学位論文要旨



No 128592
著者(漢字) 杉本,直久
著者(英字)
著者(カナ) スギモト,ナオヒサ
標題(和) 糸状菌由来セルロース結合性ドメインの機能解析と応用に関する研究
標題(洋) Functional analysis and application of fungal cellulose-binding domains
報告番号 128592
報告番号 甲28592
学位授与日 2012.09.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3856号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鮫島,正浩
 東京大学 教授 松本,雄二
 東京大学 准教授 五十嵐,圭日子
 東京大学 准教授 和田,昌久
 東京大学 准教授 伏信,進矢
内容要旨 要旨を表示する

第一章 序論

結晶性セルロースは、その界面への吸着能を持つセルラーゼ酵素によって効率的に可溶性オリゴ糖へと分解される。結晶性セルロースに単独で効率的に作用できるセルラーゼのひとつに糸状菌由来セロビオヒドロラーゼI(CBHI)があるが、一般的にCBHIは、加水分解反応を触媒するドメイン(CD)と結晶性セルロースへの吸着能を持つドメイン(CBD)がリンカーで結ばれた2ドメイン構造を有する。そのため、セルロースへの吸着量と分解反応を厳密に対応づけることが難しく、分解時におけるCBDの役割について、未だわからないことが多い。一方、最近になって、結晶性セルロース表面上でCBHIが高密度になるとCBDのみによる非生産的な吸着が上昇し、表面上で部分的に起こる分子の渋滞が分解反応速度を減少させると考えられてきている。このことから、セルロース表面上においてCBDの機能に依存した酵素吸着量を制御できれば、分解効率の改善ができると期待される。

本研究では、結晶性セルロースと糸状菌由来CBDの相互作用に関して詳細に解析することによって、セルラーゼによる結晶性セルロースの分解反応についての新たな知見を得ることを目指した。さらに、CBDのセルロースへの吸脱着能を利用したタンパク質の精製への応用についても検討した。

第二章 CBD融合タンパク質の発現

セルラーゼ分子の触媒ドメインを蛍光タンパク質に置き換え、非生産的結合のみ可能なCBD融合タンパク質を構築することとした。蛍光タンパク質をCDの代わりに保持することで、分子サイズをセルラーゼに近づけ、またタンパク質の正確な濃度測定が行える利点を持つと考えられる。子嚢菌Trichoderma reesei、または担子菌Phanerochaete chrysosporium由来セルラーゼ(CBHI、CBHII)のCDを遺伝子工学的手法により赤色蛍光タンパク質(red-fluorescent protein; RFP)に置き換えたCBD融合タンパク質遺伝子を作製した。それら遺伝子を発現ベクターに連結した後、メタノール資化性酵母Pichia pastorisに導入し、得られた各種形質転換体のタンパク質発現を確認した。メタノールによって誘導した場合、各種CBD融合タンパク質の発現が確認できた。発現条件を最適化することで、発現レベルは、RFP-CBDTrCBHIについて最大で約1 g/Lに達した。

第三章 CBD融合タンパク質のアフィニティー精製

特定物質へのタンパク質のアフィニティーを利用することで簡便なタンパク質の精製法を提供することが期待される。これまで様々なセルロース基質を用いたアフィニティー精製法が開発されているが、糸状菌由来CBDの利用については現在までにほとんど報告がない。そこで、第二章で発現生産させたCBD融合タンパク質を簡便に精製することを目的に、RFP-CBDTrCBHIを用いて結晶性セルロース担体を用いたアフィニティー精製ができるかどうか検討した。この融合タンパク質は、高濃度の硫酸アンモニウム(1 M)存在下でセルロースカラムに強く吸着し、その後、水によって容易に溶出させることができた。一連のこの操作は、疎水性相互作用クロマトグラフィーと同様であるが、疎水的タンパク質であるウシ由来血清アルブミン(BSA)はこの条件下でセルロースカラムに吸着しなかったことから、セルロースに吸着するには疎水性相互作用以外の因子も重要であることが示唆された。また、この時の回収率は室温において約80%と高収率であり、このことは、糸状菌由来CBDは本質的には可逆的に結晶性セルロースに吸着することを示唆する。さらにSDS-PAGE上で単一バンドを与えた。配列の異なるCBD(T. reesei由来CBHII、P. chrysosporium由来CBHI、CBHIIについても検討したところ同様に精製できた。以上のことから、CBDTrCBHIを融合タンパク質のアフィニティータグとして用いた簡便で安価なアフィニティー精製法を提供できるものと考えられた。

第四章 CBDの結晶性セルロースに対する吸着挙動解析

TrCBHIは、結晶性セルロースを効率的に分解できるセルラーゼの一つであるが、非生産的な吸着、つまりCBDのみによる吸着が分解速度を減少させると考えられている。このことから,CBDTrCBHIの結晶性セルロースへの吸着挙動を理解することはセルラーゼの反応効率化を検討する上で大事である。また、CBDを失ったTrCBHIは、結晶性セルロースへの活性は減少する一方で、非晶性セルロースに対しては、ほとんど変化がないことが分かっている。そこで精製したRFP-CBDTrCBHIを用いて、高結晶性セルロース(シオグサ由来Iα-rich)と非晶性セルロース(PASC)に対する吸着解析を行い、結晶性セルロースに対する吸着特性の解明を試みた。得られた吸着データのスキャッチャードプロット解析から、どちらの基質への吸着も単純なLangmuir型の吸着様式ではないことが分かった。そこで、様々な吸着モデル式を用いて解析したところ、実測した吸着データはHillの式で良く近似できる〔シミュレーションできる〕ことが明らかとなり、その場合、負の協同性の存在が示唆された。興味深いことに、I型の結晶性セルロースへの吸着では、低温では負の協同性が強く表れたが、常温になるにつれて負の協同性は解除された。一方で、非晶性セルロースに対する吸着様式にも強い負の協同性が表れたが、それは温度の上昇によっても解除されなかった。このことから、結晶性セルロースに対して観察された負の協同性の解除は、平らで整ったセルロース結晶表面でのみ観察されるものと考えられた。

また、Hillの式から算出された親和力係数の温度依存性から吸着エンタルピーを見積もったところ、非晶性セルロースに比べて結晶性セルロースの吸着エンタルピー変化は大きな負の値を示した。また、結合のGibbs自由エネルギー変化は両基質間でほとんどかわらないので、結晶性セルロースへのCBDの吸着には、エンタルピー的寄与が大きく関与することが明らかとなった。このことから、CBDの結晶性セルロースへの吸着には、水素結合などの配向依存的な相互作用力が大きく関与しているものと考えられた。

第五章 総括

糸状菌由来CBDを用いた融合タンパク質の発現生産ならびにセルロースを基材とするアフィニティー・クロマトグラフィーによる精製に成功した。

また、得られたCBD融合タンパク質の吸着挙動について、Hillの式を用いて解析を行った。その結果、CBDとセルロースの相互作用はエンタルピー的寄与が大きく、セルロース分子鎖の疎水平面を単なるに疎水面として認識しているのではなく、分子鎖の立体的特徴を強く認識する可能性を示した。さらに、CBDはセルロースに対して負の協同性を持ち吸着することが明らかとなった。これらCBDの吸着解析から、セルラーゼによる結晶性セルロース分解のさらなる効率化には協同性を指標にしたCBDの分子改変が重要な役割を担うことが予測された。

審査要旨 要旨を表示する

結晶性セルロースを効率的に分解できるセルラーゼとして知られている糸状菌由来セロビオヒドロラーゼI(CBHI)は、タンパク質構造的に見ると、糖質加水分解酵素ファミリー7に属する触媒ドメイン(CD; catalytic domain)と糖質結合モジュールファミリー1に属するセルロース結合性ドメイン(CBD; cellulose-binding domain)がリンカーで結ばれた構造によって構成されている。また、結晶性セルロースの分解において、これらの2つのドメインが相補的に機能することが必要であると一般的に認識されているが、CBDの機能については未だに不明な点が多い。一方、結晶性セルロース表面上に吸着したCBHIが高密度になるとCBDのみに依存した非生産的な吸着量が上昇し、その結果、結晶性セルロースの分解が非効率化されることが最近になって指摘されている。したがって、セルロース表面上においてCBDのみに依存した非生産的な吸着を制御することが出来れば、分解効率の改善が期待でき、さらにはCBHIの脱離回収への応用も可能となると考えられる。このような背景から、本研究では、結晶性セルロースと糸状菌由来CBDとの相互作用を明らかにするために、その詳細な解析を行うことを目指した。また、CBDのセルロースへの吸脱着能を利用したタンパク質の精製ならびに回収への応用についても検討を行った。

まず、CBDの機能のみによるセルロースへの非生産的な吸着の解析を目的として、糸状菌Trichoderma reesei CBHIのCDを遺伝子工学的手法により赤色蛍光タンパク質(RFP; red-fluorescent protein)に置き換えたCBD融合タンパク質(RFP-CBDTrCBHI)を作製した。この遺伝子を発現ベクターに連結した後、メタノール資化性酵母Pichia pastorisに導入し、形質転換体タンパク質の発現生産を行った。メタノール添加によって誘導した場合、CBD融合タンパク質の発現が確認でき、また発現条件を最適化することで、最大で約1 g/L のRFP-CBDTrCBHIを生産することに成功した。

次に、発現生産させたRFP-CBDTrCBHIを簡便に精製ならびに回収することを目的に、結晶性セルロース担体を用いたアフィニティークロマトグラフィーの導入を検討した。その結果、このCBD融合タンパク質は高濃度の硫酸アンモニウムの存在下でセルロースカラムに強く吸着するが、その後、水を用いて容易に溶出できることを明らかにした。この操作条件は通常の疎水性相互作用クロマトグラフィーと類似しているが、疎水的タンパク質であるウシ由来血清アルブミンはこの条件下でセルロースカラムに吸着しなかったことから、セルロースに吸着するには疎水性相互作用以外の因子も重要であることが示唆された。また、このクロマトグラフィーによるCBD融合タンパク質の回収率は約80%であることから、実用的にも利用可能であることが示された。

精製したRFP-CBDTrCBHIを用いて、シオグサ由来Iα型結晶性セルロースと非晶性セルロースに対する吸着実験を行い、結晶性セルロースに対する吸着特性の解析を試みた。得られた吸着データのスキャッチャードプロット解析の結果、予想に反して、どちらの基質への融合タンパク質の吸着も単項のLangmuir式では近似できないことが分かった。そこで、様々な吸着モデル式を用いて解析したところ、実測した吸着データはHillの式で良く近似できることが明らかとなり、さらに、その場合、負の協同性の存在が示唆された。興味深いことに、Iα型結晶性セルロースへの吸着では、負の協同性が低温では強く現れるが、常温になるにつれて負の協同性は解除される方向に向かった。一方、非晶性セルロースに対する吸着様式にはさらに強い負の協同性が現れ、それは温度の上昇によっても解除されなかった。また、Hillの式から算出した上清タンパク質濃度の温度依存性から見積もった吸着エンタルピーの変化は、Iα型結晶性セルロースの場合、吸着したタンパク質の表面密度に対して強く依存し、表面密度の上昇とともに大きく減少することを明らかにした。一方、非晶性セルロースに対する吸着では、このような傾向は認められなかった。この結果に基づき、Iα型結晶性セルロースにおいては吸着したCBD融合タンパク質同士の立体的な排除効果に基づく分子の表面拡散がより自由に起こるという見解に至った。

以上、本研究で得られた成果は、今後、セルラーゼによる結晶性セルロース分解の効率化ならびに酵素の脱離回収を行うために重要なCBDの吸着機能を制御する方策を検討していく上で重要な知見を与えており、学術上ならびに応用上、貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文を博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク