学位論文要旨



No 128562
著者(漢字) 村上,智明
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,トモアキ
標題(和) 酪農における経営規模と技術効率性に関する計量経済学的研究
標題(洋)
報告番号 128562
報告番号 甲28562
学位授与日 2012.07.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3854号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中嶋,康博
 東京大学 教授 木南,章
 東京大学 教授 鈴木,宣弘
 東京大学 准教授 齋藤,勝宏
 東京大学 准教授 細野,ひろみ
内容要旨 要旨を表示する

日本農業の多くの分野でも、近年では生産活動の大規模化が進行しつつあり、これまでのような単に生産技術を入れ替えるという対応だけでは済まされない経営内容の変化が起こっている。特に土地利用型農業では、規模の拡大によって、農地の賃貸借を拡大したり、雇用を増加させたりするなど、これまでの家族経営では経験しなかったような手間の掛かる行為に踏み込むことになる。こうした経営外部からの農地や労働力の調達をめぐる取引費用の大きさと、そのことによる経営活動の阻害が懸念されており、実際に生産性を低下させてしまうことが指摘されている。国際競争力の向上が求められる日本農業において、規模拡大は避けられない政策課題であり、その実行において事前のこうした検討が必要となっている。

本論文では、そのなかでも特に労働力の外部調達の分析に焦点をあてた。検討の対象は、この数十年で急速な規模拡大が起こり、生産活動が家族労働力だけでは必要な労働投入量を確保できなくなりつつある酪農経営である。必要な作業労働を確保するために現場で選択されている、雇用の増加ないしは委託作業の拡大を取り上げ、それらが生産活動へどのようなインパクトを与えているかを計量経済学的に分析した。

第1章は、近年の酪農経営の動向を統計的に整理し、酪農経営数が急速に減少する中、乳牛飼養頭数と乳牛一頭あたり搾乳量が継続的に増加し続けていることを確認した。そして、単一経営化がおおむね浸透した1990年代後半以降、雇用導入を図ることで規模の拡大が可能になったことを明らかにした。

第2章は、まずこうした規模拡大を実現した酪農経営の新技術の導入と普及過程についての具体的な検証を行った。その上で1968年以降の技術変化の動向を定量的に明らかにするため、ローリングウィンドウ回帰分析を用いた、トランスログ費用関数の推定を行った。同回帰分析は、時系列分析における非定常性に注目し、観測データをより短く連続する期間ごと区切って推計を行うもので、各期間のパラメータの変動から構造変化を特定する手法である。

分析結果から、偏向的技術進歩とその推移が把握された。労働に関する技術進歩は、一貫して要素使用的だったが、2000年前後からは節約的な技術進歩に転じつつある。自給飼料に関しては分析期間において一貫して要素使用的な技術進歩が確認された。流通飼料に関しては要素中立的だったのだが、1990年前後にいったん要素使用的になる時期があった。農機具建物に関しては1980年代前半に一時的に要素使用的になったもののそれ以外の時期にはやや要素節約的であった。乳牛資本に関しては要素節約的な技術進歩であったが、近年は中立的なものになっている。これらの一連の技術の変化の背景には、乳牛を群単位で管理する方式の普及がある。それとともに、労働投入の軽減に繋がるようなフリーストール牛舎、ミルキングパーラー方式による搾乳技術などが広まりつつある。

こうした群単位による乳牛飼養技術の普及は、酪農経営における規模の経済を実現させた。推計されたトランスログ費用関数をもとに各年代の平均的な生産規模で評価してみると、1980年代前後の観測期間まででは規模の経済性が確認できなかったのだが、それ以降では確認された。そして、小規模経営ほど規模の経済性は弱い結果となった。飼養頭数を増加させていても、技術的につなぎ方式が一般的だった80年代では規模の経済が発揮されなかったのだが、群管理型の放し飼い方式に移行するようになると規模の経済が発揮されるようになったのであろう。つまり群管理技術が酪農経営の大規模化の鍵であることが検証された。なお、この群管理技術は労働節約的に作用するが、一方で規模の拡大を進めるので、トータルではこれまで以上の労働力を必要とすることになる。

第3章では、個別の酪農経営のパネルデータを用いて、ノンパラメトリック手法による包絡分析で生産可能性フロンティアと効率性を推定し、その効率性の規定要因の分析を行った。規模に関する収穫一定を仮定するならば、その効率性(CRS効率性)は大規模ほど大きく、産出能力が高くなることが確認された。一方、規模に関する収穫可変を仮定するならば、その効率性(VRS効率性)は一定以上の規模になると平均効率性が下落してしまい、大規模だと生産活動の維持が困難であることが懸念される。規模の経済が発揮して規模効率性が向上するのはおよそ飼養頭数300頭以上からであることが確認された。すなわちメガファームレベルの規模まで拡大して、ようやく技術上の優位性が表れることになる。

次に、効率性の決定要因を計量的に検討した結果から、大規模経営の効率性は高いこと、それは規模による生産フロンティアの違いを考慮してもやはり高いままであったこと、労働力に占める雇用割合が高い経営では効率性が低くなることが明らかになった。この結果は、年代や地域を考慮して分析してみても変わらなかった。経営固定効果を考慮したパネルデータ分析の結果からも、雇用労働の割合が高い経営は効率性が低いということが確認されており、このような形で経営の大規模化は効率性の低下を招くことが明らかとなった。ただし、雇用労働導入による効率性の下落は個別経営型の酪農では明確に確認されたが、法人経営型の酪農では認められなかった。また、飼養頭数の増加による効率性の低下も、法人経営では個別経営の半分程度に抑えられていた。法人経営と個別経営の違いは必ずしも経営管理能力だけではないかもしれないが、とにかくこの結果は、経営管理上の対応をとれば、大規模化や雇用導入による効率性低下は抑えられるという可能性を示唆している。

第4章では、酪農経営において外部組織へ作業のアウトソーシングを進めている事例として、粗飼料生産作業を受託するコントラクター組織を取り上げ、酪農経営の経営規模拡大へ与える影響について、差の差推定による検証を行った。その際には、地域間のパラメータの違いを検証するために、GW-DID(地理的加重差の差)推計の手法を開発した。

計測の結果から、コントラクターの設立が飼養頭数規模の拡大に対して効果を持ち、それは地域間で有意に異なっていた。天北地域などで平均して10頭以上の拡大という非常に高い影響が現れている地域もあれば、根釧から十勝にかけての地域ではほとんど影響の無い地域もあることが明らかとなった。影響の見られない地域は、どちらかといえば畑作との混合地帯が多く、粗飼料生産が比較的限られるために大きな効果が現れない可能性がある。

粗飼料の生産面積に対する影響を分析したところ、関連するパラメータのグローバルな推計結果はOLSで有意であったのだがSEM(空間エラーモデル)では有意ではなくなり、粗飼料増産に対する頑健な効果は見いだせなかった。また、粗飼料生産への効果に地域差があるという仮説は棄却されたため、粗飼料生産作業のアウトソーシングは飼養頭数の拡大を促す原動力とはなっても、粗飼料増産には必ずしも結びつかないということがわかった。

3,4章における分析の結果からは、雇用労働導入による労働力調達は現時点では効率性の低下に繋がっていること、外部組織に作業をアウトソーシングした場合に地域条件によっては効率性の向上に繋がっていないことが指摘された。雇用労働の非効率性は、他の農業分野での実証分析において数多く見出されている事象であり、コントラクターのような組織を作ればそれだけで経営体はより発展していけると単純に考えるのは誤っていることが確認できたといえる。

あわせて、より適切な経営対応をしたならば、大規模化それ自体やそれに伴う外部労働力の雇用による効率性低下はある程度防げることも検証された。事実、コントラクターを活用して、地域の酪農経営の規模拡大につなげている地域もある。これらの研究から、どのような条件において、大規模化と労働の外部調達に伴う課題を克服していけるのか、知見を蓄積していくことが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、この数十年で目覚ましい規模拡大を達成した酪農経営に関して、時系列分析、パネルデータ分析、空間計量経済分析を適用し、技術進歩、規模の経済性、技術効率性の観点から総合的な検討を進めた。そこで特に労働力の外部調達の問題に注目し、必要な作業労働を確保するため、雇用を増加ないし委託作業を拡大していることが生産活動へどのようなインパクトを与えているかについて考察した。

日本農業の多くの分野で、積年の課題であった生産の大規模化がようやく進行しつつあるが、その過程で単に技術を組み替えるだけでは済まない経営構造の変化が起こっている。このような経営規模の拡大局面では、これまでの家族経営では経験しなかったような生産資源の利用方法に取り組まなければならない。しかしその対応が十分でないために、規模拡大の成果が期待通りに発揮できない可能性がある。国際競争力の向上が求められる日本農業において、さらなる規模拡大は避けられない政策課題であり、この問題をどのように克服するかの検討が必要となっている。本研究は、そのことへの一定の示唆を得ることも目的の一つとしている。

第1章では、戦後の酪農経済の展開過程を明らかにしつつ、国内外の研究における酪農経営の規模拡大および生産構造に関する評価を整理した。

第2章では、現在の酪農の規模拡大を支えているフリーストール牛舎とミルキングパーラーに至るまでの技術の普及過程と生産への影響を評価するため、トランスログ費用関数モデルによるローリングウィンドウ回帰分析によって、生産要素ごとに偏向的技術進歩の状況を検証した。その結果、労働に関しては要素使用的技術進歩から要素節約的技術進歩へ転換したことが、自給飼料に関しては一貫して要素使用的技術進歩であったことが観察された。また、流通飼料に関しては要素中立的技術進歩だったが一時的に要素使用的技術進歩に、農機具建物に関しては要素節約的技術進歩だったが一時的に要素使用的技術進歩に、そして乳牛資本に関しては要素節約的技術進歩から要素中立的技術進歩へと変化していったことが確認された。さらに同分析において、1980年代以降に規模の経済が発揮するようになったことが、定量的に明らかにされた。

第3章では、全国の1万弱の酪農経営への融資データを精査して、1,534経営体に関する3か年のアンバランスドパネルデータを構築し、それを基にノンパラメトリック型包絡分析による生産可能性フロンティアの把握、そしてブートストラップ法を利用した効率性の測定を行った。効率性の測定では、規模の経済性を組み込んだVRS効率性モデルに基づき分析した結果、ある一定の規模を超えると技術的非効率性が大きくなることが確認された。推計モデルからは、この技術的非効率性を規模の経済性が上回って、総合的な効率性が向上するようになるのは、メガファームレベルといわれるおよそ300頭以上の飼養頭数規模であることが明らかになった。

さらに、この総合的な効率性を左右する要因を検討した結果、非法人型の経営では雇用割合が高くなると効率性が低下することが確認された。一方、法人型の経営ではその関係は認められなかった。このことは、経営管理上の対応のあり方によって、大規模化からさらに多くの利益を引き出せることを示唆している。

第4章では、酪農経営の大規模化へのもう一つの対応策である、コントラクター組織による粗飼料生産作業受託を評価した。外部組織へ作業をアウトソーシングしたことの成果について、地域間データの比較に基づいた分析を行うため、独自にGW-DID(地理的加重差の差)推計の手法を開発した。その分析から、コントラクター導入による飼養頭数規模の拡大効果を地域別に把握することができた。酪農専業地帯でその効果が高く、畑作との混合地帯ではそれほど効果が現れていなかった。なお、コントラクター導入が粗飼料増産に結びついていないことがあわせて確認された。

第5章では、以上の分析結果を要約し、本研究の意義と経営政策への含意、今後の課題などが議論されている。

わが国の酪農経営は着実に規模拡大を進めてきたが、これまでの事例研究において多くの課題のあることが指摘されていた。本研究は、最新の計量経済学的手法を駆使しながら、その問題の検証を試みた結果、確かに規模の経済性は発揮されているが、しかし経営上の非効率性が発生することから潜在的な効果がすべて現れている訳ではないことを明らかにした。このように規模拡大の成果と反作用とを定量的に確認できたことは、今後の酪農振興を再検討していく上で重要な論点を提示するであろう。そしてそのことは、酪農にとどまらず、日本農業における規模拡大問題に多くの示唆を与えることは間違いない。このように本研究は、学術上、応用上資するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク