学位論文要旨



No 128583
著者(漢字) 中西,麻澄
著者(英字)
著者(カナ) ナカニシ,マスミ
標題(和) 古代ローマ社会における馬 : モニュメント、美術作品から読み解く、ローマ人の馬へのまなざし
標題(洋)
報告番号 128583
報告番号 甲28583
学位授与日 2012.07.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1167号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池上,俊一
 東京大学 准教授 高橋,英海
 東京大学 准教授 筒井,賢治
 東京大学 元教授 本村,凌二
 武蔵野美術大学 教授 篠塚,千恵子
 東京藝術大学 非常勤講師 中村,るい
内容要旨 要旨を表示する

研究の対象と方法論:西洋の美術表現において、動物の中では馬が最も多くあらわされた。しかし、例えば「《マルクス帝騎馬像》研究」などの個別研究ではなく、「馬」だけを対象とした研究は未だに十分なものがない。本論は、基本的に文字史料ではなく、古代ローマ時代のモニュメントや美術作品を基礎史料とする所に方法論的特徴があり、そこから古代ローマ社会における馬と人の関係を読み解くことを目的とする。具体的には、本論は二部構成をとり、まずカタログ編として、約1000頭の馬の図像を収集し、各図像を考察・分類し、カタログ化した。これを基礎史料として論文編にて考察を行なった。これらの論文編、カタログ編に共通し、形式ごとに6つに章立てをした。第1章コイン、第2章記念柱、第3章凱旋門、第4章騎馬像、第5章皇帝親衛騎馬部隊騎士の墓碑、第6章モザイク画である。この様な個別の考察から、一つ一つの事例を集積し、そこから帰納法的に原理原則を探り、終章にて「古代ローマ人の馬へのまなざし」としてまとめることができた。また、本論は今後のこの分野の基礎史料になりうるため、文字史料(スエトニウス『ローマ皇帝伝』、スパルティアヌス他『ローマ皇帝群像』、ディオ『ローマ史』、ウェルギリウス『農耕詩』等)も引用した。

各章の要旨:まず第1章コインでは、共和政期の前268年から帝政期の後238年までの約500年間にわたる、古代ローマの馬図像総覧を作成した。コインは画面は極めて狭いが、発行年代が明確で、数量的に豊富なため、時期ごとの重要作例が明確となった。一次史料には、世界屈指のコレクションを誇る大英博物館のカタログGRUEBER, Coins of the Roman Republic in the British Museum. (3 vols.), 1910 (reprint 1970). ; MATTINGLY, Coins of the Roman Empire in the British Museum. (6 vols.) 1923-62 (revised ed. 2005 )を用いた。史料数は21,000以上あり、この中に馬の図像は2785点もあった。本論では、そこから234点を図版入りでカタログ化した。これをもとに論文では、まず頻出図像(ディオスクリ、騎士と騎馬像、戦車)について考察し、次に「火葬台上の戦車」図像等から、人と馬の関係について述べた。最後に古代ローマの「馬のコイン」の最も大きな特徴、「人のいない馬だけの図像がない」点について、「馬の肖像」と題してまとめた。

第2章記念柱では、《トラヤヌス帝記念柱》(113年)と《マルクス帝記念柱》(193年以降)浮彫を対象とした。プロパガンダとしてのフィルターをかけられてはいるが、戦争絵巻物の観を呈するナラティヴなそのれらの浮彫は、単なる戦闘場面だけではなく、馬を使った移動や輸送、和解交渉や、降伏、さらにマージナルな、麦刈りや馬に水を飲ませる場面等もある。当時の馬の使用の仕方や、時代を問わず変わらない、馬と人の親密な様子が見られる。本論カタログ編では、馬一頭ずつを「ナンバリング」した。その過程で一頭ごとに、ローマ軍馬と敵の馬、同盟軍の馬、戦利品の馬、ラバを見分けながら、観察、記録した。カタログ編にはこれら464頭を、色分けしたナンバーで示した。その結果、「落馬」、「ドナウを渡る」の二場面の新解釈も提示できた。また馬の四つの歩様(停止、並足、駆足、襲歩)がパターン化された表現であったことや、両柱の様式的相違も明らかにできた。

第3章凱旋門では、ローマに現存する、浮彫画のある三つの門について考察した。それらのうち最も初期の《ティトゥス帝凱旋門》(81年以降)にある「凱旋行進」浮彫では、ティトゥスと馬たちと凱旋戦車それぞれの向きが一致しない表現がなされている。この問題に関しては、ヨセフス『ユダヤ戦記』等からの実際の凱旋行進の様子を考慮に入れ、この凱旋門浮彫の凱旋行進と、未来にこの凱旋門をくぐる行進との「二重の凱旋行進」がイメージされていた可能性を提示した。203年建立の《セウェルス帝凱旋門》の浮彫モチーフは、非常に細かく小さいが、それは門上の主役の凱旋戦車彫像(現存せず)を目立たせる目的のためと考えられる。そして浮彫の馬たちは、「騎乗して逃走する敵」と「余裕の引き馬のローマ軍」の二種類の図像に厳密にプログラムされていた。4世紀初頭の《コンスタンティヌス帝凱旋門》は、皇帝自身の浮彫のみならず、トラヤヌス帝、ハドリアヌス帝、マルクス・アウレリウス帝の別のモニュメントから移された大浮彫板がはめ込まれているため重要である。どの皇帝の浮彫にも馬は登場するが、中でもトラヤヌスの皇帝騎馬戦闘図は非常に稀な図像である事がわかった。また記念柱浮彫とは相反する様式の問題も浮かび上がった。

第4章騎馬彫像では、主に当時の唯一の現存作例ともいえる《マルクス・アウレリウス帝騎馬像》(161~180年)を考察した。まず当時の騎馬像の歴史や馬、馬具を概観し、同時代の「馬術書」が未発見のため、古代ギリシアのクセノポン『馬術について』を参考史料とした。そのうえで、《マルクス帝騎馬像》を騎乗術や解剖学的整合性から考察した結果、写実的ではなく、頸の位置と歩く後肢が矛盾する、ローマの騎馬像独自の「ローマ型歩行後肢」の形が見出された。しかもこの馬の形は、以後近代まで、騎馬像の定型として継承され続けていたのである。この形が古代ローマでつくられ、定着した背景として、当時の社会における騎馬行進の重要性、およびキルクス競走が生活に浸透していた事との関連を考察した。

第5章皇帝親衛騎馬部隊騎士の墓碑(主に2~3世紀)では、浮彫と銘文について扱った。一次史料としてSPEIDEL, M. P., Die Denkmaler der Kaiserreiter. Equites Singulares Augusti, 1994のカタログを用いた。この本も同様、碑文のカタログは通常、「碑文」部分の年代、書体、枠取り等を基準に墓碑を分類する。しかし本論カタログ編では、まず一度その分類を放棄し、墓碑表面を広く占める「浮彫画」を基準に新たに図像分類し、それに従い墓碑そのものも分類し、その後、浮彫図像と銘文を対照させる方法を用いた。その結果、騎士の階級により、その墓碑に付される浮彫画が決まっているものがある事がわかり、馬との距離にもそれぞれ違いがあることが明らかになった。例えばロングレーン図の浮彫画を墓に持つ皇帝親衛騎馬部隊騎士は、自分で馬を引くことはなく、馬丁を持っていた。また親衛騎馬部隊騎士は、自ら馬を引き、その姿を馬を伴う肖像のような墓碑浮彫にしたり、本人自身が騎乗し曲乗りする浮彫を墓碑に用いていた。

第6章モザイクは、3,4世紀を中心とし、その遺構は主に属州(アフリカ、特にチュニジア)にあり、現在(2012年)の社会情勢から現地調査もできず、限られた史料からカタログ編を作成せぜるをえなかった。それでも風景、狩猟、キルクス、肖像の4つに図像分類できた。中でも「馬の肖像モザイク」は非常に特異、かつ最もローマ人気質をあらわす、小サイズの大きな存在であることが明らかとなった。なぜなら古代ローマの馬図像の大原則―馬の像は、必ず人物像に伴う―を破るからである。このように特別な「馬の肖像」の存在の背景には、「勝つことを愛する」ローマ人気質を見出すことができた。加えて、肖像の馬たちの多くはその名も一緒に書かれていた。そこから筆者は、モザイク、碑文、工芸品等から約400頭の「馬の名前」リストを作成し、本論カタログ編巻末にAppendixとして付した。

終章として、モニュメントや美術作品から読み解いた5つの特徴をまとめた。1)ローマの騎馬像では、現代では可能なコマ送り写真と比較すると、強く屈撓した頸と歩く後肢が矛盾する馬の形態がしばしば見られた。これらを本論では、「ローマ型歩行後肢」、「ローマ型襲歩後肢」と名付けた。これは表現の未熟さ故ではなく、実際に馬に乗った時の騎乗感覚が表現させたもので、本論はこれを「古代ローマ人にとってのリアリティー」と解釈した。2)古代ローマの馬の美術表現での非常に大きな特徴が、一画面内に、馬一頭だけをシンボル的にあらわさず、常に人間像に伴うものとして馬像を表現した。これは、古代ローマ人独特の、動物や怪物に対する「人間優位」のメンタリティーによるものであるとわかった。3)しかし唯一の例外が、小画面の《競走馬の肖像画》モザイクである。この美術表現上の特例的存在は非常に重要である。なぜならこれらは、戦争が頻繁にあった古代ローマ人ならではの「勝利」に対する絶大な価値観から生まれたと考えられるからである。4)勝者ローマを形象化したプラス・イメージと敗者のマイナス・イメージ両方が見出された。これらのマイナス・イメージは、プラス・イメージを引きたてる目的以上に、古代ローマ人の現実主義が原動力となり、描かせたものと強く推測される。

最後に、5)「古代ローマ人の馬へのまなざし」を次の3つの側面に集約できた。人間像のない馬だけの画面を原則として作らない「人間優位のたてまえ」があるが、「コンパニオン・アニマルとしての現実」では、馬を犠牲式や葬式に参加させ、多数の馬に人間と同じ名前を付けた。また多くの引き馬図から、日常身近に馬がいて、馬を世話する姿が見てとれる。ただし「時に溺愛するが、けっして崇拝しない」という一線があった。史料には馬を溺愛する皇帝の姿が見られたが、馬の表現を見ると、カルタゴのコインのように、馬を一頭だけシンボルのようにあらわし一種崇める感覚は、基本的に、ローマ人にはなかったのである。

審査要旨 要旨を表示する

論文提出者の博士学位請求論文(甲)の審査結果は、以下の通りである。

論文タイトルは、「古代ローマ社会における馬―モニュメント、美術作品から読み解く、ローマ人の馬へのまなざし―」で、審査は、平成24年5月12日(土)、10~12時に18号館コラボレーションルーム4で開催された。審査委員は、専攻から、池上俊一、高橋英海、筒井賢治の3名、ほかに本村凌二(元本学教授)、篠塚千恵子(武蔵野美術大学教授)、中村るい(東京藝術大学非常勤講師)の計6名で、池上が主査を務めた。

まず提出論文の内容を簡単に紹介してから、評価を述べたい。

本論文は、これまでの古代ローマの馬についての研究の欠落を埋めるために、モニュメントや美術作品を基礎史料とし、そこから古代ローマ社会における馬と人の関係を読み解くことを目的としている。本論は大きく二部構成をとっている。まずカタログ編では、約1000頭の馬の図像を収集し、各図像を考察・分類し、カタログ化している。そしてこれを基礎史料として、論文編での考察を行なっている。

まず第1章「コイン」では、共和政期の前268年から帝政期の後238年までの約500年間にわたる、古代ローマの馬図像総覧を作成することから始めている。コインは画面は極めて狭いものの、発行年代が明確で数量的に豊富なため、時期ごとの重要作例が明確だという利点がある。筆者は大英博物館のコレクションより馬の図像を2785点発見し、そのうち典型的なもの234点を図版入りでカタログ化した。これをもとに論文では、まず頻出図像(ディオスクリ、騎士と騎馬像、戦車)について考察し、次に「火葬台上の戦車」図像等から、人と馬の関係について考察している。

第2章「記念柱」では、《トラヤヌス帝記念柱》(113年)と《マルクス帝記念柱》(193年以降)浮彫が対象になっている。戦争絵巻物の観を呈するナラティヴなそれらの浮彫には、単なる戦闘場面だけではなく、日常生活図もあり、当時の馬の使用の仕方や、馬と人の親密な様子が見られる。馬一頭ずつを「ナンバリング」し、その過程で一頭ごとに、ローマ軍馬と敵の馬、同盟軍の馬、戦利品の馬、ラバを見分けながら、観察、記録していき、その結果、「落馬」、「ドナウを渡る」の二場面の新解釈が提示されている。また馬の4つの歩様(停止、並足、駆足、襲歩)がパターン化された表現であったことや、両柱の様式的相違も明らかにされている。

第3章「凱旋門」では、ローマに現存する、浮彫画のある3つの門について考察されている。それらのうち最も初期の《ティトゥス帝凱旋門》(81年以降)にある「凱旋行進」浮彫では、ティトゥスと馬たちと凱旋戦車、それぞれの向きが一致しない表現がなされているが、これについて筆者は、この凱旋門浮彫の凱旋行進と、未来にこの凱旋門をくぐる行進との「二重の凱旋行進」がイメージされていた可能性を提示している。203年建立の《セウェルス帝凱旋門》の浮彫モチーフが非常に細かく小さい理由については、門上の主役の凱旋戦車彫像(現存せず)を目立たせる目的だとの仮説が示されている。4世紀初頭の《コンスタンティヌス帝凱旋門》には、皇帝自身の浮彫のみならず、別の皇帝のモニュメントから移された大浮彫板がはめ込まれているが、それらの分析から、記念柱浮彫とは相反する様式の問題が浮かび上がってきた。

第4章「騎馬彫像」では、主に当時の唯一の現存作例ともいえる《マルクス・アウレリウス帝騎馬像》(161~180年)が考察されている。当時の騎馬像の歴史や馬・馬具の検討、文字史料との突き合わせなどを経て、《マルクス帝騎馬像》を騎乗術や解剖学的整合性から考察した結果、これは写実的ではなく、そこには、頸の位置と歩く後肢が矛盾する、ローマの騎馬像独自の「ローマ型歩行後肢」の形が見出されることが明らかにされた。そしてこの形が古代ローマで作られ定着した背景として、当時の社会における騎馬行進の重要性、およびキルクス競走が生活に浸透していた事実との関連が指摘されている。

第5章「皇帝親衛騎馬部隊騎士の墓碑」(主に2~3世紀)では、通常の分類基準を離れ、墓碑表面を広く占める「浮彫画」を基準に新たに図像分類し、その後、浮彫図像と銘文を対照させる方法が用いられている。その結果、騎士の階級により、その墓碑に付される浮彫画が決まっているものがある事が分かり、馬との距離にもそれぞれ違いがあることが明らかになった。

第6章「モザイク」は、風景、狩猟、キルクス、肖像の4つに図像分類されている。中でも「馬の肖像モザイク」は非常に特異で、かつローマ人気質を最もよく表すものであることが明らかとなった。というのは、これは古代ローマの馬図像の大原則を破り、馬に人物像が伴っていないからで、この特別な「馬の肖像」の存在の背景には、「勝つことを愛する」ローマ人気質を見出すことができると考えられている。

以上6章に渡る考察の結果、明らかになったのは、1)ローマの騎馬像では、強く屈撓した頸と歩く後肢が矛盾する馬の形態がしばしば見られるが、これは表現の未熟さ故ではなく、実際に馬に乗った時の騎乗感覚が表現させたものだと解釈できる。2)古代ローマの馬の美術表現での非常に大きな特徴は、一画面内に、馬一頭だけをシンボル的にあらわさず、常に人間像に伴うものとして馬像を表現した点だが、これは、古代ローマ人独特の、動物や怪物に対する「人間優位」のメンタリティーによるものである。3)しかし唯一の例外が、小画面の《競走馬の肖像画》モザイクであるが、この特例は、戦争が頻繁にあった古代ローマ人ならではの「勝利」に対する絶大な価値観から生まれたと考えられる。4)勝者ローマを形象化したプラス・イメージと敗者のマイナス・イメージ両方が見出された。これらのマイナス・イメージは、プラス・イメージを引きたてる目的以上に、古代ローマ人の現実主義が原動力となり、描かせたものだと強く推測される。

以上が、本論文の概要である。馬についての図像を1000点集め、綿密に観察・分類・記述した研究はこれまで存在せず、じつにスケール壮大で、審査員一同、驚きを覚えながら本論文を読んだ。とくに、ナンバリングという手法が、大きな効果を発揮した仕事だと、高く評価することができる。つまり馬の種類を見分け、それが敵か味方か同盟軍か、あるいは馬かラバか・・・などを区別したのは画期的だし、カタログにすべてdescriptionを付けたことも好感が持てる。また約400頭の「馬の名前」リストも有用である。この「カタログ」作成のみでも大変な仕事で、これは世界に問うことのできる仕事であろう。

論文本体のほうも、その論旨は大筋では納得できるものである。美術史のみならず、地域史・社会史的な観点も採り入れいて、その意味でも豊かな肉付けがなされている。全6章のなかでも「記念柱」についての章は、とくに優れている。この「記念柱」は、美術史学界でも有名な作品であるが、これを馬に焦点を当て、「馬の身振り言語」を徹底的に解明してから作品全体を解釈し直すことにより、今までとはまったく違う図像の意味が見えてきたのである。それは、何より、本論文の刮目すべき方法である、自身の馬との付き合いおよび乗馬体験を原動力として新知見を導きだす・・・という方法の勝利だと思われる。馬に本当にこのような格好はできるのか、馬の個々の身振りは馬のどんな気持ちに対応しているのか、こうした馬についての深い理解から、はじめて正確な作品解釈ができることが説得力をもって示された。たとえば筆者は、マルクス・アウレリウスの騎馬像の形が、本当にできる否かを、自分で実際に馬に乗ってやってみた上で仮説を示している。この「馬の身振り言語」解明により、本論文においては、通説の多くが覆されたが、これまで「ダキア族の敗北の予徴」と解釈されていた「落馬」シーンは、じつは「ローマ兵にとっての皇帝の寛容さ」を主張するプロパガンダとしての図像だということが分かったことは、とくに意義深い。

ただし、カタログの画期的意義、および論文の中の数多くの独創的解釈に大いに感心しながらも、本論文には欠点がないわけではないことが、複数の審査員より指摘された。

まず、「馬を愛する人」としての筆者の動機が前面に出ているが、これは最大の長所・武器であるとともに、ともすると主観的な思い込みに陥りやすいという危うさを孕んでいる。とりわけ結論部分の、「古代ローマ人の馬へのまなざし」のところで、ローマには人間像のない馬だけの画面を原則として作らない「人間優位のたてまえ」があるとしたり、さらに馬を一頭だけシンボルのように表して崇める感覚はローマ人にはなかった、としているが、それらの結論はあまりに性急かつ素朴で、ギリシャやカルタゴなど、ローマ以外の馬とも比較しないとならないのではないかと思われる。またこれとも関連するが、「ローマ人」一般が主語になって議論が進められ、時代による差、身分や立場の違い、あるいは地域による差はないのか、疑問が残る。

それから6章に分けて馬図像の媒体ごとに論じているが、それら媒体の間の質の問題が十分に考慮されておらず、すべてが平均化された上で網羅的に扱われている。そうした扱い方によって見えてくるものももちろんあるが、逆に見えなくなることもあるのではないだろうか。第一級作品の墓碑と、コインなど二次的芸術とには差異があり、アプローチの仕方も変えるべきではないかと思われる。

さらに図像を補うものとして文字史料も使っているが、たとえばスエトニウス、ディオ、カッシウス、ウェルギリウスなどを使いながら、なぜウァッロを使わないのか、選択規準が不明だし、またNew Paulyなど百科事典的な参考文献に依拠している記述部分も多くあり、専門研究をもっと参照したほうがよかった。

最後に、地名の同定の誤りや、誤字も散見される。

以上、いささかの欠点なしとはしないが、本論文のスケールの大きさとオリジナリティーの高さは、それを補って余りあるものである。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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