学位論文要旨



No 128555
著者(漢字) 丹羽,史尋
著者(英字)
著者(カナ) ニワ,フミヒロ
標題(和) 海馬神経細胞におけるGABAA受容体の側方拡散制御機構
標題(洋)
報告番号 128555
報告番号 甲28555
学位授与日 2012.06.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第812号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 真鍋,俊也
 理化学研究所 チームリーダー 宮脇,敦史
内容要旨 要旨を表示する

緒言

脳における情報伝達は、神経細胞を脱分極に導く興奮性シナプスと脱分極を抑える抑制性シナプスのバランスの上に成り立っている。そのため、神経伝達のシグナルである活動電位を発生させる興奮性シナプスとともに、抑制性シナプスも脳が正常に機能するために重要な役割を担っている。GABAA受容体(GABAAR)は、中枢神経系において速い抑制性の神経伝達に関わる神経伝達物質受容体である。シナプス内の神経伝達物質受容体の数は、シナプス伝達効率を決める重要な要素である。海馬神経細胞では、過剰な神経興奮に伴い細胞外からのCa(2+)流入が起きると、シナプス内のGABAAR数が減少し、神経伝達効率が下がる。GABAAR数が減少する原因は、細胞膜上でGABAARの側方拡散が増大し、シナプスからGABAARが出て行き易くなることである。しかしながら、細胞外からのCa(2+)流入がGABAARの側方拡散を増大させる分子機構は十分解明されていない。また、Ca(2+)は細胞外から流入するだけでなく、細胞内Ca(2+)貯蔵庫である小胞体からも放出されるが、これがGABAARの側方拡散制御に関わるかどうかは分かっていない。そこで私は本研究において、主にラット海馬由来の初代培養神経細胞(div21-27)を用いて、Ca(2+)流入(第一部)/放出(第二部)に誘導されるGABAARの側方拡散制御機構の研究を行った。

第一部では細胞外からのCa(2+)流入に誘導されるGABAARの側方拡散の変化と足場タンパク質gephyrinの関係について調べた。gephyrinは抑制性シナプスでGABAARの側方拡散の制御やクラスター形成に関わると報告されている足場タンパク質であり、神経細胞の興奮に伴い、GABAARと同様にシナプスから減少する。そこで私は、「神経細胞の興奮に伴うgephyrinの減少が、シナプス内のGABAARの側方拡散の増大を引き起こすのではないか」という作業仮説を立て、検証した。第二部では細胞内Ca(2+)貯蔵庫である小胞体からのイノシトール三リン酸受容体(IP3R)を介したCa(2+)放出がGABAARの側方拡散を制御するかどうか確認し、その制御機構の検討を行った。

結果

第一部 細胞外からのCa(2+)流入によるGABAARの側方拡散増大にgephyrinが果たす役割の検討

神経興奮に伴うCa(2+)流入によって、シナプスに局在するGABAARとgephyrinの数が減少する。この過程の経時変化を、定量的免疫細胞染色法を用い、クラスター1つ当たりの蛍光強度の変化を指標として観察した。神経細胞の興奮性は4-アミノピリジン(4AP)を用いて誘導した。GABAARクラスターの蛍光強度は2.5分の段階で有意に減少しており、2.5分以降の更なる減少は見られなかった。一方、gephyrinクラスターの蛍光強度は7.5分まで減少し続けた。すなわち、Ca(2+)流入に誘導されるGABAARのクラスターの縮小がgephyrinのクラスターの縮小に先行する可能性が示された。次に、NMDA刺激によるCa(2+)流入を起こし、GABAARとgephyrinの蛍光強度の変化を調べた。NMDA刺激はGABAARとgephyrin両方に蛍光強度の減少を引き起こすが、刺激開始から1分の段階ではGABAARのみに蛍光強度の減少が見られ、gephyrinの蛍光強度は変化しなかった。

神経興奮依存的なGABAARの数の減少は、細胞膜上のGABAARの側方拡散増大によって引き起こされる。そこで、内在性のGABAARの動態を量子ドット一粒子追跡法(QD-SPT)で追跡することにより、4AP刺激によるシナプス内GABAARの側方拡散の変化を調べた。その結果、GABAAR数の変化と同様、側方拡散の指標である拡散係数、confimement sizeとシナプス滞在時間の値はいずれも2.5分以内に側方拡散の有意な増大を示し、それ以降の更なる変化は示さなかった。

上記の結果は「シナプス内GABAARの側方拡散の増大及び数の減少がgephyrinクラスターの縮小に先行する」ことを示唆しており、当初の仮説とは逆の結果である。これらの発見からは、「GABAARの側方拡散がポストシナプスのgephyrin数を制御している」という新しい仮説を導くことができた。この仮説を検証するために、私は抗体を用いてGABAARを外部から架橋し、物理的にGABAARの側方拡散を阻害した。GABAARを架橋した神経細胞では、Ca(2+)の流入によって誘導されるべきgephyrinクラスターの縮小が起きないことが明らかになった。以上の結果は、GABAARの側方拡散がgephyrinクラスターサイズの決定要因となり得ることを示唆している。

第二部 IP3Rを介した小胞体からのCa(2+)放出によるGABAAR側方拡散の制御

小胞体からのCa(2+)放出がGABAARの側方拡散制御を制御するかを否か明らかにするために、まず、IP3R1KO由来の神経細胞において、GABAARの側方拡散をQD-SPTで調べた。IP3R1KO由来の神経細胞では野生型のマウスの細胞に比べてシナプス内GABAARの拡散係数,confinement size,シナプス滞在時間のいずれの指標もより活発な側方拡散を示した。次にIP3RからのCa(2+)放出がGABAARの側方拡散に直接作用することを確認するために、IP3Rの阻害剤である2-aminoethoxydiphenyl borate(2APB)で海馬神経細胞を処理し、GABAARの側方拡散を観察した。2APB処理細胞ではIP3R1KOの細胞と同様、GABAARのより活発な側方拡散が観察された。これらの結果はIP3RからのCa(2+)放出がGABAARの側方拡散を抑制することを示している。

次に、IP3Rの活性阻害により誘導されたGABAARの側方拡散の増加が、細胞外からのCa(2+)流入によるGABAARの側方拡散の増大と同一のシグナル経路である可能性を調べた。2APB刺激,NMDA刺激及び2APB+NMDAの刺激を細胞に与え、GABAARの拡散係数の増大が相加的になるかどうかで、両方の経路が独立かどうかを検討した。その結果、2APBのみ,NMDAのみ,2APB+NMDAの刺激を加えた細胞という3種類の刺激のいずれでも無処理の細胞と比較すると拡散係数の増大が観察されたが、3種類の刺激の違いによる拡散係数の有意な差は見られなかった。この結果は、2APBによるGABAARの側方拡散の制御経路がCa(2+)流入によるGABAARの側方拡散の制御経路と共通である可能性を示している。さらに、2APBと共にカルシニュリンの阻害剤であるcyclosporin Aを細胞に与えたところ、2APBの投与によって引き起こされる拡散係数の有意な増加は消失した。すなわち、2APBによるGABAARの拡散係数の増加には、Ca(2+)流入によるそれと同じく、カルシニュリンの活性化が必要であることが示された。

Ca(2+)流入により活性化されたカルシニュリンによるGABAA受容体γ2サブユニットのSer327(γ2S327)の脱リン酸化は、GABAA受容体の側方拡散の増大を引き起こす。γ2S327をリン酸化する酵素はprotein kinase C(PKC)である。Ca(2+)によって活性化されるPKC(α, β, γ)はphosphatidylinositol 4,5-bisphosphate(PIP2)の下流でdiacyl glycerol(DAG)とIP3RからのCa(2+)放出によって活性化されるので、IP3RからのCa(2+)放出もPKCの活性化を介してγ2S327のリン酸化状態の制御に関わる可能性が考えられた。Ca(2+)によって活性化されるPKCの阻害剤であるGo6976で処理した細胞では、GABAA受容体の側方拡散は2APB処理細胞同様有意に増大した。さらに、PKCの活性化因子であるphorbol 12-myristate 13-acetate(PMA)の投与により、2APB由来のGABAARの拡散係数の有意な増加は消失した。この結果は、IP3RからのCa(2+)放出がPKCの活性化を介してGABAARの側方拡散を抑制していることを示唆している。

結言

本研究の第一部の結果は、「神経興奮による細胞外からのCa(2+)流入に引き起こされたcalcineurinの活性化がGABAARの側方拡散の増大を引き起こし、GABAARの側方拡散の増大がgephyrinの減少を導く」という一連の流れを示唆している。また、受容体から足場タンパク質という方向のポストシナプス構造安定性制御機構も存在することを直接的に示した。

本研究の第二部の結果は、小胞体からのIP3Rを介したCa(2+)放出によるPKCの活性化と、Ca(2+)流入によるカルシニュリンの活性化が互いに拮抗する形でγ2S327のリン酸化状態を調節し、GABAARの側方拡散を制御していることを示唆している。

第一部で扱った神経興奮依存的なGABAARの側方拡散の増大は抑制性シナプスの可塑性や、神経疾患につながる神経の抑制異常の原因とも考えられている。また、第二部で扱ったIP3RKOマウスはGABA作動性の神経伝達異常によるてんかん様の症状を示す。そのため、今後、今回のCa(2+)流入/放出に誘導される経路の研究をもとにGABAARの側方拡散制御の具体的な分子機構を明らかにすることで、てんかんのような神経疾患の治療に繋がることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、細胞外からのCa(2+)流入に誘導されるGABAA受容体の側方拡散の変化と足場タンパク質gephyrinの関係について検討するとともに、細胞内Ca(2+)貯蔵庫である小胞体からのInositol triphosphate(1, 4, 5)受容体(IP3受容体)を介したCa(2+)放出によるGABAA受容体の側方拡散の制御について検討したものである。

Gephyrinは抑制性シナプスでのGABAA受容体の側方拡散の制御やクラスターの形成に関わっていることが報告されている足場タンパク質であり、神経細胞の興奮に伴い、GABAA受容体と同様にシナプスから減少する。本研究では、gephyrinのシナプスからの減少がGABAA受容体の側方拡散の増大を引き起こすという仮説を立て、gephyrinのクラスターの縮小がGABAA受容体の側方拡散の増大及びクラスターの縮小に先行するか解析した。分散培養した海馬の初代培養神経細胞を用いた定量的な免疫細胞染色により、仮説とは反して、GABAA受容体のクラスターの縮小がgephyrinのクラスターの縮小に先行していること、QDot1粒子追跡法によりGABAA受容体の側方拡散の増大もgephyrinクラスターの縮小に先行していることが判明した。さらに、GABAA受容体の側方拡散を阻害することで、神経細胞の興奮に伴うgephyrinのクラスターの縮小が消失することも明らかとなった。これらの結果は、海馬神経細胞の興奮に伴うポストシナプスのGABAA 受容体側方拡散の増大と受容対数の減少にはgephyrinは関わっておらず、この条件化ではむしろ、GABAA受容体の側方拡散の状態がポストシナプスのgephyrinの量を決める要因となっていることを示している。

また、本研究では、IP3受容体からのCa(2+)放出が失われるとGABAA受容体の側方拡散が増大することを見出した。この側方拡散の増大は、Ca(2+)流入による側方拡散の増大と同じくcalcineurinの活性化を必要としている。一方、Protein Kinase C (PKC)の活性化を阻害することでGABAA受容体の側方拡散が増大することと、Ca(2+)放出阻害による側方拡散の増大がPKCの活性化で抑制されることも明らかとなった。これらの結果は、IP3受容体からのCa(2+)放出がGABAA受容体の細胞膜上の側方拡散を抑制しているという可能性、また、この抑制はPKC を介したGABAA受容体γ2サブユニットのリン酸化によって制御されているのではないかという可能性を示唆している。

なお,本論文は,坂内博子・有薗美沙・深津和美・Antoine Triller・御子柴克彦との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(生命科学)の学位を授与できると認める.

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