがわかった.

降海全長・年齢は,A. celebesensisの雌では585 - 1083 (785.2 ± 114.9) mmで5 - 11 (7.5 ± 1.6) 歳であったのに対し,A. marmorataの雌は800 - 1630 (1132.2 ± 173.7) mmで7 - 23 (11.6 ± 3.3) 歳と,より大型高齢であった.

銀化の進行にしたがって銀化段階をY1,Y2,S1,S2に分類した.肥満度 (K),眼径指数 (EI),胸鰭長指数 (FI),生殖腺指数 (GSI),肝臓指数 (HSI),消化管指数 (DSI),鰾指数 (SSI),心臓指数 (CSI) を用いて主成分分析を行ったところ,A. celebesensisではY1とY2の間で劇的に形態・生理的変化が起こり,Y2以降は大きな変化は無いと判断されたが,A. marmorataではこの変化は銀化の進行に伴い緩やかに生じることが分かった.

回遊群と非回遊群の形態・生理的パラメータを比較したところ,2種とも降海に伴い眼径,胸鰭長,生殖腺,肝臓,鰾,心臓が増大し,消化管が退縮することが分かった.A. celebesensisの非回遊群はすべてY1で,回遊群にはY2 (58%),S1 (20%),S2 (22%) が出現した.A. marmorataでは非回遊群にY1 (67%) とY2 (33%),回遊群にはY2 (65%) とS1 (35%) が出現した.これらの結果から,降海に伴って銀化,視覚,浮力調節,循環機能など海洋回遊への機能的適応と産卵に向けた生殖腺の発達が平行して起こることが分かった.

3.成熟とホルモン動態

A. celebesensisの回遊群の最大卵群卵径 (392.2 ± 49.3 μm) はA. marmorataのそれ (229.8 ± 35.5 μm) に比べて大きかった.生殖腺の組織観察を行ったところA. celebesensisの回遊群では,油球期のものが3%,第一次卵黄球期が36%,第二次卵黄球期が61%と,大多数が卵黄形成期まで発達が進んでいたが,A. marmorataでは油球期が81%と大部分を占め,第一次卵黄形成期は19%であった.A. celebesensisの降海時の成熟度は,A. japonica,A. anguilla,A. rostrata,A. australisなどの温帯ウナギに比べても著しく高いことが分かった.

孕卵数はA. celebesensis (585 - 1083 mm) が1,881,600 - 11,465,400粒,A. marmorata (800 - 1630 mm) は10,060,120 - 57,711,360粒と推定され,A. marmorataの孕卵数は温帯ウナギに比べても著しく多いことが分かった.

脳下垂体での生殖腺刺激ホルモン (FSHβとLHβ) mRNAの発現量をReal-time PCR法により,性ステロイド (テストステロン: T,11-ケトテストステロン: 11-KT,エストラジオール17β: E2) 血中量を時間分解蛍光測定法により測定した.2種とも降海に伴いFSH とLHが上昇した.卵発達段階ごとに見ると,A. celebesensisではFSHは油球期から上昇し,LHは第一次卵黄球期になってはじめて上昇したのに対し,A. marmorataではFSHとLHは同調して油球期に上昇した.2種ともTと11-KTは降海に伴い上昇したが,E2はA. celebesensisでは上昇し,A. marmorataでは減少した.卵発達段階ごとに見ると,A. celebesensisでは11-KTは油球期から上昇して卵黄形成期にも高いレベルを維持し,E2は卵黄形成期において高いレベルだった.A. marmorataでは11-KTは第一次卵黄球期になって始めて上昇し,E2に有意な変化は無かった.これら降海と成熟に伴う生殖腺刺激ホルモンと性ステロイドの動態は,A. celebesensisでは温帯ウナギと概ね同様であったが,A. marmorataではLH,11-KT,E2の挙動が異なっていた.

4.産卵親魚の生物学的特徴

マリアナ諸島西方海域において2008年6月,2009年6月,2010年8月に中層トロールで採集したA. marmorataの雌2個体 (F-1,F-2),雄2個体 (M-1,M-2) の生物学的特徴を調べた.F-1は全長1223 mmで12歳,F-2は全長996 mmで13歳,M-1は全長623 mmで6歳,M-2は全長457 mmで6歳であった.mtDNA調節領域の塩基配列を調べたところ,4個体とも北太平洋集団の個体と99%以上相同であったことから,北太平洋集団の産卵親魚と判断された.これらは腹側まで黒化し,降海中の個体には見られなかったS2になっていたことから,海洋回遊中に銀化がさらに進行するものと考えられた.F-1の卵巣には排卵後濾胞が観察されたことから明らかに産卵後の個体と判断された.また,2個体とも河川で採集された個体の最大卵群卵径と生殖腺全長指数 (GW/TL3) の近似式から大きく外れたこともこれらが産卵経験個体であることを示唆した.さらにF-2の孕卵数 (残卵数) を推定したところ,わずか481,789粒であり,河川で採集された個体の全長と孕卵数の近似式から得られる推定総孕卵数 (16,889,501粒) との差より,既に卵巣卵の約97%を産卵した後である可能性がある.一方,最大卵群卵径はF-1が488.2 μm,F-2が699.8 μmで,2個体とも卵黄形成期の卵母細胞を持っており,且つ卵径の頻度分布が双峰型であったことから,今後も産卵を行うことが示唆された.LH,T,11-KT,E2,DHPの測定値は,河川内の平均値よりも1.1 ~ 6.2倍高く,次回の産卵に向けて卵発達途上の生理状態と推察された.

本研究ではこれまで全く報告のなかった熱帯ウナギの分布,成長,降海,成熟,産卵に関する知見を数多く集積した.これらの新知見はウナギ全体の理解を大きく進め,世界的に減少を続けるウナギ資源の保全に寄与する基礎情報となる.

審査要旨 要旨を表示する

ウナギ属魚類は熱帯に起源し,全19種・亜種のうち13種・亜種が熱帯域に分布している.ウナギの研究は温帯ウナギを中心に進んできており,熱帯ウナギの研究は遅れている.レプトセファルスの分布と成長,シラスウナギの加入に関しては知見があるが,生活史イベントの中でも重要な降海回遊や産卵に関する知見はほとんどない.本研究ではインドネシアにおいて同所的に分布するAnguilla celebesensisとオオウナギA. marmorataを主な対象とし,熱帯ウナギの降海回遊と産卵生態を明らかにすることを目的とした.

第1章の緒言に続く第2章では,熱帯ウナギの年齢と成長を明らかにした.ヤナを用いて降海回遊を開始したウナギを採集し,まず耳石に観察される輪紋構造が年輪であることを証明した.年齢査定の結果,熱帯ウナギは温帯ウナギに比べて成長が速いこと,A. celebesensisは全長585-1083 mm,5-11歳で,A. marmorataは全長800-1630 mm,7-23歳で降海回遊を開始することが明らかになった.

第3章では,降海回遊に伴う形態・生理的変化と,降海回遊の季節性について検討した.降海回遊を開始した個体と,定着期の個体の形態・生理パラメータを比較したところ,降海回遊に伴い眼径,胸鰭長,生殖腺,肝臓,鰾,心臓が増大し,逆に消化管は退縮することが分かった.すなわち降海回遊に同期して,海洋回遊への機能的適応と産卵に向けた生殖腺の発達が生じると考えられた.降りウナギの月ごとの種組成を調べた結果,10月,11月,12月,1月,2月にはA. celebesensisが大半を占めたが (それぞれ75.9%,86.4%,89.5%,88.0%,92.0%),5月と7月にはA. marmorataがそれぞれ96.0%と100%を占めた.種同定していない年間降海個体数のデータから種ごとの降海時期を推定すると,A. celebesensisは11 ~ 2月に多く降海し,A. marmorataの降海は5月頃をピークとしてほぼ周年に亘ると考えられた.

第4章では降海回遊時の成熟状態,孕卵数,生殖関連ホルモンについて調べた.A. celebesensisの降海回遊時の成熟度 (最大卵群卵: 392.2±49.3 μm,61%の個体が第二次卵黄球期) は属内で最も高いことが明らかになり,これは本種が局所的な小規模回遊を行うためと考えられた.孕卵数はA. celebesensis (30個体,585-1083 mm) が1,881,600-11,465,400粒,A. marmorata (24個体,800-1630 mm) が10,060,120-57,711,360粒と推定された.回遊と成熟に伴う生殖腺刺激ホルモン (FSH,LH) と性ステロイド (T,11-KT,E2) の動態は,A. celebesensisでは温帯ウナギと概ね同様であったが,A. marmorataではLH,11-KT,E2の挙動が異なっていた.

第5章では産卵海域で採集したA. marmorataの親魚,雌2個体 (F-1,F-2) と雄2個体 (M-1,M-2) の産卵集団帰属,基礎生物学的特徴,生理学的特徴を調べた.mtDNA調節領域の遺伝距離に基づいてクラスター解析をした結果,4個体とも北太平洋集団の産卵親魚と判断された.F-1は全長1223 mmで12歳,F-2は全長996 mmで13歳,M-1は全長623 mmで6歳,M-2は全長457 mmで6歳であった.F-1の卵巣には排卵後濾胞が観察されたことから明らかに産卵後の個体と判断された.一方で産卵経験個体と判断されたにもかかわらず,比較的発達の進んだ卵母細胞を多数有していたことから,本種は産卵期間中に複数回産卵を行うものと考えられた.T,11-KT,E2,LH,DHPの測定値は,河川内の平均値よりも1.1~6.2倍高いレベルにあり,次回の産卵に向けて卵発達が進んでいる生理状態にあると推察された.

以上,本研究では計6回の海外野外調査と多くの室内生理実験を行うことで,これまでほとんど報告のなかった熱帯ウナギの分布,成長,降海,成熟,産卵に関する知見を数多く集積し,熱帯ウナギの生理・生態を解明した.これらの知見は,ウナギ属魚類の理解を大きく進め,その資源を保全する上で新しい視点を提供するものである.よって本研究は,学術上・応用上価値が高いと判断され,審査委員一同は本論文が博士 (農学) の学位論文としてふさわしいものと認めた.

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