学位論文要旨



No 128580
著者(漢字) 幸松,英恵
著者(英字)
著者(カナ) ユキマツ,ハナエ
標題(和) 「ノダ」文による《説明の構造》
標題(洋)
報告番号 128580
報告番号 甲28580
学位授与日 2012.07.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1164号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野村,剛史
 東京大学 教授 生越,直樹
 東京大学 教授 西村,義樹
 東京大学 教授 藤井,聖子
 東京外国語大学 名誉教授 工藤,浩
内容要旨 要旨を表示する

要旨:

研究の目的:

「ノダ」とは,文末に現れて,その文を〈事情説明〉の文にするはたらきを持つ。「説明」とは単独で機能せず,常に「説明する対象」を必要とする。前文脈や先行発話に現れる説明対象を,文の内容の面から捉え直すと,それは,ある〈事実〉を述べている文であると言える。ある〈事実〉を述べた後に,その〈事情〉を明らかにする文として「ノダ」文が現れる。この〈事実〉と〈事情〉が文の内容的な面における組み合わせであり,〈事実〉を「述べる」のか,〈事情〉を「説明する」のか,というはたらきが発話機能の面における組み合わせである。これが本研究の考える《説明の構造》である。本研究の目的は,「ノダ」の用法を明らかにすることであり,それは言い換えれば,「ノダ」によって関係づけられる〈事実〉と〈事情〉の関係(=《説明の構造》)を明らかにすることである。

第2章:本研究の立場と先行研究

「ノダ」とは〈準体助詞「ノ」+断定の助辞「ダ」〉という組成を持ち,名詞文の構文型を基盤とすることで,「~ということは,~ということだ」とパラフレーズできる意味で用いられたのが始まりであるとされる(山口佳也1975など)。そして,現在用いられている「ノダ」文には,命題の性質によって,事実文的な「ノダ」文と,判断文的な「ノダ」文があるとされる(「事実文」か「判断文」かという用語は田中望(1980)による。奥田靖雄(1990)による「つけたし的(原因や理由を補う)」か「ひきだし的(判断を導く)」)かという区別も,これに通じる部分があると考える)。このような先行研究を受け,最近の研究では,「ノダ」文の命題の性質と,それに伴う対人的な特徴から,「ノダ」を「対事的ムードのノダ」「対人的ムードのノダ」と分類する(野田春美1997),または,「認識系のノダ」「伝達系のノダ」と分類する(益岡隆志2007)といった説が提案されている。

こうした先行研究に対して本研究では,「命題の情報源」という観点から,「ノダ」の文を《知識の文》《推論の文》《発見の文》という3タイプに分け,それぞれのタイプにおける《説明の構造》を明らかにすることを提案している。3章からは,各タイプごとの詳しい用法説明に当てられている。

第3章 《知識の文》の「ノダ」文―その1―

第3章では,命題が話し手の知識である「ノダ」文(=《知識の文》の「ノダ」)について論じている。小説の地の文に現れる《知識の文》の「ノダ」には,〈事実―事情〉の間に因果的な関係で結ばれた2事態が認められる《原因・理由説明》タイプと,〈事実―事情〉が1事態の言い換えである《詳細説明》タイプの2つがあることを指摘している。

第4章 《知識の文》の「ノダ」文―その2―

第4章では,小説の会話文に現れる《知識の文》の「ノダ」を取り上げている。地の文に現れる「ノダ」と会話文に現れる「ノダ」は,〈事実-事情〉の関係においてほぼ並行的であるが,会話文に現れる《知識の文》の「ノダ」には,〈事実―事情〉の関係が見えにくい場合もあり,発話動機別の分類として,本題に対する前置き的に用いられる「ノダ」(前置き的なノダ),「ノダ」文の命題を伝達すること自体に目的があると思われる「ノダ」(情報伝達のノダ),質問に対する返答として用いられる「ノダ」(質問の答えのノダ)を認め,分類している。

第5章 《推論の文》の「ノダ」文

この章では,命題が話し手の発話時における推論である「ノダ」文(=《推論の文》の「ノダ」)について論じている。《推論の文》の「ノダ」では,《知識の文》の「ノダ」文における用法と並行して,《原因説明》と《実態説明》という2つの下位タイプが見られる。それぞれ《原因説明》は,与えられた事態がなぜ引き起こされたのかを推論した結果を,《実態説明》は,与えられた事態が持つ意味などを推論した結果を述べる「ノダ」文であった。この《推論の文》の最大の特徴とは,「ノダ」が「ノダロウ」とパラダイムをなしているという点である。

第6章 《発見の文》の「ノダ」文

この章では,命題が話し手の発話時における知覚である「ノダ」文(=《発見の文》の「ノダ」)について論じている。《発見の文》の「ノダ」とは,発話現場において知覚した事態を述べる際に「ノダ」を伴って発話するという文である。探していたカバンを見つけて「こんなところにあったんだ!」という「ノダ」文は,知覚した事物について,あらかじめ話し手側に何らかの想定や期待があり,その想定や期待と知覚事態が一致しなかったことを意外に感じたり,一致していたことを改めて確認して納得する際に発話される文であると言える。これは,「ノダ」形式が〈事情説明〉の形式として文法化したとき,「ノダ」が発話されるからには,その発話の前提となる事態が存在することも,形式が含意する意味として焼きつけられたためであると考える。知覚事態を言語化する際に,あえて「ノダ」を伴って発話することで,その発話には前提があることが含意され,結果的に,話し手には何らかの想定や期待があったことを表現し得るのではないかと考えるのである。

第7章 《推し量り》の体系における「ノダロウ」

この章では,第5章で言及した「ノダロウ」文を再び取り上げている。第5章では,「ノダ」との関係において「ノダロウ」の考察を行ったが,この章では,「ダロウ」との関係,「ラシイ」との関係の中で「ノダロウ」の考察を行っている。

まず「ダロウ」と「ノダロウ」は,"単純な推量を表す「ダロウ」","与えられた〈事実〉に対する〈事情〉を推量する「ノダロウ」"という点で対立しており,両者は鋭く対立していて置き換えられないと述べた。このような意味の差が,「ダロウ」は未来推量に偏り,「ノダロウ」は既実現事態の推量に偏るというテンスの面での異なりをもたらしていることも指摘した。ただし,未来推量,現在推量の「ノダロウ」文の中には「ダロウ」文の意味と近づくときがあり,それは,"すでに定まった事態であるとして推し量る"という特徴を持つ「ノダロウ」であるとした。

次に「ラシイ」と「ノダロウ」は,知覚事態を受けて,それを引き起こした原因やその事態の持つ意味を推し量る形式であるという点で一致しており,両者は互いに置き換えられる場合が多いということを指摘した。ただし,「ラシイ」は"らしさの存在から導かれる事態の存在"を述べる形式であり,「ノダロウ」は〈事情説明〉の形式である。したがって事情を明らかにすることが求められている文脈では「ラシイ」は不適切である。

第8章 〈事情説明〉の広がり

この章では,「ノダ」文がなぜ〈命令〉や〈決意〉といった語用論的な意味を帯びることが可能であるのかについて,その意味実現のメカニズムや構文的な条件,語用論的な条件について明らかにしている。

本研究では,「ノダ」に前置するのが動詞の原形(不定形)であることが必須の装置であり,そこに語用論的な条件が揃うと,〈命令〉や〈決意〉の文として理解され得ると考える。この考え方は先行研究にも見られる見解であるが,本研究ではさらに,一文としては〈命令〉や〈決意〉として読み取れたとしても,それらの文とて連文関係としては〈事情説明〉であると言える場合が極めて多いということを指摘している。

最後に,「ノダ」文の用法の通時的変遷について概観した結果を述べた。かつて,「ノダ」形式の文体的ヴァリアントとして一般的であったのは「のである」体であった。「のである」体による「ノダ」文は,用法としては本研究のいう《知識の文》であり,やがて「のだ」体の台頭とともに《推論の文》としての用法が広まった。そして,《推論の文》を基にして派生したと見られる《発見の文》としての用法が最後に定着したと考えられることを述べた。

第9章 韓国語版との翻訳比較

この章では,日本語の小説において抽出した「ノダ」文が,韓国語翻訳ではどのように訳されているのかという観点から翻訳比較を行い,その結果,《知識の文》《推論の文》《発見の文》という文の命題の情報源別に,韓国語では異なる形式で訳出されるということを指摘した。

さらに,日本語の「ノダ」形式と同じ組成を持つ韓国語の〈???〉形式との対応関係について確認し,以下の4つのポイントが揃うと,対応しやすくなることを明らかにした。

(1)「ノダ」文の述語が動詞である

(2)「ノダ」文の述語に時間的後退性がある

(3)「ノダ」文による〈事情説明〉が《詳細説明》である

(4)「ノダ」文の述語事態が情報論的に前提である

第10章 結語 ―「ノダ」文による《説明の構造》―

本研究では,長く「ノダ」形式とともにあった「説明」という概念(そして最近の研究では厳しく批判されることがしばしばであった「説明」という概念)を継承している。「ノダ」を〈事情説明〉の文をつくる形式として文法化した助辞であると見なし,その〈事情説明〉のありかた(=《説明の構造》)が,"命題の情報源"という視点から見た種類ごとに異なるということを指摘した上で,それぞれの用法を考察している。通時的な観点からは,《知識の文》,《推論の文》,《発見の文》という順に派生したのではないかという見解を示した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、現在においても日本語文法研究の中で論議が絶えない「ノダ文」を正面から取り扱った意欲的な研究であり、10章によって構成されている。

第1章は、研究の背景、対象、方法、用例について述べられている。

第2章は、主として先行研究がまとめられ、その先行研究に対する本論文の立場が述べられている。本研究は、ノダ文の本質をあくまでも<事情説明>と捉え、方法的にはノダ文の命題内容を、「知識」、「推論の結果」、「現場知覚」の三種に分けることによって、その説明の構造が適切に記述できるとしている。

第3章は、「知識の文」のノダを、非会話文(地の文)を中心に、「原因理由説明」と「詳細説明」の二種に分けて記述している。特に「詳細説明」では、「原因理由説明」としていては説明しきれない言い換えタイプのノダ文について、さらに細分化を加えて精密に記述している。

第4章は、「知識の文」で会話文の場合を、第3章同様、「原因理由説明」と「詳細説明」の二種にわけて記述している。特に、会話文特有の発話現場に密着したタイプについて指摘がある。

第5章は、「推論の結果」としてのノダ文について、ノダとノダロウの両形式に渡って考察している。

第6章は、発話現場における「知覚(情報)」をノダで表すタイプのノダ文を考察している。現場の描写にあたるような内容がなぜ「説明のノダ」で表現されるのか、これは先行研究でも問題にされてきたもので、本研究は「何らかの前提(想定や期待)」の存在から、このタイプのノダ文を説明する。分かりやすい説明である。

第7章は、ノダロウとダロウやラシイとを比較して、ノダロウ型推論の特徴を明らかにしようとしている。

第8章は、命令・決意・忠告などを表すとされるノダ文を、「事情説明」タイプからの広がりとして捉えようとしている。特にその際には、連文関係の中で「命令・決意・忠告」等のノダ文を位置付けることが重要であり、事実そのようなノダ文は同時に考えられる用例が多いことが指摘されている。また「強調」と呼ばれてきたノダについても、同様の指摘がなされている。それとともに、これらのノダ文は、近代日本語でノダ文が定着し大いに使用された結果として、文法化がより進んだ形式とも述べられている。

第9章は、ノダ文の韓国語への翻訳例を通して、日本語のノダ文の特徴を改めて観察している。

第10章は「結語」である。

本研究は、ノダ文の根本的な構造を「~ノハ~ノダ」という形式とみなし、そこから「~ということは~ということだ」という意味を導き、ノダ文の基本を「事情説明」と位置付けている。このこと自体は特に新見というわけではないが、そこから従来「説明」と呼ばれてきたノダのみならず、ノダ文の全般を巧みに説明している。ノダ文については、様々な見解がせめぎ合っているというのが研究の現状であり、その中でノダ文の本質について、「事情説明」から一貫した論理を展開している点に本論文の特長がある。また非常に大量の用例を調査して、本論中にもそれらを示しており、それら用例の詳細な点検が、随所で細部における新見をもたらしている。このように全般的かつ詳細なノダ文の記述は、先行研究にも類を見ない本研究の特長と言えそうである。

しかし、著者も述べているように、ノダ文は近代日本語においてその表現性を拡大していったようである。本論文は基本的には現代日本語という共時態のノダ文を対象としているが、それがどのように表現性を拡大していったかは、著者の論旨のみならず現在のノダ文研究の有効性をはかる意味でも重要であろう。本論文はその側面でも先駆的な考察を加えたものであって、今後のノダ文研究の水準をさらに向上させてゆくことが期待できる。

本論文の特長は、第一に、膨大な用例を一々検討することによって得られた着実性である。ノダ文については、ここ数十年議論が絶えることなく続いているが、それらの議論にはしばしば観念的な思いこみによる強引な論理展開が目立つ。著者は文脈を含めて個々の用例を詳細かつ柔軟に検討することにより、例えばいわゆる「発見のノダ」のケースなど、各用例の見逃しやすい性質や用例間の思いがけない共通性などを適切に指摘している。このことが本論文の信頼性を高いものにしている。第二に、ノダ文の中心的な機能を「説明」とすることによって、論理構成に全体を見渡しやすい一貫性が得られている。ために、一見例外的と思われる事例の中にも一般性の高い性格を興味深く指摘することに、しばしば成功している。また論理が一貫することによって、かえって例外的な事象の指摘にも成功しているケースが認められる。

ただ、この特長の第一点と第二点とは、常に美しく調和するとは限らない。第8章の「命令・決意・忠告のノダ」において、当該タイプのノダと「説明のノダ」との共通性については新発見も伴って巧みに説明されているが、その指摘は「命令・決意・忠告のノダ」の性格の一面に止まっていると述べざるを得ない。しかし、この点著者は柔軟であって、論旨は強引に終始することはなく、近代におけるノダの文法化の過程で用法の拡張が生じてきたと思われることを示唆している。その意味で本論文は、ノダ文研究の現状の水準とともに今後の研究の方向性をも示している点で、貴重であると考えられる。

したがって、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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