学位論文要旨



No 128584
著者(漢字) 渡邊,裕也
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ユウヤ
標題(和) 高齢者を対象とした筋発揮張力維持スロー法に関する研究
標題(洋)
報告番号 128584
報告番号 甲28584
学位授与日 2012.07.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1168号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 中澤,公孝
 東京大学 准教授 工藤,和俊
 東京大学 准教授 久保,啓太郎
 東京大学 准教授 福井,尚志
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

ヒトは加齢とともに筋萎縮、筋力低下が生じる。これをサルコペニア(加齢性筋減弱症)と呼ぶ。サルコペニアは高齢者にとって健康上大きな問題であり、介護予防の観点からその予防・改善は社会的に重要な課題である。現在、サルコペニア予防に最も有効と考えられている処方はレジスタンストレーニングである。一般的に、筋肥大・筋力増強を目的とした場合、最大挙上重量(1RM: one-repetition maximum)の80%(80% 1RM)程度の比較的高負荷強度を用いることが広く推奨されており、65% 1RM以下の負荷強度では筋持久力の向上は認められるが、筋肥大効果はほとんどないとされている。レジスタンストレーニングにおける負荷強度の重要性は高齢者にも当てはまるとされるが、高齢者が高負荷強度レジスタンストレーニングを実施する場合、筋力発揮に伴う強いメカニカルストレスや循環器への負担が懸念され、安全性に注意する必要がある。

一方、低速度で筋発揮張力を維持した状態で動作する「筋発揮張力維持スロー法(LST: Low intensity resistance exercise with slow movement and tonic force generation)」は、50% 1RM程度の比較的低負荷強度でも、標準的な高負荷強度レジスタンストレーニング(約80% 1RM)と同程度の筋肥大・筋力増強効果をもたらすことが報告されている。LSTは用いる負荷が軽いため、安全で効果的なレジスタンストレーニング法として期待されているが、高齢者を対象とした研究報告はない。そこで、本博士論文では、高齢者がLSTを実施したときの長期的効果および一過的生理応答を検討し、実際の現場での運用を想定したプロトコル(集団指導・自体重負荷)でのトレーニングへとつなげることを目的として研究を行った。

【研究1】高齢者を対象とした筋発揮張力維持スロー法(LST)の筋肥大・筋力増強効果の検討

研究1では、高齢者がLSTを実施したときの筋肥大・筋力増強効果を検討することを目的とした。比較対照群として、LSTと同負荷強度、同トレーニング容量(反復回数 × セット数)で通常の動作速度で行うレジスタンストレーニング(LN: Low intensity resistance exercise with normal speed)を設定した。59~76歳の軽度の運動習慣のある高齢者35名(男性17名、女性18名)をLST群、LN群の2群に分け、12週間の運動介入実験(週2回実施)を行った。両群ともレジスタンストレーニングの負荷強度は50% 1RM、反復回数およびセット数は8回、3セットとした。各群のレジスタンストレーニングの動作様式はLST群で3秒エキセントリック、3秒コンセントリック、1秒アイソメトリックの動作とし、LN群で1秒コンセントリック、1秒エキセントリック、1秒リラックスの動作とした。運動種目はレッグエクステンションおよびレッグカールとした。運動介入前後で大腿前部・後部の筋厚(超音波法)および膝伸展・屈曲の筋力を測定した。その結果、LST群では運動介入前に比べ有意な筋厚の増加および筋力増強が確認された。一方、LN群では運動介入により有意な筋力増強が認められたが、筋肥大効果に関しては限定的であった。

【研究2】高齢者を対象とした筋発揮張力維持スロー法(LST)の一過的生理応答の検討

LSTが比較的低負荷強度を用いながらも筋肥大をもたらすメカニズムは完全に解明されていないが、運動中の持続的な筋張力発揮によって引き起こされる主働筋の筋酸素化レベルの著しい低下(高負荷強度レジスタンストレーニングよりも著しく低下)や成長ホルモンなどの分泌亢進といった一連の一過的生理応答が重要な役割を果たしていると考えられている。しかし、高齢者がLSTを実施した場合の一過的生理応答は不明である。そこで研究2では、高齢者がLSTを実施した時の一過的生理応答を高負荷強度(80% 1RM)通常レジスタンストレーニング(HN: High intensity resistance exercise with normal speed)、低負荷強度(50% 1RM)通常レジスタンストレーニング(LN)を実施した時と比較した。反復回数とセット数はすべての運動試技で8回×3セットとした。61~76歳の健康な高齢者24名(男女各12名)を被験者とした。採血を運動開始前、運動直後、20分後に行い乳酸、成長ホルモン、ノルアドレナリン、コルチゾールの血中濃度を測定した。さらに、運動による収縮期血圧の変化も測定した。その結果、ノルアドレナリンの血中濃度はLSTにより有意に上昇したが、主働筋の筋酸素化レベルの著しい低下や血中成長ホルモン濃度の上昇は起きなかった。また、LSTによる収縮期血圧の上昇度はLNと同程度で、HNに比べ有意に低値を示した。

【研究3】30% 1RM負荷強度で行う筋発揮張力維持スロー法(LST)の筋肥大・筋力増強効果の検討

研究1、2により、少なくとも高齢者においては、主働筋の筋酸素化レベルの著しい低下や血中成長ホルモン濃度の上昇といった一連の一過的生理応答はLSTによる筋肥大と強い関係性がないことが示唆された。したがって、一過的生理応答を引き起こすために必要とされた負荷強度50% 1RMという条件も高齢者に対しては成立しない可能性がある。そこで、研究3では、より負荷強度の低い30% 1RMで行うLSTが高齢者に対して筋肥大・筋力増強に効果的か否かを検討することを目的とした。なお、反復回数は研究1とトレーニング容量を合わせるため13回とした。60~77歳の健康な高齢者18名(男性14名、女性4名)をLST群、LN群の2群に分け、12週間の運動介入実験(週2回実施)を行った。運動種目はレッグエクステンションとした。運動介入前後で大腿四頭筋の筋横断面積(MRI法)および膝伸展の筋力を測定した。その結果、LST群では運動介入前に比べ有意な筋横断面積の増加が確認されたが、LN群では有意な変化は認められなかった。一方、筋力に関しては、両群ともに運動介入により有意に増加した。

【研究4】筋発揮張力維持スロー法(LST)の現場応用

これまでの研究から、低負荷強度(30~50% 1RM)で行うLSTは高齢者においても、比較的安全に実施可能で筋肥大・筋力増強に効果的であることが示された。しかし、研究1、3は専用のレジスタンストレーニングマシンを用いたマンツーマン指導の運動介入であり、実際の現場での運用を考えると広く実践できる汎用性の高い方法とは言い難い。実際の介護予防・健康維持増進を目的とした運動教室では、スクワットなどの自体重レジスタンストレーニングを集団指導で行うことが一般的である。LSTは30% 1RMの負荷強度でも筋肥大・筋力増強が生じることから、特別な器具を使わずに実施できる自体重レジスタンストレーニングに応用することで、従来よりも大きな筋肥大・筋力増強効果を期待できるかもしれない。しかし、LSTは筋を肥大させるという点では極めて効果的である一方、ダイナミックな動作における神経系の改善という点ではあまり効果的でないことが指摘されている。このことは、立ち上がり速度や歩行速度のような日常の実動作における運動機能の改善をあまり期待できないことを示唆しており、高齢者の総合的な機能改善には、LSTと神経系の機能に特化したプログラムを組み合わせることが必要であると考えられる。そこで本研究では、集団指導による自体重レジスタンストレーニングと動作改善トレーニングを組み合わせた運動プログラムを高齢者に対して介入して、その筋肥大・筋力増強効果および運動機能改善効果を異なるレジスタンストレーニングの動作様式(LSTとLN)で比較することを目的とした。60~75歳の軽度の運動習慣のある高齢者39名(男性20名、女性19名)をLST群、LN群の2群に分け、16週間の運動介入を行った。運動の頻度は週3回(1回は運動教室での集団指導、2回は自宅での自主運動)とした。レジスタンストレーニング種目はスクワット、スプリットスクワット、プッシュアップ、バックエクステンション、ニートゥーチェストの5種目とし、動作改善トレーニングは反動壁プッシュアップ、反動椅子立ち上がり運動、反動起き上がり運動、大股歩きの4種目とした。セット数は各1セットとした。運動介入前後で全身7部位(上腕部前後、胸部、腹部、上背部、大腿部前後)の筋厚(超音波法)、膝伸展および肩水平内転の筋力、運動機能(歩行速度、椅子座り立ち時間、開眼片足立ち、2ステップ値、脚伸展パワー)を測定した。その結果、両群とも膝伸展、肩水平内転の筋力、2ステップ値、脚伸展パワーは有意に増加し、椅子立ち上がり時間は短縮する傾向が認められた。しかし、歩行速度および全身7部位(上腕部前後、胸部、腹部、上背部、大腿部前後)の筋厚に有意な変化は認められなかった。なお、いずれの測定項目においても有意な群間差は認められなかった。

【まとめ】

本研究により、高齢者におけるLSTについて、1)負荷強度50% 1RM、8回×3セットのプロトコルを長期介入することで筋肥大・筋力増強が生じること、2)若齢男性を対象とした先行研究でLSTによる筋肥大に重要な役割を果たしていると考えられている一連の一過的生理応答が高齢者では観察されないこと、3)LSTは高齢者においても収縮期血圧の上昇度が低い比較的安全なレジスタンストレーニング法であること、4)負荷強度30% 1RM、13回×3セットのプロトコルを長期介入することで筋肥大・筋力増強が生じること、5)LSTによる自体重レジスタンストレーニングと動作改善トレーニングを組み合わせた運動プログラムは各種目1セットであっても軽度の運動習慣を有する高齢者の筋力増強・機能改善に効果的であるが、筋肥大効果は認められないことが示された。これらの結果と文献などの情報をまとめると、LSTによる長い筋力発揮時間や大きな力積が筋肥大と関連している可能性が考えられる。本研究により得られた知見は高齢者のサルコペニア予防に効果的かつ安全に実施可能で汎用性の高いレジスタンストレーニング法の開発に寄与するものであると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

加齢に伴う骨格筋量の減少(サルコペニア)は、転倒、自立不能、全身的な衰弱、糖代謝機能の低下などの要因となる。したがって、介護予防の観点から、効果的にサルコペニアを予防・改善する方法を開発し普及することは喫緊の課題といえる。これまでの研究から、サルコペニアの予防・改善に最も効果的な手段はレジスタンストレーニング(筋力トレーニング)であるとされている。しかし、レジスタンストレーニングによって筋肥大や筋力増強をはかるためには、負荷強度条件が最も支配的であり、通常のトレーニング方法の場合には、最大挙上負荷重量(1RM)の約70%以上の負荷強度を用いることが、年齢、性別を問わず推奨されている。一方、高齢者を対象とする場合、このような高負荷強度を用いたトレーニングは、整形外科的な外傷・障害や血圧の急上昇などのリスクを伴うという指摘がある。したがって、より低負荷強度のもとでも、効果的に筋肥大と筋力増強をもたらすトレーニング法の開発が求められる。本論文は、そうした可能性のある方法として、Tanimoto & Ishii (2006)による「筋発揮張力維持スロー法」(Low-intensity training with slow movement and tonic force generation;LST)に着目し、高齢者がLSTを実施した場合の急性効果と長期的効果を詳細に検討することで、その有効性を明らかにしたものである。さらに、得られた知見をもとに、特別な設備を必要とせず集団で行える、実用的な運動プログラムへのLSTの導入も試みている。

本論文は序章を含み全6章からなる。序章は研究の背景、第1章はLSTが筋サイズと筋力に及ぼす長期効果、第2章はLSTに対する一過的生理応答、第3章は負荷強度をさらに低減した場合の長期効果、第4章は実用的な運動プログラムへLSTを導入した場合の効果について論じ、第5章は総括論議となっている。

序章では、サルコペニアの特徴と介護予防との関連性についての先行研究をまとめるとともに、その予防策として、低負荷強度のもとでも筋肥大と筋力増強をもたらすLSTの有用性と可能性について論じている。

第1章~4章はいすれも、平均年齢約70歳の高齢男女(延べ116名)を対象に行った実験について述べたものであり、それらをまとめると次のようになる。下肢筋に対するLST(動作様式、3秒で挙上、1秒静止、3秒で下降;負荷強度50%1RM、8回×3セット、週2回)を12週間行ったところ、有意な筋肥大と筋力増強が生じた。一方、同負荷強度、同トレーニング容量の通常動作様式トレーニング(LN群;1秒で挙上、1秒で下降)を行った場合には、筋力増強効果は認められたものの有意な筋肥大は起こらず、LST群との間で効果に有意差が認められた(第1章)。そこで、LSTの効果のメカニズムについての知見を得るため、運動中および運動直後の生理応答を、LSTとLNのそれぞれの場合で調べた。その結果、LSTではセットの後半に筋活動水準の上昇が見られたが、筋酸素化レベル、血中乳酸濃度、血中アドレナリン濃度、血中成長ホルモン濃度などについてはLSTとLNの間で顕著な差が見られなかった(第2章)。この結果は、若齢者を対象としたTanimoto & Ishii (2006)の報告と異なるものであり、彼らの提唱している「持続的張力発揮による筋内の低酸素化が、筋肥大へとつながる液性因子の増加を引き起こす」というメカニズムが、少なくとも高齢者においては成立しないことを示唆する。同時に、筋内の低酸素化を引き起こすと考えられる閾値(約50%1RM)よりさらに低い負荷強度でも筋肥大効果がもたらされる可能性も示された。そこで、負荷強度を30%1RMにまで低減したLST(膝伸筋を対象、13回×3セット、2回/週、12週)の長期効果について調べた。同負荷強度、同トレーニング容量で行う通常動作のトレーニングを比較対照群とした(LN群)。その結果、LSTでのみ筋横断面積の増加が起こり、LN群との間に有意差が認められた(第3章)。この第3章の結果は、自体重のみを負荷とするLSTにも、十分な筋肥大効果があることを示唆する。そこで、LSTによる自体重負荷のスクワット(1セット)を組み入れた運動プログラムの長期効果を調べた。その結果、筋力増強効果は認められたものの、有意な筋肥大効果は認められなかった。その原因としては、トレーニング容量の不足が考えられた(第4章)。

以上の結果をふまえ、第5章で総括論議を行っている。第1章、3章の結果から、LSTは30~50%1RMという、通常のトレーニングでは筋肥大を生じさせない負荷強度でも筋肥大を引き起こし、運動中の血圧上昇の程度も低いことから、高齢者のサルコペニア予防・改善のために有用な方法であると結論づけられる。また、若齢者を対象とした研究から提唱されているLSTのメカニズムに反し、筋内低酸素化を経ることなく、30%1RMという低負荷強度で筋肥大が起こったことから、その効果のメカニズムにおいては、筋力発揮時間あるいは力積が重要な役割を果たしているのではないかと考察している。

本論文は、高齢者を対象としたLSTが、30%1RM というきわめて低負荷強度でも筋肥大効果をもたらすことを示した点で社会的意義の大きなものと考えられる。こうしたトレーング処方は従来にないものであり、介護予防や運動療法への応用が期待される。また、筋力発揮時間や力積が筋肥大効果に強く影響するという知見は、LST法のみならず、一般的なトレーニングによる筋肥大のメカニズムについて再考を促すものであり、学術的価値も十分に高いものと評価できる。

したがって、本査会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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