学位論文要旨



No 128566
著者(漢字) 許,永新
著者(英字)
著者(カナ) キョ,エイシン
標題(和) 日本語の構文と自・他動詞のプロトタイプ
標題(洋)
報告番号 128566
報告番号 甲28566
学位授与日 2012.07.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第872号
研究科 人文社会系
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西村,義樹
 東京大学 教授 林,徹
 東京大学 教授 木村,英樹
 東京大学 名誉教授 上野,善道
 東京外国語大学 教授 早津,恵美子
内容要旨 要旨を表示する

自動詞と他動詞は,日本語学や言語学の研究でよく使われている重要な概念だが,その定義と分類は多くの問題を抱えている。近年,自動詞と他動詞は,それぞれ典型的なメンバー(プロトタイプ)と周辺的なメンバーを持つ連続体であることが広く受け入れられてきた。ただ,そのプロトタイプの中身については議論が分かれている。本研究は独自の視点から,いくつかの構文の分析を通して,自・他動詞のプロトタイプを記述するものである。

第1章では,中国語と比較して,日本語における自動詞と他動詞は,(1)名詞句が取る格が異なる(統語的違い),(2)形態的関連を持つ動詞のペアが存在する(形態的違い),(3)構文の意味が異なる(意味的違い)という三つの観点が必要であるとした上で,先行研究の問題点を明らかにした。

第2章では,参与者と項,ヴォイスの概念について検討した。そして,中国語は構文中心の言語であるのに対して,日本語は動詞中心の言語と考えた。続いて,日本語の飲食動詞の分析を通して受影動作主の概念を導入した。さらに,日本語には従来指摘されてきた非能格動詞と非対格動詞以外に,第三の自動詞―受動型自動詞の存在を明らかにした。

第3章では,自動詞文と他動詞文の同義現象をどのように分析すべきかについて検討した。本研究では,先行研究に基づき,責任性という概念は<引き起こす責任>と<防げない責任>という二つのケースがあることを提唱した。自動詞文と他動詞文が同義である場合は,次の特徴を持つことを明らかにした。主語にあるXは,動詞が表す動作の影響を受けていること([+affectedness]),意図性を持たないこと([-volition]),そして責任を持つ(ものとして捉えられる)こと([+responsibility])である。

第4章では,日本語における心理形容詞,心理形容詞+「がる」の形,心理動詞との比較により,日本語における心理形容詞と心理動詞の最大の違いは状態か動作かに帰することができることを明らかにした。そして,日本語においては,ヲ格しか取れない心理動詞は他動詞的で,二つ以上の格が取れる心理動詞は自動詞的である。それに対して,中国語の心理動詞の自他は,「S(+很)+V+O」と「S+対+O(+很/感到/覚得)+V」という二つの文型を用いて行う。「S(+很)+V+O」という文型に当てはまるものは他動詞的と判断する。「S+対+O(+很/感到/覚得)+V」の文型に当てはまる動詞は自動詞的と判断することを提唱した。

第5章では,日本語における有対自・他動詞とそれに対応する使役文・受身文との使い分けを考察した。

5.1では,有対他動詞と有対自動詞の使役形の使い分けを考察した。使役主が被使役者または事態をコントロールしているかどうかが他動詞と自動詞使役形の使い分けを決める。ある事象において,使役主が被使役者または事態を完全にコントロールしている(もしくはそのように表現したい)場合であれば他動詞が選択される。使役主が被使役者(または事態)を完全にはコントロールしていない(もしくはそのように表現したい)場合であれば自動詞使役形が選択される。完全にコントロールしているかどうか判断がむずかしい場合は,他動詞と自動詞使役形のどちらも可能である。

ただし,上述の原理ですべてのケースを説明できるわけではない。従来の研究では,一つの原理ですべてのケースを説明しようとする研究も見られるが,成功しているとは言い難い。本研究では言語事実を踏まえて例外があることを明らかにした。

5.2では,有対他動詞の受身形と有対自動詞の使い分けを考察した。この問題についての先行研究はその他の研究と比べると非常に少ない。本研究では,先行研究の指摘を踏まえ,次のように考えている。日本語では,主語にあるものがある状態に置かれるということを表現するために受身文を用いる大きな動機づけである。このことは中国語などの言語と対照的である。中国語の受身文は,主語にあるものが動作・行為の結果として被る何らかの具体的な影響がないと成立しにくい。それに対して,日本語において受身文が使われるのは,単にある状態に置かれる場合だけでも成立するため,動作からの明確な影響がなくてもよい。そのため,中国語などの言語と比べると日本語の受身文は成立しやすい。

第6章では,自動詞使役文におけるヲ使役とニ使役の使い分けを考察した。ニ使役が使えるのは,被使役者がプロトタイプの動作主の場合のみである。つまり,動作主は意図的で動作の影響を受けない場合である。ヲ使役は汎用的であり,ニ使役が使える全てのケースについてヲ使役が使える。ヲ使役とニ使役の使い分けがあるのは,非能格自動詞に限られ,非対格動詞には見られない。この違いは二種類の自動詞の動作主性の違いによるものである。

第7章では,日本語の介在文の成立条件などを考察した。介在文に関する従来の定義を見直し,本研究なりの定義を行った。

話者が実際には存在する命令や依頼の実行者を無視し,あたかも責任者自身がすべての過程を自ら行ったかのように捉え,かつ責任者と命令や依頼の実行者をそれぞれ主語にしても関連する事態を表すことができ,その責任者を主語にする構文を介在文と呼ぶ。

そして,介在文が成立する条件として,実際の行為者(被使役者)の道具性にある。実際の行為者は道具的なものとみなされているからこそ,主語の位置に現れる動作主のコントロール下にあり,使役文ではなく他動詞文が使われるのである。さらに,その他のさまざまな言語との対照研究を行った結果,介在文の成立しやすさは言語によって異なることを明らかにすることにより,日本語の介在文の位置づけをより明確にした。

第8章では,今まで分析してきたさまざまな概念や構文を通して,本研究なりの自動詞と他動詞のプロトタイプを試みた。そして,自動詞と他動詞のプロトタイプを次のようにまとめた。

本研究の自・他動詞のプロトタイプの特徴は次の通りである。

(1)自動詞と他動詞は動詞の両極であり,それぞれのプロトタイプが存在する。

(2)自動詞のプロトタイプは非能格動詞と非対格動詞の両方とも含まれている。

(3)動作主と被動者は弁別的でなければならない。つまり,動作主は被動者からの影響を受けてはならない。

(4)被動者は動作主の完全なコントロール下にあるが,動作主からどんな影響を受けるかについては不問である。

(5)自動詞のプロトタイプは他動性の低い動詞でもあり,他動詞のプロトタイプは他動性が高い動詞でもある。

審査要旨 要旨を表示する

『日本語の構文と自・他動詞のプロトタイプ』は,日本語のいくつかの構文の分析を通して,自動詞と他動詞のプロトタイプの意味を詳細に記述することを目指した労作である。

「第1章 日本語における自・他動詞とは」では,日本語における自動詞と他動詞の定義には三つの異なる立場があるとした上で,先行研究の問題点を指摘している。「第2章 基本概念から見る日本語の特徴」は,参与者と項,ヴォイスの概念について検討し、中国語と対比しつつ、日本語の特徴を述べている。「第3章 非意図的他動詞構文」は,自動詞文と他動詞文がほぼ同義であると考えられる場合をどのように分析すべきかについて検討し,そのような場合に見られる特徴を明らかにする。「第4章 日本語と中国語の心理動詞」は,日本語における心理形容詞と心理形容詞+「がる」との用法の違いを説明した上で,日本語と中国語における心理動詞の自他の分類を提案している。「第5章 日本語における有対自・他動詞と関連表現」は,日本語における有対自・他動詞とそれに対応する使役文・受身文との使い分けを考察している。まず,使役主が被使役者または事態をコントロールしているかどうかが他動詞と自動詞使役形の使い分けを決めることを主張する。次に,日本語の受身文は,主語の指示対象が単にある状態に置かれる場合でも成立するため,主語の指示対象が動作からの明確な影響を受けていなくてもよい,と論じている。「第6章 ヲ使役とニ使役」は,自動詞使役文におけるヲ使役とニ使役の使い分けの原理を提案している。「第7章 日本語における介在文」は,介在文に関する従来の定義を見直し,独自の特徴づけを行った上で,日本語の介在文の成立条件を明らかにする。「第8章 自・他動詞のプロトタイプとは何か」は,前章までに提示したさまざまな概念や構文の分析を通して,日本語の自動詞と他動詞のプロトタイプの意味を詳しく規定している。自動詞のプロトタイプには+autonomyという特徴が,他動詞のプロトタイプには+distinction,+volitionality,+controlという特徴が、それぞれあることを主張している。

日本語動詞の自他はこれまでにもさまざまな立場からいくつもの注目すべき分析が提案されてきたが、本論文は、日本語の自動詞と他動詞をめぐる多様な現象を、時に中国語の対応する現象と対比しつつ、自動詞と他動詞の(究極的には他の多くの言語にも適用可能と考えられる)プロトタイプの意味と関連づけることによって詳細に記述することを試みた点が、最大の貢献であると考えられる。考察の前提となる自動詞および他動詞のカテゴリーの全体像に関する議論が十分に尽くされていないこと、また、それに関連してプロトタイプと非プロトタイプの関係が明瞭に論じ切れていないこと、さらには、結論の述べ方が性急で論理がたどりにくいことなど、いくつかの課題を残しはするものの、それらは論文全体の価値を著しく損なうものではない。

以上の理由により、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判断する。

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