学位論文要旨



No 128546
著者(漢字) 宮戸,秀世
著者(英字)
著者(カナ) ミヤト,ヒデヨ
標題(和) 胃癌の進展における交感神経消失の意義
標題(洋)
報告番号 128546
報告番号 甲28546
学位授与日 2012.06.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3999号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,伸一
 東京大学 教授 黒川,峰夫
 東京大学 准教授 野村,幸世
 東京大学 准教授 宇於崎,宏
 東京大学 講師 須並,英二
内容要旨 要旨を表示する

序文(第一章)

「胃癌は良性潰瘍と比べ痛みを伴わない事が多い。」この事実から、がん組織においては、ある種の知覚異常が存在する事が疑われる。病理学的に「悪性腫瘍内には神経組織が乏しい」という事実が50年ほど前に既に確認され、現在でも定説として受け入れられている。

6-Hydroxydopamineの投与により交感神経を破壊したマウスでは、メラノーマ細胞株の皮下腫瘍の発育が促進され、そのメカニズムとして交感神経の主要な神経伝達物質であるドーパミンが血管内皮に作用し、VEGFによる血管新生を抑制している機序が想定されており、神経系が癌の進展に影響を与えていることが示唆される。一方、ヒトがんの大腸癌組織周囲の様々な種類の神経線維の密度を測定してみると、進行度が上がるのに従い大腸癌周囲の神経が消失する現象が確認されている。ただし、癌の進展に対する神経系の影響やがん組織内の神経消失のメカニズムについては、未知な部分が多い。

近年、個体の発生過程において、組織内への神経の伸長をコントロールする物質として、ephrin、semaphorin、slit、netrinなどの軸索ガイダンス分子が同定された。この中で、Semaphorinの主な機能は軸索の反発・軸索伸長の抑制であり、神経回路の形成に重要な役割を果たしている。現在までに、20種以上のsemaphorinが同定され、class3 semaphorin(sema3A~3G)は分泌型semaphorinであり、この受容体としてneuropilin-1(Nrp-1)とneuropilin-2(Nrp-2)が存在する。Nrp-1にはsema3A、3B、3C、3Dが結合し、Nrp-2には、sema3B、3C、3D、3F、3Gが結合する。ヒト癌組織や癌細胞株においてもこれらの軸索ガイダンス分子の発現が認められている。In vitroの実験にて、マウスの癌細胞株は、神経軸索の伸長を抑制する物質を分泌しており、これにclass3 semaphorin分子が部分的に関与している可能性が示されている。これらの事実を踏まえると、癌組織由来の軸索ガイダンス分子がヒトがんにおける神経消失現象にも深く関与している可能性があることが推測される。

本研究では胃癌組織内での交感神経の分布状態を同定し、臨床病理学的因子との関連から詳細に検討することにより、交感神経系が胃癌の進展にどのように関わっているかを解析した(第一章)。

実験方法及び結果(第一章)

1999年より2002年までに大腸肛門外科にて胃切除術を施行した胃癌の患者のうち、粘膜下層以深の症例82例を対象に正常な胃の組織および胃癌組織内の交感神経の分布状態を調査し、臨床病理学的因子との関連性についてレトロスペクテイブに検討を行った。

交感神経分布の評価

Tyrosine hydroxylase(TH)は交感神経線維末端にてカテコラミンを合成するための酵素であり、交感神経特異的マーカーである。これに対する免疫染色を行なった。細動脈周囲の交感神経の減少の程度を定量化するために、腫瘍の中心部を含む切片における腫瘍部分全体にてランダムに5つの細動脈を選び、各細動脈の周囲の交感神経の有無を調査した。全体の細動脈数中の交感神経陽性動脈数の比率を計算した。

(1)胃の正常組織と胃癌組織における交感神経の分布状態

交感神経は、胃の正常部分の粘膜下層の細動脈周囲に全周にわたり恒常的に存在していた。これに対し、胃癌組織内の細動脈周囲においては、交感神経が明らかに減少していた。ただし、交感神経が残存している腫瘍もあれば、交感神経が完全に消失している腫瘍も存在した。

(2)胃癌における臨床病理学的因子と交感神経の消失の関連性

交感神経陽性率は、腫瘍の深達度、リンパ節転移が進むにつれて徐々に低下した(深達度: P<0.0001, リンパ節転移: P<0.0001)。

(3)交感神経の消失と腫瘍内血管密度(MVD)との関連性

CD34に対する免疫染色を行い、MVDを測定した。82症例の胃癌における、腫瘍内の交感神経の陽性率を計算すると、平均0.47であり、この値より陽性率の高いものを腫瘍内において交感神経が温存されている症例、この値より陽性率の低いものを消失している症例として、2群に分けて比較を行った。MVDは、交感神経が消失している群において有意に増していた(p=0.0043)。

(4)交感神経の消失と予後との関連

原病死による術後生存率(cause specific survival)との関連を調査したところ、交感神経が消失している群で予後が不良であるという結果であった(p<0.0001)。臨床病理学的因子と生存率との関連性を検討したところ、単変量解析において、神経の消失と共に、リンパ管侵襲、静脈侵襲、リンパ節転移、腫瘍の深達度と有意な相関がみられた。多変量解析にて検討したところ、交感神経の消失のみが、独立した予 後因子であった(ハザード比5.7、p=0.0033)。

考察(第一章)

今回の研究から、交感神経は胃癌の進展に対して抑制的な機能を有している可能性が想定される。交感神経は、細動脈の血管収縮の中心的な役割を果たしていることから、細動脈周囲の交感神経の消失は、腫瘍の血流を相対的に増加させていることは予想できる。また、腫瘍内血管密度との相関性からは、交感神経の減少は腫瘍の血管新生に促進的に働いている可能性も推測される。この機序として、ドーパミンによる血管内皮細胞への血管新生の抑制が関与している可能性が考えられた。

序文(第二章)

第一章にて示した胃癌における交感神経の分布パターンは、腫瘍組織が消化管の神経線維を消失させる因子を産生していることを強く示唆している。近年、4種類の軸索ガイダンス分子群が同定された。これらの中で、腫瘍細胞の培養液中のsemaphorinが神経軸索の伸長を阻害すること、semaphorinとその受容体が胃癌細胞にて過剰発現していることなどが報告されている。したがって、semaphorinが交感神経の消失と密接に関与しており、血管新生を介して胃癌の進展を誘導していることが推測される。

Semaphorin分子群の中では、Class3 semaphorins (sema3A,3B,3C,3F) が交感神経の伸長を抑制する物質として知られているが、sema3A、3B、3Fは一般に腫瘍の進展を抑制する方向に働いていると考えられている。これに対して、sema3C は、腫瘍細胞の浸潤・接着能を高めると共に、血管内皮細胞で発現し、血管内皮細胞の増殖や運動・接着能を高めることなどが報告されている。さらに、クローン病においては、sema3Cが強く発現すると同時に粘膜下の細動脈周囲の交感神経が消失しているが、両者の間に強い相関を認めている。以上の事実から、培養胃癌細胞を用いて、sema3Cが胃癌の進展に対してどのような影響を与えるかを検討した。

実験方法及び結果(第二章)

(1)胃癌におけるmRNAレベルでのSema3Cの発現

7種類の胃癌細胞株よりTotal RNAを抽出、cDNAを作製し、Sema3Cの発現をreal time PCRにより測定した。ほとんどの胃癌細胞株においてヒト血管内皮細胞(HUVEC)よりも強い発現を示していた。

(2)ヒト胃癌におけるsema3C蛋白の発現

胃癌患者の胃の切除標本にてsema3Cの発現を免疫染色により調査した。腫瘍周囲の正常粘膜でも発現が認められ、特に腺底部の主細胞が強く染色された。腫瘍部分においては、主に浸潤部、潰瘍部、リンパ管侵襲部にて強い発現を認めた。Nrp-2の発現を免疫染色により検討したところ、腫瘍周囲の血管内皮細胞にてNrp-2の発現を認めた。これによりsema3Cは血管内皮に作用して、腫瘍血管新生に影響を与えている可能性が考えられた。

(3)sema3Cの発現と腫瘍内交感神経陽性率との関係

腫瘍の先進部でのsema3Cの発現が強い群と弱い群に分類し、腫瘍内細動脈周囲交感神経の消失率との相関を検討したところ、sema3Cの発現の強い腫瘍で交感神経の消失が多い傾向は認めたが、有意な相関性には到らなかった(p=0.45)。

(4) Sema3Cの発現が胃腫瘍の発育に与える影響(in vivo)

Sema3Cに対するmi-RNAを発現するベクターあるいはコントロールのmi-RNAを発現するベクターをAZ-521胃癌細胞株に遺伝子導入し、blastcidinを用いて安定形質発現株の選択を行った。

Sema3Cの発現を抑制した細胞株とコントロールの細胞株をヌードマウスの胃壁に植えた後、8週間後に腫瘍の発育を比較した。Sema3Cの発現を抑制した細胞株の腫瘍の増殖は有意に抑制された(p=0.0015)。

(5) Sema3Cの発現が胃腫瘍の発育に与える影響(in vitro)

sema3Cの発現を抑制した細胞株とコントロールの細胞株で培養開始後5日目まで24 時間ごとに増殖実験(MTS assay)を行ったところ、増殖能に関しては両群に有意な差は認めなかった。

(6) Sema3Cの発現が血管新生に与える影響

マウス胃の標本を抗CD31抗体にて血管内皮の免疫染色を行ない、コントロールの細胞株とsema3Cの発現を抑制した細胞株の間で腫瘍内微小血管密度(MVD)を比較したところ、コントロールの細胞株の腫瘍にて有意にMVDが高いという結果であった(p=0.0054)。

考察(第二章)

これまでの報告において、sema3Cは乳癌細胞や前立腺癌細胞で腫瘍細胞の浸潤能や接着能を亢進させる働きがあることが示されている。本研究におけるsema3Cの発現形態はこれらの事実と合致し、胃癌においても浸潤・転移を促進する作用を有していることが推測された。sema3Cの発現を抑制しても、MTS assayにて腫瘍細胞の増殖能は変化しなかったものの、sema3Cの発現を抑制した胃腫瘍のMVDがコントロールと比較して減少していることから、血管内皮細胞に作用して血管新生を促進することにより胃癌の発育、転移を促進していると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、ヒト胃癌組織内での交感神経線維に注目し、胃癌の発生から進展に至る過程での交感神経組織の変化とその機序、および病態との関係を解明するため、ヒトの病理組織標本にて胃癌の進展とともに交感神経の分布状態がどのように変化するのか、および腫瘍内微小血管密度を含めた臨床病理学的因子との関連性(第一章)、交感神経の伸長を抑制する物質であるsemaphorin3Cに着目し、sema3Cが腫瘍の進展に与える影響および胃癌組織内での交感神経消失との関連性(第二章)についての解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

第一章

1. 正常な胃壁においては細動脈の周囲に交感神経が恒常的に存在しているのに対し、胃癌組織内においては著明に神経が減少していることが示された。

2. 胃癌組織内における交感神経の消失の程度は腫瘍の深達度、リンパ節転移、リンパ管侵襲、静脈侵襲、CEA値に加え、腫瘍内血管密度と有意に相関していることが示された。

3. 胃癌組織内において交感神経が消失している症例は、保たれている症例と比較して有意に予後不良であり、交感神経の消失の有無は多変量解析にて独立した予後規定因子であることが示された。

4. 腫瘍内の交感神経の消失は血管新生を介して腫瘍の進展に影響を与えている可能性が示唆された。

第二章

1. ヒト胃癌細胞は軸索ガイダンス分子sema3Cを有意に発現していることが示された。

2. 胃癌におけるsema3Cの発現と交感神経の消失率には有意な相関は認められなかったが、発現の強いもので消失率が高い傾向があったことが示された。

3. 胃癌細胞AZ-521にてsema3Cをノックダウンすると、In vivoでの腫瘍の成長が抑制され、腫瘍内の血管密度が減少していたことより、胃癌細胞由来のsema3Cは血管新生を誘導し、胃癌の成長に寄与していることが示された。

以上、本論文は胃癌組織内の交感神経の消失は、血管新生と相関し胃癌の悪性度を強く反映していること、胃癌細胞由来のsema3Cは血管新生を誘導し、胃癌の成長に寄与しているが、胃癌における交感神経の消失との明らかな関連性は認めないことを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった腫瘍における神経支配・神経消失のメカニズム・神経が腫瘍の進展に与える影響の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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