学位論文要旨



No 128554
著者(漢字) 西田,知恵美
著者(英字)
著者(カナ) ニシダ,チエミ
標題(和) 生体内造血機構におけるMT1-MMPの機能解析
標題(洋)
報告番号 128554
報告番号 甲28554
学位授与日 2012.06.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第811号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中内,啓光
 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 教授 渡邉,俊樹
 東京大学 准教授 高橋,聡
 東京大学 准教授 秋山,泰身
内容要旨 要旨を表示する

【背景と目的】

マトリックスメタロプロテアーゼ (MMP)活性は、骨髄中の組織幹細胞および前駆細胞の末梢血中への細胞動員や、抗癌剤あるいは放射線照射後の造血組織再生において、その重要性が示唆されている。これまでの研究から、MMPは生体内で潜在酵素Pro-MMPから血液線維素溶解系 (線溶系)因子プラスミンによって活性化されることが報告されると共に、服部らは生体内線溶系の亢進がMMP-9、MMP-2の活性化及び造血因子Kit-ligand (KitL)の膜型から可溶型への変換 (プロセシング)を介して骨随組織再生を促進することを報告した。さらに、生体内の血管新生過程において血管内皮等に発現が増強することが知られる膜型MMP (MT1-MMP)が、各種MMPの活性制御因子として機能していることが示唆されている。現在までにMMP-2、MMP-3、MMP-7、MMP-9、MMP-12等、多くの各種可溶型MMPの遺伝子欠損マウスが作製、解析されている。これらのマウスは発生や生殖機能にはほとんど変化が見られない。一方、Holmbeckらにより作製されたMT1-MMP遺伝子欠損 (MT1-MMP‐/‐)マウスは頭蓋骨異形成症、関節炎、骨減少症、軟組織の線維化などの症状を呈し、離乳前までに33%、生後3か月以内にほぼすべてのマウスが致死となることが報告されている。

造血幹細胞は成体骨髄内において骨内膜表面の骨芽細胞性ニッチと類洞血管領域の血管性ニッチでその細胞周期に応じて維持されているとの仮説が提唱されている。骨芽細胞性ニッチでは造血幹細胞は静止期に留まることでその未熟性を維持し、自己複製に寄与しており、血管性ニッチでは幹細胞の細胞周期移行の開始を経て、造血系細胞への増殖や分化、末梢組織への細胞動員に関与するとの見方がある。また近年、生体内の造血幹細胞の量は骨組織によって構成されるニッチの量により規定されているとの仮説が提示された。MT1-MMP‐/‐マウスでは骨組織の形成不全が報告されていることから、骨髄内の微小環境の異常により、何らかの造血機能障害を呈している可能性が示唆された。そこで本研究では、MT1-MMP‐/‐マウスの解析を通じて、MT1-MMPの生体内造血における機能の解明、各種プロテアーゼ活性と造血系細胞の分化成熟機構との相互作用の詳細を明らかにすることを目的とした。

【結果と考察】

東京大学医科学研究所の清木教授の研究室で作製されたMT1-MMP‐/‐マウスは、先に報告されているマウスと同様に著しい骨化障害、血管新生障害を呈し、生後2週間ほどで致死となる。そこで、本研究では生後2週齢のマウスを用いた。MT1-MMP‐/‐マウスの末梢血中の細胞数を調べたところ、白血球、赤血球数、血小板の血球三系統における有意な減少が確認された。また、骨髄細胞について造血系細胞の分化状況を解析したところ、野生型と比較してMT1-MMP‐/‐マウスにおいて血球三系統に分化後の造血前駆細胞数では有意に減少していたのに対し、造血幹細胞レベルの未熟な細胞は顕著な差は見られなかった。つまりMT1-MMP‐/‐マウスの骨髄では、三系統にコミットする以前の未熟な細胞の段階で、何らかの細胞分化成熟障害が起きていることを示唆された。

そこでより詳細にMT1-MMP‐/‐マウスの末梢血におけるB細胞、T細胞の分化状況について解析したところ、野生型と比較してMT1-MMP‐/‐マウスでは成熟細胞分画が著しく減少しおり、細胞分化成熟障害が明らかとなった。B細胞の最終分化については末梢リンパ組織の関与が必要となることから、MT1-MMP‐/‐マウスの脾臓を精査したところ、脾臓自体の重量、細胞数の著しい減少を認めたほか、その細胞構成を解析したところ、pro-B細胞分画の細胞の割合が、野生型と比較してMT1-MMP‐/‐マウスにおいて相対的に増加する傾向にあることが確認された。同様にT細胞の最終分化に携わる胸腺を精査したところ、胸腺組織の萎縮、細胞数の減少を認めたほか、MT1-MMP‐/‐マウスではCD4およびCD8共陽性分画が減少していること、またCD4、CD8単陽性分画がともに増加していた。このことは、MT1-MMPの欠損が末梢組織への細胞の移動においても何らかの障害が生じている可能性を示唆している。

造血細胞の分化増殖は造血幹細胞とニッチとの相互作用により維持されている。そこでMT1-MMP‐/‐マウスにおける造血不全は造血幹細胞側におけるMT1-MMP欠損に起因するものであるか、またはニッチ側に起因するものであるのかを精査した。野生型マウスへのMT1-MMP‐/‐マウスの骨髄細胞移植では細胞は正常に生着し分化増殖については野生型マウスの骨髄細胞を移植した群と差は見られなかった。またin vitroでの共培養系によりニッチ側のMT1-MMPを欠損させ正常骨髄細胞を培養すると、分化、増殖が有意に抑制された。このことからニッチにおけるMT1-MMPの発現が造血幹細胞の分化、成熟に重要であることが示唆された。

ストローマ細胞から分泌される液性因子もニッチの重要な構成要素であり、造血幹細胞の未分化性の維持や自己複製、各種造血細胞への分化を制御している。そこで、ストローマ細胞から産生される造血因子であり造血細胞の分化成熟に関与するKit ligand (KitL)、造血細胞の分化成熟及び動員の制御因子であり、B細胞の分化にも関与するstromal-cell derived factor-1 (SDF-1)、さらにT細胞やB細胞の初期分化に関与するInterleukin-7 (IL-7)の血中濃度について解析したところ、いずれもMT1-MMP‐/‐マウスで有意に減少していることが明らかとなった。これらは遺伝子の転写レベル及びタンパク質への翻訳レベルで調節されると考えられているおり、Heissigらにより骨髄内においてKitLの産生はMMP-9などにより制御されていることや、SDF-1は各種MMPにより分解されることが報告されている。一方で、IL-7についてはMMPによる分泌調節機構は報告されておらず、遺伝子発現レベルでの調節機構の存在が示唆されたため、マウス骨髄細胞における各種造血因子の遺伝子発現について解析したところ、いずれもMT1-MMP‐/‐マウスにおいてその発現が減少していることが明らかとなった。

2009年にMT1-MMPは自身のタンパク分解活性とは独立して、その細胞内領域で低酸素誘導因子 (HIF-1)活性阻害物質FIH-1 (factor inhibiting HIF-1)と結合しており、MT1-MMP欠損マクロファージにおいてはFIH-1が細胞内に遊離することによりHIF-1活性が抑制され、これによりHIF-1の下流に存在する糖代謝系の発現が抑制されることでマクロファージの活性が低下することが報告された。KitL、SDF-1、IL-7は低酸素応答性配列を有しており、HIF-1によりその発現が制御されている。MT1-MMP‐/‐マウスにおいて造血因子の発現異常が引き起こされるメカニズムを解明するため、ストローマ細胞株MS-5を用いてMT1-MMP遺伝子発現抑制を行ったところ、KitL、SDF-1、IL-7いずれも遺伝子発現およびタンパク産生量が減少した。また、MT1-MMP遺伝子発現抑制を行ったMS-5細胞 (MT1-MMPKD MS-5)の細胞質および膜分画のタンパク質を調整し、それぞれにおけるFIH-1局在を解析したところ、MT1-MMP KD MS-5ではFIH-1は細胞内に多く局在することが明らかとなった。さらに、MT1-MMPおよびFIH-1遺伝子を同時に発現抑制したところ、KitL、SDF-1、IL-7のいずれもMT1-MMP単独の発現抑制群に比較して有意にその遺伝子発現が回復し、MT1-MMP-/-マウスの造血細胞分化障害は、ニッチにおけるMT1-MMP欠損による造血因子の発現低下に起因する可能性が示唆された。さらに、KitLまたはSDF-1をマウスに投与した結果、これらを投与したマウスでは末梢血における白血球数、血小板数が有意に増加すること、またその数が野生型と同じレベルまで回復することが明らかとなり、造血細胞におけるMT1-MMPの発現は分化・増殖には重要ではなく、ニッチにおけるMT1-MMPの発現が各種造血因子の産生・分泌に必須である可能性が示唆された。

以上より、本研究で、MT1-MMP‐/‐マウスは造血因子およびケモカインの発現異常により造血細胞の分化増殖が抑制されていること、またMT1-MMP欠損による造血因子やケモカイン遺伝子発現異常は、FIH-1が細胞内へ遊離する結果HIF-1活性が阻害されることに起因していることが明らかとなった。さらに、MT1-MMPは骨髄中の造血系細胞の分化成熟、また他種MMPの活性制御との関連から、骨髄由来細胞の末梢組織への移動に関与する因子であることが示唆された。本研究はMT1-MMPの骨髄造血、細胞分化及び細胞動員制御因子としての重要性を示唆したものであり、これにより生体内造血機構の新たな一面が明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

金属要求性蛋白分解酵素の一群である可溶型マトリックスメタロプロテイナーゼ(MMP)、中でもMMP-9は組織幹細胞の分化増殖また末梢組織の再生に重要な役割を担っている。さらにMMPの活性化が骨髄中のKit-ligand(stem cell factor)の細胞外ドメイン分泌(プロセシング)を誘導し、骨髄組織幹細胞及びその前駆細胞の分化増殖あるいはその再生を促進することが明らかとなっている。MMPは生体内で潜在酵素Pro-MMPから血液線維素溶解系因子プラスミンや他のMMPにより段階的かつ相補的に活性化されることが報告されている。特に、血管新生過程において血管内皮などに発現が増強することが知られる膜型MMP であるMMP-14(MT1-MMP)は、MMP-2やMMP-9等、他の各種MMPの活性制御因子として、MMP活性化カスケードの上位から機能していることが示唆されている。現在までに、多くの可溶型MMP遺伝子欠損マウスが作製、解析されているが、これらのマウスの発現型では胎生致死あるいは明らかな発育障害、臓器障害を有するものは比較的少ない。一方、MT1-MMP遺伝子欠損(MT1-MMP-/-)マウスの生体内においては骨髄組織での未分化細胞の相対的増加、及び末梢組織での成熟細胞の相対的減少が明らかとなっている。他の研究グループからMT1-MMP-/-マウスでは骨組織の形成不全が報告されていることから、骨髄内の微小環境の異常により、造血機能障害を呈している可能性が示唆された。本論文では、MT1-MMPの生体内造血における機能の解明、各種プロテアーゼ活性と造血系細胞の分化成熟機構との相互作用の詳細を明らかにすることを目的として研究が行われた。

本論文は2章からなり、第1章はMT1-MMP遺伝子欠損マウスにおける造血不全について、また第2章はMT1-MMP欠損に起因する各種造血因子発現低下メカニズムに関して述べられている。

第1章ではMT1-MMP-/-マウスの造血について解析している。MT1-MMP-/-マウスは野生型と比較して、血球三系統や骨髄中の造血前駆細胞が有意に減少していたのに対し、造血幹細胞の頻度には差は見られなかった。またMT1-MMP-/-マウスでは各種造血因子の分泌および発現が減少していることが明らかにされたことから、骨髄において造血細胞の分化障害が示唆された。

第2章ではMT1-MMPが低酸素応答性因子HIF-1の活性阻害物質であるFIH-1(factor inhibiting HIF-1)を介して造血因子調節を行うメカニズムについて解析されている。造血因子の主な供給細胞であるストローマ細胞株を精査したところ、MT1-MMP欠損株では細胞内に遊離するFIH-1が増加すること、またこれに伴って各種造血因子遺伝子発現量が低下することが明らかにされた。さらに、MT1-MMPおよびFIH-1遺伝子発現調節により、各種造血因子の発現が変動することが示された。

以上より、本論文で、MT1-MMP‐/‐マウスは造血因子およびケモカインの発現異常により造血細胞の分化増殖が抑制されていること、またMT1-MMP欠損による造血因子やケモカイン遺伝子発現異常は、FIH-1が細胞内へ遊離する結果HIF-1活性が阻害されることに起因していることが示された。さらに、MT1-MMPは骨髄中の造血系細胞の分化成熟、また他種MMPの活性制御との関連から、骨髄由来細胞の末梢組織への移動に関与する因子であることが示唆された。本論文はMT1-MMPの骨髄造血、細胞分化及び細胞動員制御因子としての重要性を示唆したものであり、これにより生体内造血機構の新たな一面が明らかとなった。

なお、本論文は楠畑かおり、田代良彦、Ismael Gritli、佐藤亜紀、小泉摩季子、守田陽平、長野真、坂本毅治、越川直彦、清木元治、中内啓光、Beate Heissig、服部浩一との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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