学位論文要旨



No 128539
著者(漢字) 佐藤,智子
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,トモコ
標題(和) ローカル・ガバナンスと社会教育の意義に関する研究 : コミュニティによるシティズンシップ学習に向けて
標題(洋)
報告番号 128539
報告番号 甲28539
学位授与日 2012.06.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第197号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牧野,篤
 東京大学 教授 根本,彰
 東京大学 教授 小玉,重夫
 東京大学 教授 大桃,敏行
 社会科学研究所 准教授 佐藤,香
内容要旨 要旨を表示する

現代のガバナンスにとって重要な要素の1つは、持続的に政治的・社会的主体形成がなされているという基盤だと考えられる。そこで本論文は、公民館で実施されている事業に着目しながら、このような政治的・社会的主体形成に対する社会教育政策の効果を実証的に示し、今後の社会教育制度の可能性と課題について論じることを目的に据えた。

本論文の課題を分節化すれば、社会教育政策がガバナンスのあり方を規定する側面、つまり、社会教育が地方自治の基盤を形成する1つの要素として有効に機能することを示すことが第1の課題である。第2の課題は、現代的ガバナンス下においてどのような社会教育政策が実現可能かつ有効なのかを検証し、ガバナンスの変容が次の社会教育政策のあり方を規定する側面、つまり、現代日本のガバナンス改革において政策のあり方が変化しつつある中で、社会教育政策の実態と課題が何なのかを明らかにすることを課題とする。前者の課題はローカル・ガバナンスの新たな基盤が形成されつつある側面に対して社会教育政策の成果を評価することであり、後者の課題は今後のローカル・ガバナンスを見据えながら社会教育政策の実態と課題を明らかにしてその方向性を示すことである。

具体的な本論文の構成および知見は、以下の通りである。

はじめに、政策・制度としての社会教育の目的と意義を検討した。詳細に言えば、先行研究を踏まえ、社会教育の公共的性質が、「権利としての社会教育」論によって説明され得るのかについての問題を検討した。まず、社会教育の意義を「権利」に基づいて説明することの限界を示し、そこから、社会教育の公共的性質を、統治主体として国家のみを想定する憲法論的な「権利」ではなく、この側面を含みながらも、多元的なアクターが統治に関与することを想定するガバナンス論と、市民的な「義務」と「責任」を含意する現代的な「シティズンシップ」の枠組みによって説明する有効性を提示した(第1章)。

続いて、以下の仮説を検証した。それは、社会教育政策によって推進され整備されてきた教育機会が、自治の担い手となる主体に求められる能力や資質を向上させてきた、という仮説である。ここでは、JGSS(日本版General Social Survey)のデータを用いた二次分析を実施し、人々の政治的関与や社会関係資本の向上が、学校教育のみならず、社会教育の成果でもあることを実証的に示した(第2章)。

次に、近年の具体的な地方自治体の動向を概観し、複数の自治体における社会教育施策・事業の変化の背景や実態、およびその要因を、調査に基づいて検討した。ここでは、参加型のコミュニティ・ガバナンス(あるいはローカル・ガバナンス)において、基礎自治体における教育行政組織の再編が、成人期の学習成果を活用するための仕組みを実現する可能性に言及した(第3章)。

さらに、シティズンシップの向上に資する総合的な地域教育を具体化するための要素や課題について、特に社会的な文脈における学習支援者の役割や機能、およびその養成に焦点を当てて検討した。そこから、学校と地域が連携することによって、コミュニティを基盤とした地域教育をどのように実現できるのか、そのために必要な社会的・制度的条件とは何かを考察した(第4章)。

続いて、地方自治体が、社会教育を再編する手段を用いながら参加型ガバナンスを支える総合的な地域教育を実現しようとする際、そのための組織をどのように構造化・ネットワーク化しうるのかについて検討した。特に、学齢期の子どもを中心とする青少年を対象とした行政サービスを取り上げ、行政組織改革を通して組織的な連携や協働をどのように具体化し得るのかについて検討している(第5章)。

最後に、終章では、本研究で得られた知見を次の2点に総括した。

第1に、社会教育がシティズンシップの実践として重要だという点である。地方自治体はますます自立的・自律的に政策形成と政策実施を進めていかなければならないという課題を抱えている。その中で、各自治体が、多様な選択肢の中から、自らにとっての最適解を選択し決定していくためには、これまで以上に民主的な手続きを意識することを要請されている。その民主的な手続きは、首長を選挙で選び、その首長の決断に委ねるというような間接民主主義的手続きのみによって担保できると考えるのではなく、政策アジェンダごとに、できる限り多くの住民が協議に参加できるような方策を模索しながら、熟議を通した学習を推進していくことが有効だと考えられている。このような学習過程を支援し、またそのような学習過程そのものを「社会教育」として保障することが、今後の社会教育制度に大きく期待される1つの側面である。

第2に、社会教育はシティズンシップの育成のために重要だという点である。上記のような協議に必要とされるシティズンシップの知識とスキルを、学校教育のみならず、社会教育を通して向上させていくことが求められる。ここでの学習は、新しい能力観と新しい学習観に基づいて理解される必要がある。学校教育は主に系統主義的な教育の機会を提供しているが、シティズンシップのための学習においては、構成主義的な学習観に基づく経験主義的な教育との組み合わせが有効だと考えられる。そこで、学校教育と社会教育がそれぞれ得意とする学習支援を行いながら、相互に連携・協力することによって、効果的なシティズンシップ教育を実施することができる。

続いて、本研究から得られた理論的・政策的含意を以下3点に示した。

第1に、公教育のガバナンスにおける理念の問題である。ガバナンスが有効に機能するためには、ガバナンスを構成するアクターの間で共有される理念が重要となる。本論文では、それを現代的な意味における「シティズンシップ」において説明した。現代の政治的・社会的・文化的条件の変容に伴って、私たちに必要とされる能力の在り方、そしてその能力を向上させるための学習の在り方も変わってきた。その中で、制度的・法的な権利付与としてのシティズンシップの側面だけではなく、生涯を通した学習による感覚的・実践的なシティズンシップの獲得が重視されるようになってきている。そのような現代において、学校教育だけでは限界があることも顕かとなっており、社会教育に期待されるべき新たな役割、可能性を見出すことができる。

第2に、公教育のガバナンスにおける構造的・組織的な問題である。本研究を通して主題とした現代的な「公共」の理念や「ガバナンス」の枠組みは、社会教育においても、施設・組織の設置主体や活動・事業の実施主体によって公私を区分することの有効性を失わせる結果となっている。そして、社会教育が推進すべき「学習」が、自治体運営全体への効果を持つことに期待が集まってきている。その中で、社会教育行政組織が複雑に再編されていくことは、積極的に評価すべきであると考える。しかし、それでもなお、「教育」の理念を問い続けることは重要である。なぜならば「教育」とは、シティズンシップをその目標に据える限りにおいて、未だ十分な「市民」とはなっていない人を、自律した「市民」へと誘う途上の営為として理解できるからである。

第3に、公教育ガバナンスの機能的な側面から、学習支援者の社会的認証の問題を指摘できる。社会的場面における学習支援として、ボランティア活動に期待する傾向があるのも1つの事実である。しかし、社会の中で学習が有効に機能し、人々の豊かな生活の実現と社会福利の向上につなげていくためには、学習支援者が相応の知識とスキルを必要とすることもまた事実である。人々の学習ニーズを汲み取り、強制することなく学習のための組織化を図り、コミュニケーションを促進させ、創造的、変革的な行動につなげていくための高度な能力を持つ学習支援者に対しては、それに相当する社会的認証を与えることが望まれる。また、そのような高度な能力を習得するための一連のカリキュラム等を社会に開放し、生涯のいつでも、学習支援者としての高度化のための学習機会にアクセスできるようにすることが必要である。

最後に、今後の研究課題としては、次の3点を指摘した。

第1に、本論文では、社会教育を限定的な範囲でしか取り上げることができなかった。今後も継続的に、社会教育の社会的実態や社会的成果について、複合的な視角、多様な手法によって、多角的に検証しなくてはならない。

第2に、本論文では、「社会教育」における「教育」と「学習」を概念としては区別しながらも、具体的な事象としては明確に区別した検討ができなかった。それを行うためには、社会教育を、制度の側面から分析するのみならず、1つの学習形態として教育学的に分析することが必要となる。学校教育と社会教育を含めた教育制度設計と教育政策過程の方向性は、その中でどのような携帯、どのような方法による学習を支援し、どのような教育的成果を期待するのか、そしてそれをどのような視角から評価するのかを論じる中で決定していくことが求められる。

第3に、形式的な意味における社会教育制度は、現代的な意味での「公共」を実現していくべきこれからの時代に向けて、抜本的に見直されるべきである。現行の社会教育制度を、現代的な「参加型ガバナンス」にとって適合的なものに変革していくことが求められる中で、国政への注目だけではなく、地方政治の政治過程、政策過程に注目することが益々重要となる。地方の政治的・社会的状況に関する情報収集は、今後ますます、共同研究の重要性を高めると考えられる。また、変革の指針を示すための基盤となるエビデンスを蓄積し、またそれに資する理論化を図っていくことも、研究に期待される大きな役割だと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

近代国民国家形成の過程で、学校制度との関わりで政策化され、国民(住民)の権利として保障されてきた社会教育が、終焉論の出現など、否定的状況に陥っている。その背景には、日本社会の構造的な変化、つまり権利保障をめぐる法的枠組みにおいて、公-私の二分論で語られる構造から、国民が自立を促されて、住民として自治体行政により直接的に参画する構造へと転回したことが存在している。ここでは、自治の担い手である住民の育成は、基礎自治体の統治のあり方を問うものとなる。本論文の目的は、この担い手の育成にとって、社会教育が重要な役割を果たし得、それが住民によるシティズンシップの学習と深く結びついていることを示して、政策としての社会教育のあり方を検討することにある。

本論文の概要は以下の通りである。序章では、社会教育を国家の枠内で権利概念で説明することが、その公共性を担保し得なくなっていることが指摘される。この議論を受けて、第1章では、国家が後景に退く中、多元的なアクターの関与を想定するガバナンス論と市民的な義務と責任を果たすシティズンシップ論の枠組みで社会教育を説明することの必要性と有効性が示される。第2章では、社会教育施策によって整備された教育機会が住民の資質や能力の向上に貢献してきたことを統計的に検証し、人々の政治的関心や社会参加の向上は、学校教育だけでなく、社会教育の成果でもあることが指摘される。第3章では、最近の基礎自治体における社会教育の動向を整理し、教育行政組織の再編が住民の学習成果を活用する仕組みを作り出し、参加型のガバナンスを形成し得ることが説かれる。第4章では、シティズンシップの獲得に資する学習支援者の役割や機能とその養成について事例が検討され、学校と地域の連携による教育実践の条件が分析される。第5章では、基礎自治体における青少年行政を例として、社会教育の再編による参加型ガバナンスの実現に向けて、行政組織がいかに自己改革することが必要なのかが検討される。そして、終章では、社会教育がシティズンシップ教育の実践として、またシティズンシップの育成にとって重要であることが導かれる。

以上の検討から、次の結論が導かれる。第一に、シティズンシップは制度的・法的な権利付与としてのそれから生涯にわたる学習によって獲得されるそれへと移行すべきであり、学校教育のみでは限界があること。第二に、多様なアクターの参画によって教育行政が複雑に再編されており、それは公私二分論ではない共的な領域として市民を育成する社会教育を生成するものであること。第三に、学習支援者に社会的認証を与えるためにも、その育成を担う社会教育が重視される必要のあること。

本論文は、従来の国民国家における権利保障としての社会教育とシティズンシップから、住民自らが作り出し、獲得するものとしての社会教育とシティズンシップへの転換を示唆するものであり、独創的で学術的かつ実践的価値の高いものであるといえる。よって、本論文は博士(教育学)の学位を授与するにふさわしい水準にあるものと判断された。

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