学位論文要旨



No 128594
著者(漢字) 片山,直樹
著者(英字)
著者(カナ) カタヤマ,ナオキ
標題(和) 水田に生息する主要な脊椎動物の個体数決定機構
標題(洋)
報告番号 128594
報告番号 甲28594
学位授与日 2012.09.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3858号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,直
 東京大学 教授 大黒,俊哉
 東京大学 准教授 石田,健
 筑波大学 准教授 藤岡,正博
 東邦大学 教授 長谷川,雅美
内容要旨 要旨を表示する

我が国では、自然湿地の多くが都市や農地に転換され、生物多様性を減少させる主要因のひとつとなってきた。一方、水田は農地でありながら、湿地性の水生生物種が多く生息しており、代替湿地としての役割が期待されている。しかし、近年の農業集約化によって、水田の生物多様性の減少が危惧されている。我が国では1950年代以降、農薬使用や圃場整備事業の施行に伴って水生昆虫、魚類、両生類や鳥類など多くの種の減少が報告されている。その影響を明らかにするためには、様々な農業活動の変化に対する個々の種の応答とその仕組みを理解する必要がある。この際、捕食等の種間相互作用の影響を明らかにすることで、水田棲の生物の効果的な保全管理の提言が期待できる。本論文では、特に減少が懸念されている両生類、魚類、大型鳥類を対象に、それらの種間関係に着目して、水田の圃場整備事業および畦畔の草地管理が与える影響の解明を目的とした。

第2章では、圃場整備がドジョウ、カエル類およびチュウサギに与える影響の解明を目的とした。調査は、2008-2009年の4-6月に茨城県霞ケ浦南岸の水田地帯で行った。ドジョウは夜間センサス、カエル類は日中センサスおよびトラップ、チュウサギは午前のセンサスによって調査した。結果、圃場整備水田の生物量はドジョウでは約10分の1に、ダルマガエル成体では約5分の1に減少した。一方、アマガエルでは成体、幼生ともに明確な減少傾向が認められなかった。統計解析(空間自己相関を考慮した階層分割)の結果、ドジョウについては、コンクリート掘りの落差の大きい水路によって水田への繁殖分散が阻害されることが主な減少要因であった。また、こうした餌生物の減少を反映して、水田の高次捕食者であるチュウサギの個体数も約2分の1に減少することがわかった。これらの結果は、圃場整備事業は魚類、両生類の一部を直接的に減少させるだけでなく、食物網を通して大型鳥類をも減少させることを示した。

第3章では、圃場整備に頑健であり、水田の食物網の鍵になると考えられるアマガエルの個体群動態に対する畦畔管理と捕食者の影響の解明を目的とした。2009-2010年の4-7月にかけて、複数の生活史ステージ(成体期、幼生期および幼体期)における野外の空間分布を記録した。同時に、環境要因として水田のドジョウ量およびチュウサギ数、畦畔の草丈を記録した。生活史ステージごとの個体群の空間スケールの違いを考慮した上で、個体群サイズに影響する要因を調べた。統計解析の結果、まず多くの生活史ステージにおいて前のステージからの密度効果が影響することがわかった。密度効果を考慮した上でも、幼生期(5-6月)の個体数には湛水日および捕食者であるドジョウとチュウサギの密度が負に影響した。それらの合計消費量は、アマガエル幼生の約2分の1に及ぶと推定された。また幼体期(7月)の密度には、畦畔の草丈が正に影響した。これらの結果から、アマガエルの個体群動態における捕食者等の生物的要因と畦畔管理の重要性が示唆された。

総合考察では、水田生態系の食物網を構成する上記の生物種について、その効果的な保全管理の在り方を議論した。圃場整備事業の進んだ水田地帯では、以前のような土水路に戻すことは容易ではないが、魚道の設置等により水田と水路のネットワークを回復することで、ドジョウ等の魚類やダルマガエルの個体数を高めることが期待できる。加えて、夏季(7月)における畦畔の管理強度を弱め、草丈を高くすることで、アマガエルの個体数を高めることが期待できる。その効果は、本種の生活史動態を通して、翌年の卵および幼生密度を高めることにもつながる可能性がある。これは、ドジョウやチュウサギ等の捕食者の食物量の増加につながるはずである。このように、複数の管理を組み合わせて行うことで、単独で行う場合の総和よりも大きな効果が得られることが期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

自然湿地が各地で減少するなか、水田は湿地性の生物の生息地として機能することが期待されている。しかし、近年の農業の集約化により、水田の生物多様性の減少が危惧されている。日本では1950年代以降、農薬使用や圃場整備事業の施行に伴い、水生昆虫、魚類、両生類、鳥類など、多くの種の減少が報告されている。その具体的な影響を明らかにするため、これまで農業活動の変化に対する生物の応答についての研究がなされてきた。しかし、こうした研究の多くは、それぞれの種の応答を個別に捉えており、生態系に本来みられる捕食や競争などの生物間相互作用を考慮した評価は、ほとんど行われてこなかった。このような機構論からの影響の解明は、水田生態系の効果的な保全や再生のデザインを考えるうえで、非常に重要である。本論文では、両生類、魚類、大型鳥類およびそれらの種間関係に着目し、水田の圃場整備や湛水管理、および畦畔の草地管理が、これら生物に与える影響の仕組みを解明することを目的とした。野外調査は、茨城県霞ケ浦南岸の水田地帯で行った。

第2章では、圃場整備がドジョウ、カエル類およびチュウサギに与える影響の解明を目的とした。茨城県霞ケ浦南岸の48枚の水田において、4月から6月にかけて、生物の個体数を調査した。圃場整備水田の生物の個体数は、未整備水田に比べて、ドジョウでは約10分の1に、ダルマガエル成体では約5分の1にまで減少した。一方、アマガエルでは成体、幼生ともに明確な減少傾向が認められず、成体はむしろ増加傾向にあった。またドジョウについては、どのようなタイプの圃場整備が減少に効いているかについて、階層分割という統計解析により分析を行ったところ、コンクリート張りの落差の大きい水路が減少の主要因であり、水路の三面貼りや暗渠排水の有無は相対的に影響が小さいことがわかった。すなわち、落差の大きい水路は、ドジョウが水路から水田へ繁殖のために移入することを阻害していることが推察された。一方、水田生態系の高次捕食者であるチュウサギの個体数も約2分の1に減少することがわかった。これらの結果は、圃場整備は魚類、両生類の一部を直接的に減少させるだけでなく、食物網を通して大型鳥類の採食個体数を減少させることを示している。しかし、圃場整備が行われた場所でもチュウサギの個体数がある程度維持されているのは、主要な餌生物であり、圃場整備の影響を受けにくいアマガエルの存在によるところが大きいことが推察された。

第3章では、圃場整備事業に頑健なアマガエル個体群に対する水田管理と捕食者の影響の解明を目的とした。水生期と陸生期のそれぞれの生活史ステージにおいて、101枚の水田の畦畔におけるアマガエルの空間分布を調べるとともに、さまざまな環境要因、すなわち幼生期は湛水日、水位、ドジョウ密度、チュウサギ密度、陸生期は草丈および湛水面積、を記録した。空間自己相関分析の結果にもとづき、調査地を40個の独立な水田群に分割したうえで、個体群密度の時間変化に与える密度効果と環境要因の影響を推定した。解析の結果、幼生期(5-6月)の密度には湛水日および捕食者であるドジョウとチュウサギの密度が負に影響していた。その合計消費量は、アマガエル幼生の約半数に及ぶと推定された。また幼体期(7月)の密度には、畦畔の草丈と田面の湛水面積が正に影響した。さらに、全ての生活史ステージにおいて、前のステージからの密度効果が影響していることがわかった。これらの結果は、アマガエルの個体群動態における捕食者等の生物的要因と、中干しのタイミングや畦畔の草丈管理が、個体数の決定要因として効いていることを意味している。また、密度効果の存在は、水田管理を適切に行うことで、アマガエルの個体群を環境収容力に近いレベルで維持できることを示唆している。

総合考察では、今回明らかになった水田生態系の捕食・被食関係をもとに、効果的な保全管理の在り方を議論した。圃場整備事業の進んだ水田地帯を、以前のような土水路に戻すことは現実的ではないが、魚道の設置などにより、水田と水路のネットワークを回復することが可能で、ドジョウやダルマガエルの個体数を高いレベルに維持できることが期待できる。加えて、夏季における中干しのタイミングを1週間程度遅らせることや、畦畔の管理強度を弱め、草丈を高く保つことで、アマガエルの個体群密度を高レベルに維持することが可能であると考えられる。こうした管理は、ひいてはチュウサギなど高次捕食者の個体群の維持に貢献することが期待される。

以上、本研究は、水田生態系に生息する主要な脊椎動物の種間関係を定量的に明らかにすることで、人為管理下におけるこれら生物の個体群の維持機構の一端を明らかにした初めての研究である。本研究から得られた知見は、最近注目を集めている水田生態系の管理や再生に重要な示唆を与えるものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文を博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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