学位論文要旨



No 128590
著者(漢字) 中澤,篤史
著者(英字)
著者(カナ) ナカザワ,アツシ
標題(和) 学校運動部活動の戦後の拡大過程および現在の維持過程に関する体育学的研究 : スポーツと学校教育の日本特殊的関係の考察
標題(洋)
報告番号 128590
報告番号 甲28590
学位授与日 2012.09.05
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第201号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,義春
 東京大学 教授 佐々木,司
 東京大学 准教授 東郷,史治
 東京大学 教授 橋本,鉱市
 東京大学 准教授 勝野,正章
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、第一に、学校運動部活動の戦後の拡大過程と現在の維持過程を解明することであり、第二に、それを通じてスポーツと学校教育の日本特殊的関係の構築プロセスを体育学の立場から考察することである。

日本の学校教育には運動部活動がある、そして日本ほど運動部活動が大規模に成立している国は無い。欧州や北米では、学校ではなく地域社会のクラブが青少年のスポーツを提供するのが一般的であり、スポーツが学校教育と切り離されてきた。対して日本では、運動部活動として、一見すると学校教育と関連が無いように思われるスポーツが学校教育の一環として編成され続けてきた。つまり、運動部活動の大規模な成立状況が示唆しているのは、スポーツと学校教育の日本特殊的関係である。

本研究は、このスポーツと学校教育の日本特殊的関係の構築プロセスを、日本の大規模な学校運動部活動の拡大・維持過程の解明を通して考察する。言い換えれば、日本の運動部活動が、どのような歴史的展開の中で大規模に拡大してきたのか、いかにして現在も大規模なままで維持されているのかを明らかにすることで、なぜ日本ではスポーツが学校教育へ結びつけられるのかを考える。

こうした課題設定の含意は、次の通りである。スポーツは、身体を使った一種の遊戯であり、誰かに強制されることなく、本人自身が自由に愉しむものである。他方で、学校教育は、義務として勉強を強制し、しつけや指導として本人の自由に介入するように、スポーツが持つ遊戯の性質と相容れない側面を持つ。そう考えると、スポーツが学校教育へ結びつけられることに、原理的な矛盾があるように思われる。では、日本において、なぜスポーツは学校教育へ結びつけられるのか。これまでの体育学は、スポーツと学校教育の関係を中心課題の一つとしながらも、この問いに適切な解答を与えていない。

本研究は、この問いを解くために、教育学の知見を参照しながら、理念としての〈子どもの自主性〉に注目した。理念としての〈子どもの自主性〉とは、「子どもが、他者からの干渉・介入を受けることなく、自らの意思で自らの行為を決めること」に与えられる教育的価値であり、学校や教師を中心とした教育する側が求める教育的理想である。「子ども」自体に価値を置いた近代教育、その達成を構想した「子ども中心主義」の新教育、そして日本の戦後民主主義教育は、この〈子どもの自主性〉を高く価値づけ、それを学校教育の基軸に据えてきた。しかし、学校と教師から強制的に与えられる教科教育の枠組みの中で、〈子どもの自主性〉は表出され難く、その枠組みのみでは、〈子どもの自主性〉を基軸にした教育は実現できない。そこで、そうした枠組みをはみ出るような自発的な場面を用意する必要があった。その具体的場面の一つが、スポーツではなかったのか。日本の学校教育は、自由な遊戯としてのスポーツに〈子どもの自主性〉を見出したからこそ、知識教授中心の教科教育とは内容的に無関連に思われるスポーツを、学校教育の一環として編成してきたのではないか。すなわち、〈子どもの自主性〉を媒介とすることで、原理的な矛盾を含むスポーツと学校教育が、日本特殊的に強く結びついてきたのではないか。これが本研究を貫く仮説である。

以上の問題関心を下にして、本研究は以下の通り構成された。各章の概要を示す。

第1章では、本研究の目的と基本的な枠組みを論じた。上述の議論に加えて、本研究の方法論的立場を設定し、学校と教師のかかわりに焦点を当てながら、運動部活動の戦後の拡大過程と現在の維持過程を分析するための枠組みを整えた。

第2章では、運動部活動を取り巻く状況と先行研究を検討した。比較体育・スポーツ科学研究のレビューおよび既存の運動部活動研究の包括的レビューを行い、日本の運動部活動の国際的特殊性を指摘し、本研究の研究史上の位置づけを検討した。

続く3章・4章・補章を第I部として、文書資料を元に、戦後の拡大過程を分析した。

第3章では、戦後運動部活動の全体史として、終戦直後から2000年代までの実態・政策・議論の変遷と関係を論じた。そこでは、各種実態調査結果、政策関連資料、図書・雑誌・新聞記事を用いて分析した。結果として、運動部活動の戦後史を、(1)民主主義的確立期(1945年~1953年)、(2)能力主義的展開期(1954年~1964年)、(3)平等主義的拡張期(1965年~1978年)、(4)管理主義的拡張期(1979年~1994年)、(5)新自由主義的/参加民主主義的再編期(1995年以降)に時期区分し、戦後運動部活動が、とりわけ(1)・(3)・(4)の時代に拡大してきたことを明らかにした。

第4章では、戦後運動部活動の個別史として、運動部活動のあり方に対する日本教職員組合の見解を論じた。そこでは、日教組の労働組合/教育研究団体の両側面に注意しながら、全国教研の資料などを用いて分析した。結果として、戦後の教師たちが、「教育か労働か」という葛藤を抱えながら、「全生徒が自主的に」という難問に向き合わざるを得なかったために、選手中心主義を否定し、必修クラブ活動を否定し、社会体育化に躊躇し、その帰結として、運動部活動を消極的ながら維持し続けたことを明らかにした。

続く5章~9章までを第II部として、公立中学校のフィールドワークで収集したデータを元に、現在の維持過程を分析した。

第5章では、分析枠組みを設定し、使用するデータの概要を論じた。そこでは、運動部活動の現在性を踏まえながら、組織レベルでは学校と保護者の関係を分析すべきこと、個人レベルでは教師の積極的/消極的なかかわりを分析すべきことを述べ、フィールドワークで収集したデータの概要を述べた。

第6章では、組織レベルで、学校-保護者関係が運動部活動の存廃に与える影響を論じた。そこでは、保護者の二面的なかかわり、つまり新自由主義的な流れにおける「消費者」としての〈要望〉と、参加民主主義的な流れにおける「協働者」としての〈支援〉に注目し、それらの影響を、顧問教師が異動した際の運動部活動の存廃を通して横断的に比較した。結果として、〈要望〉と〈支援〉の両方があるパターンで比較的スムーズに運動部活動が存続しており、保護者の〈要望〉と〈支援〉が運動部活動の存続へと影響していることを明らかにした。

第7章では、組織レベルで、学校-保護者関係が運動部活動改革に与える影響を論じた。そこでは、運動部活動の存廃が問題となる運動部活動改革に注目し、その運動部活動の継続的な成立に向けて関与した保護者の意識、そのかかわりと学校の対応を縦断的に分析した。結果として、保護者の〈要望〉と〈支援〉の源泉には、運動部活動を肯定的に捉える非合理的な信念があること、それを背景にして増幅する保護者の影響によって、運動部活動改革は運動部活動を存続させるように進行することを明らかにした。

第8章では、個人レベルで、運動部活動へ積極的な顧問教師の困難の意味づけ方を論じた。そこでは、運動部活動に対する教師の積極性/消極性の分岐点となる困難に注目し、運動部活動へ積極的な顧問教師がそれらをどう意味づけているかを、解釈的アプローチを用いて分析した。結果として、顧問教師の主観においては、教育的な意味づけ方によってそれらの困難を乗り越えており、それゆえ顧問教師は積極的に運動部活動へかかわり続けていることを明らかにした。

第9章では、個人レベルで、運動部活動へ消極的な顧問教師を動機づけ、水路づける文脈を記述的に分析した。そこでは、フィールドの中で運動部活動へ消極的であった顧問教師が、それでも運動部活動へかかわり続ける理由として、(i)個人的志向とは別に、個人を取り巻く(ii)教師-生徒関係、(iii)教師-教師関係、(iv)職場環境という文脈があることを明らかにした。

第10章では、総括論議を行った。運動部活動の拡大・維持過程については、それを強く肯定してきた積極的な過程と、完全には否定できなかった消極的な過程があることを指摘した。すなわち、積極的な過程として、運動部活動は、民主主義・平等主義・管理主義という各時代の学校教育の背景の中で拡大してきたのであり、顧問教師の教育的意味づけによって維持されている。と同時並行的に、消極的な過程として、民主教育を追求するがゆえに縮小されることなく、新自由主義/参加民主主義を媒介し体現する保護者の存在と影響、そして教師を取り囲む学校教育の文脈によって解体されなかったのである。

それを踏まえて、スポーツと学校教育の日本特殊的関係の構築プロセスについて、それが戦後民主主義教育の中で、〈子どもの自主性〉への価値づけと広がりを介して構築されてきたことを指摘した。ただし、この構築プロセスの内部には、〈子どもの自主性〉のために学校と教師が意図的・計画的にかかわろうとすれば、皮肉にもその意図性・計画性によって〈子どもの自主性〉自体が壊れてしまう、という逆説があった。つまり〈子どもの自主性〉を媒介とすることで、スポーツと学校教育の結びつきは、緊張関係を内在化させることになった。しかし、この逆説と緊張関係は、教育を巡る特殊な意味づけ方(例えば〈子どもの自主性〉をより良く発展的に更新するために、学校と教師のかかわりを正当化するような意味づけ方)によって回避され緩和されていた。その結果、スポーツと学校教育の結びつきは、決定的な分裂に至らず、緊張関係を内在化させたまま保持される。こうしたプロセスを経て、〈子どもの自主性〉を媒介としたスポーツと学校教育の日本特殊的関係が、構築されてきたのである。

以上を結論として、最後に本研究の体育学的意義と今後の課題を述べてまとめとした。

審査要旨 要旨を表示する

日本の学校教育には運動部活動があり、また日本ほど運動部活動が大規模に成立している国は他に無い。こうした運動部活動の存在は、スポーツと学校教育が強く密接に結びつくという日本特殊性を示している。他方で、既存の教育研究はこの運動部活動を十分に分析しておらず、そこから捉えられる日本の学校教育の特殊性について考察してこなかった。そうした研究状況を踏まえ、本論文は、体育学の立場から、中学・高校の運動部活動の戦後から現在に至る拡大・維持過程を解明し、そのことを通じて、スポーツと学校教育の日本特殊的関係がいかにして構築されてきたのかを考察することを目的としている。

本論文は、全10章から構成されている。まず第1章で、研究の背景と目的、方法論的立場と分析枠組みが示され、第2章では、運動部活動を取り巻く社会的状況や、体育学・スポーツ科学などの関連分野の先行研究が包括的に整理・検討され、本研究の学術的な意義と位置づけが示される。

第3章・第4章が、戦後の拡大過程に関する実証部分にあたる。第3章では、戦後運動部活動の全体史として、終戦直後から2000年代までの実態・政策・議論の変遷と関係が、各種実態調査結果、政策関連資料、図書・雑誌・新聞記事を用いて論じられる。第4章では、戦後運動部活動の個別史として、運動部活動のあり方に対する日本教職員組合の見解の構図が、教育研究全国集会関連資料を用いて論じられる。

第5章から第9章が、現在の維持過程に関する実証部分にあたる。第5章で、分析の準備として、分析枠組みが設定され、7年間に及ぶ公立中学校のフィールドワークで収集したデータの概要が述べられる。そして、組織レベルでの学校-保護者関係に焦点が当てられ、第6章では、複数事例の横断的比較から、学校-保護者関係が運動部活動の存廃に与える影響が分析され、第7章では、単一事例のインテンシブな縦断的追跡から、学校-保護者関係が運動部活動の改革に与える影響が分析される。次に、個人レベルでの顧問教師のかかわりに焦点が当てられ、第8章では運動部活動へ積極的な顧問教師を対象として、第9章では運動部活動へ消極的な顧問教師を対象として、顧問教師自身が運動部活動へのかかわりをどう意味づけているかが分析される。

以上を踏まえて第10章では、結論として、運動部活動の拡大・維持過程が、各章の分析結果を総合させながら議論され、スポーツと学校教育の日本特殊的関係の構築プロセスが考察されている。

本論文は、第一に、既存研究が十分に分析してこなかった運動部活動の成立の仕組みを体系的に解明した点、第二に、それによって、一見すると学校教育と無関連に思われるスポーツとの関係という側面から捉えた日本の教育の特徴を明らかにした点で、特に意義が認められる。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。

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